日本の停滞、アジアの急伸

2012年4月28日発行のEconomist誌に経済成長を続けるアジア諸国と20年近く停滞を続ける日本の豊かさの比較に関する記事があった。冷ややかな記事で、5月22日に開業した東京スカイツリーは日本が一番でいたいという最後の賭けなのかな?とまで書かれている。長年に渡ってアジアで最初に工業化に成功し、最も豊かで大きな経済力を誇ってきた。長引くデフレと産業構造の改革に手を付けずにきて日本が特別な国ではなくなったと思ってはいたが、実質の豊かでアジア諸国の後塵を拝する国になったという記事を読むと、妙な寂しさもある。その一方で、うん、そうだろうと納得してしまう諦めにちかいものがある。
記事では、2011年の米国ドル換算での購買力平価(purchasing ?power parity)で国民一人当たりのGDPを比較している。不勉強で知らなかったが、1993年には既にシンガポールに抜かれ、1997年には香港に、2010年には台湾に抜かれていた。IMFの最新のデータによれば、1980年には日本の1/4の国民一人当たりGDPしかなかった韓国に5年以内の抜かれるだろうと予測している。
記事が書かれた時点での為替レートで換算すれば、日本の国民一人当たりの所得は、シンガポール以外のアジア諸国より多いそうだ。所得では、額面では結構な収入があるのだが、それを相殺してしまう生活コスト高が日本を実質的に豊かな国になるのを妨げてきた。これは90年以降の経済の停滞に始まったことではないが、経済成長が望めなくなっても改善されることのないまま今日に至っているということになる。
ご丁寧にEconomist誌は日本の生活コスト高の原因として、housing and foodを上げ、これが日本の実生活水準を引き下げていると指摘してくれている。土建大国ニッポンの面目躍如に拍手、総務省の労働力統計では総就業人口の4%に過ぎない農業関係の方々の政治力に脱帽とで言って諦めるしかないのかとも思いたくない。
本当にできることをしての結果なら、しょうがないって諦めもつこうというものだが、誰がどう見ても本当にしなければならないことをしてきているとも思えないし、一部の方々のご利益のために悪化させることすらしてきて、これでいいのだという説得などありえようがない。
二百年も前に唱えられた比較優位説をそのままとは言わないが、そろそろ目を覚まして、一体自分たちはいったい何なんだ、社会に、世界に貢献するにはどう在らざるを得ないのか、自己定義をしなおして、自前主義を脱ぎ捨てて今こそ貿易立国を真摯に考えるときだと思うのだが、そうすると困る利権団体が今日も跳梁跋扈。