次の社会は?

1776年にアメリカが独立した。アメリカの独立は単に、一植民地が宗主国の政治的、経済的支配から脱却し、住民の自治を確立したということだけではなかった。当時のヨーロッパで恵まれない立場にいた多くの人達には自由と希望の地が出現したように見えたはずだ。封建社会から絶対王政に、産業革命から市民革命を経て教科書的に言えば、啓蒙思想、自由と平等と人民主権の進んだ西欧の市民社会が国家単位で確立されて行った。
そのような良い社会にしか思えないところで、封建制の時代の方が暮らしやすかった人達がいた。長くゆったりと変化していった封建時代に領主に支配される農民だった人達が農地から追い出され、今流に言えば職と住まいを失った。その結果として都市のスラムに生き、産業革命の最下層の担い手の工場労働者として封建時代以上に搾取される立場の社会層を形成していった。
市民革命の文字からは、戦後日本のような民主化された社会を目指した革命をイメージするが、実は、社会の支配権が土地の所有に基づく封建社会における貴族から、産業革命により生産力が大きく向上し、そこからもたらされる富を握った市民階級=産業資本家に移動したに過ぎず、民主的な社会からは程遠い。それ故にその社会から動労運合が生まれ、社会主義、共産主義の革命運動が必然として発生していった。生産力=資本を持つ社会層と労働力しか持たない社会層の経済格差は放っておけば加速的に拡大する。拡大すれば必ず社会が不安定になる。
このようなヨーロッパ社会の人達からみれば、アメリカは当時の理想の国に写った。自分の能力にかけ、一所懸命働ければ、誰でもそれなりの、それ以上の生活を得られるように見えた。ヨーロッパの恵まれない立場にいた人達にとって理想の国だったアメリカが、世界で最も自由で民主的な国だったはずのアメリカが経済成長を続けた結果、世界の恵まれない国の人々を抑圧し搾取する側に回ってしまう皮肉な役どころの転倒が起きた。 二回の世界大戦を経て政治経済的にも軍事的にも世界の最強国になったアメリカに世界の弱小国の貧しい人達が立ち向かう歴史を生きてきた。世界中でアメリカはアメリカ企業の利権を守り、増やすために軍事クーデタでもなんでもなんでもしてきた。ちょっと考えてみれば想像がつく。なぜ、キューバのような小さな国が軍事的にアメリカと対峙したいと思うか?なぜベトナムが、なぜアルゼンチンが、そして最終的には崩壊しかありえないイランのパーレビの。。。200年前には、世界中の自由と希望の地だったものが時とともに変質し、世界中の自由と希望を抑圧する側に回ってしまった。ベトナム戦争はたとえ10年、20年の期間であったにしても、アメリカが既に世界の夢でも希望でもなくなった。なくなった以上に世界の夢や希望、民主的な社会、平和な社会を押しつぶす、アメリカの単独の利益しか考えない国になりさがったことを世界に知らしめた。
ヨーロッパの産業資本が資本主義として確立されて行く過程で、その社会ではまともな生活をし得ない社会層を生み出していった。そこからよくて善意ででしかない空想社会主義から共産主義に必然として進化し、1917年にロシアでクーデタが起きた。富の生産の主体である労働者と農民が社会の主体であるはず、なければならないという高邁な理念がソ連という社会主義国を生み出した。200年前の自由と希望の星だったアメリカ、それを生み出した先進資本主義国家群としてのヨーロッパに取って代わる、世界の恵まれない立場に、被支配階級に置かれた人達の新しい希望の星として出発した。
資本主義社会では持てるものは益々豊になり、貧しいものは益々貧しくなるという反面教師として生まれた社会主義国家ではあったが、遅れた経済と国家防衛のなかで共産党の一党独裁という以上に権力者とその仲間のよる支配に堕落していった。ここでも、労働者や農民は被支配階級に置かれ続けた。 ときの経過とともに夢や希望が色褪せる。よくあることだが、200年以上前の希望だったアメリカが色褪せるより早く、1991年にソ連の社会主義は百年ももたずに崩壊した。人が自由に自己実現する自由のないところでは、社会は停滞こそすれ進歩はしない。
1970年代には、北欧の社会民主主義が福祉社会を、南欧のユーロコミュニズムが人間の顔をした社会主義を標榜した。同じ頃の旧ユーゴスラビアではチトーが、もうひとつの偉大な社会実験-労働者による自主管理社会主義-を推し進めていた。
日本にいてこの歴史の一コマを見ていたとき、アメリカをモデルとした資本主義でもソ連の社会主義でもなく、このまま社会福祉を重視した混合経済のまま進むのかと漠然と思っていた。多く人達がこうだろうな、こうしかないだろうなという、成熟した社会で醸成された社会常識に基いて、社会福祉と経済成長をうまくバランスした社会にゆっくり進んでゆくしか選択肢はないと思っていた。
思っていたところに80年に福祉国家政策で肥大した行政組織と行政負担の改善を政治争点として、金融業の振興を産業奨励策の中心すえ、富裕層に利する社会をよしとする政治家とそれを後押しする社会層が実権を握った社会が出現した。それから30年、極端に言ってしまえば高等数学の衣装はまとっていても本質的にはアダム・スミスにまで古代帰りしたに過ぎない新古典派経済学者どもの御託−市場原理主義−を錦の御旗にして金融資本主義がやりたいようにやってきた。その場その場の利益を求めて節操なく(インチキ)信用を拡大し続けた。挙句の果てが世界恐慌の再来かと思われる金融危機。人様の税金(多分USドルで京に届くか超える公的資金注入)でかろうじて死を免れた金融機関と取り巻きの利権集団。多少は懲りたかと思ったら、いつのまにやら金融危機を引き起こした金融機関の問題から政府の財政赤字の問題にすり替えられた。己の強欲から火事を起こして、その火事をなんとかしようとして増えた財政負担がけしからんと。何をどう言おうが、ちょっと注意してみれば、言っていること、やっていることが己の欲を満たさんが為のものででしかないのが見えてしまう。敢えて自省なんてことを言う気もないが、まさか、アダム・スミスのご高説に従って、みんながそれぞれ勝手に利己的に己の欲を満たそうとすれば必然的に良い社会になってゆく。これが次に目指す理想の社会だなんて真顔で言うほどバカでもあるまい。じゃ、どのような社会なのか?ビジョンは?