今度連絡しますから4(改版1)

<あればあったで>
飲みにいく話になって、こころなしか原田さんの声が軽くなった。
「六時半ごろにしましょうか。六時半で、仕事大丈夫?」
「大丈夫って、翻訳の書き直しですから、何時でもいいですよ。寝ないでやったって終わりはないし、どこかで止めなきゃならないだけですから」
と単調な仕事に飽きるのを通り越した、諦めを誇りにしたような口調でいいかえした。雑用ばかりしているとどうしても卑屈になってしまう。それをつい口にしてしまう自分が嫌だった。

将来を嘱望されたキャリア組みでもあるまいし、面白い仕事などありゃしない。わまってくるのは単調でやってられないか、ごちゃごちゃでどこをどうしたらと訊きたくなるのばかりだった。それを金もらってんだからというのではなく、多少なりとも身のあるものに工夫していくのが仕事だろうという思いがあった。技術屋をめざして日立精機に入社して十年、先輩や後輩のというより会社としてのだらしのない仕事の後始末に走り回っているときにそう思いだした。そうとでも思わなければ、とてもじゃないがやってられない。やってられないからと手を抜けば、自分で自分を腐らせる。なにがあっても、自分で自分を腐らせることだけはしちゃいけない。

ちょっと口調が強かったのだろう。
「そうですよね、……」
と、同情の表情で原田さんが続けた。
「じゃ、玄関をでたところで六時半で」
仕事が面倒で大変なのは当たり前のことで、それを同情するのも、されるのも嫌だった。仕事はそんな軽い気持ちでできるもんじゃない。独りでなんとかしなければ、なんともならない翻訳という仕事を通じて、仕事とはそういうものだと思っていた。それでも原田さんの気持ちはうれしかった。明るい声で言った。
「はい、じゃ六時半に玄関で」

性分なんだろう、待ち合わせにはいつも早すぎる。玄関の隅で帰っていく人たちの後ろ姿をみながら原田さんを待っていた。いかにも誰かを待っているとう風で、同僚と顔を合わせるのがいやだった。なにも後ろめたいことなどありもしないのに、CNCの開発のことがあって、隠れるような気持ちになっていた。
もうすぐ六時半というときに原田さんがエレベータから出てきた。それを見て、さも一人でいるかのようにさっさとビルの玄関を出てしまった。原田さんが後ろからついてくるのがわかる。先に行ってしまって、なんでという気持ちだったろう。信号待ちの人に混じって、後ろから原田さんが言った。
「いつもの京橋の店じゃなくて、広小路はどうですか」
今までとは違った、何か新しいものを求めていたのだろう。
「広小路って、あの上野の」
原田さんが田原町に住んでいるは知っていたが、広小路で一杯など考えたこともなかった。ちょっと遅れた返事に、
「広小路は帰りが?」
と聞かれた。
「東西線だから、日本橋で乗り換えればいいだけで、でも広小路で飲むなんて考えたこともないですよ」

上野広小路で降りて、通りの向こうに松坂屋とABAB(かつての赤札堂)を目にして、ずいぶん変わったなと思いながらも懐かしかった。子供のときは祖母に連れられて湯島の駅の真上にあった伯祖母の家に、日立精機に入ってからは柏の寮から広小路のジャズ喫茶に通っていた。原田さんについて広小路に入っていって、昔と変わらない呼び込みを縫うように歩いていった。
がらっと引き戸を開けて入った居酒屋、よくいくチェーン店とは違う。なじみなのだろう、店の人たちの顔がお帰りなさいといっているように見えた。席に案内されて、でてきたお絞りを手に取る前に、メニューを見ながらこれでいいですよねっていいながら、原田さんがさっさと注文した。いいですよねってはいいが、それはこっちに訊いているのではなく、独り言で自分に言っているようだった。

とりあえずのビールを飲みながら、世間話になるところなのだが、会社と仕事以外には共通の話題がない。それでも二人とも仕事のことも会社のことも話したくないと思っているから話が続かない。飲んで話して気分一新と思ったのに、これといった話題がない。個人の生活のことなのでとは思ったが、思い切ってアメリカでの生活を訊いた。
「なんで日本に帰ってきたんですか、向こうにいればいいのに。あっちの方がさっぱりしていて、仕事もしやすいでしょう?」
ちょっと曇った顔をみて、訊いてはいけないことを訊いてしまったのかとあせったが、そうでもないらしい。原田さんが、あらためてという感じで説明口調の話になった。
「アメリカって、みんなが思っているほどフェアでもなければ、実力ってところでもないですよ」
「大学出てなけりゃ、もうどうしようもないけど、アイビーリーグ出たってどうってことないんですよ」
半分うなずきながら、そりゃないでしょうって感じでと訊きなおした。
「ええっ、どうってことないって」
高専しかでていないものには、アメリカの名門私立というだけで、近寄りがたいものがあった。

みんななんでそう思っちゃうのかねという不思議半分、知る機会がないからだけなのかなという寂しさ半分のような顔をして原田さんが続けた。
「アメリカ人には追いつけないというのか、はなから競争させてもらえないから……」
「自由競争の国って、みんな思ってんでしょうけど、それは競争にでれる人たちの間での競争でしかないんですよ。そこのところが、日本にいるとみえないんでしょうね」
言葉としてはでていないが、いわんとしていることは人種差別でしかないんじゃないかと聞いていた。
「ヨーロッパ系ならまだいいんですけどね。いかにもアジア人という容貌では、それだけでかなりのハンディになっちゃうんで」
「このあたりは、体験してみないとわからないでしょうね」
初めは強い口調だったのに最後はうつむき加減になっていた。そしてぱっと顔をあげて、思い出したかのように残っていたビールを飲み干して言った。
「あれ、なに、藤澤さん、ぜんぜん飲んでないじゃないか」
「一気にいっちゃいましょう、一気に、そら」
そう云いながら、顔をカウンターに向けて「生中、二つ」

飲まなきゃこんな話はできないというふうだった。
「ブルーチップに親しかったのが何人もいるんですけど、早いのはもうVP(副社長か事業部部長に相当)ですよ」
「この間、そのうちの一人が東京に来たんで飲みにいったんですけど、私はアシスタントマネージャで……」
酒も入ってだろうが、いつもより声は大きいし明るい。でもその場の空気は背負いきれないほど重かった。
「そいつにも言われたんですけど、俺はいったいなにやってんだろうって。でも、もしブルーチップにいったらいったで、よほどのことでもなければ、仲間の後ろをはるか遠くから追いかけていることになったでしょうね。ちょっと後ろの可能性なんてのは隕石が頭の上に落ちてくる可能性ぐらいですかね」

ちょっと話しては一口、そして一口で、つられるままにこっちも一口、そして一口で、あっというまに空になってしまった。ウェイターのオヤジさん、どうして空になったのに気がつくのか、呼びもしないのにつつっとこっちに向かってきた。それを見た原田さんが空になったジョッキを、ちょっと恥ずかしげな聖火リレーの選手のように上げて、「生中、二つ」。周りが騒がしくて、聞こえちゃいないのに、オヤジさん、小学生のように回れ右して、カウンターの向こうのオヤジさんに、ビールを頼むときにはこうじゃなきゃって威勢のいい声で「へい、生二つ」

空のジョッキをおいて、右手の平を頭の上に持っていって原田さんが続けた。
「165cmしかないんですよ。日本でもチビで、向こうで写真撮るのは嫌だったな。一緒に並ぶともう大人と子供みたいになっちゃう。脚もそうですけど、上半身なんか、並ばされるだけでイジメですよ」
「みんなで飲んだときに、相撲の話になって、女の子にお相撲さん抱っこされちゃったことがあるんですけど、あいつら大笑いしてましたけど、冗談じゃない。なんせよっぱらってますからね。落とされるのが怖いから、首に手をまわしてしがみついて、笑ってごまかしたけど。腹たって、おっぱい握ってやろうかと思ったけど、そんなことして放り出されでもしたら、たまったもんじゃないし、人をなんだと思ってんだ馬鹿野郎って、そりゃ、腹立ちますよ。でもどうしようもないじゃないですか……」

原田さんが飲んで話しているだけで食べないから、こっちも食べにくい。二人でビール飲みの二人三脚のような感じだった。飲まなきゃ話せないのだろうが、こっちも下手糞な相槌を打ちながら、こんな話、飲まなきゃ聞いてられない。

「藤澤さん、勉強して能力で勝負すればいいじゃないかって思ってるでしょう」
そういわれても、そうとしか思えないというか、そうするしか他になりかやりようでもあるのかと言い返したいのを抑えて聞いていた。
原田さんが一呼吸おいて続けた。
「そう、その通りなんですけど、あいつらだってもともと恵まれた素質に、それを開花する環境ってんですかね、教育費をいくらでもかけられる家庭からきてんですから。いくら勉強して、努力しても、一つ上の階層に上がれば上がったで、似たような能力のやつがゴロゴロいるんですよ。そこでも頑張って、もう一つ上にといっても、同じことの繰り返しですよ」
言ったところで何がどうなる訳でもないことを言っているという気持ちもあってだろうが、軽いため息をついて、
「ノーベル賞級の人でも、ノーベル賞級の人たちとの競争ですから、アジア系は不利の上に不利がいくつも重なった競争を生き抜かなければならない。それはもう宿命みたいなもんですよ」

学歴も素質も能力もたいしてなければ、それなりの人生でいられるのに、あればあったでそれに見合った以上を求める気持ちになる。なければ困るがあっても困る。人情ってもんだろうが、どっちにしても困る。どこかで適当に折り合いをつける算段を上手にってことでしかないのだが。

ビールを飲み続けてよっぱらってきたが、それ以上にトイレがやばい。子供の頃から頻尿で、ビールなんか飲んだ日は、飲んだものが体のなかをさっと通って、そのままでてくるんじゃないかと思うほどのトイレ通いになる。「ちょっとトイレ」で疲れる話をきるのには都合がいいが、しっかり聞いていなければならないときでも、この生理現象だけはどうにもならない。
いつ「ちょっとトイレに」と言おうかと、話の切れ目を待って我慢して聞いていた。

「それで、逃げるようにしてとは言いたくないけど、そう見えるでしょうね」
どう説明したものかと思ったのだろう、ちょっと間をおいて、
「日本人は日本という土俵の上で戦ったほうが有利だろうと思ったわけですよ。どうみたって、胴は長いけど脚も短いし腕も短い。胴が長いってことはボクシングじゃ打たれるところが長いってことじゃないですか。腕が短ければ打ち合ったときに、こっちのパンチはとどかないのに、あっちのパンチはしっかりとでしょう。これはしちゃいけない戦ですよ」

二人ともかなり出来上がってきていた。原田さんが椅子から立ち上がって、右腕を伸ばして、短いの分かったでしょうという顔をして、次に顔を下に向けて、脚をみて、これも短いでしょうって、何も言わずに座りなおして続けた。
「日本には日本人の体系にあった相撲ってもんがあるじゃないですか。胴が長いってことは相手にとっちゃまわしが遠いいいし、脚が短いから重心が下にあって、安定してるってことじゃないですか」

「アメリカにいてボクシングするより日本に帰って相撲じゃないかって。でも帰ってきたら帰ってきたで、これがどうにもならない。日本人の日本語が解らないのには驚いたなんてもんじゃないですよ。文字は漢字も含めて、きれいに書いてある。でも主語もなければ目的語もない。時制もないから、不良品をこれから交換するのか、すでに交換したのかも分からない。挙句の果てが、『さて』だとか『つきましては』だとか、『なお』なんて、なんだか分からないのが、文章の頭についてるでしょう。あれいったいなんなんですかね。いくら読んでも分からない。何を言いたいのかわかる文章の方が少ない」
分かりますよ、その気持ち。その日本語の英訳で三年半も禄を食んできたんだからという気持ちがあった。それが表情にでていたのだろう、そんなに簡単に同意するよなって顔をして続けた。
「たまげましたよ。それでもちゃんと大学出てるし、なかには日本文学を専攻したのまでいる。意思の疎通が図れなければ、仕事もそうだけど、社会がなりたたない。でも、ちゃんと成り立っている。問題だらけのアメリカよりはるかにまともに機能している。その機能している社会で、仕事にならなかったら、俺という日本人はいったいなんなんだろうって、そりゃ考えますよ」

「ごめん、原田さん。ちょっとトレイに」
話の切れ目をと思って聞いていたが、このまま聞いていたら粗相をしかねない。
「すんません、ちょっとトイレに」といって、トイレのサインのあるほうに急いだ。
2019/1/27