鶏肉と人民日報(改版1)

2014年7月25日付け朝日新聞の朝刊38ページの左下にどう読むべきか気になる記事があった。前後の経緯なしで、それも中国語から日本語に翻訳されたもの、掲載された話の真意は分からない。日本語で書かれた記事を字面で理解するしかない。記事のタイトルは『外資で食品不正、中国衝撃−「国営企業だったら?」ネットで皮肉も』。記事のなかで気になった箇所を書き写しておく。『共産党機関紙「人民日報」は24日の記事で、「外国企業はなぜ中国に来ると変質してしまうのか」と問いかけた。』
国営企業だったらというネットの皮肉もさることながら、この短い問いかけの文章、いったい何を意味しているのか?問いかけがでてきた背景も経緯も明らかにされていないことが幸い?して、あれこれ考える場を与えてくれる。発言したご本人、そのような場を与えることになるとは思いもよらなかったろう。朝日新聞、自分で問いに反論して面倒なことになるのを避けて、場を与えれば後は巷で好きにするだろうとして掲載したのか。
社会全体がなんだかんだいったところでごまかしでなりたっていたら、ごまかしを黙殺するか、許容するか、関与しなければその社会でフツーの社会生活はおくれない。そこでは清廉潔白は美徳ではなく、フツーの人たちにとってはことを荒立てる厄介者、行政などの支配層にとっては反社会的分子として処分しなければならない人たちの困った精神構造ででしかない。
何年か前の殺虫剤入り餃子の騒ぎでは、御用学者が殺虫剤が混入したのは日本の流通過程であって、中国の製造工程での混入はあり得ないと、ご立派としか言いようのない科学的根拠を並べ立てていた。(記憶違いだったら失礼)。前を走っているはずの新幹線が後ろから衝突した事故、現場調査の先に脱線落下した車両を埋めたり掘り起こしたりする社会というか行政。たかが消費期限切れやちょっと汚れた程度の鶏肉、みんな今まで食べて(多分中国では)、食べさせられて(日本で)、なんともなかったじゃないか。言ってみればField proven−市場で大丈夫なことを実証試験済。一体なにが大騒ぎするほどの問題なのかと平気で言い出しかねないというより、聞こえて来ないだけでそう言っているような気がしてならない。
実証試験済というのは効果のあやしいものの広告宣伝の常套句だが、中国食の安全については面白いエピソードがある。
七十年代末にニューヨークのテレビニュースで一騒ぎあった。チャイナタウンにテレビ局が乗り込んで、中華料理店の店先に吊るしてあるローストチキン、ハエもとまるし不衛生と苦言を呈した。それを受けて中華料理店の店主が言い返した。「オレたち中国人は四千年以上も前から何の問題もなくこうしてやってきた。二百年(米国独立から)かそこらの実績でとやかく言うのはよしてくれ。現にオレたちのこのやり方で出している中国料理がうまいといって来る米国人客が着実に増えているじゃないか。」ニュースの後もチャイナタウンは四千年以上前からのやり方を変えることなく、今も実証実験を継続している。
人民日報の問いかけ「外国企業はなぜ中国に来ると変質してしまうのか」の“中国にくると変質して”を素直に読めば、“中国に来て中国流に変質しまう”としか読めない。中国に行って、中国流に変質というか現地のやり方に影響される、さらには同化されるのが、まさかあってはならないことと思っているわけでもないだろう。中国の長い歴史をみれば、周囲の異民族を中華思想に同化してきた歴史ではないのか。資本が外国から中国に進出したとして、従業員も納入業者も協力会社もあらゆるものや人が中国のものでしかないなかで、中国の今の社会の常識や仕事の仕方から大きく外れるようがない。外れれば事業として成り立たない。外資のありようは今の中国に規定される。あたり前の話だろう。
外資が中国の会社のようになってしまうことに疑問を呈するのはいいが、ちょっと考えるまでもなくロジックの転倒というのか何かおかしくないか。外資が中国の会社のようになっては困るというのはいいが、中国の企業はもともと中国の企業で、なっては困る中国の企業。素直に記事を読めば「なんでオレたちみたいになっちゃおうの?」と言っているとしか聞こえない。それは、おれたちは劣っていて、あんたたちは優れているということを前提にした発言にならないか。人民日報は一体なにを言っているのか分かっているのか、人事ながら心配になる。
もし、この自問自答の問いをノーテンキにも外に向かって発したのだとすると、それが変らなければ、中国の常識も変らないだろうし、その常識から自由ではあり得ない外資も中国の常識に変質する。あたり前の話で、あんたが変わらなければ、あるいはあんたの問題であることを認識する能力がなければ、いつまで経っても変わりようがないじゃないか。問題の原因を他人に求める前に、自らの責任を見なおしてみるだけの能力や気持ちがあるのかという話になる。
昔仕事で付き合った上海出身の人が冗談の一つとして言ったこと思い出す。「人民日報にも正しいところが一つだけある。」なんだか分かるかという口調だったので、「天気予報じゃないだろうな」と言ったら、笑いながら、「発行日だよ。」と返ってきた。鶏肉は日付も違ってた。
2014/8/10