今度連絡しますから12(改版1)

<男の井戸端会議>
業界をあげての展示会なのに展示したいCNCがなかった。自動車業界を相手にしたフルラインアップの制御システム屋としてはCNCを落とせない。PLCとCNCの両方を持っていなければ、メインサプライヤとして認めてもらえない。
GEは採算の合わないCNC事業から撤退したが、ファナックと形ながらにしても合弁会社の体裁を整えて、ファナックのCNCに自社の時代物のPLCを抱き合わせ販売することで体面を保っていた。アメリカで一社残って孤軍奮闘といいたいが、実情は創業家の経営思想が残ったのんびりした会社で、止めるに止められなくなってぐずぐずしていただけだった。

戦後長きに渡って世界を牽引してきたアメリカの工作機械業界が、日本の工作機械メーカに市場を席巻されて、八十年代の中ごろには往時の輝きを失っていた。GEには勝ったものの、客である工作機械メーカが消えていくなかで、次世代のCNCを開発する意味がなくなってしまっていた。
それでも日本メーカの追い上げを横目に、八十年代初頭の持てる技術の集大成という製品を開発した。八十二年に市場投入したが、それが自社開発の最後だった。当時の技術の粋といってもいいもので、十年たっても世界の最先端のCNCの一台だった。ただ高すぎて、非球面レンズの加工や軍需など特殊な用途でもなければ使えなかった。
八十六年に市場に投入したCNCがあったが、それはイタリアの合弁会社が開発したもので、日本やアメリカやドイツのCNCを見てきたものには、個性的すぎて異様としかいいようのないものだった。そんなもの営業展開したところで売れやしない。関係者が疲れるだけで、多少なりともCNC市場を知っているものには自殺行為にしか見えない。それを、瀕死のCNCビジネスを日本でなんとかしてと考えていたパーソンズの意を察して、荒川部長が出展することにした。

ショールームに設置してあるものを外して出展してもいいが、それでなくてもラボのようになっているショールームをこれ以上ごちゃごちゃしたくない。輸送費だけならたいした金額でもないしで、イタリアの合弁会社から一台借りた。そのCNCに泣かされてきたアプリケーションエンジニアが心配だからということで、展示会の一ヶ月前には入荷して動作確認を始めた。
少々のことでは誰も驚かなくなっていたが、届いたCNCには手を焼いた。気分屋で動いたり動かなかったりで安定しない。まったく動かないのなら、原因の可能性を絞り込みやすいのだが、動くときは動くから性質が悪い。
ショールームの製品と基板を入れ替えたら、正常に動作していたものが動かなくなった。ファームウエアはショールームのものと同じだから、ハードウェアの障害としか考えられない。障害の原因が基板にあることはまず間違いないが、基板のどこが問題なのか特定できない。情けないことに、日本支社には基板上の信号を追いかける能力がない。エンジニアが目視で二枚の基板を比較していた。時間のかかる作業で、原因を特定できる可能性は限りなくゼロに近いが、いくら考えても他にできることが思い浮かばなかった。

イタリアに連絡して、輸送費をもつからもう一台送れと言えば送ってくるだろうが、そこはイタリアの製品、次に届くものが正常に動くという保障はない。アプリケーションエンジニアがなんとかしようと、ちょっと意地になっていた。そこまで意地にならなくてもとは思ったが、やる気を削ぐのをイヤだしで任せていた。障害の検証はエンジニアに任せるしかない。相談にはのっても、余計な口出しは作業の邪魔にはなっても助けにはならない。いざとなれば、ショールームの製品を展示会に回せばいい。

展示会が近づいてくるにしたがって、マーケティングはバタバタしながら展示会本番に向かっていく。出展する製品の手配は済んでいるが、カタログや資料の作成にセミナーの準備でいくつものことが同時進行していた。あっちに連絡して、こっちに話を通してとバタバタしながら、あっちとこっちの隙間をみてはショールームに顔をだした。
「どう、なにか分かりそう?」
訊いたところでなにがどうなるわけでもないし、聞かれたほうにしてみれば、うっとうしいとしか感じないことも多い。邪魔にならないように柔らかい口調で声をかけた。まだ半年かそこらの関係でしかない間柄、男同士の信頼の証のようなぞんざいな言葉は使えない。
「分からないっすねぇ。まあ、勉強にもなるし、できるだけのことはやってみようと思ってんですけど。日本でできることはしれてるし、最後はイタリアの事業部に障害の症状とチェックしてきたリストを添付して送り返すしかないですからね」
「時間があればいいけど、他にやらなければならないこともあるんじゃない。面倒だったら送り返しちゃってもいいよ。展示会にはショールームの方をもってくから。その間、ショールームはモックでかまわないからさ」

手に余る障害をかかえて独りであれかこれかとやっていると、どろ沼に入り込んで別の障害をつくってしまうこともある。誰かと話せば気分転換にもなるし、思わぬことに気がつくこともある。マーケティングとしては、独りじゃない。信頼さえていると思ってもらえるように声をかけるまでしかできない。間違ってもエンジニアの能力に対する疑問を呈するようなことを口にしてはならない。エンジニアに限らず、人は信頼されている、頼りにされていると思えれば、持てる能力を最大限に発揮できる。

なんどかショールームに行って気がついたのだが、奥まったところでPLCのアプリケーションエンジニアが二人で朝から話しこんでいた。PLCは担当外。変に口出ししてトラブルを背負い込むのも嫌だし、放っておいた。ちょっと経ってラボに行ったら、CNCの障害を追跡していたアプリケーションエンジニアの顔が明るい。よかった、原因がわかったのだろう、と話を聞いてたまげた。

二枚の基板を並べて説明してくれた。小さな抵抗器が並んだところを指差して、
「こいつですよこいつ。信じられます?」
なんだと思って見たら、並んだ抵抗器の中に一つだけ抵抗値を示すカラーバンドがないものがあった。あきれたことに抵抗器がついているはずのところに、コンデンサがついていた。日本の工場でこんなばかげたミスが起きることなど考えられない。
さっきまでは、疲れきった顔だったのが、手のひら返したよう明るい声で言った。
「さすがイタリアの仕事ですよ。ワインとかファッションはいいんですけどね。これでなんとかなってるってのが不思議で、間違ってもイタリア車には乗りたくないな」
何日かけたところで、原因の特定などできっこないと思っていた。目視で見つかる原因で運がよかった。それでも何時間もかけてチェックして、やっと障害の原因を突き止めてみれば、馬鹿馬鹿しくてお笑いにもならない。「お前たち、いったいどういう仕事をしてるんだ、責任者でてこい」と怒鳴りたいが、あまりに初歩的すぎて、その気にもなれない。
チップマウンターで実装しているのに、どうやったら抵抗器にコンデンサが混じるのか? 実装したあと、基板の機能検査もしてなければ製品として組み上げた後の検査もしていない。たとえ、していたところで電源入れて、「はいOK」という程度のことだろう。アメリカ本社の製品の信頼性には泣かされどうしだったが、それ以上にイタリア語の辞書には信頼性という言葉がないのかと言いたくなる。

ショールームの奥まったところには、最初見たときは二人だったのが四人になって、何時間もしないうちに五、六人の輪になっていた。CNCの障害の原因がはっきりして、気持ちに余裕がでたこともあって、PLCの集団が気になった。朝から何を話しているのかと思って輪の外で話を立ち聞きして、イタリア人に負けず劣らずの人たちにあきれ返った。
輪の中のアプリケーションエンジニアが昨日言っていた。
「ROM (Read-Only Memory)の特性のばらつきで、システムが立ち上がらないことがある」
昨日は一人だったのが、今朝二人になって、そこに営業マンまでよってきて、同じ障害のことをああでもないこうでもないと、まるで井戸端会議になっていた。結論を出す意思があるのかわからない堂々巡りの話に五人、六人と集まっていったい何をしているのか。

だらしのない話だが、ハードウェアの設計――特性値の許容幅が狭すぎて、ROMの特性によってはデータを読み込めないことがあった。このメーカのこのシリーズのROMなら間違いないが、あのメーカのこのシリーズやあのシリーズでは読めることもあるが読めないこともある。設計者の経験というのか能力が低いということなのだろうが、日本ではちょっと考えられない。
客先での障害を解決するため、早急にきちんと読み込めるROMを入手しなければならないのだが、アメリカの事業部から取り寄せると一週間以上、ときには二週間近くかかる。秋葉原で互換性のあるROMを買ってきても、日本支社にはROMの性能を検証する設備も能力もない。ROMの相性が合っているのかどうかは、基板に載せて稼動して様子をみるしか方法がない。

アメリカに手配すべきなのか、秋葉原に互換品を探しに行くべきなのか、これかもと思って買ってきても動かないかもしれないし、どうしようって、三十半ば過ぎたのが五人、六人そろってごちゃごちゃ言っているだけで、誰も具体的には何もしようともしない。

井戸端会議の発端は、担当のアプリケーションエンジニアにある。何をするにも自分では決めない。ああでもないこうでもないという堂々巡りのために生まれてきたのではないかという人で、新興宗教のことになると目つきも違って、驚くほど雄弁になるのに、こと仕事になると、誰かに決めてもらわないと何も先に進めない。そこに、当事者意識のない営業マンが、まるで暇つぶしのように集まってきて、一人の堂々巡りが集団の堂々巡りに拡大して、日長一日話をしても何も決まらない。

この人たちには、ずいぶん無駄な時間を使わされてきたという思いから、つい口を挟んでしまった。
「いつまで同じことを話してるんだ? できることは二つしかないじゃないか」
「まず、物流部隊にいってアメリカの事業部に標準採用しているROMを手配して」
「それから秋葉原に行って互換性のある候補のROMを何種類でもいいから買ってくればいいじゃないの。いくら買ったところで大した額にはならないだろうし、……」
事務所のある宝町から地下鉄を乗り継げば、秋葉原まで二十分もかからない。
「買ってきたROMにデータを書き込んで基板に載せて、機能試験をして、……」

互換品と言われているROMを載せて一日もかけて機能テストして、問題なく稼動すれば、それでOKとする。OKだったら、それを客先に持ち込んで、客先のシステムを稼動して、うまく稼動したらそれで善とするしかない。日本支社で、できることはこれしかない。

ろくに何も考えないで、思いつきでホイホイというものも困りものだが、ああでもないこうでもないと堂々巡りを繰り返して何もしないで、何を考えているのか。何をいくら考えたところで、できることは限られている。その限られたことから、これならと思うものを選ぶしかない。このプロセスを意思決定などとたいそうな言葉で呼んでいる人たちもいるが、していることは可能性のなかからの選択でしかない。可能性のなかには「なにもしないで放っておく」というものあるが。
決めると思うから決められない。選ぶと思えば、それもできることを選ぶしかないと思えば、そして選ぶ責任というより義務があるとでも思えば選べる。ただそれだけのことなのに、なぜかしようとしないのか、できない人たちがいる。

日本の会社でもどこでも似たようなことは起きる。ただ外資のようにそれが日常茶飯事にはならない。なぜ外資で堂々巡りの井戸端会議が多いのか。外資に来る人たちに何か共通の特性もあるかもしれないが、最大の原因は英語にある。すべての情報、それが技術情報であれビジネス上のものであれ、オリジナルは英語で従業員に提供される。従業員の誰も彼もが日本語と同じレベルで英語が分かるわけではない。ほとんどすべての人が日本語で記憶し、日本語で情報を処理して、直接体験から学ぶことも何から何まで日本語をベースにしている。そこに英語の情報が入ってくれば日本語に翻訳して、翻訳した日本語を日本語で構築された頭のなかのデータベースに書き込んでいく。この過程で翻訳された日本語の情報がデータベースに蓄積されている日本語による情報としっかりかみ合えばいいのだが、これがなかなかすっとはいかない。情報処理に長けた人もいるだろうが、普通の人たちは、似たようなケースに何度も遭遇して、翻訳された情報の扱いに慣れるまでにはどうしても時間がかかる。

まして翻訳された情報が、直訳でピンときようのない日本語だったりすれば、ほとんどの従業員は自分が理解して、考えていることが本当に正しいのか、妥当な理解や考えなのか自信を持てない。自信がないから、誰か聞きやすい近くにいる人に、確認の意味も含めて相談する。相談された相手も、訊いてきた人と似たり寄ったりで、自信がない。この自信がない人と人とのつながりが重なって、気がつけば井戸端会議になってしまう。
毎日あちこちで井戸端会議だらけのなかにいると、自分では決めないという保身の意識などなくても、井戸端会議が当たり前の、それが仕事のありようだとすら思い出す。あっちの井戸端会議、こっちの井戸端会議に顔を出せば、人脈も広げられるが、自信のない人たちの人脈が何かを判断する、決定するときの力にはならない。

インターネットも普及して、英語が不自由という人も随分減ったが、頭のデータベースも思考も日本語であるかぎり、英語や英語から翻訳した日本語の扱いは頭のなかの日本語のようにはいかない。それどころか、訳したおかしな日本語にさらされて、あたかもウィルスにでも感染したかのように、本来持っていたきちんとした日本語が怪しくなる。ペラペラの厚みのない英語がいくらよくなったところで、日本語がおかしくなっては、と気がつく人が、どういうわけか驚くほど少ない。ペラペラ英語とおかしくなった日本語、それを格好いいと勘違いしている人も目にするが、言語の外資病のようにしかみえない。
2019/2/24