多機能/高性能トイレ

一メーカの商品名が一般名のようにまでなってしまって、一般名が分からないのでWebで調べたら、“高機能トイレ”となっていた。機能に高い低いという形容詞を使うのをためらうで、多機能/高性能トイレとした。
最初は洗浄器がついたまでだったのが、需要に答えての結果か、メーカの市場創出の努力の甲斐あっての進化か知らないが、最近の多機能トイレには、驚きを通り越して、感動すらも通り越して、半分呆れる?ものがある。幾つものセンサーを搭載してトイレもすっかりコンピュータ(広い意味での)で制御される時代になった。便利である以上に快適で清潔でトイレ以外のものもこのくらい快適になったらいいと思うことすらある。ただ、社会全体を大きな視野でみれば、こう言っては失礼だが、たかがトイレにこれほどまでの技術を駆使して、もっとよく、もっとよくと進化を進める企業もそれを希望する利用者も日本以外にはなかなかいない。もっとも、聞くところによると日本に在住の外国人の方々にも好評らしいが。
東日本大震災では埋立地だったこともあり、あちこちで地面が50cmくらい沈む液状化現象が起きた。そのため上下水道と電気が使えなくなって、復旧には10日ほどかかった。当初は自衛隊の給水車から飲み水を頂戴したが、二日目からは開店前から列に並べばスーパーでペットボトルの水を買えるようになった。量も限られているので飲食用以外の使用は限られていた。7棟あるマンションのあちらこちらに簡易トイレが設置された。トイレに行った後、帰ってきて手を洗うのにペットボトルの水を使ったが、トイレに関係することで使う水はこれだけだった。電気がない生活も不便だったが、電気より上下水道がない生活は大変だった。
発展途上の多く国や地域でなんとか飲める水はおろか雑用水のレベルの水ですら、入手に多くの労力が割かれているとテレビや新聞で報道されている。緑地の砂漠化が進み、水源が居住地からますます遠くなり、水質も劣化している。そこに地球温暖化の影響がかさなって、洪水と干ばつが過激になっている。さらに人為的な破壊行為も加わって、最低限の基本的な生活すら、ままならくなっている。日本にいれば、ほとんどどこで罹災しても何らかの支援が得られる。何日間にも渡って安全な飲み水が手に入らなくなることは考えにくい。どこでも蛇口をひねれば安全な飲み水がふんだんに安価に得られるのが、あまりに当たり前になってしまって、飲み水がない生活は想像すらできなくなっていた。
雑用水のレベルの水ですら入手するのが大変な世界の大多数の人達の視点でみると、安全に飲める水でトイレの水洗をするのは、もったいないというより冒涜に近いような気がしてならない。住んでいる場所の自然環境も歴史も文化も違うのだから気にしてもしょうがないのだが、トレイで水洗する度に、ちょっと後ろめたいような気がしてならない。かたや飲んで安全かどうかを問うまえに、水がない。こっちは、いくつもセンサーを搭載したコンピュータ制御の多機能トイレを飲み水で洗浄している。
水洗トイレの水の使用量やその水の浄化の質と多機能トイレの行き過ぎた感のある機能、高性能の間には何の関係もない。ないのだが発展途上の国や地域だけでなく、先進国と比べても多機能トイレは良すぎるというより凄すぎる。きれい好きな日本人が創りだした、世界に誇る日本の多機能トイレと胸を張りたいのだが、躊躇する。
昔、造船やテレビ、自動車や半導体で世界を席巻し、これぞ日本が世界に誇れるというものがいくつもあった。今、何が誇れるものなのかつらつら考ても、これといったものが思い浮かばない。マンガ?それとも、清潔なうえに、賞味期間の2/3に達すると商品棚から下ろして、商品を廃棄物としてしまう徹底した品質管理を誇るコンビニ?他に何があるんだろう?マンガもコンビニも多機能トイレも、あえて世界に誇るとなると気が引ける。まして多機能トレイは世界の常識や状況からかけ離れ過ぎている。多機能トレイの関係の方々には申し訳ないが、今の日本には、もっと気にしなければならない、やらなければならないことが山積している。それを知らないか、興味のない外国の人は、多機能トイレに感動し日本に対して 畏敬の念を抱くかもしれない。知り得る人は、なぜ日本人はトイレの進化には、これほどまで熱心なのに、社会のもっと大事なことには手をつけようともしないで、問題を先送りにしているのだろうと訝しく思うだろう。