教育と国家資産

今年6月30日発行の英Economist誌にデータを額面通り扱ったとしか想像できない記事があった。記事の原名 は、”The real wealth of nations”。ご興味のある方は、http://www.economist.com/node/21557732を一読されたい。ざっと、記事の内容を紹介させて頂く。経済学では、通常、国内総生産(GDP=Gross Domestic Product)を国の 経済規模を示す指標として使用している。これは国レベルでの生産(=収入)を、すなわち物とサービスのフローを 示しているが、蓄積された資産は示していない。
従来、GDPで国家レベルの富を測定してきたが、これはちょうど、 貸借対照表は見ずに、損益計算書だけを見て営利企業の毎期の利益を評価しているようなものだった。幸いなことに、国連が、ケンブリッジ大学のSir Partha Dasguptaが監修した報告書にある二十カ国の貸借対照表を発表した。 これにより各国の実質資産があきらかになった。国の資産=富=Wealthは固定資本、人的資本、天然資源の三つの要素から成り立っている。固定資本は既設の物理的な資産で機械や建物、インフラ一般などから構成されている。人的資本はその国の教育レベルやその国に住み、経済活動をしている人が持っている職能的技能。天然資源には土地、森林、化石燃料や鉱物資源などがある。2008年の米国の総資産は118兆ドルでGDPの10倍だった。日本の総資産は55兆ドル、一人あたりの総資産は400,000ドルを超えていて、米国を上回り、世界で最も豊な国だそうだ。
世界で最も豊な国に住んでいたとは気が付かなかった。ありがたい話だが、残念ながら実感がない。なにか変だと思いながら読み進むと、国連では人的資源を最も重要な資産と位置づけ、その評価項目は、平均就学年数、生涯所得と就業年数とある。まあ、社会も歴史も文化も違う国々の資産価値を一つの尺度で評価しようというのだか らしょうがない。何にどの程度の重みをつけて評価すべきか、モデルの是非を言い出したらきりがない。21世紀版国富論もどきの初めての試みだし。あと、10年、20年もすれば実感と大きな乖離のないものになるだろう。 GDPですら、数十年かかって今日のレベルに達したのだから。
識字率から始まって平均就学年数や大学進学率を見れば、日本は確かに世界でも希にみる教育国家だろう。日本の学校教育や従業員教育がいくつもの国で参考にされているとも聞いている。 廉価な労働賃金を競争力の源泉として途上国から中進国と言われるまでに経済成長した国々が、 さらなる付加価値=経済成長と生活水準の向上を実現するには廉価な労働力ではなく、質の高い労働力が必須と気が付いた。 歴史的に見れば、今まであまりにも軽視してきた一般国民を対象とした学校教育、初等教育から大学まで含めた高等教育の充実を急いでいる。
大学などの高等教育と並行して実業教育の盛んなヨーロッパでも次の社会を託すべく次世代の教育の改革には熱心で、時の首相が自国は昔のように大国にはなれないが、最も住みやすい国にはできる。 そのためには、次の世代の教育が全てだとして、“Education, Education, Education”と言ったとか、また、それを受けた北欧の政治家?が、 某首相のEducation発言に多少の皮肉を込めてか、教育をよくするにはと、
”Teacher, Teacher, Teacher”と言い出したと聞いている。
米国のIT関係の企業のマネージャの話として、1年ほど前の英Economistのある記事のなかに中国の大学の工学部の卒業生のレベルを評した文章があった。 その文章によれば、米国の新卒レベルと同等の能力を持っている卒業生が十人に一人ぐらいしかいないそうだ。はてさて、日本の大学の工学部の卒業生のレベルは? 法学部の、経済学部の、最高学府のはずの大学、本来の大学=University、の学部にこのような学部もありなのかと想われる学部の卒業生の。。。と余計なお節介のような想像してしまう。
国連の発表、モデル化が稚拙(失礼)で、外見で、額面だけでしか評価ししていいないが故に日本の人材を、それを輩出してきた、また今も輩出し続けている学校教育体系とその成果を過大評価している。 それは実業を知らない財務屋の経営みたいなもので数字として見える、数値化したデータとして集めやすいデータを機械的に処理した結果に過ぎないように見える。なんせ、日本では、少なくとも人口900万人を誇る神奈川県で、高等教育に至るまでの最初の最も大事な学習能力の基盤を作る小学校の先生があてにならない。欧米のように各学科の内訳のいくつもの項目について学習結果や態度などを細かく記載するわけでもなし、たかが三択の選択問題のような定型化された通信簿もまともに書けない教師、また、なぜそれほど多くの間違いが発生したのかという原因を追求する、初歩的な科学的思考すら持ち合わせていない教育関係のお役人。まさか、“間違いないように注意しましょう”なんてのが対策だなんていいだすんじゃあるまいな。 原因を特定せずに打てる対策、多少なりとも効果のある対策というものがあるとでも考えているのだろうか?あるとでも考えている教育関係者、もしいたら、通信簿もまともにつけられない先生から学んできた“あてにしちゃいけない先生 の第二世代“にあたる人達なのかもしれない。
この手の初等教育から始まってFランまで、“手厚い”日本の学校教育体系が育む人材。その“優秀な人材”が、一人当たりでみれば日本を世界で最も大きな資産を保有する国にしている。本当であって欲しいが、ないものねだりでなくなる日にはこの世にいそうもない。