今度連絡しますから2(改版1)

<市場投入戦略>
技術と営業でことが済む昔ながらの工作機械メーカの技術屋くずれ、マーケティング要員として雇われたはいいが、マーケティングがなんなのか何も知らなかった。ただアメリカに駐在していたときに聞いていた社名があまりに大きく重かった。日本では無名に近かったが、アメリカで制御装置といえばACといわれていた会社だった。
はじめての外資ということもあって、技術屋くずれの翻訳屋だったものが勤まるのかと怖かった。それでも入ってみればなんのことはない、普通の人たちの普通の会社だった。入社したその日から、とりとめもない誰にでもできる雑務に追いまわされた。家族や知り合いに何をしているのかと訊かれるたびに、マーケティングとは答えてはいたが、技術でもなし営業でもない、なんとも説明しきれないマーケティングという名の雑用係りだった。便利屋になってしまったのが嫌で、工作機械メーカを飛びでて翻訳屋になったのに、また便利屋に戻ってしまった。

日々の雑務の基底にあったのは制御機器のマニュアルの和文化で、外注の翻訳者からあがってきた翻訳の書き直しだった。社内ではチェックと呼んでいたから、適当に赤を入れてチェックで済ませていたのだろう。英語使いではない技術屋くずれの翻訳者として三年以上禄を食んできたという自負もある。日本語にしましたという、ろくに意味も通じない翻訳では済ませない。チェックではなく書き直しになった。
技術翻訳の世界ではその名も知れた、著書が何冊もある先生(?)のような人が、外注翻訳者の一人として出入りしていた。その人の翻訳が、Battery is deadを日本語で「バッテリが死んだ」だからあきれる。せめて、「バッテリの寿命がつきた」くらいの日本語にならないものかと言いたくなる。ほかの翻訳者も似たり寄ったりで、チェックなどで済む代物があがってくることはない。

特別何もなければ、日がな一日どうしようもない翻訳の書き直しなのだが、何もないない日などほとんどない。やれ展示会の準備だとか、社内外のセミナーの準備やカタログや販促資料の作成からアメリカ本社からの駐在員や出張者と同僚や顧客の間に入っての通訳もあれば、技術や営業マンからの障害対策の相談もある。それはまるでパチンコの一番下の穴のようなもので、誰も面倒くさがって手をださない雑多な業務が毎日のように転がり込んできた。

隣の島とでもいうのか、机が五つ固まっているなかに原田さんがいた。距離にすれば十メートルかそこらしかない。ちょっと疲れて背を伸ばして顔をあげれば、机に向かって何かしている原田さんが見えた。時には偶然同じときに背を伸ばして、目と目が合った。目が合ったからどうということもないのに、そっと目を下にした。何をしているのかわからないが、あの原田さんがしていることだし、技術屋くずれには想像もできないことなんだろうと思っていた。

原田さんとの付き合いは、片岡や蔦谷に誘われて飲みにいったのがはじまりだった。帰国子女でブラウン大出身、高専出の職工くずれには、とんでもない雲の上の人にみえた。謙った話し方だったんだろう、よしてくださいよという感じで、普通の話にしてくれた。日本で育っていないこと、俺は日本人だという気持ちを言われても、何をそんなに気にしているのだろうとしか思えなかった。

三ヶ月ほど経ったある日、廊下で原田さんに呼び止められた。「ちょっと待ってください」と言って足早に机に戻って帰ってきた。「これ、CNCの、まだまだドラフトなんですけど、軽くでいいんで目をとうしてコメントお願いできませんか」
と言いながら、三ページにまとめたドラフトを手渡された。何でそんなにという丁寧な言い方だった。
「内緒ですよ。どこかに回ったりすると、面倒なことになるし……」
「社内でも機密で、藤澤さんに相談することも内緒ですから」

最初何を言われているのかわからなかった。何で原田さんが、何をと思った。言葉だけにしても、もしかしたら原田さんに頼りにされている? まさかと思いながら、出されたドラフトに手が出てしまった。
「オレみたいな便利屋になんなんですか」
と聞こうしたが、とっさに言葉がでてこなかった。
それをみて、原田さんが続けた。
「藤澤さん、日立精機で研究所にいらしたんですよね。そしてニューヨークに駐在して」
ちょっと固い口調すぎたとでも思ったのか、プレッシャーにならないようにとの気遣いからか、軽い口調にきりかえて世間話のように、
「工作機械のことだったら、日本のでもアメリカのでも、藤澤さん以上に知っている人、この会社にはいませんよ。ましてや日本のということではアメリカ本社にもいっこないですから……」

気をつかわなければ頼めない、なんかとんでもないことを頼まれているのかと気にはなったが、手にしてしまったドラフトを返すわけにもいかない。頼りにされるのはありがたいが、受けきれることじゃないかもしれないし、断れることなら断ってしまった方がという気持ちもあった。
「工作機械のことだったら、田所さんがいるじゃないですか」
といいかけて止めた。
あの人じゃ分かるものもわからなくなる。見なければならないところを見ないで、見てもしょうがないところにいってしまう。挙句の果てが見た景色を自分のエゴでひん曲げて、ろくでもない色をつける。相談しなければ問題になるし、すればしたでノイズばかりで収拾がつかなくなる。

なんと言ったらいいのか言葉を探していたら、原田さんが声を落として続けた。
「田所さん、そう、でも」
「そんなこと、藤澤さんだってもう分かってんでしょう」
「SN比が悪いというか、僕のノイズフィルターの性能が悪いのかわかりませんけど……」
と軽く笑いながら、言外に、
「藤澤さん、あんたしかいないでしょう」
と言っているのが、半分まさかと思いながらもわかる。
「パーソンズはそれで雇ったんですよ、聞いてないんですか?」
決して冷やかしではないし、おだてるような言い方でもない。いつもの原田さんらしくまっすぐな言葉だった。
パーソンズは陸軍士官学校をでて、なにがどういうことか知らないが、日本人女性と結婚して半分日本人のようになっていた。数年前に日本支社の社長として雇われて、支社の建て直しに奔走していた。分け隔てのない、良くも悪くもまっすぐな熱意の塊のような人だった。
「それで雇った」
と聞いて耳を疑った。マーケティングの雑用係りとして雇われたものとばかり思っていた。CNCの開発プロジェクトにかかわるなど聞いていない。よしてくれ、そんなのにからんだら、何をどうしたところで討ち死にだけは間違いない。

工作機械を知っている云々から開発中のCNC関係した書類としか思えない。うわさで聞こえてくる限りでは泥沼の開発プロジェクトで、誰も係わりあいたくないと思っている。その場でドラフトを見るのが怖かった。
渡されたのはCNC(Computerized Numerical Controller)のSales (launch) strategy proposal(市場投入戦略案)だった。CNCを開発しているのは入社する前から知っていた。知っていたどころか、外注の翻訳者として、アプリケーション部の技術者が書いた開発要求仕様書を英語に翻訳したというのか書いた本人だった。翻訳の話が来たとき、無謀としかいいようのない開発を進めている会社があることに驚いた。その翻訳仕事がAC社との付き合いの始まりだった。

日本語の原文はすさまじいもので、日本語として意味をなさないだけでなく、工作機械とCNCの基本機能を理解しているようには見えなかった。書かれていることを翻訳したら読んでもわからないゴミ以外のものにはならない。原稿をヒント(?)に、CNCの機能はこうでなくてはならないと英語で書き上げた。書き上げた英文仕様書をアメリカ人の駐在員がチェックして開発要求仕様書として承認した。チェックするといっても和文原稿は読めないし、そこに何が書かれているのかには興味がない。彼が見たのは和文原稿とは直接関係のない外注翻訳者が書いた英文仕様書だった。

日本にはファナックが、ヨーロッパにはSiemensという、到底太刀打ちできる相手ではないのがいる。アメリカの工作機械業界が崩壊したところに、いまさら開発したところで、ビジネスに持ち込むのは不可能に近い。どのような妙案があったにせよ、無謀な開発プロジェクトとしか思えない。たとえ製品としては価格も含めて優位なものが開発できたとしても、日米欧の主要市場におけるサポート体制を提供できなければ、誰も買ってくれないというより誰も買えない。一品ものの機械では台数が出ない。どうしても最初から標準採用のポジションを獲りにいかなければならない。
あっちで一台、こっちで二台というビジネスではない。百台とはいかなくても数十台の標準採用か否か、言ってみればAll or Nothingのビジネス。そのためには何年も渡る赤字を覚悟のうえで、莫大な費用を一気に投入して販売とサポート体制を構築しなければならない。たとえ投入しても、ファナックとSiemensの総合力の前には、巨像に吠えかかる野良犬のような立場に持ち込めるか否かというプロジェクトだった。
2019/1/20