今度連絡しますから13(改版1)

仕事をするということは
二年に一度の業界の展示会まであと一週間。マーケティングを中心に、三十人を超える人たちが最後のつめでバタバタしていた。 そんなあわただしいなか、実務には手のだしようのない部長と課長はいつものようにコーヒーをすすっていた。気がひけるのか、ただ気になるだけなのか、ときおり作業場に顔を出していた。いても邪魔になるだけだしと、すごすご引き返すこともあれば、一言二言声をかけて席に戻ってを繰り返していた。二人とも、全く知らない業界でもないはずなのに、技術知識も業界の理解も限られていて、出来ることと言えば、上司らしく振舞うことと部下の仕事へのコメントぐらいだった。

CNCも含めてモータ制御系の主力製品が古すぎて出展してもしょうがない。そこに一機種だけ異彩を放つ製品があった。合弁相手のイタリアのコンピュータメーカが机上の発想で開発したとしか思えない、よく言えば個性的な、奇妙奇天烈なCNCだった。エンドユーザから強圧的な指定でもなければ、誰も検討どころか気にもかけない。もし売ってしまったら、アプリケーションエンジニアが客先で何ヶ月か人質になることを覚悟しなければない。実務レベルの誰もが売ってはいけない製品だと思っていた。
それを、工作機械業界のことを知らない部長が後先考えずに出展を決めた。アメリカ人の社長のご機嫌取りにしか見えなかった。部長にとって展示会は市場開拓の手段ではなく、新任マーケティング部長としての存在を示す機会だった。

格好をつけたい部長が課長に出展に合わせてカタログを作るように指示した。マーケティングは誰も目の回る忙しさで、どうでもいい製品のカタログにまで手が回らない。空いているのは課長しかいなかった。
毎日事務所にはいるが、コーヒーカップの上げ下げが最も力を使う作業で、仕事という仕事は何もしない課長。それでも、日本のCNCメーカから転職してきた人で、工作機械の詳細はいざしらずCNCに関しては最も詳しいはずだし、部長にしてみれば、カタログの一つや二つ課長でも作れると思った。それも三ヶ月という期間に加えて、名古屋支店までその製品を客先に納めたことのあるアプリケーションエンジニアに何度でも聞きに行ける。時間はあるし出張予算もある。このありすぎる余裕で、まさかカタログが展示会に間に合わないなど、まさかにしてもありえようがない。みんな課長にまかせっきりで、カタログ作りがあったことすら忘れていた。そのまさかが起きた。あと一週間で展示会というときに課長ができないと放りだした。

荒川部長がなんか渋い顔をして会議室の方から戻ってきて、机の向こうに立ってこっちを向いて目で何かいっている。その脇をちょっと遅れて、いつものポーカーフェースで課長がコーヒーカップを片手に机に戻っていった。なんなの、荒川さん、そんなところに立ってどうしちゃったのと目でいったら、あごをしゃくるようにして、ちょっと来いという感じで会議室の方に歩き出した。こういうときは、だいたいろくでもない話に決まってる。今度はいったいなんなんですかって思いながら付いていった。

会議室に入るなり、言われた。
「トム、一週間でカタログ作れないか」
「カタログって、もしかして杉本課長の?」
「そうだ。あいつ最後の最後になって放り出しやがった」
いつも明るい笑顔の人だったが、よほど腹に据えかねていたのだろう。吐き出すように言った。
「カタログの一つや二つ、三月もありゃ誰だってできるだろう。それがあいつときたら……」
部長の言うのも分かるし、なにもしないでぶらぶらしているだけの課長をかばう気にもなれない。ただ、カタログなんて、と簡単にできると思っている部長に、ちょっとは考えろと言いたかったのと、根底にはこの仕事は請けたくない気持ちもあって、
「でも、カタログって仕様書じゃないですからね。競合との関係や客が持っているであろう課題を想定しながら書かなきゃならないから、結構面倒ですよ。それにしてもあと一週間しかないじゃないですか」
冗談じゃない、猫の手でも借りたいというバタバタのところに、カタログを一週間で、よしてくれっての。そもそも、そんな人様のたれたクソを拾って歩く仕事ばかり押し付けられて、もういい加減にしてくれって、いい返事をしなかった。
「そうだ、一週間だ」
「見栄えがよければ、内容は適当でいいから、作れないか?」
適当でいいって言われても、
「一週間しかないじゃないですか。仕様書じゃないんですから」
「そんなことは分かってる」
なにがわかってるだ。絶対わかっちゃいない。カタログは商品案内や仕様書とは違う。あんたが思うほど、簡単に「じゃあ、つくりましょうか」ってもんじゃない。客が困っていること、なんとかしたいと思っていることを想像しながら、ソリューションを提案するものだという基本的なことがわかっちゃいない。いいかげんにしてくれって思って黙っていたら、
「ただなぁ、パーソンズが日本はCNCでがんばってますって、イタリアとアメリカに見せたいんだよ。イタリア人もアメリカ人も日本語なんか読めっこない。内容なんかどうでもいい、見てくれがよけりゃそれでいい。一週間で作れないか?」
いつも土壇場になって仕事を振られて、うんざりしていたが、今回ばかりは同じ切羽詰ってといっても詰まりようが違う。それにしても一週間、せめて二週間あれば、なんとかできるかもしれないと思いながら、なかなか「はい、分かりました」と言う気になれない。どのみち売れっこない製品なんだから、「カタログなんかなくたっていいじゃないですか」と言ってしまいたいが、そうもいかない事情も分かってる。
「格好をつけようとすると二つ折りの四ページもんじゃなくて、八ページでしょう。どんなに急いだって、印刷の時間もあるし、二週間はかかっちゃいますよ」
「そこをだ、トム、おまえならなんとかできるだろう。無理は分かってる。やっつけ仕事でいい、一日でも二日でも早く作れ」
「かかりっきりでもできるかどうか……」
こんな仕事したくない、勘弁してよと思いながら、請けざるを得ない。
「やってみますけど。今抱えてるのみんなに振っちゃいますよ」
「そんなもの誰かにまかせりゃいい。すぐにかかれ」
すぐにかかれはいいけど、そう言ったらもう出来上がったものだと思って、ニコニコしてる。ざっくばらんで、大雑把でいい人だけど、使いまわされる方はたまったもんじゃない。
担当していた作業をマーケティング内で割り振って、いざ始める段になって驚いた。課長から引き継ぐものが何もない。三ヶ月間、名古屋支店に何度も出張して何をしていたのか。あるのは機能を理解しようとした痕跡の、何が書いてあるわけでもない意味不明のメモ一枚だった。

日立精機にいたときに英語のカタログ作りでお世話になったデザイン会社に相談した。デザイン会社も展示会で忙しかったのに請けてくれた。
文章や表はなんとでもなるが、写真がないことには話しにならない。アプリケーションエンジニアに聞いて、なんとか使えそうなネガフィルムを見つけ出したはいいが、解像度が低くて、なんだこれという写真だった。やっつけカタログにお似合いの写真で、普通だったら、とてもじゃないが使えない。もっといいものをと思っても、イタリアから解像度のいいネガフィルムを取り寄せている時間がなかった。そんな写真でも決まれば、あとは機能や特徴から何を売りにするかをまとめていくだけと思った。ところがいざ始めようとして気がついた。どんな機能があって、何が売りなのか何も知らなかった。

英語のマニュアルを読み始めたがどうにもならない。これでも英語かというイタリア英語のせいもあって、五十ページを過ぎても何がなんだか分からない。普通どんな製品でも五十ページも読めば、おおよそこんな製品かと全体像ぐらい見えてくる。ところが、イタリアのCNCは度を越えて普通じゃなかった。凝りに凝った機能と強力なプロセッサによる抜きん出た性能はいいが、世界の標準的な装置に慣れた者には異様にしかみえない。車に乗って運転しようとしたら、エンジンをかけるには、ハンドルは、アクセルとブレーキはどこにあるんだという感じだった。
CNC(Computerized Numerical Control)の原型は工作機械の軸移動を制御すべく開発したハードウェアのNC(Numerical Control=数値制御)にある。NCとしてハードウェアで作られた機能をコンピュータの上に移植(ソフトウェア化)したものがCNCで、付帯の機能も含めて、基本は制御対象の工作機械の必要から生まれたものだった。イタリアの合弁相手は大手コンピュータメーカのFA(ファクトリーオートメーション)事業体だった。そのためだろうが、彼らのCNCは工作機械の必要からというよりコンピュータの応用の一つの視点で開発されていた。マニュアルもNC臭さのないコンピュータ(MS-DOSマシン)のマニュアルのようにファイルの取り扱いを説明していた。もう百ページにならんとするところまできて、マニュアルから理解するのをあきらめた。

いつもショールームでイタリアのCNCを弄りまわしているアプリケーションエンジニアに頼んだ。
「忙しいところ、申し訳ないんだけど、このCNC、ざっと教えてもらえないかな。展示会にあわせてカタログつくらなきゃならないんだけど、一週間しかなくて。マニュアル読んでも、ちっとも分からないんだけど……」
アプリケーションエンジニアが、いまさら何をっていう顔をして、
「マニュアルなんか読んだって分かりっこないですよ、こいつは」
「マニュアルなしで、どうすんの」
「まあ、ちょっとは参考にしますけど。あとはこうかもしれないって弄りまくるしかないですよ」
「そもそも、この会社には使えるマニュアルなんか一冊もないじゃないですか」
「和文のマニュアルは、これ日本語?ってもんだし、イタリアの英語は、これ英語?じゃないでしょうって代物ですからね」
吐き出すように言われたが、本当だけに返す言葉もない。イタリア英語ほどではないにしても、和文マニュアルの日本語は何度も読み返して、もしかしたらこういう意味なのかと想像を働かせることを強いるものだった。
「そんなんで、どうするかって? 弄りまわすしかないじゃないですか。あれこれやってれば、だんだん分かってきますよ」
確かに半年ほどしか経っていないのに、毎日これでもかこれでもかと押し続けているのだろう、操作キーにはへたりがでていた。アプリケーションエンジニアが机にいることはめったになかった、一日中、来る日も来る日もショールームでCNCを、よくそこまで根気が続くとあきれるほど、弄りまわしていた。
「ごめん、一週間でカタログの印刷までしなきゃならないんで、時間がないんだよ」
「忙しいところ、申し訳ないんだけど、機能と売りになりそうな特徴をざっと教えてもらえないかな」

アプリケーションエンジニアは自動車部品メーカで働いていた人だったが、入社するまでCNCという言葉すら知らなかった。それがよかったのかもしれない。なまじ日本のCNCに慣れていると、持っている知識がイタリアのCNCの理解の邪魔になる。何も知らなかったから、彼にとってCNCとはイタリアのCNCだった。

教えてもらったことをベースにユーザーズマニュアルを確認のための参考資料として斜め読みして、機能や性能を抜き出していった。そこから何を売りにするか、写真や図のレイアウトは……。毎日終電まで作業したが間に合わなかった。展示会の二日目の午後になってやっとカタログが届いた。

会期中にはなんとか間に合ったが、カタログに載っている自分が書いた機能や性能、特徴としてキャッチに使った機能など、書いた本人が分かっていない。なんとなく分かったような気にさせるまでの、ごまかしのカタログしかできなかった。最低限の体裁を整えただけの、一週間でやっつけたカタログだった。

既にこれ以上落ちようがないところまで落ちていた課長の立場は回復しようのないところまで落ちた。何をしなければならないかを判断出来ない、部下の能力を把握しきれていないことを露呈した部長も立場があったとは思わない。展示会の体たらくだけが理由ではないだろうが、一年後には課長が、部長も三年を待たずに解雇された。

あっちでごちゃごちゃになってしまった泥沼のような仕事に狩だされたかと思えば、こっちで誰も責任をとらずに頓挫した、どうにもしようのないプロジェクトの後始末を任されて、一つ目処がたっかかと思うまもなく、次のゴタゴタに走り回る。どれもこれもが誰も手を出さない汚れ仕事。走り回ったあげくにどこかで倒れたところで、ご苦労なこってぐらいにしか思われない。そんな使い捨てのノンキャリアに仕事を振って、仕事をされては困ると言われても困る。
仕事をしなければ自分がない。仕事をすれば周囲の人の立場が気になる。波風はたてたくないし、上手く周囲を盛り立ててと思うのだが、これが思いのほか難しい。自分を落とした選択肢を考えないこともないが、いつもギリギリで、そんな余裕などあったためしがない。

それは入団テストか育成ドラフトでプロ野球に入ったようなもので、早々に実戦で能力の片鱗でも示せなければ、とおからず解雇される。仕事を選ぶ余裕などあるわけもなく、人の嫌がる仕事を請けて、それこそ一戦一戦が勝負になる。最悪の場合でも負けない戦に持ち込んで延長戦で勝ちを拾うくらいの気持ちがなければ生きていけない。ところがそれをすれば、上司や前任者、しばしば同僚が仕事をしてきていないこと、していないこと、さらにはする能力や意志がないことを証明することになりかねない。

ほとんどの人たちは、こんな傭兵のような切羽詰った立場にはないと思うが、似たようなことはいつでもどこにでもある。程度の差でしかないのに気がつかないだけだろう。
2019/3/3