誰のための植物工場?

毎週のように経済誌に明るい将来を予見するかのような記事がのる。記事を素直に読めば、植物工場新規参入や拡張プロジェクトが後を絶たない。日本の新しい技術輸出の一つとして、食糧自給を問題視している国々で関心を集めているという類のものまである。
植物工場は、今、第三次ブームだという。関係者の手前味噌の命名だろうが、植物工場は第六次産業だそうだ。最初聞いたときは何を言われているのかピンとこなかったが、農業の第一次、製造業の第二次、それにサービス業(流通か)の第三次産業の何次を足し算して六次だそうだ。マスコミが流布することをそのまま鵜呑みにする歳でもないが、ついその気になって入り口のちょっと先まで入り込んでしまった。外からでは見えないものが否が応でも見えてしまう。久しぶりに興味深い状況が眼前に広がっていた。
植物工場はその規模や太陽光の扱い方でいくつかの方式に分類される。分類は大まかに言えば、お店のショーケースのようなもの、コンテナ状にユニット化されたもの、太陽光を利用した熱帯植物園を連想させるガラスハウス状のものから、太陽光を使わずに光も人工的光を使用するものまである。ビニールハウスや水耕栽培は施設園芸に分類され、植物工場とは呼ばない。植物工場に関してはご自身を多分第一人者と思っていらっしゃる某教授から、そのようなものを植物工場と混同されては困るという話も何度かお聞きした。
植物工場の優位性を喧伝する方々の口上によれば、植物工場は、1) 季節や天候にかかわらず、一年中を通して含有成分も形状も均一な野菜を安定供給できる。2)公害などによる汚染の心配もなく無農薬なので安心して食して頂ける。3) 製造業の海外移転に伴って生じた遊休施設=生産工場や倉庫などの再活用にできる。更地からの建設よりはコストを抑えられる。4) 植物工場内の(農)作業は軽作業にできるので、シルバー雇用や障害者雇用などの雇用創出になる。
この類の記事が繰り返し手を変え品を変え、全国紙の顔をした経済誌に掲載される。ちょっと調べれば大学の先生方からのご指導も頂戴できそうだということが分かる。総投資額の半分、あるいは三分の二までは行政からの補助金を期待できる。自動車部品加工や家電製品部品加工など仕事が海外に出ていってしまって窮状を打開する妙案が浮かばない経営者には、これだと思わせるのに十分な情報だろう。
ところが、第六次産業と自ら位置づけている個々の産業からの視点に分解してみると、経済誌にはでてこない以外な(にされているが、本来当たり前)の盲点に気づく。植物工場は本来農業の延長線にあるはずのものなので、農業から見ると分かりやすい。植物工場に関係している企業やお歴々は、伝統的な農業に従事してきた組織でも方々ではない。異業種から農業への参入を否定する気はないが、それほど将来有望な農業生産のあり方なのであれば、なぜ農業組織や農業従事者の方々が参入しないのか?農協をはじめとする農業関係の団体の力を持ってずれば、大多数の植物工場が従来からの農業関係者の手になるものになっているはずだが、現状はそのようなケースの方が希だ。素朴な疑問だ。
考えられる答えは?レタスなどの葉物野菜であれば、今まで通りの露地栽培、ハウス栽培で十分だからだ。農業植物工場に関係した者として施設園芸関係の業界団体に電話したら、こっちは施設園芸の範疇で、こちらの業界団体からみれば植物工場は農家がやってることでもなし、そんなもの農業じゃない、それこそ一緒にされたら迷惑だという口ぶりでお叱りを頂いた。今までの農業で十分で、農業関係者から否定される植物工場とは一体なんなんのか?
露地栽培やハウス栽培で生産されたレタスがスーパーで1個100円以下で売っている。植物工場の生産性?も随分改善されたが、小売価格100円のレタスを生産できるまでには至っていない。現在のエネルギ事情も含めた各要素のコストをみれば、どこかでマジックでも起きない限り、従来の生産方法=農業を超える生産性を実現できる可能性はない。
高いものを売らなければならない植物工場側としては、しばしば食の安全論を持ち出す。曰く、植物工場で生産した野菜なので、こっちは安全ですよ。あっちは露地で栽培した野菜なので、安全が疑わしいですよ。だから少々高くてもこっちの野菜の方が。。。何をかいわんやである。身びいきにもほどがある。本来の農業の安全が脅かされているというのであれば、そっちを改善するのが本来あるべき姿で、短絡的に生産を植物工場に移行するというのはないだろう。まさか、高名な先生方の目指しているのが、日本中の農業を止めて全て植物工場にしようという漫画にもならない話じゃないだろう。拙稿“日本の停滞、アジアの急伸”で書いたが、日本の食のコストが高過ぎるが故に購買力平価でみるとアジアのなかでも相対的に日本が貧しくなっている。そこに、わざわざ今までより高い野菜を、はないだろう。食の安全を御旗のもとに、自分達の利益のために日本をさらに貧しくしようというわけじゃないだろうな、と言いたくなる。
露地栽培でもハウス栽培でも、もっと極端なことを言わせて頂ければ、家庭菜園でも家庭での水耕栽培でも簡単に育てることができる野菜を栽培する施設の建設に数千万円から億の資金を投入して、生産物の価格が市場価格より高い。そのため、植物工場関係のセミナーでは、プレミアム価格を払ってくれる客をどう見つけるかという“出口論”が最大の関心事になる。プレミアム価格を払ってくれる客を掴んでいる植物工場はほんの一部に過ぎず、多くの植物工場が経営として成り立っていないと聞いている。産業構造の変化で本業が振るわなくなった業界から植物工場に進出した企業が多いなかで、植物工場というあらたな赤字事業を抱え込む結果になって、新聞にはでないが廃業したところもある。
フツーの合理的判断ができる経営者なら手を出さないだろうと想像するのだが、経済誌によれば、そうじゃないらしい。そうじゃないらしいのが事実とすれば、一体何がそうしているのか?これも答えは簡単で、一言で言ってしまえば経営者の能力ということになる。時の流れに乗ってみんながやるから、誰にとっての流れかも考えずに、うまくいっているらしいので、似たようなことをやればうまくゆくはずだといった程度の経営者ということなのだろう。それで良かった時代もあったが、その時代は残念ながら過去のものになった。時代と共に過去のものになって頂くしかないだろう。が、そのコストは誰の負担になるのか?
農業関係者から否定され、あるいは無視される植物工場を推進する目的、あるいは理由はなんかなのか?関係者をみれば大体の想像がつく。植物工場とは、日本の農業のあり方の一つの可能性の云々ではなく、産業構造の変化によって市場が激減した業界への行政支援に過ぎない。と考えれば、間違っているかもしれないが、起きているこの説明はつく。植物工場とは、構造不況が続く建設業界と半導体工場の海外移転が進み仕事が激減したクリーンルーム/空調システム業界への行政からのささやかなお仕事提供の政策の一つだ。
政策とは古今東西、市井の人々から集めた税金を特定の組織に交付することででしかないのを承知で、あえて言わせて頂くが、市井の一個人としては、とられた税金の、たとえ一部ででしかないにしても、補助金として使われた植物工場のその後はどうなっているのかが気になる。フツーに考えれば、初めから成り立たないのを承知で、植物工場を喧伝している経済誌、その後ろ盾となって税金を食い物のしてきた産学共同体と行政、もういい加減にしろと言っても言いすぎじゃないと思うが。