今度連絡しますから24(改版1)

<セールストレーニング>
コーヒのお代わりと思ってキッチンにいったら荒川さんがいた。注いだばかりのコーヒーを一口すすって、まるで世間話のような口ぶりで、
「おい、トム、来週特別予定はいってないだろう。火曜からセールストレーニングだ。問題ないよな」
体裁は疑問文で依頼だが、問題なんかあるわけがないという言い方だった。いつものことで、切羽詰ってしか言ってこない。人をなんだと思ってるんだと言いたくなるが、言ったところで四十半ばの人の性格が変わるわけでもない。特別予定のないのは荒川さんで、こっちになんだかんだで忙しい。ときには外せない用事だってある。なんどか日程の調整ですったもんだしたこともあるのに、本人は何んとも思っちゃいない。またかよと思いながら、まあ来週の出張は名古屋支店にちょっとした用事だけだから、どうにでもなる。

予定という予定もなく、いつでもなんでもと思われてるような気がしてしゃくにさわる。多少はひっかかりがあるような口ぶりで言い返した
「えぇッ、来週ですか、水曜日に名古屋支店に行ってこようかと思ってたんですけど、キャンセルするしかないですね」
「悪いな。そうしてくれ。今度はフォトセンサーだっていってきて……」
最後まで言わずに、オウム返しのように「なんだ名古屋か」と独り言のようにいうなり、これだという顔をして、
「名古屋にって、何しに行くんだ」
「何しにって、こんど刈谷でセミナーやるでしょう。その下打ち合わせですよ」
「相手は近藤か」
「近藤さんもいますけど、吉岡さんメインでやります」
支店長の近藤さん、人はいいし技術も詳しいけど、どういうわけか何かを決めるということができない。立てた計画を渡す相手としてはいいが、計画を立てる段階で相手にしたくない。
「そうか、あと一人、飯田か大宮、誰か暇なやついるだろう」
飯田はどちらかというとインサイドセールスだったから、何かと便利に助けてもらっていた。
まさか、火曜は東京で水曜は名古屋なんて考えてんじゃないだろうなと思いながら、
「そりゃ、集めれば三、四人に半日ぐらいは頼めると思いますけど……」
「ちょうどいい、水曜は二人連れて名古屋に行ってこい」
「行ってこれないか」じゃなくて、もう「行ってこい」になってる。事業部からは遅くとも二、三週間前には言ってきてるはずだし、なんでいつもこうなるのとあきれる。いい人なんだけど、上の人にはいざしらず、下の人には計画という考えがない。

行ってこいはいいけど、いやちっともよかないけど、なんでまたフォトセンサーなんかをという気持ちもあって訊いた。
「フォトセンサーなんて聞いたことないですけど、そんな事業部ありましたっけ」
「いや、三ヶ月かそこら前に買収したって話だ」
「なんでまた、そんなところが。マージングで忙しくて、日本なんかに来てる暇あるんですかね」
「まあ、そう言うな。日本に来たいってことなんだろう」
荒川さんも、そんな事業部、日本でビジネスになるとは思っていない。来たいというから、しょうがない、来ればというだけなのはわかってはいても、断れないんかという口ぶりになってしまった。
「でも、そんなものもって来たって、販売体制なんか無理ですよ。もう十年もやってるPLCにしたって、販売チャンネルを作り直してるところで、とでもじゃないけど、そんなの、どうすんですか」
「お前に言われなくたって、そのくらいのことはわかってる。でもな、事業部に相手してもらえるうちが華ってことだ。分かってんだろう、お前だって」

そういえば、先週大きな荷物がいくつか届いて、会議室の隅においてあった。まさかと思ったが、デモキットとランチボックスに違いない。前もって開梱しておくこともない、こっちから来てくれって呼んだわけでもなし、来週来るやつらにまかせればいい。アメリカは土地が広いからだろうが、コンパクトとかコンサイスというのか、上手に小さくまとめるという文化がない。なんでも野放図にでかい。大きいことはいいことだというチョコレートの宣伝があったが、片手じゃ持ちきれないバインダーに誰も読みっこない英語の資料。置いておくだけも場所をとる。邪魔でしょうがない。それでも使いっこないからと思い切って捨てる度胸はない。

「名古屋はなんとかなるかもしれないですけど、大阪はどうするんですか」
「なんだお前、大阪まで行きたいんか」
売れっこないって言ってるのに、そこまでやるってのかお前という口ぶりに、ちょっとあわてて、
「東京だけだって面倒なのに、名古屋まででしょう。召集かけたって、どうせ暇なやつらの時間つぶしにしかならなし、どっちもやりたくないですよ」
「そうだろう、お前。来たいって言ってきたから来ればって話で、何かとんでもない製品でもあれば話は別だが、何があるわけでもなし、付き合ってもらえるだけありがたく思えっては、言えないけどな……」
そこまでわかってんなら、オレじゃなくて誰かいないのかって。それよりなんで、日本に来たいってだけのセミナーなんか請けちゃったのと思いながら、
「誰かいなんすかね。オレもこのところ手一杯ですよ」
「誰かって、お前以外にこんなことさばけるのいるか。浮世の義理だ。下手に断って、日本支社はやる気がないなんて話になっても困るしな」

思い返せば、入社して次の週にファスニングシステムのセールストレーニングの通訳をやらされて、そのあとで大阪までいって大恥をかいて、日産にまでいったのが始まりだった。日本支社の社長が交代して事務所も便利なところに移転して、これから本格的に日本市場をどうのという雰囲気なのだろう。盛り上がっているのはいいが、二、三ヶ月に二回か三回のペースでセールストレーニング。受け方の準備のしようもないトレーニングで、しましたってだけで終わる、何を考えてんだかという代物だった。
マーケティングが日本側の受け入れ担当というのは分かるが、売れっこない、あるいはどうやって売るのか、いくら考えても、これといった案も思い浮かばない製品のトレーニング、そんなもの仕事の邪魔にしかならない。

先月はバーコードリーダーのセミナー。ちょっと静かだと思っていたら、来週はフォトセンサー。このところセンサーが多い。たぶん会社としてセンサー市場への拡大を図っているのだろうと思っていたら、画像処理なんてものまで入ってきた。
製品点数を数え上げれば五十万点を超える、制御機器というのか装置やソフトウェアのデパートのような会社が専業メーカを買収して事業を拡大していた。そのせいで、ある日突然聞いたこともない製品群がでてきた。

八十年代中ごろ、ちょうど画像処理が生産ラインに導入されていった黎明期だった。急成長したのは人間の眼ではみきれない微細な検査や照合が欠かせない半導体関係だったが、持っていた画像処理はキズなどの検査に使うもので半導体には縁がない。そもそもが、フランスのベンチャーが開発した、まだまだラボで弄り回している段階のものの売込みを受けて、会社を買ってしまったというもので、とてもじゃないが支社で販売など考えようもなかった。

そんな製品のセミナー、断ってしまえばいいのに、請けたところで自分では何をするわけでもない気安さもあってだろうが、荒川さんが請けてしまった。
「トム、今度は画像処理を紹介したいって言ってきたけど、どうするかな」
「どうするかなって、もう来るのは決まってんでしょう」
「そうなんだが、セミナーに誰を呼ぶかだ。まさかお前一人でってわけにもいかないだろうし。東京はアプリに暇なやつがいるからなんとでもなるが、大阪と名古屋から誰を呼ぶか、誰がいいかな」
まったく何を言ってんだか、誰を呼んだところで、英語で画像処理の話なんかされたって、ついてこれるヤツなんかいやしない。 またボロボロになりながら通訳ってことなんだろうけど、何を聞いても聞かなくても何もないんだから、人形を置いておくのと何も変わらない。
「営業に来いって言うとうるさいから、暇なアプリを二人だせって言えばいいじゃないですか。オレも入れて五六人いればいいでしょう。まだ売れる製品じゃなさそうだし」

ファスニングシステムと同じで、なんの準備のしようもなかった。週末に日本橋の丸善と神保町の三省堂にいって参考書を探したが、使えそうなものというより画像処理(Machine vision)に関する本そのものもがなかった。コンピュータの新しいアプリケーション分野ということなのだろうが、製造業における標準的な仕様というのかコンセプトすら固まっていなかった。
ラボで弄り回している段階の製品を持ってフランス人と中国人にアメリカ人が来た。三人いても営業にという実務の話しなんか何もない。話は二つで、自分たちが開発してきたアルゴリズムの講釈と日本の画像処理業界の動向を知りたいというだけだった。アルゴリズムの話なんか聞いたところで、高等数学の知識があるわけでもなし、わかるわけがない。誰も考えたこともない世界の話で、何を聞いてもぽかんとしているだけだった。
はじめて聞く用語の連続で、通訳するというより出てくる用語用語が何を意味しているのか訊いている時間の方が長い。そんなやり取りをぼんやり聞いているものやってられないが、やっと通訳しても誰もウンでもなければスンでもない。こんなことして給料もらってんだから、いいじゃないかと言う人もいるだろうが、こんなことがしょっちゅうとなると、晒し者にされているとしか思えなくなる。

セールスセミナーといえば、セミナー用の資料が用意されているもだが、自分たちが使っている資料を端折ってだから、わかる人にしかわからない。画像処理などという言葉さえはじめて聞く人たちに英語の、それもフランス語から直訳した内部資料、説明する方も大変だったろうが、誰もまともに聞いちゃいない。聞いちゃいないというと語弊がある。理解したいと思ってはいても、何がなんだかわからなければ、大して時間もかからないうちに、何を聞いても雑音になってしまう。七人では寝るわけにもいかない。

こんなセミナーの実質的な責任者にされてしまうと、勉強して勉強してという生活になる。いくらやっても追いつけない、次から次へと新しい、知らなければならないことが出てくる。あえぎながら、へとへとになりながら、それでも走りつづけていくと、知らなかった新しいものがでてきても、それなりに対処する、うれしくもない術が身についてしまう。対処といえば聞こえがいいが、要は意識して恥知らずにということでしかない。あやふやな理解で通訳すればボロの出っぱなしになる。ボロを気にして、恥をそのまま恥と思って黙っていられる立場じゃない。恥は恥でしょうがない、ボロがでるのを覚悟でその場その場を切り抜けていく。そのうちに段々とわかってくるような、わかったような気になる。そこからが勉強だった。

恥をかきながら、なんとか格好をつけているだけなのに、事業部から来たマネージャやテクニシャンには日本に行ったら、行くんだったらマーケティングにフジサワというのがいるから、こいつに相談すればいいという、よろこんでいいのか、そこまでになるともう勘弁してくれという、日立精機でニューヨークに駐在していたときと似たような状態になっていった。

セールスセミナーとはいっても半分は観光旅行の気持ちがある。夕飯を食いにでれば、なにか特別な理由でもないかぎり、延長戦で飲みにいくことになる。あっという間にアメリカ人を連れて六本木を徘徊するようになってしまった。これがまた、フジサワに聞けばという話に尾ひれをつけて伝わっていく。
マネージャの中には、家にまで電話してきて、今度若い技術屋を送るから、しっかりテイクケアをしてくれ――要は朝まで六本木でつれまわせと言ってくのまででてくる。日本に出張してよかったという噂が広まれば、誰もが行きたい、今度はオレの番だという話になる。それが日本にいってとんでもない目にあってきたという話が広まれば、誰も行きたがらない。こいつを送らなければと思っても、断られかねない。そのためには日本の出張は、たとえ仕事はきつくても、フジサワがいるからアフターアワーはという話になっていく。

そんなことをしていれば、マーケティングの同僚からだけでなく、営業やアプリケーションエンジニアからも、何かあったときには、ちょっと事業部に訊いてもらえないかという、翻訳通訳もどきの雑用が流れ込んでくるようになる。ごちゃごちゃしたらというよりしそうになったら、早めに藤澤に相談したほうがいいという話になってしまった。日立精機でも海外からのクレーム処理の便利屋になってしまって、それがイヤで転職したが、今度はアメリカの会社の日本支社と事業部を結ぶ便利屋になってしまった。情報の交差点に立つといえば聞こえはいいが、しっかり勉強しなければと自分を強制する気持ちを持ち続けないと、目の前のゴタゴタを処理するだけの便利屋で終わってしまう。

<セールスセミナーが多い理由>
なんでこんなにセールスセミナーが多いんだとあきれていたが、クリーブランドの事業部でマーケティングから聞いた話の意味がやっとわかった。会社には本社機能などオーバーヘッドもあるが、基本的には個々の事業体の集まりだった。事業体は大雑把に二つに分けられる。一つは製品を開発して製造する製品事業部で、もう一つはその製造された製品を(社内で)買って、客に売る営業事業部。
製品事業部はコストセンターで開発製造コストにプラスアルファの利益で製品を販売事業部に売る。プラスアルファの利益は次の製品の開発に必要な経費を捻出するためのものだった。販売事業部がプロフィットセンターで製品事業部から買った製品を売って、会社としての利益を計上する。

製品点数にして五十万点、フォトセンサーや押しボタンスイッチを担当している製品事業部もあれば、PLCやCNC、モーションコントロールや監視制御のソフトウェアなどいくつも事業体に分かれている。販売事業部は、これは売れる、売りやすい、利益を稼げると思う製品を集中的に販売する。価格や性能だけでなく、市場の特殊性も含めて売りにくい製品や製品事業部の支援が得にくい製品は後回しになる。ときにはまったく扱ってもらえないということもある。

この体制では製品事業部間で営業部隊にどれだけの時間を割いてもらえるかという営業部隊の取り合いが起きる。営業としては製品事業部の支援があって売りやすいものを売ればいいだけで、ろくな製品しかもっていない事業部など相手にもしないし、営業支援がしっかりしない製品は扱わない。

セールスセミナーは日本支社の要請でもなければ、ましてや駐在員の調整によるものでも荒川さんの手配によるものでもなかった。日本支社が成長を続けている日本市場で自動車会社の関係会社との合弁会社になったとたん、製品事業部にはなんとかしなければならない市場に見えるようになった。そんな動きがいくつかの製品事業部で起きると、よその事業部に取り込まれる前に、われ先にと日本支社にセールスセミナーで押しかけてきた。
即戦力として雇うアメリカの常識では、工学部をでてきた新卒が、使い物になるようになるまでに少なくとも四、五年かかるなどとは想像できない。そんな日本の実情を知らずにきてみれば、若い従業員が走り回った活気のある支社に見える。そこに朝から晩までテイクケアするフジサワがいた。
2019/4/7