半文盲と準非識字

日本では文盲や識字率が問題になることはまずない。高等教育まで受けているし、文字の読み書きもが不自由なわけでもない。それでも、ある種(と呼んでいいのか?)の方々からは、どういうわけか書面での連絡や情報を頂けない。(ここで書面と言っているのは、電子ファイルか電子データ状のもので、物理的な紙の上に書かれているものではない。)なぜなのか説明がつかないまま、長い間、頭の隅に引っかかっていた。つらつら考えていたら、文盲の二文字がでてきた。ただ、どう考えても、その方々は文盲ではない。文盲でないのであれば、いったい何なのか?
気になって、文盲について調べてみた。広辞苑には、“文字の読めないこと”。また、“その人”。こっちも参照しろというかたちで“識字”があった。識字の方は、“文字の読み書きができること”だった。ついでにWebで調べてみた。ちょっと長いが納得のゆく説明なので、“識字”についての記述を引用させて頂く。
“識字とは、文字(書記言語)を読み書きし、理解できること。英語のliteracyの訳語と言われている。文字に限らずさまざまな情報の読み書き、理解能力に言及する際には、リテラシー(literacy)という表現が利用される。”
“識字は日本では読み書きとも呼ばれた。読むとは文字に書かれた言語の一字一字を正しく発音して理解出来る(読解する)事を指し、書くとは文字を言語に合わせて正しく記す(筆記する)事を指す。この識字能力は、現代社会では最も基本的な教養のひとつで、初等教育で教えられる。生活のさまざまな場面で基本的に必要になる能力であり、また企業などで正式に働くためには必須である。”
非識字(文盲)は視覚障害や脳障害などよるものを含まず、文字の読み書きを学習する機会がなくて、読み書きできない人達という誤解を避ける説明まであった。
その困った人達は大きく二通りのタイプに分けられる。一つ目のタイプは、書面での情報や連絡は希で、電話での口語の連絡がほとんどの人達。ニつ目のタイプは、人によって多い少ないという量的な違いはあっても書面で情報も連絡も頂ける。頂けはするのだが、内容が要を得ない人達。
一つ目のタイプの人は、ただの筆不精だけが理由の人も、少なくはなったと思うがパソコンの操作に不慣れでという人もいるだろう。不慣れがゆえに、パソコンの操作が想像以上に精神的なストレスになる人もいると聞いたことがある。なかには相手に言質を取られるのを避けるためだったり、相手を見下している、見下そうとしているからというのもあるだろうが、多くは、文章を書く習慣のなくなってしまった人達だろう。この人達には、対外的な文章を書こうとするだけで、書かなければならない状況になるだけで、フツーの人には想像できないほどのストレスになる人もいるらしい。書きつけないが故にますます書けなくなるという悪循環が積もり積もって、読めるが書けない、ある意味での半文盲状態になったものと想像している。
ニつ目のタイプの人達は一つ目のタイプの人達より非識字(文盲)症状は軽いと言える。適度な頻度で書面に書くという習慣は残っている。残ってはいるがリテラシー(上記参照)の観点からみれば、準非識字状態となっている。 使われている用語の間違いや不統一、さらに主部と述部の整合性がないという文法上の間違いから何を言っているのか判然としない。読み手が、誤解しかねない危険をおかしてかなりの想像をしないことには、理解し得る情報にすらなり得ない。社外文書であることを気にしてからか、格好でもつけようとしているのか、もったいぶった表現が多用されると、まるでモンペしか着たことのない人がある日突然イブニングドレスドレスを着こなそうとでもしているような感じになる。
10年ほど前にお世話になった会社での話だが、ある業界紙の記者が新製品について営業部長にインタビューした。いくら話を聞いても何を言っているのか分からないので、新製品の“セールスポイント”をざっと書いてもらいたいと依頼した。(記者はそれまで営業部長の文章を見たことがなかった。) 出てきた原稿が関係者全員を驚かせた。ご本人は(格好をつけて)一所懸命書いたのだろうが、内容が凄まじかった。小学校低学年の作文の方がまだいい。稚拙な文体ではあっても、何を言いたいのかぐらいは分かる。彼の文章は、常に支離滅裂で常人の理解の許容限度を遥かに超えていた。その時の原稿も添削とか編集とかでなんとかなるような代物じゃなかった。書いた本人がどう思おうが廃棄するしかなかった。別の部隊の人と記者が製品の特徴、注力市場などについて話しながら記事としてまっさらな状態から書き上げた。
大学も卒業している、ちょっと古くさい言い方をすれば、“学士”さまだ。その学士さまが、年齢的には最も油の乗っているはずの40代なかばにして準非識字状態にいる。まさか、全教育過程で受けた教育が“文字の読み書き”レベルまでの能力しか身につけられないものだった訳じゃないだろう。
高等教育も受けてる。決して文盲ではない。読めるし書ける。でも内容がない。これは、もう非識字と似たようなもので、準非識字と考えた方がいい。非識字(文盲)は、一般的に文字の読み書きを学習する機会がなかったことが原因と考えられている。であれば、準非識字−リテラシーが問題になる程度の能力に留まってしまう原因は一体なんなのか?
人の能力は一般的に持って生まれた天与の才能と努力の総合だと言われていることを考えると、自ずと原因の想像がつくのだが、