八百万の神

まったくしょうがないヤツらだ。山にも川にも海にも、それこそ見えるものにも見えないものにも神が宿っていることに気がついて、あれにも、これにも神をと思ったまではいいんだ。これこそ人類の精神成長の証だ。酒の神もいれば、浮気の神もいる、女房に逃げられた男の神。。。なんでもありだ。なんでも困ったら、そう思えば気が休まるなら、それがあれば事が丸く収まるなら、みんなが元気になるなら。。。、こんなのあったらと思ったら、落とした財布の神なんてんだっていいじゃないか、何かを思ったら思った神を思えばすんだはずなのに。
そこへ、ちょっと変わったのが出てきて、とんでもないことを言い出した。神はオレだなんて言い出したり、神は一人(一人でという勘定も神は“人”じゃないんで困るんだが)で、オレはその使いだって。みんな想像もつかないだろうけど、これは神の世界にとんでもない悲劇をもたらした。
そのとんでもないことを言い出したのに引っ張りだされた神は、もうそれこそ寝る時間もなければメシ食う時間もなくなって、ほとんど過労死かってところまでいっちゃった。なんてったって、何でもかんでもその一(いち)神のところに転がり込んでくる。神だって神様じゃあるましいし、一神でなんでもかんでもできるってわけじゃないんだよね。その一神、あまりの忙しさに、もうこれ以上できなって、できることすらしなくなっちゃった。なにもしなくなっちゃったもんだから、巷じゃ、神の使いだなんて言い出した奴らの後釜連中がそれこそ言いたい放題、やりたい放題になっちゃった。
そもそも神の世界ってのは、それぞれの神が棲み分けてるってのか、適当に分業してうまく回ってきてたんだ。みんなで実に細かく分業してきた。何か新しい、あまりにとっぴな要求だったとしても、それなりに新しい神を作ってやりくりしてきたんだ。忙しすぎるのも困るし、暇すぎるのも困る。年に一度のお勤めしかない神もいれば、何年に一度ってのもある。人間の感覚では、たまにしか出番がないから暇だろうって思うかもしれないけど、それはその神のバイオリズムってもんで、しっかりお役があれば、それでいい。
ところがだ、神は一人しかいなっていう話になると、全ての負担が一神にかかるだけじゃなくて、本来八百万の神の神としてなんでもかんでも分業してきた他の多くの神が忘れられちゃったというのか、声がかからなくなっちゃった。当然、一神がその声のかからなくなった神の分まで面倒見なきゃならなくなった。声のかからなくなった神にしてみれば、オレの領分にまでなんでお前がでっぱってくるのという諍いが起きかねない。まあ、それでもお互い神だから、大人のというか神の付き合いでまるく収めてきてはいるけど。ちょっと考えて欲しんだよね。声のかからなくなった神、とたんにやることがなくなったような気がするんだろうな。神も神様じゃないから人間と同じで社会から忘れ去られるとどうなるか?出家とか修行とかいうのとはわけが違う。自分自身の存在に疑問符が付いちゃうというんかな、虚無感にさいなまれるっていうのかな、何もしなくなって何時も酒飲んで寝てるだけの生活になっちゃったのもいる。誰も話をしにこないし、誰とも話もしない。ほとんど失語症になってるのもいれば、忘れられて、あまりに時間が経ってるもんだから、自分が一体なんの神だったから忘れかけてるのまでいる。
そもそも神と宗教を同じ範疇のことと捉えるところから不幸というか理解のズレがおきる。俺たち神には教典なんてない。それをおかしなのが出てきて、こっちに申請もしてこないで神もどきを勝手に作るは、挙げ句の果てがなんだかよくわからないけど、教典なる変なのを書き上げて、これなしでは宗教ではないって。まあ、教典があろうがなかろうが、宗教であろうがなかろうが、こっちは一向にかまいやしない。そんなもの神には、はなから関係ないんだから。ただ、その教典だとか宗教だとかと俺たち八百万の神を一緒くたにされるのは困る。
ちょっと考えて貰いたいんだけど、俺たち八百万の神ってのは、人間とは、人間がちょっと知恵をつけた頃からの長い付き合いだ。その頃、宗教なんてのはなかった。まして、教典なんてのはありっこない。教典なんてのは誰かが勝手に自分の都合で文字で書いたもんじゃないか。いいかい、文字ってのは遡ってもいいとこ五千年前くらいに人間が思いついたもんだ。人と神との付き合いは五千年なんて短い付き合いじゃないよな。そうだろう。
教典があろうがなかろうが、宗教があろうがなかろうが、人間とともにやってきたのが八百万の神だってことくらい、ちょっと考えれば分かるよな。本質的にだ、そもそも、神はみんなの、それこそ一人ひとりの心のなかにあるもんで、誰かが神とみんなの間に入って仲介するようなもんじゃない。ましてや政治的や社会的な目的のために使ったり、利用したりしちゃいけない。もっと素朴で純粋な関係で、神とは、一人ひとりの人々のありよう、一人ひとりの心とその内面の心の関係だ。わかるか?
変わったのがでてきて以来、神の世界も困ったことになってるの、少しは分かってもらえたかな。神の立場で人間にお願いするってのも気後れするし、なんか変なんだけど、お願いだ。どんな宗教を信じようが信じまいがかまいやしない。教典がどうのと言う気もない。ただ、たまには、昔の素朴で純粋な気持ちを思い出して、八百万の神に、それこそなんでもいい、本当に個人的な些細などうでもいいことでもいい、思いつたらでいいから声をかけてくれないか。頼むよ、オレの周りにも本当にやることなくて困ってるっていうか、自分は一体何なんだって、仏教徒でもあるまいし、まるで禅僧みたいなことを言い出したのがいる。こっちにゃハロワークもないし、失業保険もないけど、幸い食ってくのは保証されてる。でもね、いくら神といっても、なにもすることがないのも大変で。たまには声をかけてくれ。長い付き合いだ、そのくらいしてくれてもバチはあたらないだろう。
2013/2/24