実務経験−悪しきを学ぶ

米国に本社を置く産業用制御装置メーカの日本支社で特定用途向産業用コンピュータシステムの開発が進められていた。製品の市場投入はまだ一年以上先だが、そろそろユーザーズマニュアルの作成にとりかからなければならない時期に来ていた。コマーシャルマーケティング(以下CM)担当として雇われて約一年。開発プロジェクトのCMをやれと指示がでた。
自社の既存機種のマニュアルと同業のマニュアルを参考にしてざっとページ数を見積もった。数種類のマニュアルの総ページ数が四千ページは下らない。どこまで詳細に書くかにもよるが下手をすると五千ページを超えかねない。何人かのチームで書き上げるが、人数が多ければ情報の共有に割かねばならない時間も増えて期間を短縮できる訳でもない。マニュアル作成の専任部隊はなかった。あっちの関係部署から一人、こっちの関係部署から一人と借りてきて四、五名のチームを作らなければならなかった。どこも人が余っているわけではないからおいそれと貴重な人材を一年以上に渡って貸してはくれない。
それでも掛けあって十年以上の経験のあるベテランを二人確保した。最低限もう一人欲しいが経験者の目処はたたない。最後の一人のメンバーを入社二年目の技術屋から選ぶことにした。現業から抜き得るかということと評判から数人の候補がいた。書くのはマニュアル。内容はドライ。小説やエッセーの類ではないから誰でも書けると思う人も多いだろうが、事実を事実として誤読の可能性を極力排した簡潔な日本語を書ける人は意外と少ない。
国語も含めた日本語の語学教育があまりに文学的な領域に偏り過ぎているからではないかと想像している。当時、日本語の流暢なアメリカ人が社長だった。何かの時に日本人の日本語を評価して言った。「日本人のエンジニアの日本語は小学校五六年生レベルで何を言いたいのか想像しなければならない。」
日本語のマニュアルをオリジナルとして英語に翻訳して米国本社のTechnical writerに提供しなければならない。Technical writerが翻訳版を基にして正式英語版を作成する。翻訳者による誤訳を防ぐためにも、日本語版はスラっと読め、翻訳し易い平易な日本語の文章でなければならなかった。オリジナルの日本語がだらしなければ、翻訳はそれ以上にだらしのないものになる。
候補とした前年の新卒、日常業務で聞く話も書類も要を得ないものが多く、マニュアル作成の即戦力として期待し得ないのではないかと心配だった。どう判断したものか思案した末に人事に頼んで入社早々に書かされた作文を見せてもらった。ざっと読んで驚いた。視野は限られていたが論旨ははっきりしているし言葉の使い方もベテラン勢よりはるかにいい。なかには意志表示の勢いすら感じる文章で読まされたと言っていいものすらあった。
一年半前の入社したての彼らの文章と一年半の社会経験を積んだ彼らの文章の違いは一体なんなのか。何が彼らをして要を得ない文章を書かせるようにしたのか。アメリカ人の社長が吐露した「日本人のエンジニアの。。。」が一点を除いては正しいことを裏付けたとしか思えなかった。“エンジニア”をとって“日本人の日本語は”にした方が実情に近い。
入社したての頃は実業の世界のだらしのない日本語に毒されていなかったということだろう。大学教育までの日本語、決して誇れるとも思わないが、それでも巷の日本語に比べればまだまともということになる。社会人としての経験も知識もない人たちの方が実務経験者より日本語でよほどまともに意思表示できる(はず)。そこには実務経験の過程で入り込んでくる意味のない常套句も言い回しもない。裸で真っ直に近い日本語があった。(はず)と可能性を含んだ言い方をしなければならないことが情けない。豊富な社会経験を積んで、要らぬ知識や習慣を拾った人たち、その知識や習慣で自分があると思っている人たち−極端に辛い濃い味で味覚が麻痺した人たちにとってのように−裸の真っ直ぐな日本語は無味無臭、簡潔な日本語を読みきれない可能性がある。
入社して実務に携わる−人はこれを実務経験と呼ぶ−そこで先輩諸氏のだらしのない日本語−偉そうにビジネスライティングなどという輩すらいる−を真似た。先輩諸氏と上手くやってゆくには彼らの流儀に染まらなければならい−だらしのない日本語を習得することが巷で言う社会人として求められる。
まともに言葉を定義して使えない上司や先輩諸氏からだらしのない日本語を拾って入社したての頃はまともだった日本語がおかしくなってゆく。巷ではこれも社会経験の賜物だと思っているから余計質が悪い。入社したての若い人たちには残念ながら学ぶべきものと学んではならないものを分別する能力がない。学んではならないものを学びすぎればそれが常識となり分別する能力を養成する機会を失う。失った人たちのだらしのない日本語が実務の世界の共通語となっている。その共通語、できれば読みたくもないし耳にもしたくない。
「どうもどうも」何を言いたいんだ、最後まではっきり言えと言ったら、何か言うことあるのか。
「尚」、何なんだろう?インデントのおまけでもあるまいし、なかったとして何か問題になるのか。
従ってもないのに「従って」はないだろう。。。。
何を言いたいのか分からない長い文章をここに引っ張り出してもしょうがないし、言い出したらきりがない。
この類のうちは笑い話のネタにするくらいで済むのだが、時には悲惨なことになりかねない。
2014/6/8
p.s.
東部のアイビーリーグを卒業し(てしまっ)た貴重な人材がいた。日本語(口語も文語ともに)もしっかりしていて帰国子女にありがちな違和感もなく、“日本人”だった。 何人もの同僚が整合性のある、ロジックの通った話やレポートに感心させられていた。
その貴重な人材がノイローゼになって自殺した。何人もの同僚が、ベチャベチャの日本語で何を言っているのか分からない上司に殺されたと思っている。