今度連絡しますから11(改版1)

<外資で働くということは>
Social dropoutから一般社会に戻ったら、仕事はやっつけ翻訳の書き直しだった。どうしようもない翻訳の書き直しを三日もやっていれば、いい加減気がめいってくる。こんなことなら、周りに気を遣うこともない独り稼業の翻訳屋の方がよっぽどいい。字面翻訳のごみ掃除のようなことをいつまでやってるのか、精神的にいつまでもつのかが気になりだした。まさか入社して一月やそこらで、止めましたって訳にもいかない。どうしたものかと思いながら、気持ちを切り替えようとした。何をしたところで、できることしかできない。そう割り切ってしまえば気は楽で、できることをしながら、勉強できればいいじゃないか。そんなことを考えていたところに、荒川部長が言ってきた。

「来週の月曜の朝、帝国ホテルによって、xxxというマネージャが泊まってるはずだから、ピックアップしてこい。半日じゃ終わらないだろうから、そうだな月曜は午後も、そのマネージャが持ってきた製品の説明会の通訳をやれ」
あまりに急な話で、最初、何を言われているのか分からなかった。確認して、そういうことかと思ってはみたが、そんな話、普通の神経をしている人なら、請けやしない。めちゃくちゃな話で、聞いたこともない製品の、たとえ社員向けのセミナーであったにせよ、なんの準備もなしで、ぶっつけ本番で通訳をやれってのはないだろう。それが火曜日に入社して、四日目の金曜日の話だからあきれる。

荒川部長の口ぶりに、何人かに頼んで断られていたのがみえる。誰だって、「はい、そうですか」なんて言いっこない。おおかた「無理ですよ。なんでオレなんですか」とでも言われて、もっていきどころがなくなって転がってきた話だろう。
そんなことができるのか、心配が顔にでていたのだろう。よほどゆるいヤツでもなければ出て当たり前、出ないほうがおかしい。
「トム、心配するな、たかが社内のセミナーだ。誰も何も知りゃしない。適当に通訳してりゃいいだけだ。お前ならなんとでもなる。週末しっかり休んで、月曜は頼んだぞ」
何が頼んだだ。いい加減にしろと言いたかった。あまりに大雑把すぎる。気をつけないと、洪水で流れて影も形もなくなった橋を渡ってなんて話になりかねない。

航空宇宙産業向けに開発されたボルト締めのシステムだった。ボルトをその性能の限界まで確実に締められれば、現在使っているボルトより一段、二段細いボルトで部品を固定できる。細いボルトにできれば、機械重量を減らせる。航空宇宙産業向けのシステムをベースにGMと共同で自動車の組み立てラインに使用するシステムを開発した。
原理はいたって簡単で、ボルトは首下が部品に当たるまでは、たいした抵抗もなく入っていく。当たったところからボルトを回すトルクが急に大きくなる。この点から締め上げるトルクとボルトの回転角度を測定していって、測定値が規定値寸前――ボルトの弾性変形内で締めるだけでしかない。原理はなんということもない。ただ、そこはデータ処理から統計管理まで搭載したコンピュータシステム、一筋縄ではいかない。巨大なシステムで、とでもではないが持ってはこれない。実物を見ればなんということもない機能でも、書類からではなかなかピンとこない。ぼんやりした理解から霧が晴れていって分かったと思えるところまで、マネージャが持ってきた資料を読みこんでいくしかない。

はじめて聞くシステムの紹介。十時過ぎから始めて三時過ぎまで、日本語ですらよく分からないものを英語で言われて、よたよたしながら日本語に通訳していった。マネージャが、丁寧に噛んで含めるように説明しても、みんなぼんやり聞いているだけで、何が分かったようにもみえない。なんとかまともな日本語にしてと思っても限界がある。
ここでアメリカ人に限らず日本人でも、ちょっとした間違いを犯す。説明がよくなかったのだろうと、違う説明の仕方を試みる。それが二度ならずとも三度にもなると、聞いている方は同じ内容のことを違う説明でだとは思わない。それに気がつくぐらいだったら、最初の説明で分かっている。似たような、似てないようなことを三度も聞けば、三つの違うことを言われているのかと思いだす。挙句の果てが、こんがらがって何を言われているのか分からなくなる。
ここで荒川部長の「OK」という口癖が意味をもってくる。どうも相手が分かっていないようだったら、違う説明ではなく、聞き取りの練習でもしているかのように同じ説明を何度か繰り返して、「OK」、分かったかと確認していったほうがいい。同じことを三回も聞かされれば、まったく英語を知らないわけでもなし、だんだん聞き取れてきて、「ああ、そういうことか」と思いだす。

なんとかかんとか通訳というやっつけ仕事も終わって、会議室に残ってマネージャにシステムの詳細を訊いていた。そこに、マーケの新卒の女性が、お疲れさまですという顔をして言ってきた。
「セミナーが終わったら、荒川部長がお話があるから、ちょっと来てくださいって」
とおっしゃってます。なにがおっしゃってますだ。人に面倒な仕事を振っておいて、自分じゃなにもしないで、日がな一日コーヒーすすってるだけじゃないかって思いながら、
「えぇっ、何? 今いろいろ教えてもらってることろなんだけど」
と女性に言ったこところではじまらない。今度は、なんなのって思いながら、荒川部長の机に行った。

「明日の朝、マネージャを連れて東大阪のxxx製作所にシステムの紹介に行って来い。新幹線の切符だ、朝早いけど、日帰りの方がいいだろう。夜は帝国ホテルにおとしゃいい」
ファスニングシステムを作っている会社だとはいうが、それ以上の説明もなしで、今朝はじめて聞いた製品を紹介してこいはないだろう。バタバタ仕事の方がまだバタバタしがいがあるというもので、もうバタバタのしようもない。何を言ってもしょうがない。ここまできたからには、どこに行っても何をしても、なるようにしかならないと腹をくくった。
その晩、荒川部長がマネージャを夕食に連れて行ってくれたからいいようなものの、とでもじゃないが付き合ってられない。それが、荒川部長が気をつかってくれたからだとは思えないところが癪に障る。

新幹線のなかでマネージャからシステムの概要と特徴、xxx製作所との協業をするにあたって、必要となるであろうカスタム化の可能性……、できるだけのことを聞いて、頭に叩き込んでいった。ただ、英語で聞いた情報がそのまま日本語での知識にはなかなかならない。頭の情報処理システムは日本語で動いている。そこに英語の情報、たとえ翻訳したにしても断片的な知識にとどまって、それが消化され整理されて、すでにある知識体系に有機的に組み込まれて仕事で使えるようになるには、発酵というもう一つ、時間のかかるプロセスを経なければならない。

xxx製作所の会議室に通されて、軽い挨拶をして席についた。マネージャの真正面に座っている専務がどことなく人を食ったようにニコニコしていた。人当たりがいいだけなのかもしれないが、ニコニコすぎてなんかイヤな予感がした。専務が立ち上がって、よいしょという感じで、部下が持ってきたバインダーのセットをテーブルの上においた。それが見たところマネージャが大事にもってきたバインダーのセットと瓜二つだった。なんだそのバインダーはと思っているところに、マネージャの顔をまっすぐ見ながら、ニコニコ顔の専務が口を開いた。
「ご紹介いただくまでもなく、御社のシステムは全て分かってます」
何を言われたのか気がつく間もなく、
「GMの担当者から提供された資料です……」

マネージャの顔色が変わった。機密保持契約を取り交わして共同開発したシステムの資料が共同開発のパートナーGMのマネージャから日本の競合メーカ――しばし協業のパートナーにもなる――に渡っていた。
「遠いところからいらしたのだし、何もなしで帰るわけにもゆかないでしょう。今日は私どものシステムをご紹介しましょう」
マネージャから英語で聞いて日本語での理解に一日かけたかいもあって、専務の日本語の説明は、何を構えることもなく頭にスッと入ってきた。マネージャがもってきたシステムがあまりに大げさで、こんな製品が日本で受けいれられるのかと思っていたところに、大きすぎず小さすぎず、これが日本のやり方だという製品の話を聞いて、マネージャには申し訳ないが、うれしくなってしまった。隣に座っていたマネージャは気がつかなかったが、悦にいって説明している専務には見えていただろう。

マネージャ、専務の手前もあってブスっともしてられない。へんな営業笑いともつかない顔しながら、下手な通訳を聞く格好をしていた。よほどGMの担当者が腹に据えかねたのだろう。思い出しては、小声でよく聞き取れないが、何度も同じようなことを口にしていた。
「I will kill …… stupid ……, ass-hole」
「あの馬鹿ども、ただじゃおかない」といったところなのだが、日本の自動車業界へと勇んできて、返り討ちにあったようなもので、その気持ちはよくわかる。ただそこから学ぶアメリカ人は驚くほど少ない。他者から学ばなければという姿勢が文化にまでなっている日本と他者のことを知ろうともしないアメリカの違いがある。

自社の製品の紹介に行って、紹介に行った先の製品を説明された。みっともないとかあるとかという気もおきない、笑うに笑えない。それにしても、アメリカ人まで連れて大阪くんだりまで恥をかきに。誰だ、こんな訪問を設定しやがってと文句の一つも言いたかった。言ったところで、何がどうなるわけでもなし、もうすんだことだと気を取りなおそうとした。

帰りの新幹線のなかで、バインダーを開いて、またマネージャが持ってきたシステムの説明を聞いていたら、車内放送で電話が入っていると呼び出された。マネージャと話し込んでいて、最初聞き取れなかった。当時は社名もつけての呼び出しだった。二度目のアナウンスを聞いて、社名で気が付いた。あれ、まさか、おれのこと?と思いながら、テーブルの裏をみて車掌室を確認して、あわてて出て行った。
電話にでたら、女性の声で、
「あっ、よかった藤澤さん、いま部長に代わりますから」
に続いて、荒川さんだった。
「今日はそのまま帝国ホテルに送って行け。明日の朝、ゆっくりでいいからピックアップして、午後一番で日産に紹介に行け」
昨日、今日とへとへとになりながらやっと終ったと思っていたところに、何が何でも人使いが荒すぎる。

日産の技術者が三人出てきた。二日間ボルト締めにかかりっきりで、マネージャの説明を通訳しなくても、概略は説明できるようになっていた。昨日は説明されてしまったが、今日こそは説明してやろうと思っていたら、
「御社のシステムは大まか分かってますから」
のっけから気勢をそがれて、えっという顔だったのだろう。
隣の人が、なんだお前、大丈夫かって顔をしながら、
「特許情報として把握しているから……」
この類のことはどこもしっかり調べていて、おおよそのことは共通理解のようなものでしかなくなっていた。
「営業じゃ分からないだろうけど、マーケティングマネージャなら話は早い。確認したいことがいくつもあるので、通訳してもらえないか」
と言いながら、持ってきた大きなバインダーをいくつも机の上に並べて、あまりの量にちょっと恥ずかしかったのだろう、
「特許関係の資料、その他です」
と言いながら、細かなというより細かすぎる質問をされた。確かに仕様書上の公称値を聞いただけでは、システムの機能や性能の本当のところは分からない。公称値を実現している原理にまで突っ込んで、他社のシステムとの比較はいいが、センサーから始まってデータ処理の詳細にまでおよぶ質問に、マネージャが取り合わなくなってしまった。それはユーザの視点ではなくメーカの視点に近い。マネージャにしてみれば、コピー製品でもつくる気なのかと訊き返したくなっただろう。

言葉通りに日本語から英語、英語から日本語の通訳もどきの便利屋には荷が重い。荷が重いだけならまだしも、日本の技術屋の 歴史に培われた習い性とでもいうのか、欧米の企業が試行錯誤を繰り返して作り上げたもの――果実に相当するものを上手に日本に持ち込んできた仕事の仕方やそれを善とする日本の文化を見せられた。工作機械メーカにいたときは自分もそうだっただけに、マネージャに、なんであんなに細かなことを聞いてくるんだと訊かれても、なんと説明したものかというより、説明したくなかった。

これが先週の火曜日に入社して十日もたっていない水曜日。その後も似たような役回りで本社と日本の営業マンやアプリケーションエンジニア、客や代理店、エンジニアリングパートナーとの間に入って通訳もどきの便利屋として走り回ることになった。ただ、いくら走り回っても、日産の技術者に言われた「営業じゃ分からないだろうけど、マーケティングマネージャなら話は早い」の意味は分からなかった。日本支社で分かっているのはアメリカからの駐在員だけで、マーケティング部の人たちにしても、そこまでの理解はなかった。営業とも技術とも違うマーケティングが何かに気づくきっかけはアメリカ本社への出張だった。

いつもバタバタ、前もっての準備などできることの方が少ない。受け売りから始まるから、能書きは伝えられても、具体的な質問でもされようものなら、しどろもどろになる。
たまげたことに、しどろもどろにならないヤツもいる。分かっているからならないのではなく、相手が言っていることが分からないから、もっと言えば自分が言っていることすら、ろくに分かっちゃいないのに分かったような気になっている能天気だから、一見自信満々に見える。相手も分かっていないと、分かっていない同士の見栄の突っ張り合いのような感じで、見栄えのいい資料をちらつかせる外資のセールスマンが輝いて見える。

毎日のように、知らなければならないことが雪崩か津波のように覆いかぶさってくる。いくら勉強しても知っていることや分かったことが増えるより、知らなければならないことの増えるのが早い。いくらやっても追いつきようがない。つけ刃で上っ面の格好をつけるだけならなんとかなるにしても、そんなもの付けたところで先々どうなるものでもない。
何かが分かってくれば、何を知らなければならないかが分かってくる。知れば知るほど知らなければならないことが大きく重くなっていく。逃げたら終わる。知らなければならないというプレッシャーを知る努力のエネルギーに変える術をおぼえて、へとへとになりながらも学び続ける習慣が出来上がってくる。出来なければ、くしゃみで剥がれる安メッキの外資のセールスマンで終わる。

ちょっと考えれば、外資に限った事でもなく、似たようなことは、いつでもどこにでもある。ただ、外資には実務には興味もなく、命令すればことが済むと思っているマネージャが多い。無理を承知で命令してくるのはまだかわいいもんで、言っていることの意味も分からないとなると、もう仕事をどうとなど話のしようがない。
実務においては煩いだけで置き物以下、完璧に無能なお公家さんのような上司から無理難題を推しつけられて、傍目にはなんとかこなしているようにしかみえないだろうが、振り回されているような格好をしながら、上司も含めて周りを使いこなすまでにならなければ仕事にならない。
2019/2/24