社会のリアルタイム性

“リアルタイム”という用語は制御の世界ではフツーに使われる言葉なので、仕事で制御に関係している人達には今更何という感じだろうが、始めて聞くという人達も結構多いのではないかと思う。馴染みのない方もいらっしゃるだろうから、今更と思う方々にはちょっと我慢して頂き、本旨に入る前にリアルタイムについて簡単にまとめておく。
制御の世界でリアルタイム(性)と言えば、“制御システムにある信号を与えたときに、受けた信号を処理して何らかの応答をするまでかかる時間を予想できる”ということ、あるいはその延長線で、“制御対象が要求する時間内に制御システムが処理を完了できること“を意味している。定義というヤツの常で抽象的になって何を言っているのかピンとこないかもしれない。リアルタイムの前に制御とはなんぞやという方も多いだろう。また、仕事で制御システムに関係している方々のなかには、機械装置一台の世界だけの制御が制御だと思い込んでいる人も多いのではないかと思う。ここでは制御もリアルタイムも、もうちょっと広い世界に持ち込んでの話になる。
制御もリアルタイムも誰もが日常使っているというか、お世話になっているのだが、フツーに生活していると気が付かないことが多い。ちょっと前に全く気がづいていない人達(一人や二人じゃない)にお会いする機会があった。 “專門は何?”と聞かれて、“せいぎょ(制御)”と答えたら、“せんぎょ(鮮魚)?”と返ってきた。正直、腰を抜かすほど驚いた。ご理解頂くために、制御とリアルタイムの定義の厳密性を損なわない程度に簡単な例を幾つか上げておく。
銀行や郵便局、コンビニにあるATM (Automated Teller Machine)上で残高照会から引き出し、払込。。。お金の−しばしデータとして−移動をしている。ここではカードを入れて、暗証番号を入力して、何をしたいのかを選択して確認する。。。この一つひとつの作業が制御システム=通信回線で接続された地理的に離れたところにあるデータセンターのコンピュータシステムへの入力信号になる。コンピュータシステムは入力された信号とデータベース上のデータを参照しながらATMから要求された処理をして、処理した結果を通信回線を通してATMにデータ(信号)として送信する。ATMがこの送信されてきたデータを処理して画面に表示する。ここまでで、利用者がしていること以外の全てが制御システムによって実行されている。しばしば、利用者=人が介在せず、システムとシステムがやり取りをしている場合もそこには制御がある。
利用者とコンピュータ(制御)システムの間のやり取りをかかる時間も考慮に入れてちょっと考えると、リアルタイムが何を意味しているか見当がつく。カードを入れて暗証番号入力画面が出てくるまでにかかる時間。暗証番号を入力して確認キーを押して次の操作メニューが画面に出てくるまでの時間。待っている時間が、コンピュータシステムがデータ処理に要する時間+通信回線上のデータ通信にかかる時間の合計になる。この待っている時間=処理時間がリアルタイム性になる。アマゾンなどの通販サイトやPC上でのネットバンキング、図書館のシステムなどでも似たような処理がされているのは想像できるだろう。
ATMなど、人とコンピュータシステムの間のデータのやり取りで、人が待っていて苦痛に感じないのは、何に使われているシステムかにもよるが数秒以下になる。エアラインのチェックインのときに待たされる時間から、リアルタイム性はかなり劣っていると想像される。製造ラインで使用されている個々の機械装置上の制御装置はマイクロ秒の単位のリアルタイム性を誇る。マイクロ秒毎に機械の移動部分の位置をデータとして取り込み、コンピュータで処理をして、次の位置への移動指令を出している。機械構造物を移動しているシステムでは、ATMのように数秒経ってから次の処理というわけにはゆかない。そのようなリアルタイム性では、数秒後には機械構造物が何かにぶつかって壊れていることになりかねない。
リアルタイム処理システムには制御対象と人が許容する時間内にデータ通信にかかる時間も含めたトータルの処理を完了することが要求される。一般的にリアルタイム処理といえば、マイクロ秒から秒の単位で一つの処理が完了して次の処理を実行する準備ができていることを意味している。ここには通信回線のデータ転送速度をどこまで高速化できるかという、データ処理を担当するコンピュータシステムから見れば、外部環境に依存する部分もある。純粋データ処理に限定すれば、コンピュータの装置として処理能力とそこで実行されるアルゴリズムの性能に依存する。
通信回線の性能の向上、人による入力も含めた外部の状態や条件をコンピュータのデータ処理に適した電気信号に変換する広義のセンサー類の開発が進み、人間の関与なしで多くのことがコンピュータ上のアルゴリズムで処理されるようになってきた。ちょっと注意して周りを見渡せば、リアルタイム処理システムが日常生活に欠かせない存在になっていることに気がつく。
状態に問題があれば、希望する状態からズレがあれば、できるだけ早く対処したいとフツーの人は思う。ところが、まだまだ人の手を介してしかコンピュータが処理できるデータにならないものが残っている。さまざまな経済指標や人口統計などのさまざまな統計データ、企業の経営指標や操業データなどは毎年、毎期ごとや毎月ごとに結果としてだせば十分だと思ってきた。確かに、日々の状況を知っても何の意味もない業界や仕事も多いだろう。だが、時代は、経験のある、知識のある人(達)の経験と勘、感性に依拠した意思決定から集積した多岐に渡る膨大なデータをタイムリーに解析して、即、対策なりアクションなりを決定、実行するシステムへの開発に進んでいる。間違いの少ないという消極的な言い方か価値あるという積極的な言い方をするかは人によって違うだろうが、実社会における意思決定は膨大なデータを限られた時間内で分析、解析した結果に基いて成されなければならない。問題はどのようなデータをどのような時点でどのように集積してゆくかというデータベースの構築と、集積したデータをどのように処理するかというモデル化も含めたデータ処理のアルゴリズムの開発をし得る社会的な能力が社会にあるかにかかっている。ここでは個人の個々の技術的能力ではなく、社会としての能力が問われる。
極端な逆の例を想像すれば、何を問題としているのかを想像できるだろう。のんびりした経済史をご専門とされる経済学者の仕事でもあるまいし、10年前の指標や先の大恐慌のときの歴史的データを今頃になって解析して、ああだのこうだの、参考にはなるだろうが、そんなことしてたら、気が付いたときはとんでもない、致命的なことが起っている。先生なら、だからどうしたというかもしれないが、実社会で、ビジネスの戦場で生きてる者には、10年前でも昨日でもなく、今そこで起こっていることの多岐に渡る状態をデータとして収拾し、リアルタイムに分析した結果が欲しい。今起きていることをしらずして、何年も前に経験したことからどれだけ妥当な意思決定ができるというのだろう。蓄積した膨大なデータとリアルタイムで収拾した今の状況(データ)をリアルタイムで分析し得る組織と、人による何年も前の経験に基づいて事を決める組織。どちらが優位か?論を待たない。広範囲な社会情報のリアルタイム処理システムの開発競争戦が特に先進数カ国進んでいる。自分の仕事の周りで似たようなことが起きているか?周囲を見渡してみるのも無駄じゃないだろう。