小銭がコロコロ

住宅バブルのまっただなかのときにボストンの郊外に住んでいた。一部の経済状況に明るい人達はバブル崩壊の予兆を感じていたらしい。後になってみれば、知り合いの公認会計士がその可能性を何度も口にしていたのを昨日のことのように思い出す。その頃、ボストンやその周辺のどの町に行っても、妙に金持ちになった気になっているフツーのアメリカ人の浮かれた感のある消費熱を感じた。米国内での出張も旅行も限られていたのでボストン周辺だけしか知らないが、あの消費熱、それを支えた妙な金持ち気分が全米を満たしていたのだろうと思う。
70年代後半にニューヨークにいて、経済的に傷んでいたアメリカを、80年代後半にクリーブランドで年に百社以上の銀行が倒産したアメリカを見てきた者にはリーマン・ショックショック以前の浮かれたアメリカは異様だった。決して豊ではない町、どうみても貧しい人達が住んでいるとしか見えない町を歩いても小銭が、それも1セントじゃない、10セントや25セントがあちこちに落ちている。雪解けの季節には歩道の脇に幾つもの小銭がでてくる。知り合いにも、宅地バブルで借金して二軒目、三軒目の家を買って、その値上がりで金持ちになった気になっていたのがいた。そういう人たちの影響を直接、間接に享受してみんなが金持ちなった気になっていたのだろう、道に落ちている小銭が視野に入らない生活をしていた。スーパーのレジで、端数を切り捨てての支払いだったときは、ちょっと得した気にはなったが、なんか変じゃないかという気持ちの方が強かった。それほど、アメリカ人が浮かれていた。その分、物価も高く、日本人駐在員には決してありがたくなかった。それでも傷んだアメリカより緩んだアメリカの方が明るくて好きだった。
70年代、80年代の傷んだアメリカだったら、1セントは無視しても、10セントや25セントは、直ぐ誰かが拾っていた。リーマン・ショックの前に帰国してしまったので、今、どうなっているのか知らない。知らないが、多分昔に戻って、今は即誰かが拾ってるだろう。皮肉じゃなしに、良い意味でアメリカ人がフツーに戻ったと想像している。
仕事で、毎月地球一周のような感じで飛び回っていたこともあって、家族を連れてのバケーションには縁がなかった。あまりに留守にすることが多かったのと、子供も世話をしなければならない歳でもなくなったので、夏休みに家族を連れてロンドンに行った。正直たまげた。イギリスもアメリカと一緒になって世界中、なんでも証券化しかねないことによって潤っていることは知ってはいたが、まさかここまでとは思いもよらなかった。ボストンの物価高は東京がなんでも安く見えるものだったが、ロンドンのそれは、ボストンの域を遥かに超えて、もう、ぼったくりだった。ビジネスとはここまで堕するのかと思えた。客が払えるだけの料金を請求すればいい。払えない客は来なくていい。払える客がいくらでもくる。フツーの昼飯にも、夕飯にも躊躇せざるを得ない値段だった。それが、値段に似合った味どころか、日本で最もまずいと言われるメシ屋でもこれほどの残飯もどきの食い物らしきものを、自慢かたがた出してくるところはないだろう。まずさと料金で逆ミシュランものだった。呆れついでに。値段だけは一人前以上、味は最低、何を食ってるのか食ってて分からない“日本メシ屋”からでてきたら、真顔でアンケートと言って若いイギリス人が、食事はどうでしたか?これには、たまげたというか腹がたった。知らない人は、あんなものが日本食だと思ってしまいかねない。アンケートという以前の問題だ。アンケート?、悪い冗談ならメシだけにしといてくれって苦言を呈した。バブルのときには偽物でもなんでもなんとでもなるという恰好の例だろう。
このロンドンのバブルを体感する前にそれを暗示するようなことがヒースロー空港であった。混んでることで有名な空港の入国審査にたどり着く前に長蛇の列ができていた。右側に天板と足だけの、使っていない机がいくつも並んだ廊下のようなところに並んでいたら、数人後の方から小銭が何個か転がってきた。コロコロと立っている右側の机の下に転がっていった。転がっていった小銭を追いかけて、といっても数歩だが右に出て、身を屈めて机の下から転がっていった小銭を拾って、立ち上がった。その小銭を落としたのだろう10代、多分、小学校高学年くらいの男の子がこっちをみている。インドアーリア系の顔つきだが、何人かは分からかい。Alienの列にならんでいたのだからイギリス人でもなければ、居住権もないはずの家族だった。全く可愛げのないガキという呼び方があっている。小公子に扮したような男の子が、なぜ大の大人が転がっていった小銭を身をかがめてまで拾うのかという表情だった。
そりゃないだろう、お前が落として、こっちに転がってきたから、拾ってやっただけだ。本来、お前がこっちにすみませんとでもいって、どいてもらって、拾いに来るのが筋ってもんだ。こんな事で礼を言えと言う気はさらさらないが、その態度はないだろう。(口語の感情表現で失礼) 問題はその思い上がったガキにある訳じゃない。そのガキの家族の文化、その家族が生活している街の文化や社会的、民族的な文化に問題の本質がある。自分で落としたもの、それもたとえ少額ではあっても硬貨だ、自分で拾わなくてどうする。まさか、どこそかの国じゃあるまいし(顔つきからしてそうだろうと思っているが)、道に落ちたものを拾うのは低い社会層がすることで、自分達がすることではないとでも教育されているのか?そんな家庭の文化も社会の文化も、そこで偉そうにしている輩も、歴史的、経済的背景から真っ直ぐみれば、合法的に人の富を吸い上げる社会層にいるから成り立っているにすぎない。こっちから願い下げだ。拾った小銭をまた床になげるのも大人気ない、そこまで精神的に貧しかない。机の上のきちんと置いて、おいお前らいい加減にしろよ、お前らの教養では分かりゃしないだろうと思いながら、一瞥じゃもったいない、“ブッダの微笑み” をさし上げた。
社会なのか文化なのか知らないが人が悪すぎる。できれば会いたくもない。それでも会ってしまったら、何かで関係してしまったら、まさか軽蔑の対象ででしかない人達と似たような言動で対峙するのか?それこそ、そりゃないだろう。相手がどうであれ、こっちはこっち、いつものように変わらず、変わらず。
2013/1/20