生産性を上げるために

戦後の高度成長以来、長きに渡って生産性が上がれれば生活が向上すると、多くの人が素朴に思っていた。戦後、欧米から導入した新しい技術や生産設備と地方からの廉価で豊富な労働力により総生産量も生産性も飛躍的に伸びた。その伸びは、企業の急速な資本蓄積を補ってあまりあったので都市勤労者の実質収入も増え、生活も大きく向上した。気がついてみれば、生産も消費も先進国の仲間入りを果たし、日本式の社会組織から企業経営までがもてはやされた時代があった。少なくとも80年代末のバブル崩壊までは、日本はもっと豊かになって、世界で最も豊かな、住みやすい国になるだろうと多くの人が信じていた。新聞屋やテレビの論調もそうだったし、日本が一番というような表題の、思い上がった書物までが出版され、まさか今日のような事態になるとは、誰も想像しなかった。想像していた人がいたとしても、当時、一握りの少数派として時代の表にでてくることはなかった。

70年代から80年代にかけて、米国は大量生産を基盤とした社会構造からイノベーションを梃子としたサービス産業へ、今まで以上の付加価値を生み出す社会構造に転換するため血の滲むような努力をしていた。一方、日本では繁栄の礎と信じ、誇ってきた大量生産体制に磨きをかけ、土砂降り輸出と評されるほどの生産力と国際競争力を誇っていた。我が世の春を謳歌していた(つもりだった)のが、アメリカにほぼ四半世紀遅れて、旧態依然とした経済社会体制を変革しなければならない状況に追い込まれていたことに気が付かされた。

乱暴な言い方になるが、鳥瞰図的に見れば、千年の単位で、国家としてのほぼ全歴史を通して、先進国で生まれたイノベーション−文化や社会政治体制から始まって生産技術に至るまで−を先進国からの輸入と輸入したものの土着化で賄ってきた文化がある(これも、ある意味誇れる文化か?)。豊かになった社会の基盤を覆すような大きな社会変動なしで、状況を容易に打開する自前の方策どころか舶来品の方策-採用できるという意味で-すら見けられないままで今日に至った。

バブル崩壊以降、次の産業社会構造への変化が途につかない20年ほどの間に発展途上国だった国々が中進工業国に、世界の生産基地として発展し、国際競争は日欧米の間の競争から中進工業国まで巻き込んだグロバールな競争へと激化した。有効な金融政策の欠如も手伝って先進国では考えられない20年以上の長きに渡る出口の見えないデフレが続いている。
企業の経済活動もグローバル化し、当然の結果として企業の業績評価が大手都市銀行を中核とした閉鎖された企業グループ内の評価から国際金融の目に晒されるようになった。さらに、アメリカのように金融機関や企業の所有者としての株主の力による否応無しの企業改革は、戦後作り上げられた社会意識−たとえ形骸化したとしても一億層中産階級化や終身雇用と相容れない。この社会的な制約に加え企業としての利益の源泉である生産性の向上の手立てが自前のものも舶来のものも見つからないなかで大手企業が生産性を上げるうまい手を−少なくとも一企業としてある特定の期間は−使い出した。

大雑把に行ってしまえば、営業利益から経費を差し引いたものが企業の利益となる。経理の視点=金融機関の目で見れば、この利益が増えれば生産性が上がったことになる。国際競争の激化とデフレ不況が続く日本市場で今まで以上の営業利益を捻り出すのは難しい。実の、本来の意味での生産性を上げる手立て=イノベーションを、次の時代をかたちづくる新しい価値、文化、組織そしてより多くの付加価値と豊かな社会の礎をイメージすらできない経営陣がしたことは、経費の削減だった。

経費の削減をどこに求めたか?まさか、グローバル化した金融機関への配当を減らすわけにもゆかない。労働の多様化が進むなか(進めた?)労働組合が崩壊し、守るべき組織を失い、個人として社会と直接対峙しなければならなくなった勤労者に矛先が向けられた。正規社員が臨時雇用者に、派遣社員に、パートタイマーに、あるいは固定費の安い外注に置き換えられていった。その結果、数年前には多くの大手企業で史上最高益すら記録した。その一方で、勤労者は生産性を上げるために貧しくなった。生産性が上がれば豊かになれると思っていたが、まさか生産性を上げるために貧しくなるとは誰も想像すらしなかったろう。勤労者の可処分所得の低減による消費の停滞と引き続くデフレで、日本が経済的に萎縮し続けている。

萎縮し続けるなかで、若い人達がクルマ離れをしているという。若い人達だけじゃないだろうし、車だけでもないだろう。多くの人達が欲しくても買うだけの可処分所得がない状態に陥っている。高度成長期を手放しで賞賛する気はないが、当時、就職した若い人達が、ローンでマイカーを買うのが、夏には海に、冬にはスキーに、テニスに、まだ身近ではなかった海外旅行にゆくのが、すぐそこに手に届く夢としてあった、今になって思えば、活力のある時代だった。10年、20年後に、今日をどんな時代だったと振り返ることになるのか?できることなら、振り返りたい今日としたい。

経営者として企業利益を、その利益から企業の所有者への、金融機関への配当を最大限にする責任があるという主張がある。はい、その通りですと全面肯定したら、少なくとも今の日本では、ますます購買力が低下し、どこで落ち着くか分からない均衡点まで経済が縮小することになる。個々の企業の都合、その企業の後ろいらっしゃる方々の経済的利益のために、国レベルでの経済的衰退を推進する経営者とその犠牲とされている勤労所得者がいる。国家百年の計などと大それたことを言う気もないが、そろそろ目を覚まして自分達がしてきたことを反芻して、将来を考えるときに来ていると思うのだが。
2016/316