今度連絡しますから3(改版1)

<市場認識と社内政治>
数日経って、原田さんが「ちょっといいですか?」と言ってきた。人目を気にしてか、廊下で声をかけられた。Proposalのことを聞きたいのだろう。時間があるかと聞いているのではなく、予定でもはいっていないのなら、どうしてもという感じだった。
原田さんについて大会議室に入った。会議室に入っても、二人とも座ろうとはしない。座ればメモをとれるが、体の自由度を失うだけでなく、考えの自由度も失いそうで、座る気にならない。話をするのにメモは要らない。理解を共有するには白板になる。二人で白板の前に立って話はじめた。

毎日雑用に追われていて、まさか自分がそんな立場にいる人間だなどとは考えたこともなかった。Proposalを渡されたときの話はわかるが、なんでオレにという顔に見えたのだろう。原田さんが、ちょっと硬くなっているのを解すかのように柔らかく言った。
「まだ会社に入って二ヶ月ちょっとですかね」
間おいて原田さんが続けた。
「細かなことは知らないかもしれないけど、今、CNCを開発してんですよ。会社のトップが決めたことで、僕のようなものがとやかくいうことではないんですけど……」
回りくどくなりそうなので、話をさえぎって、「プロジェクトのことぐらい知ってますよ」といいかけて止めた。問題はその先にある。
一呼吸おいて原田さんが、特別な感情もなしにというのかスルっと言った。
「工作機械業界には素人の私の目にも、無謀すぎるプロジェクトに見えてならないんですよ」
無謀と聞いて驚いた。そんなことはっきり言っちゃって、いいんかなとちょっと身が引けた。プロジェクトを知っている人は誰しもがそう思っていたと思うが、周りの眼が怖くて誰も口にできなかった。なんでも思ったことをストレートに言ってしまう性質だが、なかなかそこまで正直にはなれない。無謀という言葉を聞いて、もしかしたら、原田さんと心中することになるのかなと、怖さ半分、光栄だと思う気持ち半分だった。

Proposalとしてはきちんとは書かれていた。ただ工作機械業界の静的な上っ面しかみていない。工作機械というより産業機械全般にいえることだが、昔ながらの精密加工技術から電子制御に、さらにコンピュータの応用技術へと拠って立つ技術基盤が大きく動いていた。腕時計が機械式から液晶クオーツになったのを想像すればわかりやすい。工作機械業界は、従来からの技術に圧倒的な強みのある老舗メーカに新しい技術を積極的に採用した新興メーカが挑戦する、さながら下克上の戦国時代の様相をなしていた。
アメリカの工作機械業界が日本勢に押し込まれて、アメリカ本社としてはSiemensの影響を無視できる日本市場でということなのだろが、日本には三菱電機や安川電機ですら太刀打ちできないバケモノのようなファナックがいる。

原田さんが上司の課長――専門商社の営業崩れの田所さんから聞いた、とるに足りない話を唯一の生の情報として書いたものだった。一昔前には世界の名門といわれた日立精機の研究所からアメリカ駐在に出たものの眼には、まるで第二次大戦の日本軍の戦略以下の、上段にかまえた自殺行為にしかみえなかった。そんな戦略ともいえない戦略、結果は目に見えている。相手にはなんの損害を与えることもなく、自分一人で騒いで独りで勝手に死んでいく。業界の笑い話で終わる。

原田さんも、その点には気がついているのだが、田所さん以外には日本の工作機械業界の実情を知っているものがいなかった。一時間以上かけて知っている限りの話をしたが、それを聞いているうちに原田さんの表情が険しくなっていった。どうしようと思ったが、途中から険しさが消えて薄笑いのような表情に変わっていった。誰も、面倒を起こしたくないが、ここまで来たからには、事実を事実としてできる限りのことを伝えなければならない。それ以外にできること、しなければならないことがあるとは思えなかった。

そこそこの工作機械メーカなら自社で使うCNCぐらいは開発できる。問題は技術にあるのではなく市場にある。どの工作機械メーカも競合の工作機械メーカからCNCを買いたいとは思わない。CNCを開発しても、同業は買ってくれないから自社で製造する機械にしか使えない。年間四、五百台ぐらいの機械を製造して、そのすべてに自社のCNCを搭載してもCNCの生産台数は年間四、五百台にしかならない。ファナックもSiemensも少なく見積もっても年間数万台は製造して販売している。
コンピュータの応用技術の一つであるCNC、一台当たりの開発コストは販売台数できまる。自社開発のCNCは、海外市場のサポート体制も自社で用意しなければならない。日立精機でもCNCを開発したが、持て余して二、三世代で放棄するしかなかった。技術的には開発できるし生産もできる。なにも難しいことではない。ただ生産台数が少なすぎて、コストがあわない。

原田さんが直面している問題はいくつかあるが、事実を事実としてProposalを書き直したら、田所さんが黙っちゃいない。田所さんと似たような経験しかしてこなかった、商社あがりの営業トップもマーケティングの部長も田所さんと似たような考えでかたまっている。それを後ろ盾にブローカーのようなメンタリティの田所さんが、CNCの営業は俺の領分だと陰に陽に主張していた。経験と能力のある人的資源の手当てをつける目算もなく、正規軍の戦を始めるような戦略は実行不可能なだけでなく、選任された人たちが疲弊していくだけで終わる。
それでも正規軍の戦を想定した戦略を書かなければ、田所さんも他の部課長連中も納得しないだろうし、ましてやプロジェクトに政治生命をかけているパーソンズにしてみれば、ふざけるなという話になりかねない。

田所さんの大風呂敷を真に受けて、売る算段に心配はないと進めてきたプロジェクトが開発の段階で頓挫しかねない状況に陥っていた。うすうす漏れ伝わってきたが、本当のところは誰も知らなかった。後で知ったが、通産官僚崩れのソフトウェアエンジニアリング本部長は知らなければならない立場にはいたが、知る能力もなければ責任感もなかった。そなんところで、製品はできてくるという前提に基づいた市場投入計画を策定しなければならない時期になっていた。それを原田さんが担当していた。

開発自体も心配だが、もし原田さんが今頃になって市場の実情を暴露するようなことをProposalに盛り込んだら、原田さんの立場が危ない。日米の親会社の社内事情やそこから生まれる関係者の思惑、さらにイタリアの合弁会社の立場と思惑、日米欧の大きな会社の役員クラスの進退にまで影響しかねない開発プロジェクト、すでに二年以上経過して優に数臆の金が注ぎ込まれていた。

どうしたものかという顔をしていた原田さんだったが吹っ切れたのだろう、妙に穏やかな言い方だった。
「今日はここまでにしましょう」
「お聞きしたことをどうまとめるか、どこまで事実を事実として押すのか、事実が事実としても、ここまできてしまったプロジェクト、いまさらご破算にはできないですよ」
一呼吸おいて、
「私のほうで、ちょっと書き直ししてみます。途中で、また藤澤さんのお知恵をおかりしますから」
どういうことなのか、にやっとしながら、
「そうですね、二三日、いや来週早々にはReviseしたものを用意します。出張なんかにいかないでくださいよ」

知っていることをすべて正直に話してしまったはいいが、素人の原田さんにProposalをまとめきれるか。まさかこっちで素案をまとめましょうかとは言えない。どうしたものかと思っていたら、
「ところで今晩どうです。久しぶりにいきましょうよ」
ほっとした。なにか救われたような気がした。
一度リセットしてという気持ちからだったと思う。何でもそうだが、藪の中に入り込んでしまったときは、やみくもに動かないで、まずセットバックして藪から抜け出したほうがいい。

入社してまだ三ヶ月かそこら、かたちながらの大通りは分かってきて、迷子になることも減ってはいたが、実のある一歩入ったところ、知らなければならない路地までは分からない。どこでもそうだろうが、入っていかなければならない路地より、できれば避けたほうがいい、入ってはいけない路地の方が多い。なかには入ってはいけないとわかっていて、それでも入っていかなければならない路地もあるが、たかが三ヶ月、まだまだ早い。知らずに入り込むと、住人に水をぶっかけられることもあるし、思わぬ怪我をしかねない。
2019/1/27