騙し合いの文化

米国本社のマーケッティングのトップから今度の展示会に“X”を出展しろと、命令がきた。日本支社長と何度も話して、少なくとも当面は、“X”はオープンマーケットには出さないと結論していた。出したくても出せない理由が、フツーに考えれば出してはいけない理由があった。
“X”は開発プロジェクトのコード名で、当時、ベータサイトの段階の製品で製品名はまだ決まってなかった。十年以上懇意にして頂いてきた装置メーカが新機種の開発を急いでいた。新機種には従来機種に搭載していたソフトウェアをはるかに凌ぐ機能と性能のアルゴリズムを組込んだソフトウェアを搭載したいとことで、開発依頼を受け、米国本社で開発してきた。
その装置メーカとはかなり前から開発支援契約とでもいう契約を結んでいて、毎年かなりの金額をお支払い頂いてきた。今回の機能と性能を向上したアルゴリズムは、どう考えても今までの開発と同様に従来のアルゴリズムの延長線に位置するものに過ぎない。しかし、米国本社は、開発支援契約は既存(リリース済の製品)のマイナーアップデートまでしかカバーしない。したがって、今回受託開発するアルゴリズムは別途開発費用を請求することになると主張し、装置メーカも渋々飲んだ経緯があった。
ベータサイト版を装置メーカに提供する際に、米国の創業オーナー社長から装置メーカの社長にわざわざ(と言いたくなる)書信が送られていた。そのコピーが日本支社長にも送られてきて二人で“X”の扱いについて議論してきた。書信の内容は大まか次の通り。御社と弊社は株式も持ち合っていて、いってみればファミリー企業だ。今回開発した新しいアルゴリズムは次の時代の幕開けを告げるものとなるだろう。それによって市場のおける御社の立場−リーディングポジション−は今まで以上に強固なもとのなると信じている。Xは御社の競合−英文では, such as xxx, yyy,と二行に渡って日本と海外の主要競合メーカの名前が続く−には販売しません。フツーに考えれば、いちいち書面で言うことじゃない。開発費用を頂戴しての受託開発なのだから、おいそれと競合には売れない。売るには開発費用を払った側の了承が必要になる。
オーナー社長自ら、それも書面で、競合メーカには売らないと言っている。にもかかわらず本社のマーケティングのトップからは展示会に出展せよと言ってくる。マーケティンのトップは几帳面な小官吏タイプの人で、“X”の出展に関して自分で決めるはずもなく、オーナー社長からの指示で動いているとしか考えられない。展示会に出展するということはオープマーケットで販売するという意思表示になる。マーケティングのトップに、オーナー社長の書信のコピーを添付して日本支社の考えを伝え、問題があれば返信頂きたいと連絡した。伝えた内容は次の通り。日本としては出展を控えたい。出展すれば装置メーカとの信頼関係が崩壊しかねない。まだベータサイトレベルの製品で出来上がるまでには半年から1年かかる。少なくとも今年の展示会には出展しない。完成してからオープンマーケットに対してどうするかを考えても遅くはない。マーケティングのトップとしては、オーナー社長の手前、日本支社には出展しろと指示した記録だけは残しておきたい。記録に残るかたちで出展しなくてもいいとは言えるはずもないから、返信が返ってくる可能性はなかったし、実際なかった。ただ、日本支社としては、具申した記録を残しておく必要があるというに過ぎなかった。
オーナー社長の書信のコピーを机の上において日本支社の社長と二人でどう対処すべきか話していたときに、どちらともなく気が付いた。書信は、CorporateのLetterheadにではなく只の紙にプリントアウトされている。下にオーナー社長のサインはあるがどこにも社名もタイトルもない。まただ、二人とも肩の力が抜け、ため息のようなものをついた。
出展して装置メーカとの関係が悪化したとしても、装置メーカがこっちの提供するソフトウェアの採用を止める可能性はまずない。市場でトップに近い技術的な能力があったとしても、少なくとも代替えシステムを開発するには4、5年はかかる。寂しいことに、肝心の技術的能力がない。もし、書信を言質をとられてクレームがきたら、簡単な話で、書信は、オーナー社長個人としての気持ちをお伝えしただけで、社としては、Stakeholder、特に株主の利益を優先して経営しなければならない。個人としては忸怩たる思いがあるがオープンマーケットで販売せざるを得ないと苦渋の決断をせざるを得なかった。この程度の口上なら生まれる前から言っていたような人だった。当然のように彼の右腕も含めて経営陣はその文化、社会観から価値観まで共有している人達で占められていた。約束の類、極端に言えば契約の類であっても、その隙間をぬって相手を出し抜く、騙すのを常としていた。彼らの辞書には“信無くば立たず”という人間関係の基盤となる言葉がない。自分がいつも相手を騙すような生き方をしてきているので、相手も自分を騙してくるはずという社会観を数世代に渡って生きるすべとしてきた人達、人種だった。類は友を呼ぶとはよく言ったもので、その周りに集まる人達、一緒にいつづける人達も同類だった。
不幸にして騙し、騙されの世界が、またそこででしか能力を発揮できないあまりにも立派な方々が多すぎる。こっちも騙されて一員になってしまうことがあるが、客やパートナーを騙すお先棒を担ぐのも嫌だし、そもそも日常的に騙し合いの世界に長居しちゃいけないと、早々に辞退させて頂いた。