サーバント(リーダー)

サーバントリーダやサーバントリーダーシップについては、既に語り尽くされた感がある。随分前から、いまさら、付け足すこともないだろうと思っていたが、なんとなく気になって、どのように説明されているのか、改めて軽く調べてみた。見つけた説明の内容、あるいは類似した説明を、そのまま“その通り”と、多くの人が納得しているのだろうと想像するが、記述が解説臭くて、しっくりこない。サーバントリーダーをリーダーとの比較で説明しているのにも賛成できない。サーバントリーダーはリーダーとは全く異質のものでリーダーと対比して説明するものではない。
サーバントリーダーにリーダーという名が付いていなかったら、おそらく、リーダーなどというものに興味を持たれる方々からは、見向きもされなくなるだろうが、サーバントリーダーからリーダーを取って、サーバントとして、そこからサーバントリーダーを見た方が見通しがいい。肩書きや権限、給料がいい、卑近な言い方をさせていただくなら、格好がいい(これは、さすがに少数だと期待しているが)などということを気にされる方々は、サーバントリーダーなんぞ忘れて、素直にリーダーだけを気にすることをお勧めする。
一般に転がっている説明や解説を読んだり、セミナーで勉強でもすれば、リーダーやリーダーもどきにはなれるだろうが、サーバントリーダーにはなれない。リーダーは、なろうとしてなれないことはないが、サーバントリーダーはなとうとしてなれるものではなく、必然としてなってしまっていたという性格のものだ。周囲との比較で多少秀でていて、今風の言葉で言う“スキル”、という小手先のテクニックを幾つか習得すれば、下手なリーダーぐらいは演じられるようになれるかもしれないが、サーバントリーダーは演じ切れない。サーバントリーダーは、そもそも演じられる類のものではない。
ビジネス本の類に書かれているサーバントリーダーとしての10項目の心得−傾聴、共感、癒し、気づき、説得、概念化、先見力、執事役、人々の成長への関心、Community作り−を一つひとつ習得して(できるものとしての話だが)、実践したとして果たしてサーバントリーダーたりうるのか?どれもがが、本来、人が時間をかけて身につけた見識や人格、人柄などが言動として具現した、するものであって、かたちながらにしようとしたとしても、それは表層の行動スタイルの域をでるものではない。
己の利益や功名心を心の金庫にでもしっかり仕舞い込んで、所属する組織に貢献すべく、またチームメンバーが気持よく生産性の高い仕事を遂行できる舞台づくりの黒子に徹して、雑用から汚れ仕事まで喜んで引き受ける決心がなければ、サーバントリーダーは務まらない。
サーバントリーダーとして黒子の徹する気概(ぴったりしないが)が故に、次のような態度すら求められる。
みんなでやってきたプロジェクトが成功裡に終わって、みんなで成功を祝う席があったとしよう。そこで、サーバントリーダーは、たとえ物理的な席が中心にあっても、気持ちの上では末席から、みんなの健闘を、みんなの成功をちょっと外から祝う気持ちでなければならない。もし、そこに貴族様のようなお飾りのリーダーでもいれば、彼(女)が祝の席の中心で、ここでも黒子に徹しなければならない。ましてや、組織を上げての表彰でもされそうになったら、何が何でも辞退しなければならない。表彰されるのは、プロジェクトを成功させたリーダーであり、チームメンバーでなければならない。サーバントリーダーには、それに真の満足を得るくらいの、誰にも負けない自負が求められる。
このようなことを甘受する自制があるのならサーバントリーダーまで気にしてもいいが、その自信がないのであれば、気にするのはリーダーかリーダーシップあたりまでにしておいた方がいい。