今度連絡しますから8(改版1)

<あれ、もう入ってる>
明日の三時にはクライアントに行かなければならない。そう思うだけでも気が重い。翻訳屋になって三年、さすがにTシャツに短パンはないが、もうビジネスカジュアルというのも気が引けるラフな格好になっていた。最後にスーツにネクタイがいつだったのかも覚えていない。
事務仕事という限定つきだが、よほどのことでもないかぎり、仕事着はビジネスカジュアルにすべきだと思っている。ちょっとした汚れやしわなど気にすることもないから、動きやすいし仕事もしやすい。物の搬出入でも、机の下にもぐってなんてのでも困らない。クライアントを訪問するときだけ、必要ならスーツにネクタイをで十分。そうすれば、少なくとも朝家を出るときに、今日の予定はと多少は考えるようになる。今日の仕事はと考えることもなく事務所について、昨日と同じ今日を繰り返すよりは自己管理の習慣が身についてくる。

あまりスーツとネクタイの生活から遠ざかっていたため、無難にスーツとネクタイに合うワイシャツがなかった。どれも色物、柄物ばかりで、おしゃれと言えないこともないが、堅い仕事の人には見えない。見てくれなんてかまいやしないと言ってしまいたいが、見てくれしか見えない人も多い。ましてクライアントへの訪問は一翻訳者としてでなく、翻訳会社の代表とまでとはいかないまでも、それなりの身なりと姿勢でなければまずい。確かあったはずといくら探しても、お堅い白いワイシャツが一枚も見つからなかった。もうこれしかないと引っ張り出したのは、濃いベージュだった。アイロンかけて、靴もスーツのときだけ履く黒を用意して、間違えて履いていってしまわないようにと、いつもの茶の靴をしまってしまった。

スーツにネクタイで出社したら、さっそく翻訳室のコーディネータに冷やかされた。
ニヤニヤしながら、
「あれ、藤澤さん、どうしたの、今晩デート?」
まったく知ってるくせに言ってくる。会う人会う人、一言言わなきゃ気がすまないのかといいたくなるほどいつもと違った。
「おはようございます」とも言わずに、
「あれ、何?、今日なんかあるの?」
あぁ、と気がついたような顔をして、
「そっか、今日、どっか面接いくんだ。頑張ってね」
人の出入りの多い翻訳屋、いつのまにやら来なくなる人も結構いる。スーツにネクタイをみれば、面接かと思っても不思議はない。

それはエリックやセアーも同じで、セアーは昼飯の間中、
「どこに行くんだ」と訊いてきた。
「だからいってるだろう、あのアメリカの、CNCを開発しようってところに、ちょっと挨拶にいくだけだって」
何度言っても信じない。それを横で見ていたエリックがセアーのしつこさにあきれて、セアーから見えないように後ろにのけぞるようにして、セアーの頭を指差して、
「しょうがない、こいつはおかしいから」とでも言っているのだろう、口だけパクパクしていた。
顔をしかめていたが、薄ら笑いが混じっていて、エリックはエリックでそれを楽しんでいた。

混み合う時間をさけて一時過ぎに昼飯にでるから、事務所に戻らずにそのまま京橋に行けば、ちょっと早いがちょうどいい。京橋で降りて、反対方向だが丸善に行った。毎月のように丸善にいっては技術系の、とくに電気制御関係の英語の本を見ていた。機械系はどうにかなっても電気や制御は傍で見ていただけの素人。仕事で増えていくのは電気電子と制御系。基礎知識を急がなければならなかった。
技術翻訳の能力をと思うのなら、巷のノウハウ本や日本の大学の先生が書いた本なんか放っておいて、アメリカの大学の教科書を読んだ方が手っ取り早い。日本語で勉強しても英語でどうにかはならないが、英語で理解できれば、日本語はどうにでもなる。技術知識と英語を一度に習得できる。
直近には必要のない内容の本でも、何か気になるものがあれば買った。朝夕の通勤電車のなかで、家で机に向かって、使えそうな言い回しは、日本語だったらこう言うだろうという言い回しをつけて、辞書を作っていた。一度二度読めば覚えてしまうような記憶力はない。使っているうちに覚えてしまうものにしても、辞書にしておけば、必要になったときに探し出せる。

丸善から秋田銀行のビルまで歩いても十分かそこらしかかからない。朝は曇っていたのに、昼からは日差しもでて、ブラブラ歩きも悪くはない。電話で聞いたように秋田銀行の看板はすぐに見つかった。
入り口の小さなビルで、ちょっと古いが八階はきれいにリフォームされていていた。今ではどこにでもあるようになったが、垢抜けていて当時はいかにも外資のという受付だった。受付からマーケティングの担当者に電話をいれた。
事務所がきれいになったせいでもないと思うが、去年とは何かが違う。当たりが柔らかい。分かったか、プロの翻訳者の実力がなどありえないが、何がと言えないが何かが違う。

大きな会議室に通されて、いくらもたたないうちに荒川部長が入ってきた。山田部長とは好対照で大柄で声も大きい。すべてがざっくばらんな感じだった。痩せて小柄な山田部長は小官吏然とした雰囲気で、取り付く島もなかったが、荒川部長は、何から何まで大きいのに、人柄なのか分からないが、なんでも相談できそうな感じで威圧感がない。
「忙しいところ、ご足労願って、ところで飲み物は何にしますか」
「なんでも、手間のかからないもので結構です」
と答えたが、落ち着かない。今までにも何回かクライアントに行ったことがあるが、なんだか分からないが何か違う。

どこから話を始めようかと考えているような感じで、訊かれた。
「今日はこの後、何か予定は?」
なんでよ。早々に切り上げて家に帰ってと思っていたのに、正直に、
「何も入ってないです。今日はこれで家に帰って……」
担当者がコーヒーを二つ持ってきてくれた。二つしかないということは同席しないということで、ほっとした。あの話し方は好きになれないというより、聞き流そうにもどうしても神経に障る。
担当者が部屋をでるのを待って、荒川部長が、
「来たついでだから、会社案内と主要製品のビデオを見て、それからショールームを……」
よしてよ、そんなもの翻訳の仕事を請けるときに見せてもらえればいいだけで、今見たって仕事になったときには忘れちゃってる。まあ、それでも見れるものなら見ておいた方がいいけど。でも、その「ついで」ってのじゃない、本題はなんなのって思いながら、
「ありがとうございます」
とは言った。言ったはいいが、いったい何のために呼ばれたのかが気になった。それが顔にでていたのだろう。荒川部長が、
「時間はありそうだし、あわてることもないし」
といいながら、コーヒーを一口すすって、
「お越しいただいたのは、ほかでもない。いつから来てもらえますか?」
「パーソンズ社長も同席するはずだったんだけど、急遽アメリカに戻らなければならなくなって。パーソンズからの指示で、できるだけ早く藤澤さんに来ていただけと……、言い残して出て行きました」

そう言って、何をぺらぺらもっていたのかと思っていたA4の紙を見せられた。それは机の配置をそのまま表したマーケティング部の組織図で、机を模した長方形がいくつも並んでいた。窓を背にして荒川部長、荒川部長の先に課長のとおぼしき机があって、そこから机が二列に並んでいた。課長の左前の机に「(藤澤)」と書いてあった。「どうですか」と打診はしたが、入るも入らないも何も決まっていないのに入ることを前提とした組織図だった。
「来てもらえますか?」と唐突に言われても組織図を見るまでは、何を言われているのかピンとこなかった。

「こんな人間いりませんか」と訊いて、「いらない」って言われたのは鮮明に覚えている。覚えているのは楽しいことの方が多いという幸せな人もいるらしいが、どういうわけか嫌なことばかり覚えている。前任者にしても、「いらない」って言ったじゃないか。言われたときの嫌な気持ちを思い出して、なにか一言でも言い返してやりたかったが、うれしさが先に立って、

「どうもありがとうございます。でも、こんな人間、雇って頂けるんですか?」
と言ってしまった。
後になって思えば、もうちょっと胸をはってにできなかった自分がなんとも情けなかった。
「いつごろだったら、来れますかね?」
仕事もバタバタだったけど、こういうこともバタバタなのか、この会社はと思いながら手帳を取り出した。
さっと今抱えている仕事にどのくらいかかるか考えて、手帳のカレンダーをみながら、多少の余裕をみて、
「そうですね、今抱えている仕事が、どうしても四月いっぱいはかかるから……。ゴールデンウィークの直前に来て、すぐ休みというのもなんでしょうし、休み明けの六日でどうでしょう?」
四月いっぱいといってはみたが、終わりきらないで五月にずれ込む可能性が高かった。またゴールデンウィークなしになるが、それ以降に延ばすのもためらった。もしゴールデンウィーク明けが六日でなく七日でも八日でもあれば、一日二日でしかないにしても余裕がでる、と思って訊いた。
「御社のお休みはカレンダー通りですか?」
「ちょっと待ってくれ。オレも先月入ったばかりで、よく知らないんだ」
内線で担当者に電話で訊いて、
「うん、カレンダー通りだっていうから、六日でいいんじゃないかな」
「ちょっと具体的な話になるけど、今年収はどのくらい……」
正直に答えた。
「月四十万円程度です」
「じゃあ、年収五百万でいいでしょうか」
明らかにお釣りがきた安い買い物だというのが見えた。正直に言って損したかと思ったが、源泉徴収を見れば分かることだし、勉強させてもらえればいい。金なんてものは後からついてくる。

「じゃあ、とりあえず、会社案内と主要製品案内のビデオを観てもらいましょうか」
と言って、担当者に電話した。
「なんとかかんとかのビデオを持ってきて」
よっぽど暇なのか、用意して待っていたのか、すぐビデオテープを三本もってきた。
キャビネットを開けてテレビとビデオデッキのスイッチと思っても、荒川部長、操作が分からない。担当者がセットして会社案内のビデオが始まった。始まってすぐに、よくできたというより、金をかけて日本で創ったものだと分かる代物だった。金のある、あるいは金をかけるのが常識になっているアメリカの会社のプロモーションビデオそのものだった。
担当者が操作方法を説明してくれた。何も特別なことじゃない。それを見て荒川部長が、
「ちょっと総務にいってくるんで、ビデオを観ていてください」
と言って出て行った。

三本ともよくできたビデオだった。主要製品があまりに多岐にわたるのに驚いた。知っていたのはPLCとCNCに押しボタンスイッチなどの制御雑品とでもいうものだけだった。
三本見終わっても、荒川部長が帰ってこない。いろいろ忙しいんだろうし、催促するのも気が引ける。どうしたものかと窓の外を見ていたら、
「悪い悪い」
といいながら、書類をもって入ってきた。

「入社してもらうには、この書類に目を通してサインしてもらわなきゃならないんだけど、まあ持ち帰ってもらって、後で郵送してもらえればいいから。それから公的な病院にいって、健康診断を受けて診断書をだしてくれるかな」
加速的に荒川さんの言葉が地の言葉になっていった。それがどう聞いても下町の話し方に聞こえた。もう下町の話し方をするのは祖父母の年代の年寄りだけになってしまった。標準語とでもいうのか、誰もこれといった特徴のない話し方になってしまってはいるが、それでも節々に下町の言葉が残った話しになる人がいる。
余計なことかもしれないしと、ためらいもあったが、思い切って訊いた。
「わたしは町屋の生まれなんですけど、荒川さんはどちらですか?」
これが破顔というのかと思う顔になって、
「なんだ、そうか。どうりで、と思ったんだよ。おれは北千住で隅田川の向こうだ」
「ああ、そうなんだ、荒川さんはやっぱり荒川のこっちですね」
と言って、二人で笑った。
「そういうことだ。川を挟んで、こっちとあっちだ。じゃあ、ショールームにいってみるか、OK」
とたんにスーツとネクタイの話から、カジュアルとも違う普段着の話になった。普段着の話の最後には、必ずといっていいほどOKがついていた。言ったことに対する了承の確認なのだが、それはもう口癖になっていた。体で拾った英語混じりの日本語の最後にOK。戦後のバタバタから高度成長が生んだ、その時代の日本のビジネスマンの標本のような人だった。

大きな事務所に見えたがコの字型をしていて、一見するほどの広さはない。そのコの字型の真ん中にショールームがあった。ショールームとはいうものの、雑然としていてラボルームにしか見えない。
恥ずかしそうに、
「今引越しのあとで、整理がついてないからなー」
大丈夫ですよ。雑然としているのには慣れてるし、ショールームが日常のサポートのためのラボルームになっちゃうのも経験してますからといいそうになった。現に、二三人の技術屋らしき人たちが、何か言い合いながら、テストようなことをしていた。

「えーっと、これがPLCで……、これがCNC。これはなんだっけ、おい、これなんだか知ってる」
居合わせた技術屋らしき人に聞いていた。一見してRFIDのモジュールであることが分かる。小学生が使う筆箱ぐらいの大きさがある。何に使うRFIDなのか知らないが、大きすぎる。あれこれ説明らしきことは聞いたが、ろくに製品のことも、製品の背景にある技術的なことも、製品が使われるであろう用途や市場のことも何も知らないようにみえた。
荒川さん、おおらかで鷹揚に振舞うだけの典型的な商社マンにしか見えない。人はいいんだろうけど、この人でマーケティングがどうなるのか、この人の下で働くということがどういうことになるのか想像もできなかった。

アメリカの制御装置屋の社名はニューヨークに駐在していたときに聞いていたし、製品も客の工場でもなんども目にした。正直こんなところで勤まるのか怖かった。その怖さが荒川さんの話を聞いて、雲散霧消していった。この程度で部長が務まるのなら、オレでもなんとでもなる。ならないはずがないと思い出した。だめだったとしても、二三年もいれば、拾うものは拾えるし、勉強できればいい。
2019/2/10