嫌われ者と厄介者

長年に渡って海外市場の営業も技術サービスも輸出商社機能しか持たない子会社に任せてきたのに技術サービスだけを親会社に新しい部署を作って移行することにした。当時のトップが、限界が見えてしまった国内市場からまだまだ成長が期待できる海外市場を子会社任せにしていられないとでも思ったのかもしれないと想像している。海外駐在所に技術的なサポートをしようとすると工場にいる技術屋の密接な協力が欠かせない。そのため、子会社の技術サポート部隊は週の半分くらいの日を事務所に出ずに工場に出社していた。これを改善すべく、子会社の技術サポート部隊を親会社に移行した。
当初、部署の構成はヨーロッパ駐在員上がりの参事と米国駐在員上がりの平社員の二人だけ。半年以上経って、米国駐在時代の平の上司がちょうど二人の間に入るかたちで入ってきた。その後、ヨーロッパから年配のノンキャリアの係長クラスと一期後輩の電気屋が参加してまあまあの世帯になった。
参事は、ラインを持たない課長待遇の人で、おそらく社内で一二を争う嫌われ者だった。真っ正直な人で、専門的な知識も十分、少しずつではあっても日々勉強されていて、立派な人だった。ところが、真っ直ぐなと気性の荒さがかみ合わさって、どこでも喧嘩口調で正論を吐かれた。問題を指摘された方も、馬鹿じゃなし、問題であることは程度の差はあっても重々承知している。分かってはいるが、何とかしたいが、現状ではリソースがなく解決に向けた作業をできないでいるにすぎない。なんらかの理由、しばし正当な理由であっても、言い訳がましいことを言おうものなら、正論に火がつき、もう問責口調になってしまう。はじめの頃は、こうとしか、表面的な状況しか見えなかった。
米国駐在員上がりの平の方は、70年代初頭の学園紛争のしっぽをつけたままで仕事以上に社会問題に関心がある現役の活動家だった。おたまじゃくしのしっぽがなくなって、もうカエルになっていい歳なのだが、しっぽがついたままという感じで、社会党右派の御用組合を左旋回しようとしている、会社にとっては厄介者だった。幸か不幸か、参事のように知識もなく、定見もない。このなさが社内ではある意味融通の利く便利屋にした。技術的な問題で困っている海外駐在員に、海外の顧客に必要な技術情報をできるだけ早く提供するという目的のために、頭も腰も卑屈なまでに低くして関係部署から支援を取り付けることに腐心していた。
課としての他部署への依頼書の類は、平が書いて、参事がチェックするかたちだった。真面目な几帳面な性格の参事のチェックのお陰で社内文書の書き方以上に、ビジネス文の書き方を鍛えられた。当初は、二人だけで事務所にいるのが苦痛で、必要以上に関係部署と工場を歩きまわるのを日課としていた。歩き回れば、依頼書の受け手である他部署の長とも出くわす。出くわす度に依頼書の内容の話になる。依頼書は常に明瞭完結の書かれていて、誤解のしようはない。書いた者と書かせた人が誰なのかもはっきりしている。他部署の長からxxxさん(参事)をからめると面倒にだから、お前、あっちに行って、yyyさんと(他の関係部署の長)こういうことで話をつけてこいというような裏取引のようなパシリの指示を受けた。参事もこのようなことになっているのをうすうす承知で部下の平を走らせていた。後になって振り返ってみれば、彼も目的がなんなのかは分かっていた。分かっていたが問題を放置している同期やその周辺の民僚化した本来の意味での仕事仲間に警笛を鳴らさざるを得なかったのだろう。
二人で始まった部署で、当初は一緒に部屋にいるのがいやでいやで仕方なかった。周囲からも、しばし冷ややかながらも多少の同情もされた。嫌われ者と厄介者のコンビだが、厄介者の方は会社にとって厄介なだけで、従業員にとっては、多少は同情してもいい存在だったのだろう。出社するのさえ面倒になってきた時に、そこまでの嫌われ者と一緒に仕事ができれば、たいていのことにはついて行けるようになれるのではと思いついた。自分で自分に鍛錬、鍛錬を言い聞かせて、口うるさい指示に従っていた。
ところが数ヶ月経って、ことの運び方の要領を得てきて、はたと気づいた。みんなから嫌われていた参事、反面教師の面の多い方だったが、ただの反面教師じゃなかった。立脚点も視点も問題提起も間違ってはいない。いないどころか愚直に正面突破しようとしすぎるきらがあるだけで、主張は正しすぎるくらいだった。
真の問題は関連部署の長やその取り巻き、社長まで含めた民僚どもにあった。誰もが正論と認めざるを得ない問題を指摘されて、その問題を解決しなければならない立場にいる無能な長どもが群れをなして、正論を主張する者を疎外する。どこでもあることだろうが、そんな組織は最終的に持ちっこない。二十数年の時間がかかったが、その名門企業は倒産した。倒産の話を聞いたとき、あのだらしない組織とその組織を構成していた無能どもが消えるのにそんなに時間がかかったか、感慨のもなにもない、ただ、随分時間がかかったなとしか思わなかった。