今度連絡しますから1(改版1)

<同僚の自殺>
あれは確か木曜日だった。十時ちょっと前に、片岡が隠れるようにそそっと寄ってきて、小声で、
「原田さんがまた来てないんで……」
ええっ、またかよって思いながら言った。こう度重なると、どうしても口調がきつくなってしまう。
「すぐ行って起こしてこい」
先月あたりからどうも様子がおかしい。前々からちょくちょく寝坊して遅刻ということがあったが、今週は月曜もだから二度目 になる。

原田さんは小学校からアメリカで育って、ブラウン大学を卒業した優秀なエンジニアだった。小柄で穏やかな話ぶりからはとても帰国子女とは思えない。口語でも文語でも日本人そのものだった。英語が堪能というだけでもちやほやされるのに、東部の名門アイビーリーグの出身、誰にとっても雲の上の存在だった。ところが、とうの原田さんは「自分は日本人なのにアメリカで育ってしまった」と帰国子女であることを嫌って隠していた。「俺は日本人だ」という気持ちから、アメリカの大手製薬会社を辞してまで日本に帰ってきいていた。

原田さんの報告書は、その課題の設定から論理展開、そして結論の出し方、どれ一つとっても日本人には到底真似のしようのないものだった。何度かまだドラフトだけどと見せてもらったが、英語でだけではなく日本語ででも日本人ばなれしていた。
あまりに頭抜けた能力をどう生かしたものかと経営陣の手にあまっていたのだろう、三十代半ばなのだが、マーケティングにおいても営業部隊にいれても部長や課長の能力のはるか上にいる。どうにも収まりようがない。とりあえずというのも失礼な話なのだが、営業支援部という何をするのかわからない部署に配属されていた。合弁相手の日本の親会社から派遣されたお飾りの部長と専門商社崩れの課長の下に主任という、これもまたなんだかわからない肩書きで、市場調査のようなことをしていた。

片岡は名古屋に家族を置いたまま研修という名目で東京本社のアプリケーション技術部に派遣されていた。とうに半年は過ぎているのに、アプリケーション技術部が重宝に使いまわして、いつ名古屋支店に戻るのか予定がたたない。周りの人たちからは、もう奥さんを東京に呼んで、東京本社に転属にしてしまったほうがいいんじゃないかと言われていた。いろいろ事情もあるのだろうが、傍で見ていると、単身赴任の一人暮らしを謳歌しているようにも見えた。独身の原田さんとは気があったのだろう、しょっちゅう飲みに行っていた。会社が用意した単身赴任用のウィークリーマンションより事務所に近い原田さんのアパートの方が快適なのか、遅くまで飲んでは原田さんのアパートに泊まっていた。

十一時をちょっと回ったころ、原田さんを起こしにいった片岡から電話がかかってきた。
「藤澤さん、どうしましょう。原田さん首つって……」
声が上ずっていた。電話の声が聞きづらい。自殺? 聞き間違いだと思った。まさかという気もあって耳を疑った。つい声が大きくなってしまった。
「何?原田さんがどうしたって?」「首つって……」
嘘だろう。なんで原田さんがそんなこと、なんでが先にたって信じられない。
「わけのわからないこと言ってないで、早く叩き起こして、首に縄でもくくりつけて事務所に連れてこい」
意識したつもりはなかったが、必要以上に大きな明るい声になった。
「冗談でこんなこと言えっこないでしょう」「原田さんが首つって……」
もう涙声で何をいっているのか聞き取れない。

なんでまた原田さんが、あの優秀な、優秀すぎる、将来を嘱望された、これからという人が自殺? ありえない。
「おい、本当に原田さんが……」
「本当です。冗談でこんなこと言えっこないじゃないですか……」
片岡の言葉が続かない。親しい友人の自殺を目の前にして正気でいられるわけがない。言葉がでるだけ、まだ何とかしなきゃという気持ちが残っていたということだろう。
バタバタしても始まらない。落ち着けといっても、無理なんだが、なんとか落ちつかなければという気持ちが先にたって、ますます落ち着かない。

はっと気がついたら、プロジェクトチームの三人も何が起きたのか想像がついたのだろう、三人とも顔が引きつっていた。こっちを向いた眼が何かを凝視しているようにもみえるが、何もみえてなかったろう。蔦谷は大阪支店からの助っ人で片岡と連れ立って原田さんとはしょっちゅう夕飯に出かけていた。宮本にしても原田さんを師匠と仰いで尊敬したし、新卒の檜山も、それは東京本社の誰もがそうなのだが、いつかは原田さんのようにと原田さんに傾倒していた。

落ち着けようと深呼吸をなんどかして、
「即警察に電話して、事後処理をお願いしてくれ」「総務にはこっちから話して、アメリカにいるご両親に連絡してもらうから……」

もう、仕事なんか手につかない。三人ももう仕事どころじゃないという顔をしていた。
「俺はちょっと総務に行ってくるから、三人で先に昼飯にでもどこでもいいからいってくれ」
「今日はこれでお開きだ」
総務から原田さんの上司に話がいって、何をするわけでもない暇人がそれでも神妙な顔つきで出て行った。

アメリカの会社の日本支社だがパーティションの背が低い。座っていても背を伸ばせば周りを見渡せる。事務所はいつものようにワイワイ、ガヤガヤなのに、すべてが遠くから聞こえてくるように感じる。こそこそ話しで原田さんのことが伝わっていくのがわかる。見ているのを見返すのがいて、あわてて目をそらした。そらして、なんで見返されたのか、なんで目をそらさなければならないんだ、目も上にあげられないのか、なんとも説明のつかない嫌な気持ちが重くなっていった。
いつものキャビネットに机に椅子、何も変わらないいつもの事務所。それがなんだか自分の事務所ではないように感じる。そこに何を見ているのかわからない顔が並んでいる。原田さんの机をみても、何もかわらない、いつもの机。でも何かが違う。

卒業して就職した会社で、十年ほどのあいだに同年輩の親しい同僚が二人自殺した。二人ともまじめを絵に描いたようなヤツだった。うわさで自殺と聞いたとき、全身の筋肉が緩んだような感じで、もしかしたら、いつかオレもかもしれないとジッとしたものを感じたことがある。それでも二人とは仕事では距離があったし、百人以上いる同年輩の同僚のうちの二人でしかなかった。
原田さんは違う。仕事での直接の関係はなかったが、何をどうみてどう考えてということでは、あまりに近すぎる。分身なんていったら叱られるが、鏡のなかの優秀な部分だけを凝縮した発酵させた部分が、どうでもいい残りかすを適当にまとめただけの自分をおいて、いなくなってしまったような気がした。
2019/1/20