今度連絡しますから25(改版1)

<よろず引き受け屋>
技術知識がそこそこ広いということと通訳の器用さから、セールスセミナーの担当のような立場になってしまった。セミナーで営業やアプリケーションエンジニアとの間に入って通訳をすれば、初めだけにしても、日本でもっとも製品に詳しい社員ということなる。セミナーが終われば、荒川さんは「ご苦労さん」といってくるが、それで終わりにはならない。

事業部から来たのを連れて、顧客や代理店やエンジニアリングパートナーに製品を紹介に行かなければならない。営業マンも一緒にしばしば広島や福岡まで、朝から晩までの付き合いになる。これがアメリカの営業マンだったら、製品事業部のマネージャを連れての訪問ということで、いつも以上に力が入って、マネージャの取り合いになる。ところが日本は逆で、製品もよくわからないのに英語での話、誰も行きたくない。行きたくないのはこっちも同じだが、事業部のマネージャに背中をおされて、ぐずる営業マンを説得しなければならない。なんともイヤな役回りで、恥をかきにいくような訪問を、みかけだけにしても積極的に進めなければならない。

いいかげん英語の障壁という日本の特殊事情に気がついているとは思うが、マネージャはそんなことで引き下がってはいられない。マネージャの立場もわかる。帰国して、日本にまでいって支店でセミナーをやってきました、でも客先には行きませんでしたでは通らない。マネージャの上司は、たとえ日本になんども来たことのある人でも、実務には関係のない上っ面の付き合いしか知らない。おしなべていえば、単純な人たちで、「日本人はいつもニコニコ、話を真剣に聞いてくれる親切でいい人たちだ」程度の理解しかない。

顧客も代理店も、よほどの製品でもなければ、そんな訪問など受けたくない。製品を紹介といったところで日本には詳細を知っている技術屋どころか営業マンすらいない。そんなもの、実ビジネスの話になるはずがない。営業マンとの長い付き合いから義理で時間を割いてくれているのがわかる。訪問するたびにアポをとってくれた営業マンへの借りも増えていく。事業部のマネージャも馬鹿でもなし、形ながらの訪問に過ぎないこと事ぐらいは想像がつくと思うが、報告書にはそうは書けない、というより反対の視点から書かざるをえない。
誰も、とくに上司という人種には、いい話しか聞きたくないというのが多い。部下からできない理由など、たとえそれが事実に基づいたものであっても、聞いてもしょうがないと思っている。コップに水が半分しか入っていないというのか、これから半分入れるビジネスチャンスがあるというのか、こうすればできるという提案のようなことを報告書に書かなければならない。そうはいっても、たかが数日の滞在で、そこまでのことをまともに書ける人はいない。報告書など見せられたこともなければ、見せろといったこともないが、それはマルコポーロの『東方見聞録』にでてくるジパングのようになっていると思って間違いない。

どこに行っても、何をどう話したにしても、貴重なお時間をさいて頂いてありがとうございますということで終わりなのだが、日本支社のマーケティングマネージャがアメリカ人のマネージャと英語で丁々発止で話をしていたという印象だけは残る。紹介された製品のことなど覚えてなくても、この丁々発止の印象がいざというときに生き(?)てくる。営業マンに言っても、アプリケーションエンジニアに言っても拉致があかないと、客から直接電話でクレームが入ってくる。

製品事業部から来たアメリカ人が明日は帰国ともなれば、日本土産を買いに気のきいた店を連れて回るようなこともせざるをえない。そんなことを半年もくりかせば、イヤでもアメリカのあちこちの事業部にフジサワという便利なヤツがいると話しが伝わっていく。何かあれば、公には訊けないことでも、フジサワに訊いてみろということになって、名前も聞いたことのない人から、時差があるからしょうがないにしても、夜中に家にまで電話がかかってくるようになった。便利に使えるということでは、営業やアプリケーションエンジニアも同じで、事業部に問い合わせしなければならなくなったとたん、英語でのやり取りは不安だし面倒ということで、雑多な話が転がり込んできた。

本来なら、大阪支店なら大阪支店内で、名古屋なら名古屋の中で、東京でも営業なら営業部内で、アプリケーションエンジニアリングにしても自分たちで処理しなければならないはずなのに、誰も込み入ったことに係わりあいたくない。手間をくいそうと思ったとたん、放り投げてきた。
どれもこれも事情というのかゴタゴタに至るまでの、なんでそんなことにという経緯がある。話を聞いたところからフィルムを巻き戻すかのように時間をさかのぼって、どこでどのようなことからごちゃごちゃになったのかを聞かなければならない。状況を知るというのは、その状況に至る経緯を知るということに他ならない。

営業マンの話を聞けば、自分はちゃんと仕事をしているのに、事業部が、あるいは顧客がだらしなから、こんなことになっているということで、誰も自分のミスを口にしようとはしない。状況を確認するために話を聞いていくと、いつの間にか職務尋問のようになってしまう。誰のミスだと、起きてしまったことをとやかく言ってもしょうがない。起きた事は起きたことで、起きたことからスタートするしかない。その状況、しばしばなんでこんなにdeep in shit(水面下)なのか、せめてゼロからのスタートにしてくれっていいたかった。

東南アジアの巨大なエアポートの手荷物仕分けシステムにPLCがざっと百台、バーコードリーダが八百台という案件が舞い込んできた。東京と関西のエンジニアリング会社が応札して関西のエンジニアリング会社がプロジェクト全体の三分の一だけ受注した。技術的に何があるわけでもない。ただ規模が大きいというだけのプロジェクト、コストを無理しての受注したのだろう。受注してからコストダウンに走り回っているのが聞こえてきた。こっちとしてはPLCとバーコードリーダ(どちらも物)を提供するだけで、仕分けシステムを構築するのはエンジニアリング会社の仕事でしかない。

ある朝、大阪のアプリケーションエンジニアからどうしようという声の電話がかかってきた。
「藤澤さん、あの仕分けシステムの件なんですけど、K重工がバーコードリーダからのデータの処理をアメリカの会社に丸なげして、収まりがつかなくなっちゃってんですけど、どうしましょうか」
どうしましょうかって、アメリカの外注に丸投げしたのはK重工で、K重工が責任をもって管理することで、うちが何をできるわけでもないじゃないかと思いながら、
「まる投げって、アメリカの外注先、知ってんの?あいつらが自分で勝手に選んだ外注先で、オレたちなにもからんでないよな」
「おととい電話で聞くまで知らなかったですよ。それにしてもいつものことで、プロジェクトを管理しなきゃって考える余裕もなくなっちゃたんでしょうね。コストコストで、プロジェクトを適当にはしょってあっちこっちに丸投げしてですよ。それを受けるほうも大変でしょうね。仕事をする前からコスト削減で、まともだったこと一度もないですから」
いつものことで愚痴っぽい。ぐちゃぐちゃしだすと、アプリケーションエンジニアに押し付けて、営業マンが逃げてしまう。一人残されたアプリケーションエンジニア、中には精神科に通いだして、いなくなってしまうのもいる。愚痴っぽいうちはまだいい。精神科まで、まだ距離がある。

「それで、なんだって言ってきてんの」
「デトロイトにある外注先にアプリケーションエンジニアを派遣してくれって」
いつものことで驚きゃしない。東京ではさすがに減ってきたが、関西にいくとサービスはタダという昔ながら「常識?」を振りかざしてくるのがいる。
「なんだまたかよ。人をだせったって、ただって訳にゃいかないことぐらい、いい加減にわからないのかな。なんでも押し付ければへいへいって言うことを聞くとでも思ってんかって……」
「それで、どうする。ここは支店長の采配しだいだろうけど。大阪支店でいくらかもらって、そっちのアプリケーションエンジニアをデトロイトに派遣するかってのが始まりになるんじゃないの」
ケチで有名なK重工にまけず劣らずの吝嗇で通っている大阪の支店長が、そんな話に乗るはずがない。支店長お気に入りのアプリケーションエンジニアリングのマネージャも逃げてしまったのだろう。担当営業もしっかり逃げて、よきに計らえで涼しい顔をしているのが眼に浮かぶ。また一人残されて、どうしようおって。そうでなければ、こんな電話をかけてこない。

「湯川さん(K重工担当の営業マン)はどうしてるの」
どうしたものかと考えながら、訊いてもしょうがないことを訊いてしまった。
「そんなこと訊かないでくださいよ。いつものことで、オレ一人、誰もいないですよ」
「うーん、どうしようか」
どうしようかといってどうなるものでもない。ちょっと考えて、もう行くしかないと思って、
「明日でも明後日でもいいけど、できるだけ早く一緒にK重工にいって話しつけてこようか。そっちの都合はどうなの」
「そうしてくれますか、いまから電話してアポとりますから」
「今晩にも事業部に電話してデトロイトの外注先のことをざっと話しておこうと思うんだけど、外注先の社名、教えてくんないかな」

その晩、セールスセミナーにきたマネージャに電話して概要を伝えた。バーコードの案件の多くは五台十台がせいぜいで、一つのプロジェクトで百台を超える案件など前例がなかった。八百台を超える注文、マネージャはオレが日本支社にセールスセミナーにいった成果だと自慢していた。生産ライン用に開発したバーコードリーダの性能や機能に価格が、偶然エアポートの手荷物仕分けのアプリケーションに合っていた。そしてエアポートのプロジェクトに予算がついたとき、偶然そこに居合わせたというだけで転がり込んできた売り上げだった。
運のいいことにセールスセミナーで来たときに、マネージャとテクニシャンをK重工にも連れていっていた。一度訪問したことがある、会ったことがあるというだけで対応が違ってくる。情報化の時代とはいいながらも、最後は面と向かって話をしたことがあるかになる。

K重工にいって、どうするかを相談しなければならないが、落としどころはこんなところしかないと思っていた。デトロイト支社にはアプリケーションエンジニアリング部隊がいるが、これを使うとなると、社内でも経費が発生する。その経費を誰がもつかが問題になる。K重工がしぶしぶにしても払うという話にはなりっこないし、大阪支社がもありえない。日本のマーケティングにはそんな予算の余裕はない。これで解決できるかどうかはわからないが、まずコストのかからない方法として、事業部が事業部の予算でデトロイト支店に駐在させているエリアマネージャ(製品事業部のマーケティングの出先の人間)が、外注先にいってPLCとバーコードリーダのインターフェースの説明会というのかトレーニングをする。そんなもの、いくらやっても一日もかからない。これでおそらく問題は解決するだろうが、もしひきつづくエンジニアリングサポートが必要だったら、デトロイト支社の営業マンと外注先でエンジニアリングサポートをどうするか話し合いさせればいい。アメリカではモノとしての契約とエンジニアリングサービスの契約がきれいに二つに分けられている。日本はこの二つがどんぶり勘定で一緒になっていて、サービスはタダという、「見た目のタダ」の悪習から抜けきれないでいる。

翌週、嫌がる営業マンとアプリケーションエンジニアと一緒にK重工にいって、大まかな説明をしてこの線でいくことで了承してもらった。K重工の担当者も、無理を言っているのをわかっていて、もうしわけないという顔をしていた。いつもことで課長は、そんなこと当たり前だという姿勢をくずさない、というより虚勢を張らざるをえないのだろう。コストダウンという会社の立場が人を貧しくしてしまって、良識なんかどこかにいってしまっていた。新快速のなかで偶然会ったK重工の社員の奥さんから冗談とも皮肉ともつかない話がなかせる。「K重工の“K”はケチの“K”って知ってます?」
自分たちのアレンジのまずさから起きてしまったゴタゴタを制御機器屋のネットワークで解決しましょうという提案、蹴れるわけがない。

ある日、どういうわけか人事に電話が入って海外からですといわれて回されてきた。海外?なんだ、どこの事業部からだと思いながら電話をとったら、きれいなアメリカ英語でコンサルタント会社だという。また人材紹介会社かと思って用件を聞いて驚いた。
Mr. Fujisawaかと確認されて、
「日本のモータとACドライブの市場について、ちょっと教えてもらえないか」
口調がどうも困っているようで、断るのをためらった。
日本のこととなると、日本語の壁のせいで、日本語がちょっとわかる程度では仕事にならない。英語の壁も高いが、日本語の壁からみれば、そんなもの、ネコならひょいと乗りこえてしまう程度のものでしかない。日本で発行されている英字新聞を読んで、日本の情報を得ているつもりになっているアメリカやヨーロッパからの駐在員をみると、そんな幼稚園児のようなことをしていると馬鹿になっちゃうから、早く帰任したほうがいいぞと注意したくなることがある。

製造業ということでは日本はほぼ自給自足できている。自給自足はできていて、物としては輸出しているが、その自給自足しているシステムを海外市場にというのはとるにたりない、ほんの一部でしかない。日本でのビジネスのありようや製造方法や作業については、そのほんの一部の先にくっついたノミの糞のようなものの上っ面が英語に翻訳されて、断片的な情報として流通している。トヨタウェイなんてものの翻訳本を読んで、何がわかるか想像してみればいい。いってみれば、針の穴のようなところから広い日本をみて、わかっているような気になっているだけでしかない。

ゴタゴタのない穏やかな、めったにない穏やかな日が続いていたこともあって、気持ちの上で余裕があった。つい言ってしまった 「オレがわかっている範囲でいいなら、何でも教えてやる」
それを聞いて、ほっとしたのだろう、さっきまでの沈んだ声が明るい声にかわって、どこで調べたのか、次から次へとメーカの名前を言ってきた。そして、そのメーカの主力製品と特徴や強みと弱みを訊いてきた。
大方どこかの調査会社が発行した業界レポートを英語に訳したのだろう。中には変な名前になっていて、社名を訂正しながら、訊かれることを答えていった。ででてくでてくる、そんなどうでもいいマイナーなところは放っておけといいながら、三十分ほどたって、
「一つ、訊いてもいいかな。何をしようとしてるんだ。まさか日本のモータとドライブメーカの一覧ハンドブックでも作ろうとしているわけじゃないよな。もしそうだったら、できあがったところでオレの会社のアメリカの事業部に売りにいけば、一冊は売れるぞ。担当者に電話でもさせるから、そっちの社名とコンタクトを教えてくれ」
はじめにきいた社名なんか、聞いたというだけで覚えちゃいない。
ちょっと戸惑ったようすで言葉がきれた。一呼吸おいて、小さな声で
「実は、ACから依頼を受けて調査している」
耳を疑った。誰だ、こんな調査を依頼したのは。こんなコンサル会社に調査を頼んだのは、と噴出しそうになった。

こんなマンガのような話は聞いたことがない。アメリカの本社か事業部の誰かが、日本の市場の調査をアメリカのコンサル会社に依頼した。依頼を受けた会社が、調査を依頼したアメリカの会社の日本支社のマーケティングマネージャの名前をどこかできいて、電話で日本市場のことを聞いてきた。ふざけんなと思いながらも、もうほとんど話してしまっているし、
「ここまで教えてやったんだから、言えよ。ACのどこから依頼を受けたんだ。心配するな、誰にもいいやしない。あとで追加で訊かなきゃなんないことあったら、いつでも電話してきていいから、誰だか教えろや」
さすがに口ごもって言わない。言えないのはわかる。
「そうだよな、まさかクライアントの名前は出せないよな。でも場所くらいはいいだろう。もしかしてメコンか」
汎用モータの制御はミルウォーキーの本社から車で二十分ほど北にいったメコンという町にあった。なにがなんでもメコンはない。メコンだったら、仕事を通してずいぶん情報を流しているから、いまさらこんな初歩的な調査を依頼しっこない。
口ごもっていることをみるとやっぱりメコンじゃない。
「なんだ、クリーブランドのジビックか」
言葉にはでてこなかったが、電話先でYesという響きがあった。
あいつなら、このくらいのことをやりかねない。冗談半分におれはACのCIAだといってはばからない、市場調査ということでは一目置かなければならない優秀な人だった。ジビックからでてくる市場調査報告書は素人というか経営陣には必要にして十分な内容のものだった。どういうわけかこの調査担当が本社のミルウォーキーではなくPLCとCNCの事業部のあるクリーブランドにいた。

人さまが放り投げたトラブルをなんとかしようと、担当者でもないのが、古い言い方をすれば、一肌もふた肌もぬいでいるというのか、背負い込まざるを得ないでいるだけなのに、実務からは距離があるか、興味のない人たちには、いつもトラブルをかかえて日本とアメリカと言い合っている「トラブルメーカ」の馬鹿に見える。トラブルを放り投げて逃げてしまった人たちは、定型の日常業務に戻って涼しい顔をしている。見ようによっては、いつもアンダーコントロールで仕事のできる人たちに見える。あきれたことに、それを評価するのまでいる。

そりゃないだろうと言いたくなる損な役どころで、オレの知ったことかと放り投げてしまいたい誘惑にかられる。馬鹿馬鹿しくてやってられない。自分でも馬鹿だと思う。思いはすれども血なのか、本当にただの馬鹿なのか、逃げるのが下手なだけなのかわからないが、いつもトラブルと二人三脚で走り回っては、けつまずいて、ぶつかって転んで、満身創痍で匍匐前進。「ふざけるな、やってられるか馬鹿野郎」って言いたくもなる。
2019/4/14