今度連絡しますから9(改版1)

<これがマーケティング?>
なんでも組織立てて明文化しないと収まらないアメリカの会社、いろいろな意味でぼんやりした日本の会社とは違う。働き始めて気がつくことも多いが、入社する前に、これがアメリカなのかと驚いた。署名して郵送してくれればいいと渡された書類のなかに、Employment Agreementがあった。日本語にすれば雇用契約書になる。
本来であれば、きちんと説明して、判らないことや気になる点は訊いて、双方ともに納得して署名するものなのだが、そこはざっくばらんな荒川部長、細かなことを訊いたところで、わかりゃしない。説明する知識もなければ、するつもりもなかっただろう。

日本の会社では、社員として雇用するというだけで、仕事として何をしてもらうかは、たとえ会社になんらかの心積もりがあったにしても、雇おうかという人に具体的に説明することなど、あるほうがめずらしい。Employment Agreementには、会社が職務として求めていることが、Job Descriptionとして書いてあった。文字通り素直に読めば、本当にこんなことできるのかと不安になるものばかりで、なかにはピンとこないどころか、何を言っているのか分からないものまであった。何をするもしないも状況しだいだろうし、できるかできないかはやってみなければ分からない。あれこれ考えて、サインしていいものやら迷ったが、来てくれと言われたのだし、なんとでもなるだろうとサインして郵送しておいた。

最後の仕事を終えきれないまま、ゴールデンウィークが終わってしまった。五月六日、ちょっと重い荷物を引きずった感じの初出社になった。八階でエレベータを降りたら、あっちからもこっちからも話し声が聞こえてきた。三月に来たときは、あんなに静かだったのに、活気があるというより騒がしい。話の内容までは聞きとれない。聞いても分からない別の世界の音というのか雑音のようだった。受付に掲げてあるアメリカの優良企業という看板がいやがおうにも目につく。話し声の仲間に入れてもらえるのか、本当にこの会社でやっていけるのか不安だった。
「新卒がずいぶん入ったので、騒がしいでしょう」
と言いながら、担当者がでてきた。ちょっと恥ずかしそうだが、何人もの新卒をとって大きくなった会社に自慢げな口ぶりだった。

前回と同じ大きな会議室に通されて、コーヒーでもお持ちしますと言って、担当者が出ていった。
荒川部長のことだ、五分や十分は待たされる。座ってはみたが落ち着かない。椅子から腰をあげたが、ただ突っ立ってるのも疲れる。部屋のなかをあっちへこっちへ歩いていたが、最後は窓からゴミゴミしたビルの景色を見ていた。そこに、「悪い悪い、待たせちゃったな」といいながら、荒川部長が入ってきた。軽い挨拶をして対面して腰掛けたところに、担当者がコーヒーを二つもってきてくれた。
「社会保険やら健康保険、あれこれ、事務手続きをしなきゃならないから、山川さんに声をかけてくれ」
部屋を出かかっている担当者の背中に向かって言った。
「どうだった、休みはちゃんととれたか?」
とれたかと訊かれて、とれませんでしたとも言うのもためらった。こんなことで嘘もいいたくないし、最後まで仕事してましたというのもいやだった。
「三日には片付きましたけど、まあ、なんとかやっつけました」
初出社して、まさか前の会社の仕事がまだ終わってないなんて言えない。これで最後というチェックを残して、翻訳は終わっていたから嘘ではないが、提出していないということでは終わっていなかった。最後のきれいな仕事にしたい気持ちもあって、念には念をいれてチェックして九日の夕方に翻訳会社に届けにいく予定だった。

荒川部長と世間話をしていたら、
「失礼します」
と言って、見たところ四十代半ばの、小太りの女性が入ってきた。
「総務の山川さん。いろいろお世話になるから、ちゃんと聞いとけ……」
荒川部長が言い終わらないうちに、山川さんが事務的な口ぶりで言った。
「いろいろ手続きもあるし、説明しなければならないこともあるので、そうですね、遅くとも十一時半までには、私の予定もあるし、終わらせるようにしますけど、荒川さん、それでいいですよね」
「そうだな、昼飯は一緒に行きたいけど、どうせ出るのは一時ごろだから、昼過ぎてもかまわないよ」
それを聞いて、山川さんが、なにもそこまで、こわばらせなくてもという顔をして、
「いえ、こっちの予定もあるんで、昼前には……」
外資ということなのか、担当者といい山川さんといい、なんで女性がこんなに強いのか。山川さんは年齢も上だし、これからもちょくちょく叱られることになるのかと思うと、出社早々気が重い。まあ、人間関係は健全な距離を保てるかにかかっている。とくに山川さんのような人とは、事務的につとめて涼しい顔をしていればいい。

たいした事務処理でもないのに、山川さんの説明が噛んで含めるようにくどい。しっかり説明しなければという気持ちは分かるが、実際に問題になってはじめて気にすることで、今何を聞いたところで上の空で覚えちゃいない。サインしなければならない書類を出してもらえれば、サインしちゃうから。後はそっちで適当にやってくれればいいから、と思いながらも、まさかそうとも言えない。
言われるがままに、いかにも「わかりましたって」って、神妙な口ぶりの返事をしながら、一つひとつかたづけて、終わってみれば十一時をまわっていた。ずいぶん長い時間に感じたが、たかが一時間ちょっとだった。ただ、荒川部長との一時間とは違う。気疲れする人と気疲れなんか想像もできない人の違いがある。どっちの人と仕事したいと思うか、問う人がいるとは思えない。

親切すぎて?疲れる山川さんから解放されて、ざっくばらんな荒川部長に戻ってほっとした。
山川さんが出て行って、荒川部長がニヤニヤしながら入ってきた。
「いい人だろう、山川さん。細かいからな。困ってなくても、ちゃんと困らせてくれる。旅費清算なんか適当にやると、すぐ言ってくる。間違っても大丈夫だ。しっかり直されるから。ああいう人がいるから、会社ももってるんだ。そうだろう」
そうだろうって、同意を求められても困る。荒川部長にようにずぼらな人がいるから、山川さんが必要以上にきつくなっちゃうんじゃないかと思いながらも、
「そうですよね。総務や経理がずさんだったら、めちゃくちゃになっちゃいますしね」
と、多少声は小さいが、荒川さんの側に立った答えでごまかした。

「昼飯に行く前に、マーケのみんなに紹介しとこう」
って言いながら、ついて来いってそぶりで会議室を出ようとしたのを見て、
コーヒーのカップはどうすんのと持っていたら、
「そんなもん、おいとけ、後でかたづけさせるから」
荒川部長について、マーケティングの机の島にいった。一人ひとり紹介してもらったが、一見して頼りになりそうなのがいるようには見えない。
杉本課長は細身で目立たないだけでなく、声も小さくて影が薄い。荒っぽい機械工場の班長なら、「おいお前、朝飯、ちゃんと食ってきたか」ぐらいのことを言いかねない。課長の下に同年輩の若林さんという男性が一人いるだけで、あとは女性が四人。このうちの一人が翻訳でお世話になった担当者と呼んでいた阿川さん。残りの三人は四月に入社した新卒。もっとも勤続年数の長い阿川さんでも三年ちょっと。こんな部隊でなにができるのか。仕事という仕事になるのか。部長だ課長だというのはいいが、Job Descriptionに書いてあったことなど、夢物語以上のなにものでもないじゃなか。このギャップは大きすぎて埋めようがないとしか思えなかった。

ざっと紹介し終わったら、荒川部長が若林さんに、
「おい」、
と声をかけて、首をあっちと会議室の方に振った。お前、話があるから、ちょっと来いといことなのだが、下町のオヤジさんのようだった。
三人で会議室に戻ったら、若林さんに、
「則夫、マーケの仕事の概要を簡単に説明しろ。終わったら声をかけてくれ」、
といって、会議室から出ていってしまった。
実務をしなければならないという意識がないから、いつまでたっても製品はおろか、自分の部隊の仕事の概要すら説明できない。
後で知ったことだが、たかだが百名ちょっとの会社に、それも東京本社に若林が三人いた。デブの若林とかチビの若林とも呼べないから、みんな下の名前で呼んでいた。
若林さん、几帳面な人なのだろう。きちんと整理した資料のフォルダーを持ってきて、会社の歴史やら組織を説明してくれた。主要製品を説明になって、資料だけでは無理があると思ったのだろう、フォルダーを持って、
「ちょっとショールームに行って、製品を見ながらにしようか」

ショールームは前に来たときと同じように雑然としたままだった。パネルから製品を取り出してしまったところが、ぽっかり穴が開いていた。穴のように目立ちはしないが、モジュールを抜いてしまったスペースがあちこちにあった。
「ああっ、誰だ? パワーサプライ持ってっちゃったの。誰が持ってったか知ってる?」
何かのテストをしていた若い人の背に向かって言ったが、言われた方は自分にとは思わない。
「ホリちゃん、誰が持ってったか知らない?」
何でオレにと、面倒くさそうに顔だけこっちに向けて、
「休み前に、中島さんがなんかしてたから、中島さんかもしれないっすよ」
「まったく、なんど言ってもききゃしない。ショールームはマーケの管轄で、ここにある製品はマーケの備品、知ってんだろう。万が一のときは貸し出すけど、ちゃんと言ってもらわないと……」
ホリちゃんと呼ばれた若いのももう一人も若林さんの話なんか聞いちゃいない。若林さんの独り言になっている。若林さん、示しをつける迫力もなければ威圧感もない。

展示してある製品をざっと紹介してもらった。荒川部長の説明よりは内容があったが、製品仕様の概略までで、それ以上は何を知っている様子でもない。若林さん、十人に「いい人か」と訊けば、間違いなく十人ともがいい人だと言う。でも、「頼りになる人か」と訊いたら、少なくとも九人は「頼りにならないこともないけど」と答えるだろう。状況に流される人で、状況を作り出すようなエネルギーはない。動きも話し方も、いい人である分といっていいのか、何をするにもメリハリがない。

会議室に戻って、訊かれた。
「なにか質問ありませんか」
「今特別にこれというのはないですけど、おいおいお聞きしますから」
と答えた。ざっと見て、説明を聞いて、なにをどうしなければという課題かアプリケーションでももっていれば、事細かに訊かなければならないが、何もなければ何を訊こうにも、思いつくものもない。
「ああ、そうだ、五月二十日に新入社員向けのPLC入門セミナーをやるから、参加したらいいですよ」
思い出したかのように言われた。
そういうのは先に言っとけよ、と一言言いたくなったが、これが若林さんということなのだろう。
「じゃ、今日はこのくらいにして、午後仕事の流れも含めて、今抱えている仕事を手伝ってもらいたいんで。荒川さんに、説明は終わりましたって言っときますから」
と言って、出て行った。
昼飯は一時ごろと聞いていたが、まだ十二時半をちょっとまわったところだった。若林さんにもらったカタログを見ていたら、荒川部長が入ってきて、
「昼飯なにがいいかな。うまい天ぷら屋があるんだけど、どうだ。今日は初日だから……」

ゆっくり昼飯くいながら、荒川部長からアメリカの思い出話を聞かされた。
荒川部長は仕事でロスに三年ほど住んでいたことがあった。懐かしさだけの話を聞かされた。よくいるタイプで、仕事を通して拾った英語で止まっていた。海外に赴任して半年もすれば、仕事も日常生活にも慣れて、特別困るようなこともなくなる。英語での日常がふつうになって、英語を勉強しなければというプレッシャーがなくなってしまう。そこに役職がついていると、実務は若い人たちにまかせて、自分はそれなりの格好をつけなければという気になる。そこで下手に英語の勉強でもして、若い人たちの遅れをとったら、どうにもみっともないと思い出す。どうしたものかと思っているうちに、もう勉強するもの面倒なって、あるのは社内外の人間関係と社内の政治力学でどこに身をおくかしか考えなくなってしまう。

趣味のゴルフの話からとんで、ニックネームの話になった。
「おれは、ジャック・ニクラウスのファンだから、ニックネームはジャックだったんだけど、お前、ニューヨークでなんだった?」
「会社ではユタカで通しましたけど、下宿の大家にはトムって呼ばれてました」
「そうか、それじゃトムでいくか、OK?」
まさか、日本の職場でトムと呼ばれることになるなんて、想像したこともなかった。それを知っていたら、ニックネームなんかなかったですよと言ったのに……。
もうすぐ二時半、何が何でももう事務所に帰らなければというときになって、どう訊いたものかと気にしながら訊いた。
「あのー、Job DescriptionのReport toが荒川部長になってましたけど、直属の上司は杉本課長じゃないんですか?」
ちょっと顔をしかめて
「ああ、あれか、あれはほっときゃいいんだ。気にするな」
気にするなと言われてもと思いながらも、それ以上は訊けなかった。

三時ちょっとまえに事務所に戻って、机についてみた。日本の会社と何も変わらないスチール机だった。それでも背は低いがパーティションがあって、周囲の人と顔を見合わせてというのがないから、仕事に集中はしやすい。
パーティションの向こうから若林さんに呼ばれた。
「これチェックして欲しいんだけど。早いほうがいいんだけど、今月いっぱいかかっちゃうかな。英語のマニュアルとその翻訳なんだけど。何か分からないことがあったら、いつでも訊いてくれればいいから」と言いながら、PLCのプログラミングマニュアルの英文と和訳を渡された。
なんだ外注がした翻訳のチェックかよ。これがオレの仕事? 冗談じゃない。もうちょっと仕事らしい仕事はないのか。これがマーティングと言われる部署の仕事なのか。マーケティングというと、なにかもっと気の利いたとでもいうのか、多少なりともクリエイティブな仕事をする部隊と思っていただけにがっかりした。

PLCの基本機能は知っていても、使った経験はごく限られたものだった。和訳を見て驚いた。すでに誰かがチェックしていた。チェックしていると言っていいのかためらうが、あちこちにアンダーラインが引いてあるし、ざっと丸で囲んだ箇所もあって、そこにクエスションマークが付いていたり、付いていなかったり。翻訳のチェックとは、訂正するなら訂正して、訂正したものに入れ替えれば、そのまま印刷に回していいというところまでの作業を言う。どうしようかという箇所にクエスチョンマークをつけても、チェックしたことにはならない。チェックという日本語が誤解を招いているのは分かるが、そのくらいチェックを依頼するときに説明しておかなければならない。

若林さんに訊いた。
「これ、もう誰かがチェックしてますよね。でも最終版にはなってないですけど、最終版にしろってことですよね」
「そう、アプリケーションエンジニアに頼んでチェックしてもらったんだけど……」
言ってもしょうがない。この会社はこのレベルにしかいないということでしかない。

英文と和文を読み比べて、妙な気持ちになった。英文は知らない単語や、初めて遭遇する言い回しに戸惑いを感じるが、言わんとしていることは分かる。ところが和訳は、何度読み返しても何をいっているのか、理解できない文章が続いていた。翻訳のレベルが低すぎる。かなりの箇所を書き換えなければ、使い物になるマニュアルにはならない。翻訳するより時間の節約にはなったにしても、あまりに書き直しが多いと、チェックしていて気持ちがすさぶ。

若林さんに訊いた。
「このマニュアルの製品に一番近い製品の英文マニュアルと和文マニュアル、それに用語集をお借りできませんか」
若林さんが何?という顔をして、
「マニュアルはあるけど、用語集はあるのかな」
「阿川さん、うち、用語集なんてあったっけ?」
訊かれた阿川さんが、いやな顔をして
「ないですよ。聞いたことないですから。作らなきゃとは思っているんですけど」
若林さんが、脇机から一世代前の製品のマニュアルのセットを貸してくれた。

既にあるマニュアルとの整合性を考えずに、翻訳したいように翻訳してはならない。常に用語と言い回しを統一をしなければならない。
貸してもらったマニュアルとチェックしなければならないマニュアルを見比べていって、まいった。用語の統一もなにもない。外注に翻訳をだして、アプリケーションエンジニアに手の空いたときでいいからとチェックを依頼して、知っている人なら分かるかもという内容の、重さだけはあるマニュアルが作られていた。それにしても用語集もなしで。すべてはこれからだった。

日本に支社を開いて十年ちょっと。会社の代紋には畏敬の念があるが、それはアメリカでの話で、日本支社は、今まで何をしてきたのか、にわかには信じられなかった。百人ちょっとの会社で二十五人の新卒。朝までは、こんなすごい会社でやっていけるのかと心配だったが、午後になったら、こんなところで仕事になるのかという違う心配がでてきた。やりがいがあるといえば聞こえはいいが、やれるのか、やらせてもらえるのか、始めてみなければなんともいえない。まあ、やるだけやってみるかと始めた。
2019/2/17