今度連絡しますから23(改版1)

<まるでブローカーのような>
田所さんが、紙をはさんだノートを片手にニヤニヤしながら歩いてきた。柄は大きいし、顔はいかつい。そのいかつい顔をカバーしようと、度の入っていない、安物のいかにもという伊達めがねまでかけている。のっしのっしと歩く風体はやくざのようで、とても外資のセールスマンには見えない。そばに立っていられるだけでも、裏路地の社会に迷い込んだような気がしてくる。

この人が絡むとろくなことがない。とくにニヤニヤ人懐っこそうにしてくるときは危ない。技術が深く絡んだ製品とサービスを提供している会社なのに、技術的なことには興味がない。あるのは目先の注文だけで、製品が納入された暁には必要になるであろう作業をどうするかとなどとは考えない。そんなことは技術部隊に振ってしまえばいいという商社マンのメンタリティそのままだった。
英語なんかできっこないじゃないかとうそぶいて平気な顔をしていた。それでも国立大学の工学部を卒業していると、本人から聞いたときには耳を疑った。日立精機にもこれが一ツ橋出、あれが横浜国立というのがいたが、エネルギーレベルが低くてたいした害はなかった。ところが田所さんは、エネルギーだけは人一倍ある歩くトラブルメーカだった。

四十半ばになるまで、あらっぽい仕事で知られた機械商社の営業マンとして走りまわってきた。普通の人が聞いたらひんしゅくもの、そりゃないだろうということを自慢話としていた。たとえていうなら、トヨタの車に乗っている中小企業のオヤジさんに日産の車を薦めて押し込む。こっちに日産の車に乗っている人がいればトヨタの車を押し込む。飲み食いどころかあやしいところで裸のつきあいなんても日常茶飯事。売り上げさえ上げれば何の文句があるという、株屋には評価の高い専門商社に巣をくっている典型的な営業マンだった。アメリカ人の駐在員が田所さんの営業スタイルをUsed car salesman(車の中古屋)と呼んでいた。最初聞いたときは何?と思ったが、何度か後始末に手をやいてからは、それすらほめ言葉に聞こえた。

製品をろくに知らないだけでなく、技術的なことを説明しても、きちんと聞こうとしないから、誰も親身になって相手をしようとしない。触らぬ神に祟りなしという感じで誰もが距離をあけていた。どこにも相談のしようもなく、案件が宙に浮いてしまって、手に負えなくなるといってきた。そのときの決まり文句が、「わしゃぁ、英語ようわからんでのー……」だった。

歩き方からしてこっちに来ているのに気がついて、よしてださいよ。今取り込み中なんだよね、と思っても他人の都合など気にする普通の神経は、おっかさんのおなかのなかに忘れてきてしまったのだろう。いつものように、
「藤澤さんよー、どうもわしゃ英語苦手でのうー……」
だからどうした、苦手なら苦手なりに勉強すればいいじゃないか。三月もやればそれなりの効果もあろうってもんだ、と言ってしまいたいが、飲みとマージャンを通して部長連中には上手に取り入って、政治的な立場は、わかってるよな、オレのほうが上なんだぞ、と口にはださない圧力がある。

「なに、どうしたんですか」
「忙しいとこ申し訳ないが、明後日大船まで一緒に来てもらえんじゃろうかのう」
大船というだけで、その先は聞かなくてもわかる。一月ほど前に大船にある大手光学機器メーカから古いCNCの修理部品の話が営業部隊に転がり込んできた。それを耳にして、CNCは難しくて営業部隊にゃ分からないから営業企画のオレの仕事だと言って、案件を横取りしてきた。横取りしてきたはいいが、客の状況がつかめないまま、事業部に何を確認しなければならないかも考えることなく、適当に見積もりを出した。本人に言わせれば、それは参考見積もりで、詳細は技術も連れて話を聞いてからということらしい。
詳細をつめなければならなのに、客がどういう状況で何を求めているのかはっきりしないから、アプリケーションエンジニアリングの福田部長は相手にしない。技術的な相談はいくらでも受けるが、何がどうしてどうしたいというのがはっきりしなければ、相談の受けようがないじゃないかと押し返した。

押し返されて、客からは一日も早く修理をとせっつかれて、どこにも話のもっていきようもなくなっていた。ごたごたは聞きたくなくても聞こえてくる。遠からずこっちに来るなって思ってはいたが、やっぱり来たかという感じだった。横目でどうしますって荒川部長の顔をみたら、そこは荒川さん、こんなことでいちいちオレにお伺いをたてるな、適当にやれといっている。
マーケティングは、営業やアプリケーションエンジニアリングが案件や障害を処理できる体制をつくる仕事はしても、個々の処理には(本来)関与しない。ところがごちゃごちゃしだすと、誰も彼もが逃げてしまって、後始末に走り回ることになる。それをしなければ、営業は問題になった製品を売ろうとしなくなる。事業部の出先のマーケティングとしては放っておくわけにもいかない。

このくそ忙しいときになんだよと思いながら、しょうがない二人で大会議室にいって経緯を聞いていった。
「えぇっ、もう見積もりでてるんですか」
そこまで行ってれば、後は注文もらって、見積もりに書いた予定納期をきちんと守るだけじゃないか、と誰もが思う。
「後は物流に納期をしっかり管理してくれで終わりじゃないですか」
「わしゃ、ようわからんが、物流が不良品と交換じゃなきゃだめって言ってきたんじゃ」
「ああ、そういうこと。Advanced shipmentも言ってきたんじゃないですか」
「そうそう、それも言ってきた。そのアドバンスなんとかってのなんじゃろうか」

正直、腰を抜かすほど驚いた。営業マンのなかには知らないのが間違いなくいるだろうが、仮にも課長、それも四も五年も経って、あまりに基本的なことを知らなすぎる。客先で障害が発生したとき、障害を起こした製品をアメリカに送って修理して戻したのでは時間がかかりすぎる。かといって壊れたなら新品を買えとも言いにくい。修理を待って生産ラインを一ヶ月も二ヶ月も止めておける工場はめったにない。一日でも早く生産を復旧したい。
そのためには、障害品をアメリカに発送すると同時か、それ以前に客から修理の注文を頂戴できる確約さえ得られれば、事業部から即代替品を発送するよう営業拠点から指示する。これをアドバンスシップメントと呼んでいた。アドバンスシップメントで提供する代替品は、新品ではない。なにかの障害で事業部に戻ってきたものを修理して、サービス品として使いまわしていた。サービス品の保障期間は半年と、新品の場合の半分になるが、客のコストは修理代だけですむ。
もし、客が修理した製品と代替品を交換したいというのであれば、修理が終わり次第客に送って、サービスを送り返してもらうが、交換するもの手間だし、ちゃんと動いているものに手をだしたくない。ということでほとんどの客はサービス品のままで、修理品は返却不要と言ってくる。もし客が使いまわしのサービス品ではなく、新品をということであれば、よろこんで新品を保守部品として販売させて頂く。

今回の場合はアドバンスシップメントだけでなく、ちょっとした特殊事情があった。もう十年以上前の製品で新品の保守部品を提供するのが難しくなっていた。そこで、事業部としては新品の保守部品の販売を極力さけ、障害品と引き換えにサービス品の提供を勧めていた。障害品を引き取って、修理してサービス品として使い回さなければ、サービス品すら提供できなくなる。
ジョンソンも馬鹿でもなし、なんどもこのサービス体系の説明をしたと思うのだが、聞くほうに分からなけりゃという気持ちがないから、英語の障壁もあって、いつまでたっても営業マンに理解してもらえないでいた。

「見積もりはいいけど、出す前に事業部に確認したの」
プライスリストをみて、見積もりを作っただけで、事業部どころか誰とも相談してっこないと思いながらも訊いた。
「確認って、価格は分かってるし、納期は三週間もとっときゃ間違いなじゃろ」
「だからアドバンスシップメントの手配と、修理品の扱いもあるし、新品たって、もうろくに残ってないでしょう。なんせ十年以上前の、もしかしたら十五年も経ってますよ」
「そりゃ、注文だせば、あっちから言ってくることじゃろが」
「物流に言ってきてるじゃないですか。アドバンスシップメントをどうするかって、不良品と交換にしてくれって」

見積もりを見て驚いた。障害は一台でしかなのに二台も見積ってる。
「客先から新品二台って言ってきたの」
まさか、また客を脅迫したのかと思いながら訊いた。
「そりゃ、一台に決まっとんがな。なんせアメリカから取り寄せなきゃならんから、早くて三週間、下手すると一月半かかることもあるって。もう年数も経ってるしで、保守部品も買っといたほうがいいじゃろって。一台こっきりで、忘れたころにまた一台なんて待ってられんじゃろう。ここは二台売って、売り上げあげにゃ、それが営業ってもんや」

まったく何を考えてんだか。そんなことしたら、だから海外品はだめだって話になる。一流メーカとしての大紋を背負ってるという意識がない。ぼったくりの商社じゃないんだからといっても聞きゃしない。
「古い製品で、事業部は保守品を提供するのが大変になってるんだと思いますよ。二台、新品と言われて、はいそうですかって出せないんですよ。それに壊れたのは一台だけでしょう。ここはアドバンスシップメントと修理代で終わりにするしかないですよ」
「なんや、せっかくのビジネスチャンスなのにやめろってのか。営業としちゃノルマがあるんだ。それをどうするってんだ」
いくらすごまれても、怒鳴られてもかまいやしない。オレがいってるんじゃない。事業部が言ってることでどうにもならない。
「なんでもいいですけど、このままだったら、事業部は新品も送ってこないし、サービス品も送ってこないですよ。大船に行くのはいいですけど、なんて説明するんですか。オレが説明するとなると、今言ったようにアドバンスシップメントと不良品と交換でサービス品の提供しかないですよ。それしか事業部が受けられないんだから」
若いのに言いくめられて立場がなくなって怒ってる。怒ったところで何をどうできることでもない。それが会社のやり方で、もっとも合理的なやり方なのに、自分の目先の営業成績のために、何をどうしようってのか、文句があるなら言ってみろといいたくなった。

「アプリの福田さんに相談してもジョンソンに相談しても、オレが言ったことと違う解決方法があるとは思えないですよ。大船に行くのは明後日なんだから、ジョンソンにでも相談してみたらどうですか」
新品二台の注文が修理一台の注文にしぼんでしまったのが面白くない。まだブツブツいっていたが、福田さんには断られているし、ジョンソンとやりあう能力などあるわけがない。田所さんの文句や愚痴など聞いてもしょうがない。
「やれることは、もうこれしかないですよ。物流にいってアドバンスシップメントと修理品発送のRepair Return Authorizationを発行してくれって言ってきてくださいよ。オレがいってもいいけど変でしょう」
「障害品のシリアル番号は聞いてますよね」
まさか、製品を特定するシリアル番号もなしで話を進めてきたなんてことはないだろうかと思いながら、その可能性が心配になった。
「オレもそこまでぬかっちゃいない。シリアル番号はちゃんと物流に言ってある」
「じゃあ、簡単じゃないですか、物流にいって、アドバンスシップメントと修理にするっていえば、後はただの事務処理ですよ。サービス品の在庫がないってこともないでしょうから、明日には事業部に注文が入って、明後日には発送、一週間もあれば届くでしょう」

大船まで行くこともない。これで終わりじゃないか。巻き込まれずにすんでほっとした。一つ大事なことを思い出して、まさかと心配になって訊いた。
「田所さん、まさかドライブのパラメータの設定とか、機械との調整なんか請け負っちゃいないですよね」
「心配すんな。このあいだお前さんが大阪の営業に電話で説明してたのを聞いてたから、……」
営業成績のいい営業マンにかぎって外面(そとづら)がいい。注文がほしいのはわかるが、客に何かいわれると、言われたことが何なのかもろくに考えずに安請けしてくるのがいる。制御屋が提供できるのは、初期設定された制御装置までで、それを機械の仕様に応じて調整、設定するのは機械屋の分掌で制御屋は手をだせない。下手に手をだせば、機械を壊す可能性すらある。サービス品の調達にしても、本来は顧客が直接かあるいは機械の輸入商社を通して機械メーカに問い合わせるべきもので、制御機器メーカの最寄の支店からというのは物の手配を簡便にという便法でしかない。

横紙破りにもほどがあると言いたいが、何が縦で何が横なのかわかろうとしないから、自分の都合で縦でも横でもなんでも破ってしまう。それが当たり前の会社に新卒として入って、それが社会のありよう、営業のあるべき姿と頭に刷り込まれてしまったのだろう。アメリカの制御機器メーカの仕事の仕方を説明しても、納得するどころか、しぶしぶしょうがないから、今回は特別なケースでぐらいにしか思っちゃいない。環境と個人のミスマッチなのだが、環境を変えられなければ、個人の方を環境に合わせるしかない。それができなければ、その環境では生きていけない。

するっと自然体で仕事をすればなんということもないのに、昔取った杵柄を持ち出しては思いもしないトラブルを起こす。違う社会で違うやり方、言葉の上ではわかっていても、無意識のうちに杵柄が顔を出す。それがなければ自分がないということなのだろうが、気がついてみれば杵柄で自分の頭を打っていたなんてことになりかねない。抜いちゃいけない刀と同じで、杵柄は納屋の奥にしまっておいたほうがいい。
2019/4/7