振るわない権力の使い方

基幹産業のなかでも軍需産業の色の濃い業界で名門と言われた会社、戦前から引き継いだ労務管理の文化のせいか御用組合より左の臭いには敏感だった。“人事権は会社のもの”という不可侵の規則?に基づいて、困った人は時代劇のように遠島島流しの刑の処せられた。古い鋳型に入りきらない人材を有無を言わさず押し込み続けた結果、新しい時代を背負って立つ人材が育たなかった。次の時代を背負って立つ人たちが鋳型に嵌められ洗脳され、似たような視点から似たようなものをみて、似たような結論しか出せない集団になっていた。金太郎飴のような人材、百人いても二百人いても一人二人いるのと何もかわらない。
洗脳の内容はかつての状況には合ってただろが、今日の状況にも、明日の状況にも使いようがないというより思考の足かせにしかならないものだった。フツーの頭で考えれば分かりそうなものなのだが労務屋集団には分からない。異物を排除する労務政策のもと、型に嵌りきらない優秀な人材、うまく育てば社の次の時代を背負って立つポテンシャルを持った人たちが去っていった。
そのようななかで、俺お前の仲の活動家に突然辞令が出た。デュッセルドルフにあるヨーロッパ支社への出向命令。断れば懲戒解雇になるのを承知で断らざるを得なかった。一人息子で健康を害した両親という私的な事情もあるがそれ以上に活動家としての責任感と意地があった。似たような辞令を受けた人たちは、騒ぎにもせずにそれが社会で会社勤めの宿命と諦めて辞令に従ったが彼は違った。身分保全を求めた労働争議に発展し十年の歳月の経て実質会社が敗訴した。
当時の状況を振り返れば社会の進化についてゆけなかった経営陣の失政が悔やまれる。古い鋳型で型押しされた人たちの集団、極端に言えばガラパゴスの珍獣もどきの人材しかいなくなった企業が変化の激しい時代に生き残れるはずがない。米国の工業雑誌にまで世界の名門と謳われた会社が二十数年後には倒産した。
戦時中の召集令状のような一方的人事通達でなく、従業員のキャリアパスやキャリアプランまで配慮した提案がなされ両者の協議をベースに人事決定などやり方はいくらでもあったはずなのだが、そのようなことを思うことさえ許されなかった。
ある日突然デュッセルドルフに行けではなく、デュッセルドルフに行って欲しいがどうかという打診から始める方法もあったろう。駐在員として通常の業務だけでなくヨーロッパの社会の変化、それに対応した産業界の、同業他社の動向、社会と企業のあり方や企業と労組の関係を現地で勉強もしてきてもらえないかと、相手の指向や立場、将来まで視野にいれた提案であれば、彼としても無碍に一蹴はできない。先鋭な社会認識を磨いていた若者だからこそ直近の業務だけではなく進んだヨーロッパの社会を見て広く深い知見を持ち帰れる。彼の支持団体にとっても彼が持ち帰るであろうユーロコミュニズムと社会民主主義に関する知識は貴重だったはずで、支持団体からも駐在を好意的に捉え説得さえ出てきたかもしれない。
事情は人様々、その様々な事情をいちいち考慮したら何も決められないという反対意見も多いだろう。でも人々の事情を考慮することなく一方的に有無を言わさぬ命令がいいというのもないだろう。滅私奉公を強いられる人たちの事情も考えずになんらかの理由で権力を振り回し得る立場にいるということで権力を振り回したとして誰に何が残る。権力を振り回すだけの痴れ者とその振り回される権力に乗る才にたけた茶坊主と滅私奉公を強いられる多くの人々で構成される社会はないだろう。多くの人たちが活きない社会に明日があるはずがない。構成員を説得し得ずに権力を振り回す組織や社会は遅かれ早かれ自滅する。
権力とはそこにあると暗黙に承認されていることに意味なり価値があるもので、振り回した途端、そこには何の価値も意義もないことを露呈する性格のもの、拔いてはいけない刀のようなものだろう。
原発反対もしかり。即廃炉にすれば電力会社が財務上企業として存立し得ない可能性が高い。企業としての存続を思えば廃炉は受け入れられない。相手にとって受け入れようのない主張、突然のデュッセルドルフ駐在命令とは全く違うものなのに、なにか似たようなものを感じる。受け入れようのない主張、後日振り返って“主張した”という記録に残る以外の何がある。主張や一方的な命令でことが済むのならいい。もし、済まないのを分かっていてし続けているとしたら、それを何と呼ぶのかちょっと考えてみるのも無駄じゃないだろう。必要なのは相手を説得し得る、相手が納得せざるを得ない提案だけだ。
2014/4/27