明日への努力を評価する文化(改版1)

話には聞いていたし、仕事を通して多少なりとも感じてもいたが子供の教育現場を垣間見てこれだったのか、これがあの社会を突き動かしてきた基礎にあったのだと痛感させられた。
仕事の都合で家族を連れてボストンの西の郊外に引っ越した。赴任に先立って米国支社に何度か訪問して状況把握に努めた。滞在中にちょっと時間をさいて不動産屋に行ってアパート探しをした。一人者、あるいは夫婦までなら最悪の場合、ひと月やそこらホテル住まいでもなんとかなるが、就学年齢にある子供を連れての駐在となるとそうはゆかない。赴任前に住まいを決めておかないと家族してジプシーのような生活になりかねない。
どの地域でアパートを探すかを最初に決めて、候補の地域で具体的なアパート探しになる。候補とする地域をどう決めるか。仕事場からあまり遠いのは困るが、子供の学校が最優先になる。米国で私立学校に入れるような収入はない。聞いた話では不動産税が公立学校の予算に割り当てられる。そのため日本以上に公立学校の質は所在地の貧富を反映する。中流家庭が多い地域の学校であれば教育予算にも恵まれているし生徒も家庭の文化をそのまま学校に持ち込んでいるから安心して子供を送り出せる。
ボストンの西の郊外の小さな町のアパートに決めた。以前の会社で一緒に仕事をしたアメリカ人が色々アドバイスしてくれた。ボストン市内でも西の郊外でも公立学校の教育レベルは高いからどこでも問題ないだろうといいながらWebでデータを漁ってくれた。データが示す以上にちんまりとした落ち着いた町だった。別の知り合いのアメリカ人に言わせれば、そんなところ高くて住めない。Snobbyでイヤな町。確かに言われた通りの町だった。
そんな町の小学校、行ってみれば地元の子供たちに混じって東洋系の子供が多い。日本人もいるが、圧倒的に多いのは中国人と韓国人で、親戚や知り合いを通して何らかの方法で親元を離れて小学校から留学している子供たちだった。
金があるのだろう、小学校にプラネタリウムもあればコンサートホールまである。四年生から音楽は選択になっていた。楽器を選ぶか選ばないか。選ばないのであれば自動的にコーラスになる。楽器はかなり広い範囲から選べる。どの楽器を選択しても楽器を購入する必要はない。何軒もの楽器リース屋が学校にきて手ごろな費用で楽器を貸し出している。買いたければ買えばいいし、当面リースで将来買おうかでも、買わなくてもかまわない。バイオリンでもフルートでもギターでもサックスでもドラムでもそれぞれ専門の先生が少人数の子供に音楽の基礎から楽器演奏を教える体制が整っていた。
土地柄なのだろう小学校に上がる前から楽器演奏をしてきている子供もいる。それでも四年生になってから始めるというのも少なくない。そこそこ習熟した生徒と始めたばかりの生徒。習熟した生徒にとってみれば始めたばかりの生徒が足手まといになる。それでも中流家庭の躾なのか足手まといを疎むようなしぐさは見せない。見えないだけで、ないわけではないのだろうが、小学生にして既に小社会人としての言動をわきまえている。
オーケストラの発表会の日が近い。それぞれのパートを受け持つ子供が毎晩のように練習している。スクールバスの時間を過ぎて残るから親が迎えに行かなければならない。行けば練習を見ることになる。上手い子もいればお荷物に近い子もいる。各自が自分の責任を果たそうとするだけでなくチームとしての責任を感じて助け合う。たとえ上手く演奏できなくても一所懸命やっていることを評価して助け合う気持ちが当たり前の文化としてある。
それは子供たちの間から自然発生的に生まれてきたものとは思えない。親や親戚、年上の子供から学校の先生、習い事の先生との日々の生活のなかから文化として引き継いだ面が大きい。どのようなことでも誰も最初から上手くできるわけでない。うまくできないことをマイナスとして捕らえる習慣がないのではないかとすら思える。どんなに下手でも一所懸命やっていればそれでいい。下手であることを認識する能力をどこかに忘れてきたのではないかと思えるほど気にしない。上手な子が一所懸命やっているより下手な子が一所懸命やっている方をプラスと評価している節すらある。
学期末に成績表を持って帰ってきた。英語が不自由なのだから全て学科でそれなりの成績すらありえない。半年も経てば、授業についてゆくのが精一杯の状態から多少なりとも余裕がでてきたのが見える。それでも英語の成績がいいはずがない。ところが英語のいくつかの学科で隣に座っているアメリカ人の子供より評価がよかったという。成績表を見せ合ったアメリカ人の子供からそりゃないだろうって言われたと。
学期末には基本的に全ての先生と個人面談がある。大した時間のかからない先生もいるが中には小一時間コンサルタントのような話になる先生もいて一日がかりの仕事になる。何人もの先生の話から、何を最も重要な評価項目としているが分かった。子供の今の能力を評価する以上に、子供の将来に向けた成長につながる考えや態度、日々の努力に視点があった。
この文化、かたちこそ違え、二万員からの従業員をかかえた制御機器会社の仕事の場で何度も見てきた。一生懸命やっているが、上手く行かずに困っている人がいればよほどのことでもない限り誰かが助けに出てきた。そこには昔の東京の下町にあった人情に近いもの−困ったときはお互い様というようなサラッとした人間関係があった。Nobody is perfect.と独り言を言いながら助けてくるお節介なのが何人もいた。
今の評価は当然気になるが、それ以上に将来に向けた努力、まだ実らない努力、もしかしたら実らないかも知れない努力であってもその努力を評価する、気取りもなにもなしでそれを当たり前とする文化。それこそがアメリカの最大の資産だと思う。
2015/2/27