英語にしてくれ

若い時、ニューヨーク支社に駐在員として放り出された。英語での会話はどうにかなるという程度だったが、若さにまかせた好奇心がそれを補った。半年もたった頃、現地の日本人社会にいたのでは、その存在にすら気が付かないものがあることに気がついた。出来る限り見てやろうと、観光客や駐在員はおろかフツーのアメリカ人ですら足を踏み入れることのない、ちょっと危なっかしいマンハッタンでうろちょろしていた。
何でもありの感のあるニューヨークでも飲食店が酒を出せるのは午前ニ時までと法律で決められていた。そんな法律があるものだから、逆にニ時を過ぎると俗にいうアフターアワーというアンダーグラウンドの目立たない飲み屋あちこちで店を開きだす。
フツーの人がフツーに歩いたのでは見つからない。探しだす人が探しだす、知ってる人が知っているだけの客商売。それでも集まる時間になれば、集まるヤツらが集まってくる。客の多くがさっきまで飲食店や飲み屋で働いていた人達で、仕事も終わって家路につく前に一杯という感じで集まってくる。そこに、その集まってくる人達を相手に商売している危なっかしいのも、もう一仕事と、こっちはまだまだ仕事として集まってくる。店は一応ディスコになっているのだが、ビーチサンダルに、ファッションとしてではなく、ただボロボロになっただけの短パンなんて服装?でも店も気にしない。ブラックジャック程度までだったが、ちゃちな賭場まであった。その程度の社会の底辺層が集まるところ、フツーの人はまずいない。
そんなところでは東洋系はめったにいないから何度も行ってれば、嫌でも面が割れる。行けば、必ず危なっかしいのやら、なんだか得体の知れない顔見知りが何人かいる。顔見知りになって(もならなくてもだが)、誰もが誰とでもいっときのささやかな楽しい会話を求めて、たわいのない話をする。なにかの拍子にたわいのない話がちょっとなることもあるが、お互い相手のことは何も知らないし、よほど特別な理由でもない限り知ろうとはしない。前に何回かニックネームまでは聞いた覚はあるが、残っているのは聞いた記憶まで、今日聞いても店を一歩出れば忘れてしまう。名前と電話番号まで書いた紙切れなんか渡されたところで直ぐなくしてしまうし、探しもしない程度の人間関係。それでも、これもニューヨークの、なんでもありのニューヨークの文化の、取るに足らないにしても、一部を構成していた。
ある朝、三時過ぎに入ってちょっと経ってるから四時は回っていたろう、見るからに中国人の風体、五十を回った感じの貧相な親父さんに声をかけられた。こっちが日本人であることは、日本語訛りの英語と素振りから直ぐ分かる。こんなところにうろちょろしている日本人に改めて何?という、ちょっとした守りの姿勢に入った。親父さん、体の線も細いが声も細い。回りがうるさくてよく聞こえない。一杯飲みながらのダラ話がお行儀の店で妙に真剣な顔をしている。どうも何か話したそうな素振りなので、一体なんなんだいという気持ちがほとんど、でも、もしかしたら、なかなか聞けない話が聞けるかもしれないとう期待もないわけじゃない。先に立って人をかきわけてかきわけ、比較的空いている、多少は静かなカウンターの隅にまで行った。
たどり着いて、一口飲んで口を潤して、親父さんから開口一番出てきたのは、「Niihama」だった。多少イントネーションが変だが、日本語だと思ってきけば、間違いなく通じる立派な「新居浜」だったが、英語で話してくると思っていたので、聞き取れなかった。マンハッタンの場末の飲み屋の会話だ。英会話教室やフツーのレベルの英語じゃない。「What?」で、「Niihama、Niihama」が返ってきた。なんだ、新居浜のことかと気がついた。気がついたことがこっちの表情から分かる。親父さん、たどたどしい、意思がやっと伝えられるかどうかというレベルの日本語で、戦時中の思い出?を話してくる。語彙が限られているからだろうが、飲み屋のダラ話を超える内容の話にはならない。
日本語での話が大変そうだったし、植民地政策のなかで強制的に学ばされた日本語での話を、それもニューヨークで聞きたくない。親父さんに、英語での話にしてくれないか?英語であれば親父さんにとっても、こっちにとっても外国語、外国語で話すしんどさはおたがいeven、二人共同じように面倒、英語での話にしようと何度言ってきかない。まさか、たどたどしい日本語の方が英語よりいいなんてこともないだろうし。思い出の記憶も、もっと流暢だったはずの日本語も薄れたのだろう、文章にまでなってない。地名と人や何かの固有名詞の間になにかなきゃというような感じで適当な助詞や接続詞があるだけなので、日本語でも英語でもほとんど違いがないのだが、それでも日本語は勘弁してほしかった。
日本語が堪能で使いたいから、あるいは日本語を勉強したいからというので、日本語で話されるのであれば結構、喜んで日本語で話をさせて頂く。中には半世紀におよぶ植民地政策のなかで、ご年配の方々には本来あるべき母国語より押し付けられた日本語の方が流暢という方々もいらっしゃるだろうし、外国の人達と日本語では話をしないとは言わない。ただ、英語での意思疎通に苦労してきた経験から、その苦労を相手にだけ押し付けて、自分は母国語で通そうと言う気にはなれない、フェアじゃない、後ろめたい気持ちになる。仕事でも私用でもこの気持は変わらない。かと言って行く先々の言語を習得するのは余程の人でなければ現実的じゃない。今や国際共通語になった感のある英語までは出てゆくから、そっちも英語までは出てきて頂けないかとお願いしたい。お互い英語であれば外国語での意思疎通による負担はeven、同じじゃないかと。
たとえ、たどたどしくても現地の言葉で意思疎通を図らなければならないという気持ち、それが現実にはできないとしても、しなければという気持ちを持ち続けるだけでも、そこで使う言語が英語、(あるいは日本語)であっても人の姿勢に有意の違いが出てくる。
客の立場になった途端、横柄な日本語で押し通している日本人を東南アジアで見かけることがある。それじゃどこに行っても当然のことのように英語で押し通す無教養な多くのアメリカ人とかわらないじゃないか。余計なお節介だろうが、同じ日本人として恥ずかしい。
2013/3/17