ハバナの食堂で(改版1)

教授
「今日は、こんないい店に連れてきてもらって、本当に感謝してるよ」
わざとらしくならない大きさと抑揚に気をつけながら、奥の厨房にいる店主と女房にも聞こえるように言った。そして、ちょっと小声で、まるで二人の秘密だというように続けた。
「朝から晩までみんな一緒にホテルの飯はもういい。いつもの顔ぶれでいつものようには、二日までにしてもらいたいな。まあそれでも朝飯や昼食が一緒というのはしょうがない。でも誰だって、できれば会いたくないってのがいるだろうし。二日も三日も夕飯まで一緒って、修学旅行じゃあるまし、いい年したのがぞろぞろと。傍からみたら、なんて集団だと思うだろうね。昔のノーキョーってのを思い出すよ」

ぼやきのような話をしながら、成田で会った関西の大学の教授の話を思い出していた。Max B. Johnsonの「Can Cuba Liberalize? 」をうまくつかった論文で先をこされたことを根に持ってからんできた。知らない人には慇懃な人にみえないこともないだろうが、歩く野心のような男で、顔もみたくない。
Max B. Johnsonの「Can Cuba Liberalize? 」は下記urlから。
http://cddrl.fsi.stanford.edu/sites/default/files/max_johnson_full_final_cddrl_thesis.pdf

フィールドワークのしようのない社会を相手に仕事をするには、一次資料を入手する個人的なネットワークの質が勝負になる。長年かけて培ってきたもので、それこそが教授の資産だった。資産形成でついた差を認めたくはないのだろうが、資産の差が能力の差になって、学会での立場の違いになる。その資産、エルメスだダンヒルだというブランド品の競争のようなことろがあるが、持っている学者はそれがどうした、くやしかったら自分の才覚でどうにかすればいいじゃないかと思っている。

アーネスト
「よかった。おばさんも僕も心配だったんで、そういっていただくと本当に嬉しいです。食事だったらホテルのほうが豪華だろうし、こんなところにお連れするのもどうかと思ったんですけど。大学がというのか政府が用意したツアーから一歩離れて、ハバナの街をみたいとおっしゃるんで、おばさんに相談したんです」
「大学という組織を使って、見せたいもの見せて、聞かせたいことを聞かされて、もうお疲れじゃないかと……」

アーネストたち若手研究員は事務局の一員として会場の後ろに立って公演を聞いていた。たまに小声で話をしても、立っているだけからくる疲れもあって、でてくるのは愚痴のようなことばかりだった。調査や研究に基づいた事実というより、日本の学者や研究者向けのプロパガンダのような内容で、ないわけではない事実すら事実には聞こえない。そんなものを聞いて、さも納得したかのように動く頭を後ろからみていると、いったいこの人たちはどういう人たちなのか、何のためにこんなことをしているのかと馬鹿馬鹿しくなっていた。そこからプロパンダを真に受ける人たちへの軽蔑と、そんな人たちの世話をしなければならにことにやりきれない気持ち、そこから怒りに似たようなものまで生まれていた。

そんな一日で疲れているところに、聞いたところで何があるわけでもない教授の話、それをあたかも心から傾聴しているように見えるようにと思う自分が情けない。三年ぶりに教授に会って、アーネストの頭の中には、次の留学の便宜をはかってもらえないかという打算という希望しかなかった。
二年間の留学経験から、見なきゃならないものとか、聞かなければならないことなどという面倒なことには一切興味がないは人であることはわかっている。形ながらの流れのなかに身をまかせて、快適であればそれで十分としか思っちゃいない。教授として崇めたてまつってもらえればなんでもいい人でしかない。それでも、アーネストにしてみれば頼りにせざるを得ない一人で、ここは親切をうっておかなければという強迫観念に近いものがあった。
数年後にはまた日本に留学して、できれば日本の就職先を教授から紹介してもらえないか思っている。数日間、いつそれを口にすか、タイミングを探していた。明後日には帰国する。今晩ホテルに送っていたったときが一番いいのか、そのときしかないだろうと考えていた。それまでは何がどうあっても、いい気分にしておかなければならない。

アーネスト
「門限もうるさいですから、あまり遠出はできないですし……」
ちょっと間をおいてから、
「現実がむき出しになっているところには、私服が目を光らせてますから」
盗聴器がしかけてあるような店でもなし、身内しかいない店で、何を聞かれてもかまわないのに、わざと小声で言った。そして意識的にちょっと大きなつとめて明るい声で、「指導教官に頼んで、おばさん店にお連れする許可をとりましたから、ここは大丈夫です。厳しい庶民の生活が見れるわけじゃないですけど、これもハバナの現実の一こまです」

教授
「いや、ほんとに今日はありがとう。確かに君がいうように、食事の豪華さだったらホテルの方が上かもしれないけど、庶民の夕食を体験できたという、実に貴重な体験をさせてもらって、感謝の言葉もないよ」
格好をつけた、まじめな顔になって、
「ところで、ここにはテーブルが四つあるよね。どれもゆったり四人、日本流だったら六人は十分座れるじゃないか。まさか僕のために貸切りにしてくれたんじゃないよね。たいした客じゃないのに、おばさんに悪いことをしちゃったんじゃないかって、さっきから気になってしょうがないんだけど」

アーネスト
「そんなこと気になさらないでください。確かに十人以上入れますけど、それはスペースの話で……」

ドアが開く気配を感じて、はっと、アーネストが次の言葉をのんでしまった。
立て付けの悪いドアを引きずるように開けて、どことなく野卑な雰囲気の二人連れがのそっと入ってきた。それをみて、アーネストが小声で言った。
「ちょっと待ってください」

アーネスト
「おばさん、いつものお客さんだよ」
二人はドアから一歩入ったところから先に進もうとはしない。ただそこで突っ立っているだけで食事に来たようには見えない。おばさんの返事は聞こえたが、なかなか厨房からでてこない。なにか落ち着かない、妙な時間が過ぎていった。そこへおばさんが、濡れているわけでもなさそうな手をエプロンで拭きながら出てきた。ニコニコはしているが、教授の目にもどことなく営業笑いのような、口元だけの嫌な笑い顔だった。さっき料理をだしてくれたときと同じ眼とは思えない。唾棄すべき、見てはならないものをみるような、それでいてその唾棄すべきものを恐れているような、感情を抑えた複雑な眼に見えた。東ヨーロッパの研究者が時折みせる官僚や、しばし同僚に対してすらみせる不信と不安が絡み合ったような眼だった。

おばさん
「あら、どなたかと思えば、インスペクターさん、お忙しいんでしょうね。最近とんと顔を見せてくれないじゃないですか」
あらためて笑い顔を作って、一呼吸おいて、
「ところで、今日は何用で?」
「ああ、そうですよね、でも今日は特別ですよ。大学がご招待した日本の大学の教授がみえてんですよ」
営業笑いだったのが誇らしげな微笑に変わっていった。
「甥のアーネストが日本に留学してお世話になった先生です」
教授に顔を向けて、アーネストの留学が自慢でならないという口ぶりで言いながら、二人から教授がよく見えるように一歩下がって半身なった。
自慢のあとの反省とでもいったらいいのか、どことなく言い訳がましい言い方で、
「今日は、大学のご配慮で食材を都合して頂けたので、それを料理しておだししただけですから」

インスペクター
教授を一瞥しただけで、アーネストがそこにいることを知らないかのような素振りで、おばさんに、
「いや、なにね。珍しく電気がついてるから、どうしたかなって」
なにが日本からの大学教授だ。キューバと同じで、そんなものなんの役にもたちゃしないだろうが思いながら、
「たまには顔をださないと……、忘れられちゃっても困るし……」

おばさん
「忙しいなか、わざわざうちみたいなところに立ち寄っていただいて……」
「物騒な時代だし、顔をだしていただくだけで、うちは大丈夫って安心できますから。お時間のあるとき、いつでも寄ってくださいよ」
好奇心だけは人一倍の教授、なんだかよくわからないが、何を話しているのか聞き耳をたてていた。まるで三文芝居のようで、どこかぎこちない。言葉は丁寧だが、歓迎しているわけではなさそうだ。何かおかしい。スペイン語が堪能というわけではないが、教授にもそのくらいのことはわかる。
おばさんが教授からはインスペクターが見えないように斜め前に一歩でて、小さな茶封筒を渡した。
「『コックの調理場』なんてのからレストランって言える日がきたら、真っ先にインスペクターさんのご家族も一緒に夕食に招待するんですけどね……」
受け取った茶封筒をさっとポケットに入れて、二人は何も言わずに出て行ってしまった。

何か一言あってもよさそうなものなのに、何も言わないで出てった。あの二人はいったい何をしにきたのか。二人がいた空間がぽかっと空いてしまったような、なんか腑に落ちない。教授には何が起きたか分からなかった。

インスペクターと目があうのを避けて、壁に飾ってあるマリア像に目をやっていたアーネストが、ほっとため息をついて、小声で、
「ごめんね、俺が無理言ったせいで……」
何をいってるの、大丈夫、わかってるわよという微笑を浮かべておばさんが厨房に戻っていった。
何が起きたのかと怪訝な表情の教授にアーネストが言った。

アーネスト
「先生、ご存知のようにキューバはアメリカの封鎖政策のせいもあって消費を満たす生産がありません。パンにしても牛乳にしても食用油もなにからなにまで配給です」
「その配給が足りないから、みんな闇市にいってます。自由化されたといっても、もともとなにもかも足りないから、レストランなんか開いたところで食材が手に入りません。食材をと思えば闇市でになります」

言ったところで何がどうなるものでもなし、次の留学のことを考えると、どこまで話したものかとためらいがあったが、アーネスのなかで抑えていた重石のようなものが転げ落ちた。アーネストらしくもなく、つい熱くなってしまった。
「でも闇市にあるものは、食材でも洗剤でもレンガでもなんでもすべて国営企業から流れたものです」
盗んだというのをためらって、流れたという言い方をしてしまった自分が恥ずかしくなった。盗んだをいわなければと思って続けた。
「国営企業の従業員が盗んで闇市で売って、生活の足しにしているわけです」
「その足しで闇市が、そしてみんなの生活が回ってるんで……」
つとめて冷静にと思っていたのに、ここまでくると言葉がきつくなるのを抑えられなかった。

おばさんの店に招待したという、多少なりとも胸をはったような口ぶりで、
「今晩先生がこうして外食しているということは、先生に割り当てられた食材をホテルの誰か、たぶん厨房のマネージャあたりが闇市に持っていっているはずです」
言ってしまって、はっと息をのんだ。留学の支援を得るという思惑から、かたちながらのいい経験をしてもらってと思っていたのに、つい現実になってしまった。

「さっききた二人はインスペクターと呼ばれていますが、正式には闇市を取り締まる役人です」
「でも、実質は闇市を頼りにしなければならない人たちから、みかじめ料をとっているごろつきです」
もういい、現実は現実で誰も否定できない。それを見れない、見る気もない人なら、それはそれでかまいやしないと思った。そう思い切ってしまうしかアーネストにはしようがなかった。そして話を続けた。

「市場経済への移行が始まっていると言っていますが、それはある一面で、そんなもので何がどうなるわけでもない、実験にもならないことでしかありません。個人商店を許可するといったところで、商売をするために必須のものが闇市――国営企業から盗み出されたものでしか手に入りません。大工にしても材木も工具もなにもかも合法的には買えません。床屋をやってもシャンプーが、レストランでは食材が手に入りません」
「あの二人は、おばさんの店に珍しく電気がついているから客がいるだろうと思って、たかりに来たのです。小銭を渡さないと、闇市で入手したということで店のライセンスを取り消されかねません」

そこまで聞いて、ぼくはいったいキューバに何しにきたんだろうと、珍しく内省的な気持ちになった。何かを言わなければという気持ちだけが先に立って、薄く開いた唇が小さく上下しているだけで、何もでてこない。いつも誰かのフィールドワークをまとめた資料を手にして、それを種本のようにしてあれこれ整理して、日本料理らしく味噌か醤油、たまにはわさびをきかした、誰にも違和感のない口当たりのいい論文にしてという研究を続けてきた教授には、生の現実を目の前に突きつけられても何をどうすればいいのかまったくわからない。

それでも若いときに戻ったような新鮮な気持ちが湧き上がってきた。何年振りだろう。こんな気持ちは学部生のとき以来かもしれない。でもこんな気持ちに正直にと思ったら飯を食ってけない。職業人としての研究者、大学の教授としては、かたちながらのありように、大勢のなかの一人として波風立てずに乗ってくしなないじゃないか。ちょっとそんなことを考えて、いつものようにいつもの結論が、それこそパブロフの条件反射のようにでてきた。これが社会ってもんだ。そして恥ずかしさなどおくびにも出さずに、いかにも悟りきった大学者の風をイメージしながら口を開いた。

教授
「アーネスト君、君も知ってると思うけど、日本は明治から百年以上かかって今日の社会を作り上げていった。その社会だって問題だらけで、いつ崩壊するとも限らない。でも、キューバはこれからの国だよ。君のような若い、優秀な研究者がいるかぎりキューバの将来は明るい。それをもっと明るくするのは、アーネスト君、君たちだよ。まずはキューバでがんばらなきゃ……」
わかったようなどうでもいいことしかいえない自分がちょっと恥ずかしかった。でも何が恥ずかしいといっても、言ったとたんに忘れていい程度のちょっとだし、都合の悪いことなど上手に忘れなければやってけない。この程度のことで右往左往するようじゃと思いなおした。

さすがにベッドに入ってからなかなか寝付けなかった。翌朝、寝不足で朝食にでていったら、いつもの全国紙のOB連中から、
「先生、さすがですね。俺たちに内緒で、いいとこいかれたんでしょう。武勇伝をお願いしますよ」
と聞いて、多少シャンとした。悪い話でもいい話に聞いてしまう性質の教授、冷やかしを畏敬の念と勘違いして薄笑いになった。薄笑いから、いかにも語りきれない武勇伝をもっているという見栄をはったニヤニヤ顔なって、おれはまだまともだと思った。そしてアーネストは熱すぎる。暑いキューバで頭を冷やせといっても無理だろうが、あんな熱さ、なんにしても温暖な良くも悪くもぬえ的な日本にはいらない。あんなのが来た日には煩くてしょうがない、でもこの先情報源としては重宝に使えるし、とOB連中についてバフェを回り始めた。

変質した二百年前の希望に押しつぶされそうになりながら生きつづけてきた半世紀前の夢。それは夢であって、希望とは違う。希望は自ら変質することもあれば、外から押しつぶされることもある。夢は自ら捨てない限り生きつづけ、たとえ取るに足りないささやかな一部にしても実現する可能性がある。ただ今の夢は生きつづけてはきた半世紀前の夢と同じではない。夢がなければ生きられなかった社会は知識としてしか知らない、今の現実からしか生きようのない世代にとっては、自分の、自分たちの社会の夢はという自問がつづいている。そこに知り合いからもらった一次資料や話をもとに、それなりの体裁をつけてきた研究者やマスコミと、つけられた体裁を通してしか知りえない巷の人たちがいる。そんなことから自問の後ろにあるものを思い浮かべるのは、「推察する」人としての能力かもしれない。
2018/7/1