ブン屋

なんだよ、またかよ。よく飽きもせずに聞いてくるね。なんでもいいけど、俺たちに聞けば何でも分かるってもんじゃないってくらいの常識ってもんはないんかね。今朝の記事について、もうちょっとなんてのはいいんけど、その記事以上に俺たちが何か知っているとでも思ってんのかね。
えぇえぇ、確かに記事は書きましたよ。毎日、毎日よく分からないけど書いてますよ。でもね、記事ってのは、もともとこれを書けって言ってくるのがあって、それも半端な量じゃないのがあって、あっちとこっちとの関係ってのかね、折り合いにかなりの神経を使って適当に記事という読み物にしてるだけなんだよ。考え違いをされちゃ困るんで、先に断っておくけど、適当にってのは、いい加減って意味じゃないよ。真面目に紙面を埋める適当な文字数に抑えて、みんなが“うんうん”という、それなりの何かの価値があるような感じの読み物にまとめるのが俺達の仕事なんだからさ。書けって言ってくるのを、その言ってくる方々の勝手なご都合の言い分が、どこまで本当かって?そんなもの神様じゃあるまいし、言ってくる人達に聞いてみなきゃ分かりっこないだろうが。言ってくる人達に、まさか本当ですかって根掘り葉掘り聞くわけにもゆかないだろう。ましてや、その背景やら社会的影響やらなんやらなんて、なんで俺たちに分かるの?なんでこんな当たり前のことが分からないのかね。
聞きたいっていってくるのはいいんだけど、聞かれたって記事に書いてあることしか言えないって言うと、ご説教たれるのがいるんだな。ただ記事したんじゃ、メディアとしての社会に対する責任がどうのこうのから始まって、本来のあり方を提示して社会が進むべき方向を示さなければ。。。こんな調子でまるで演説でも始めかねない。こういうのにかぎって、どういうわけか還暦過ぎたオヤジが多いんだな。そんな歳じゃないからよく分からないんだけど、多分、学園紛争とか国民春闘とか、わが青春の残像とでもいうのが頭から消えないんだろうな。立派ともいえるかもしれないけど、いい歳して青いとでいうのかね。ただのおばちゃんのクレーマーにもまいるけど、巷の知識人きどりなのさえいるから始末に悪い。
もっとも、この手の人達はまだまだかわいいもんかもしれないな。金もらってやってるわけじゃないし。諮問委員会とかなんとかに偉そうに鎮座している学者や学識経験者なんてのは、ああだのこうだの言ったところで、集める側が自分達の都合のいいことを言ってもらうために集まってもらった先生方じゃないか。嬉々としてでてくるのに学者や研究者としの良心なんてのを期待する方がバカというか世間知らずってことだ。良心なんてのをもってる人には声もかからないだろうし、もし間違ってかかっとしてものこのこでてこやしない。そうだろう、もともとが偉い先生方から怪しいことに対してお墨付きが欲しいから呼んでるだから。その先生方、あっちこっちの行政や団体が発行したご用提灯マークが、頭のてっぺんからケツの先まで付いてる。ちょっと注意してみれば透かして見える。何を研究してるのか知りたくもないが、どうみたって生まれながらのご專門は金と権力という先生方だろう。人材難なんてのをどこでも聞くけど、こと、このご用学者の世界には人材難ってのはないな。
フツーのサラリーマンなら自分達がやってることを振り返れば分かるはずなんだけどな。マスメディアなんてご大層なことを言ってるけど、要はビジネス、営利企業なんだよ。読者の購読料なんてのは販売経費をまかなえれば御の字で、うちらの食い扶持は広告収入なんだぜ。どうしたって、広告主に一番気を使わなきゃならないだろうが。これ書けって言ってくるのは広告主やその筋の圧力団体、あれやこれやの行政関係筋。。。だ。その方々、言ってみりゃ、メシの種のお客さまだ。その方々にとって都合の良くないことは書けっこない。間違ったって、悪いことは書けないだろう。自明の理ってもんだ。それもその客だって客同士で色々あるから、あっちの顔色みながら、こっちの思いも汲んで、文字通りソツのない読み物に仕上げなきゃメシが食えない。
読む方だってそうだろう。自分の思っていることとあまりに違う読み物だったら、誰が金まで払って読んでくれるんだよ。俺たち、どこかの宗教団体や政党の機関紙でもなければ、フリーペーヤー屋でもないんだぜ。俺たちが書いてるのは、言ってみりゃあ、まあ、テレビの水戸黄門みたいなもんだ。水戸黄門が女たらしだったり、博徒のようなシナリオだったら、みんなたまげて苦情の電話が殺到するだろう。いつものように、似たような筋書きで、いつものこなれたものじゃなきゃ、みんなが納得しないだろう。俺達がいう適当にってのは、これでも結構大変なプロの仕事なんだぜ。それなりの仕事してきたプロなら、このプロのつらさ、分かるだろう。な、
2013/1/27