経済政策

何とか優遇とかエコ減税なんとかというのが次から次へとでてくる。優遇制度や減税という政策で、直接潤うであろう業界は想像がつく。なんとか優遇制度やらなんとか減税をキャッチフレーズにして今買わなければという恐怖心さえ煽りかねないテレビや新聞の宣伝が煩わしい。いったいその優遇制度や減税で、社会のどの集団(企業)や人達が直接利益を得るのか、さらにその直接利益を得た社会集団から二次的利益を得る社会集団に、三次に。。。そして社会全体にどれほどの恩恵をもたらすのか。官庁の広報でも調べれば出てるのかもしれないし、新聞なども注意して読めば説明があるもかもしれない。自分の勉強不足を棚に上げての話になりかねないが、寡聞にして概算値であったとしても、その類の説明を見たことがない。
優遇より減税が分かり易いのだが、そもそも適用期間を限定した減税措置が生み出す恩恵が直接享受する社会集団に留まらず社会全体に行き渡り、社会全体として課税していた状態よりよい経済的状況になりうるのであれば、期間限定の減税措置ではなく、その税金を課している税体系を改正すべきだろう。税制が生まれた状況と現在の違いもあるだろうし、一度利権化したものを廃棄の困難さはあるだろう。だからこそ、理をつくして説明して、しなきゃならないことはしなきゃならない。改善しなければ明日がない。カビの生えたような税制で利益を得ている社会集団以外に、カビの生えた、ない方がいい税体系を次の世代に引き継ぐのを善しとする人達はいないだろう。
優遇や減税が社会全体にどのような影響を及ぼすのか?一向にその類の説明が出てくる気配がない。ということは、どうも何とか優遇とか何とか減税とか言っているものが、実は社会のある一部の集団(企業)にのみ(一時的な)利益をもたらすだけのものかもしれないと、穿った見方もしたくなる。その利益に与れない、一次利益から波及した二次利益、その先の派生的利益を得られない社会集団、すなわち市井の人達は、賑やかな広告にほだされて、今買わなくてもいいものを買わされているだけかもしれない。もしかすると、こっちの可能性の方が高いのではないかと思えてくる。
優秀な官僚達のことだから、ある優遇政策や減税政策が、どの社会集団のどれほどの臨時の追加利益をもたらすか、そのもたらされた利益が、その社会集団−企業と従業員、メーカ側なら下請け、販売組織系統なら代理店などのなかにどのように分配されるか、さらにその一次的利益が、二次的利益として次の社会集団−消費が進み企業所在地の街が活性化するとか、企業株価が上がって株主利益につながるかなど計算しているはずだ。そこでは、いつものように社会全体の利益以上に利権団体として企業や諸官庁の利益が優先されているだろう。それでも、まさか、それゆえに優遇政策や減税政策の社会的波及効果については公表しないってわけでもないだろうと、お人好しにも考えている。
利権の調整に多忙な官僚の手を煩わせなくとも、そこそこの産業統計資料やデータを公開すれば、財政学や計量経済学の先生方なら個々の政策の社会的波及効果の計算はそれほど難しいことではないはずだ。計算自体は難しくないだろうが、産学共同というかたちで資金援助が欲しい先生方はそんな危険なことはしないだろう。下手なことをすれば身分保全にまで影響が出かねないお立場の方々もいらっしゃるだろうし。
もし、気骨のある先生がいらして計算したとしても、扱うマスコミはいないだろう。優遇なんとか、減税何とかに訴えた企業広告で禄を食んでいるマスコミが。。。と考えるとあり得ないという結論になる。
世界のレベルで産業構造が大きく変わってきたなかで稚拙な経済政策ゆえに二十年以上に渡った経済規模が縮小し続けてきた。かつて一億総中流等と言われた社会だったが、貧富の差が、その差による社会問題が目立つようにまでなってしまった。そんななかで、対症療法的とでもいうのか、もっとはっきり言わせて頂けるなら、いまだに、国民の負担に基いて一部の社会集団(企業)に追加利益を提供する政策と、そこから生まれる利権の肥大が繰り返されているように見えてならない。
この程度の基本的な計量経済や統計手法すら理解し得ない程度の知能しか持ち合わせていないか、あるいは知識はあるがそれを活用できない社会、さらに言えば“由らしむべし知らしむべからず“といった非民主的な社会から、次のあるべき姿の社会が創りだされる可能性があるとは思えない。個々の政策の社会的波及効果を試算して、公表して国民にその政策の主旨を−誰の負担によって、誰が利益を得るのか−説明していくかたちにしてゆかなければ日本がまともな国になるとは思えない。きちんとしたデータに基づいたきちんとした試算。その試算から導き出した、こうありたいという、こうあらなければならないという政策を関係者にきちんと説明して、ご了承頂く。当たり前のことだろう。そもそも優遇は税金を使うことだし、減税は本来はとれる税金を取らない−行政(国民)の収入を放棄する−ことだろう。これは、国民全ての資産のあり方であり、使い方じゃないのか。それを国民にまともな説明もなしでいて、民主的な国家でございますはないだろう。日本の民主主義ってのはこの程度といってしまえば、それまでだが、恥ずかしくないのか?それで、経済再建、財政再建?何を言っているのか分かって言っているのかという疑問すら湧かなくなってきた。
残念ながら、いくら公明正大にしたところで、経済政策とは、常に大衆の利益を一部の社会集団に移転することを法律として決めることにほかならない。そして、法律は多くの場合、一般大衆のためにではなく、利権団体の圧力によって彼らの利益にためにつくられる。
周りをみれば、この類の法律だらけであることに気がつく。たいした参考になるとも思えないが、差し障りのない例を一つ、“International Economics” ( Paul R. Krugman, Maurice Obstfeld)から引用させて頂く。
米国は長年に渡って砂糖の輸入を制限してきた。米国の砂糖の市場価格は世界の平均価格より60%高い。そのせいで一人あたり毎年6ドル余計に支払っている。6ドルは直接砂糖の購入だけでなく、消費する食物全てに入っている砂糖のコストアップだから、年6ドルを負担に感じる人はいない。ところが、これが砂糖業界側の話となると違ってくる。6ドル/人が3億人(米国の総人口)で、18億ドル。他の金満業界に比べれば可愛いもんだが、それでも、砂糖業界の人口が10,000人だったら、一人18万ドル、100,000人だったら1万8千ドルの追加利益が輸入制限によって保証されていることになる。なにしろ農業人口より弁護士の数の方が多いと言われる国だ。砂糖農家がそんなに多いとは思えない。たいした数じゃないだろう。たいした数じゃないからこそ、砂糖農家には甘くて捨てられない政策だろう。
2013/2/10