ショーシャンクの空に

ご覧になられた方も多いだろう。ウィキペディアによれば1994年に公開されたアメリカ映画。アメリカ映画だ、粗雑な作りの不出来な映画が公開されることは少ない。特別な感動はないにしても外れも少ないアメリカ映画。ハッピーエンドがお決まり、なにがあっても安心して見ていられる。安心して見たつもりだったのが、ちょっと変な見方をしてしまったのだろう。尾を引いている。
映画ファンでもなし、映画は見たけど監督も俳優も細かなことは覚えてないというより知らない。ましてや映画の解説をする気はない。どのような映画なのか知りたい人は、ウィキペディアで“ショーシャンクの空に”を見て頂きたい。
舞台は重犯罪者を収監した刑務所で、受刑者は終身刑。冤罪でも証明されない限り、合法的な出獄までにはかなりの年月お勤めしなければならない。年月と言っても十年やそこらなら、出所しての社会復帰も可能だろうが、五十年もお勤めすると務所での生活が全てになってしまって娑婆にでるのが怖くなる。
元気なうちは仮出所の可能性がない。生物的に枯れてしまって娑婆にだしても悪さのしようのないところまで老いぼれたら仮出所もある。肉体的にも精神的にも、社会的にも全ての面で廃人同様になってはじめて娑婆に戻れる。娑婆に戻れなければ出所先は墓地しかない。
務所のなかにも社会がある。刑務官と囚人、囚人同士の社会。どの社会でも特有の生き方を学ばなければ、慣れなけれならないものがある。好き嫌いや優劣にかかわりなくその社会に適合して生きてゆくしかない。務所の環境に上手に順応できれば、そのなかではそれなりの生活(というのも変だが)がある。務所の環境や文化、全てが娑婆とは違う。同じなはずがないというより、比較ではなく、絶対評価で娑婆より劣る。務所の生活に慣れればなれるほど、上手に生きていればいるほど、娑婆の生活に復帰した時に、リバースカルチャーショックのように環境適応障害に陥る。
それでも出所する娑婆は全ての面で務所よりはいいはず。ところがそこでは自活しなければならない。務所では極端に自由が制限されるが、寝るところと飯はついている。務所での生活に慣れきったがゆえに、全ての面でいいはずのところに戻るのが怖くなる。肉体的にも精神的にも怖くなるところまで人間を廃人化するのが刑務所として描かれていた。
ウィキペディアの解説をみれば、理不尽な境遇に落ち込んでも希望を捨てることなく、ひたすらに生き抜く主人公の姿を描いているとのこと。その解説、その通りだろう。しかし、ここでしかしという見方をするものがいる。そのしかしの見方が決してズレた見方でもないだろうという気持ちがある。五十年とはまで行かなくても務所に三十年、四十年といれば、当然のこととして娑婆からズレる。長ければ長いほど、加齢に加えて娑婆からのズレも大きくなる。
映画を見ていて、務所と会社、どこか似ているところがあるような気がした。務所の生活に慣れるというのと会社での仕事の仕方に慣れる、似たようなもんじゃないかと。務所ぐらしとは違って、社会人としての日常生活は送っているのだから娑婆とのズレは生まれない。生まれないはずなのだが、果たしてそう言い切れるのか。社会人としての生活の基盤−労働とそれに対する対価として所得や付随した様々な社会保障−務所では三食と寝るところという最低限の保障(というのも変だが)に相当する−が実は会社という社会のなかの小社会に依存している。
形骸化して久しいが終身雇用という美名のもとに、会社が務所のような役目を果たしてきた面がないか。極端な場合、過労死にまで至りかねない会社という小社会のなかでの生き方を学び、それに慣れることでその小社会のなかでうまく生きてゆく処世術を学ぶ。そこで得たものが転職して別の会社に行けば、そこはそこで別の小社会で、その小社会のなかでの生き方に慣れなければならない。一つの小社会で培った能力が別の小社会ではたいして役に立たないことも多い。ましてや社会においては、それぞれの小社会の独特な生き方などほとんど役に立たない。
務所から娑婆への出所は条件の悪いとことからいいところへの移動だが、会社から社会への移動、定年退職や失業による移動は、条件でみれば、良くない方向への変化のことが多い。長年勤めた会社で得た経験や知識、社内のステータスから保障など多くものを失う。失って出た先が社会。務所から自由になって出た先が娑婆。社会と娑婆、出てくるとろの違いで違う呼び名を使っているが、どちらも同じ、社会。
現代資本主義が産み落とした企業という小社会で三十年、四十年、当たり前と思って順応してきたものが当たり前でもなんでもない。企業という小社会の中での当たり前に過ぎないことに気が付いたときには、社会に順応する精神的体力も肉体的体力も失っていたとしたら、社会の主要構成要素となっている企業とは一体何なんだろう。務所と企業、比べる類のものであろうはずがないのだが、程度の差はあるにしても社会復帰(?)という点でみると、似たようなところがあるような気がしてならない。
2013/10/13