教科書(改版1)

仕事でどうしても植物生理学の一分野を勉強しなければならなくなった。機械や制御から光学を基礎とした伝統的なエンジニアリングの仕事は散々やってきた。多少錆付いた感はあるが、化学までなら技術屋として常識レベルまでの基礎知識は持ち合わせている。それでも生理学となると話が違う。いい歳して、また基礎からの勉強を始めた。いつものように入門書の類を数冊読んで基礎の基礎作りにとりかかった。途中で化学の知識を再強化して進めていった。知れば知るほど、生物の生理の巧みさ、複雑さに圧倒された。久しぶりに見つけた知の金脈とでもいうのか掘り起こしがいがあった。ただ、残念なことに畑違い。なかなか上手く掘り起こせない。分からない、理解できないことが多すぎる。
入門書で得られる知識は、このあたりまでだろうと判断して、いよいよ巷で言うところの専門書にとりかかる。本の通販サイトで入門レベルから専門レベルへの橋渡しになりそうな本を見つけて読んだ。肝心の部分の説明が欠落している。全てにおいて雑過ぎる。数学や工学系の教科書や参考書でよくある数式の展開の途中経過が端折られて最後の式がポンと、だされた式を丸暗記でもしろとでも言わんばかりに提示されているのと似ている。まあ、門をくぐって玄関まできたのかという感じで、いよいよ生理学の生理学たる屋敷に入る準備もできた。
また通販サイトで、今度は大学で植物生理学を専攻する、あるいは必修の部学生向けの教科書を探す。もう、この分野ではマイナーな出版社のお遊び本に惑わされることはない。間違いなく、これか、あれかという数冊の教科書からこれだろうというものを選んで読む。ここでいつも遭遇する問題にぶつかった。分かる箇所は分かるが分からない箇所はいくら読んでも分からない。何を言ってる、分かる箇所が分かって、分からない箇所が分からない。当たり前じゃないかと言われるだろうが、ちょっと違う。分からない箇所をなんとか分かろうと、何度も読み返して、Webで調べてもよく分からない、分かったような気がしない、人に説明する自信が生まれてくるような感じにはならない。
この本で得られる知識はここまでだろうと、次の教科書を通販サイトで購入して読んだ。既に分かっていたと思っていたことの理解が深まるとともに、分からなかった点の幾つかが、ぼんやりとだが解消された。が、二冊目の教科書を読んでも、分からない点は分からないまま残ったし、新たに分からない点がいくつか浮かび上がってきた。まだ、とても分かったような気になれないので、三冊目の教科書を読んだ。幾つかの新しい発見とでもいうのか、疑問に思っていたことのほんの一部が解消されたような気がしたが、三冊目の教科書で得られた知識も、多少深まったと思える理解もしれたものだった。
仕事上、よく分からないという不安を抱えたまま大学や研究機関の先生方のお話をお伺いしなければならない。いくら勉強したところで、門外漢の付け刃以上のものにはならないのは分かっている。それでも、相槌一つにも肯定的な相槌をすべきなのか、それもと否定的な相槌なのか、多少の勉強くらいしておかなければ礼を逸する。
どうしたものかと思案していたときに、ある研究機関の親切な研究者から貴重なアドバイスを頂戴した。植物生理学の教科書というか参考書であれば、米国で出版されている『Plant Physiology』が図や写真も豊富で分かりやすい。xxx(出版社名)から翻訳本も出てますよ。ある意味定番の教科書です。
早速、通販サイトで調べた。高い、一万円ちょっとする。英語の原書の方も調べたら、ちょっと安い、六千五百円ほど。英語の本のサイトを見て驚いた。定番と言われるだけあって半端じゃない。関係する全米の学者が総力をあげて、ほぼ五年に一度の頻度で改版している。日本語に翻訳されているのは原書の第三版で、十年近く前に発行されたものだった。原書の方は既に第五版が発行されている。この十年間、生理学やバイオサイエンスは大きく進歩した。専門外に原書は重過ぎないか?不安はあったが、今日の知識があるのに、わざわざ十年前の知識をと思うと原書しかない。それに、こっちの方が安い。
毎晩のように原書と格闘した。日本語の教科書と違って、全てが実に丁寧に書かれている。日本語の教科書、言ってみれば粗筋、原書は手書きの注意やメモまで書き込まれたシナリオというくらい内容に差がある。原書は、しっかり読めば(読めれば)、フツーの人なら、必ず分かる。英語の文章としての構成は簡素なもので分かりやすいのだが、専門用語では苦労した。かなり最新の学術用語まで入っている辞書にも掲載されていない用語が次から次へと出てくる。Wikipediaで調べながら読んでいった。
植物生理学の一分野を勉強することで気がついた。専門用語がWikipediaに図や写真まで使って詳細に説明されている。ただし、英語でであって、日本語の説明は非常に希にしかなかった。あったとしても英語での詳細な説明に比べると粗雑すぎて、ないに等しい。しばし、日本語には説明のない用語が中国語や韓国語ではある。
日本語の教科書に掲載されている幾つもの図が、原書に掲載されている図を簡略したものだった。原書では分かりやすいカラー印刷で、しばし立体図に丁寧な説明がついている。簡略化した日本の教科書では簡略しすぎて肝心の点が欠落していたり、必須の説明がなかったり。これじゃ、いくら日本語の教科書を読んだところで分かりっこない。
ある学会の年次総会で、以前に何度かお会いした先生にお会いした。近い将来、その学会を背負って立たれる学者だそうだが、ご研究の一端をお聞きしたときは、呆れ返って言葉がなかった。たわいのない世間話に交えながら、書名を上げて、さらっと教科書の日米比較を話した。真顔で言われたことに、呆れるより腹がたった。「日本語の教科書は分かっている人が横にいて、必要なときには説明してもらえる環境でなければ。。。、自分で読んでも分からない。米国で発行されている教科書のように写真や図を入れて、細かな説明をしようとすると、本が厚くなって、高くて売れなくなってしまうので出版社が敬遠する。」
おいおい、ちょっと話が違うんじゃないか?粗筋しかかけないのが、己とその学会構成員の本質的な能力の問題を棚にあげて出版社がどうのというのはないだろう。本が厚くなりすぎて困るのなら基礎は本で詳細はWebでというのもありだろう。現に『Plant Physiology』ではそうしている。
こっちは幸い、英語圏に救いを求めることもできるからいいが、学生も含めてフツーの人たちは、あんたらの読んでも分からないという本を何冊も、貴重な時間をかけて読むしかない。自分たちの体たらくが、日本の次の世代のスタート地点−世界のレベルと比較するとかなり低い地点−を規定してしまっているという自覚というか反省がない。
全米の学者が総力を上げて定期的に改版している、手取り足取りの説明から豊富な写真や図まで掲載された教科書がそれなりの価格で購入できる(購入しなくても図書館で借りられる)環境にいる学生と、説明が欠落して読んでも分からない、いい加減な教科書しかない作れない学者とその環境下にいる学生。英語環境に出てゆくとこがなければ、この彼我の差にすら気がつくこともないが、この先、日本は、たとえ相対的にであったとしても、いったいどこまで落ちてゆくのか。
ちょっと想像して頂きたい。母国語で書かれた植物生理学の本がない国々の学生が英語で書かれた定番の教科書を使って勉強する。日本の大学生が日本語で書かれた雑な教科書で勉強する。両者の学識に差が生まれる。英語で世界で通用するレベルの知識と日本語で日本でどこまで通用するのか心配になる知識。
比較することでもないと言う人もいるだろうが、グローバリぜーションなどという言葉を耳にする今日日、次の世代が心配になる。
2015/2/10
p.s.
個人の拙い経験からだが、教科書のレベルの違いは、植物生理学に限ったことではない。理工関係でも経済学でも全く同じことが言える。日本が進んでいるのは、新書などの入門書までかもしれない。