今度連絡しますから27(改版1)

<うどんのような仕事>
退職してもう五年近くになるが、構造不況のなかでなんとかやっている会社のことも活動家仲間の消息も気になっていた。イヤなことばかりでいい思いではないが、それでも日立精機は自分の技術屋としての原点だった。毎日雑多な業務に忙殺されていて、昔のことを振り返っている余裕はないが、かつての同僚と久しぶりに飲みにいった。ちょっとした考えというのか視点の違いで朝まで言い合った仲間の一人で、入社では三期上、年は一つ上の先輩、いつものことで酒が入ればどこまでも話が続いて終わらない。

工業高校出の勤続十八年のフライス加工の職工さんだった。組合活動の左を抜けた活動でうるさいからと、営業所に追い出されてから丸八年。毎週顧客に行っては、マシニングセンターのプログラムの作成や加工の要領を指導していた。工場でも散々機械加工をしてきこともあって、加工ノウハウという点では三十半ばでもうベテランだった。経験の浅い若手でもできるような仕事は回ってこない。加工物が人工骨だったり、合金なんだかわからないものも多いし、航空部品のように複雑な形状のうえに、普通の刃物では歯が立たないという面倒な仕事ばかりをこなしていた。

毎日が似たようなことの繰り返しの工場とは違って、毎週違う顧客で試験加工。そこでは工場にいては、想像もつかないことが起きる。客先での笑い話や失敗談やらを聞いて笑っていたら、話がほっと止まった。思い立ったように、
「ところで、お前、アメリカの会社にいって、なにやってんだ」
なんと説明したものか、ちょっと考えたが、そんなもの考えてもしょうがない。言ってもわからないだろうなと思いながら、そのまま言った。
「マーケティングやってる」
案の定、なんだそれという顔をしている。
「簡単に言っちゃえば、日本市場開拓の戦略を立てて、実行するのが仕事かな」
ますますわからないという顔をして、
「営業じゃないのか」
営業と似たようなところがないわけでもないし、多少なりとも理解の範囲にひっかけないことには、想像もできないだろうと思って、「ちょっと」をつけて、
「まあ似てないこともないけど、ちょっと違うな。営業にどの業界のどんな用途のところに新規客を探しに行けという戦略だ」
「そんなもん、営業が毎日の仕事のなかでやることで、外からとやかくいったところで、誰も聞きゃしないだろうが……」
「確かにそれもある。普通の日本の会社ではそうだろうな。でもアメリカの会社で製品点数が五十万点もあると、誰もすべてを知ってるわけでもないし、アメリカ人の変な理解で、日本に合わないものをもってきて、バタバタされても困るだろう」

業界が違いすぎて、ピンとこない。サハラ砂漠に住んでいる人たちにアマゾンの熱帯雨林の話をするようなもので、いくら話したところでわかってもらえやしない。何かないかと考えていて、CNCを例にすればと思いついた。
「たとえばだ、アメリカのCNC持ってきて日本の工作機械メーカに売れるか」
「そんなもん売れっこねぇ。ファナックとメルダス(三菱電機のCNCのシリーズ名)に安川がいる」
「そうだろう。じゃあ、どの製品をもってくれば、日本の同業と戦えるかって話になるだろう。もってくるったって、英語のカタログと販売資料にマニュアルで、誰が買ってくれる」
多少はわかったような顔になって、ほっとした。わかってもらったところで、どうということでもないが、それでも親しい知り合いにはわかって欲しい。
「最低限にしても日本語の資料を用意して、展示会でもセミナーでも、代理店を口説き落としてでも、営業部隊が売りにいける体制を整えるのが仕事だ。わかるか」
言葉ではわかっても、実体験のある展示会やセミナーまでで、それ以上はぼんやりとイメージできるまでだったろう。

同級生にも似たようなことを聞かれて説明したことがあるが、技術がいいものを作れば、あとは使いっ走りの営業マンが走り回ってという日本的な仕事をしている会社に十五年もいたからだろう、どう説明しても、わかってもらえなかった。最後には面倒になって、「なんだお前、営業でも技術でもない、要は裏方の使いっぱしりじゃねぇか」とまとめられてしまったことがある。
それほど、日本にはマーケティングという仕事が成り立つ環境がなかった。言葉としてはずいぶん聞くようになったが、広告宣伝かその延長線と思っている人がほとんどで、今もさほど変わったとは思えない。

組織のなかでの仕事のありようと、自分が自分として生きてゆくために仕事をどう捉えるべきかについて考えるとき、現象として現れる仕事のありようがあまりに両極端なため、マーケティングという仕事ほど理解の助けになる仕事はない。先に事業部で聞いたアメリカの制御装置メーカのマーケティングのありようを紹介したが、仕事と自分の関係に入るまえに、マーケティングとはなにかについて、ざっと要約しておこうと思う。

産業社会の発展にともなって、いい物があれば売れるという社会から、売れるから作れるという社会に変わっていく。売る営業の重要性が高まるにつれて、製造の生産性より営業の生産性が問題になる。バタバタ走りまわる営業から、どうすれば効率よく売れるかという販売戦略の視点が生まれる。そこから技術開発からパートナーシップまで網羅した製品開発と販売政策を立案、遂行するマーケティングという専門職が登場する。
成熟した産業社会で、市場とどう対峙(分析)して、そのなかで自社のポジションをどうとるべきかというマーケティングとしての理論体系がある。そこから何をなすべきか(戦略)を決断し、組織化して決断したことを実行する。実行したことから改めて市場のなかでの自社のポジションを確認する。そこからまた、自社のポジションをどうという繰り返しになる。

マーケティングはちょっと大げさに言えば、会社のため、組織のためといいながらも、自分たちの日々のありようを自分たちで決める。どうやって会社に組織に貢献するかを考える自由が認められて、それを受け入れる文化があって、はじめてマーケティングという職業がありうる。これを抜きにしては、マーケティングは存在しえない。マーケティングには、自分で勝手(ちょっと言い過ぎだが)に市場をこう見て、こうすれば、こう組織に貢献できると言い出して、勝手に仕事を作って背負い込んでという、世話焼き押しかけ女房のようなところがある。

変な比喩になるが、マーケティングの仕事は「うどん打ち」に似ている。こだわってこだわって、もうこれ以上こだわりようがない「匠のうどん」もあるし、手を抜いて抜きまくってこれ以上は抜きようがないというほどまで手を抜いた「それでもうどん」という「うどん」もある。この二通りの「うどん」、どちらも「うどん」であることに変わりはない。ここで「うどん」を「マーケティング」と置き換えてみれば、マーケティングという仕事が本質的に抱えている性格が見えてくる。

「匠のうどん」と「それでもうどん」のどっちが良いか。大勢は前者に近い方を善しとするだろうが、ビジネスの世界では、後者に近い方がいいこともある。それはリソースと目的次第でどちらがいいと一概には言い切れない。予算が多ければ手をかけた仕事ができて、予算が少ないから手を抜いた仕事しかできないというわけでもない。どの世界にもあることだろうが、マーケティングの仕事には、この両極端――「匠のうどん」と「それでもうどん」の距離がありすぎる。何をするでもなく、ただ仕事を流しているようなことをしても「それなりのうどん」はできてくる。
たとえ予算も含めたリソースが決定的に不足していても、マーケティングの誇りとして、凝りに凝った「匠のうどん」を目指すのを諦めない人でなければ、本来のマーケティングは務まらない。

どんな仕事にも、その目的がある。正しくは、目的を達成するために仕事があると言うべきだろうが。マーケティングは、経営トップの参謀(本来マーケティングは社長や事業部のトップに直接報告する立場にある)として、その目的を規定するところから関与する。当然、何故、その目的を規定したかにまで、しばしばリソースの限界が故にそこに目的を設定せざるを得なかったかまで熟知している。熟知しているからこそ、その目的を達成するために何をどのように組み合わせて、どう行動してゆくべきかの実務レベルの決定が可能になる。

この立場にいると、職責上では一従業員に過ぎないマーケティング担当者ですら、組織内の業務規定や分掌規定に、従業員規則に従った仕事の仕方から離れて、経営陣と似たような意識をもつようになる。そこに生きがいを感じて目的達成のために、昔ながらの言い方で言えば、寝食を忘れてという仕事の仕方になってしまう。
マーケティングの失策は全社に大きな影響をおよぼす。失敗したときの怖さを緊張感という快感にかえて、次から次へと仕事を作って背負い込んで、自分で自分を忙しくして、こだわりの「うどん」を求め続ける。あれをやって、これをやって、次にはあれとこれとと、体がいくつあっても足りない忙しさのなかにいないと落ち着かなくなる。マーケティングの仕事は、背負い込み中毒を引き起こす。

マーケティングに関する本やセミナーの案内などを見る限りでは、日本では一部のみが語られて、マーケティングがあたかも広告宣伝になってしまっていることが多い。ただの業務関係の実務部隊がそのままマーケティング部隊だったりする。マーケティングは営業のお手伝い部隊でもなければ、広告宣伝の雑務係でもない。広告宣伝や展示会からカタログなどの販売資料の作成、プレスリリースなどの実務は、マーケティングの一部であるマーケティング・コミュニケーションズが担当するもので、マーケティング部隊の中枢の仕事ではない。

ヨーロッパの大手の会社で遭遇したのは、「静的」とでもいうのか、市場調査会社や投資証券会社などから入手した市場動向の資料やデータ、例えば、半導体産業の来年の成長率はxxxと予想される、を社内向けに整理して報告するだけの、あたかも証券アナリストのようなマーケティングだった。それは、まるで市役所(失礼)あたりのお役所仕事で、気楽といえば気楽なお仕事でということになるが、見方を変えれば、硬直化した社会が、次の社会構造に押し進めなければならない人たちに能力を発揮する機会を与えていないことに他ならない。
米国の企業でマーケティングとして、もし似たようなことをしたら、「だからどうした」と叱責される。「具体的な戦略から戦術はどうした?即、アクション・プランを出せ」といわれる。ヨーロッパの「静的」なマーケティングに対してアメリカのマーケティングは「動的」で自立的に動いている。そこには、自由な社会が生み出す文化もあるが、それ以上にマーケティングの一人ひとりが背負い込む中毒がある。それがなければマーケティングとして機能しない。

マーケティングの一担当者でしかないものが、支社のありようまで考えて仕事をしだすと、責任範囲を狭くしてお茶を濁しているようなことができなくなる。ただ、いくら戦略を説いても、目の前の即の受注にしか興味のない営業マンには相手にしてもらえない。現行製品のサービスで四苦八苦していて、新しい製品には関係したくないアプリケーションエンジニアは後ろに引いたままでてこない。本来であれば営業部隊を後ろから押し上げる仕事なのだが、おいしそうなニンジンでも目の前にぶらさげないことには、誰も動かない。ニンジンを探しに、マーケティングが営業部隊の前にでて、市場開拓に走りまわらざるを得ない。市場開拓といえば聞こえがいいが、多くは飛び込み営業で、訪問先には軽くあしらわれ、営業マンからは馬鹿にされる。

手付かずになったままの市場を開拓する武器になる、これはと思う製品をもって、これかもしれない、あれかもしれないと紹介訪問し続ける。何軒も回って、行き当たったところで商談が進んで、もうすぐ発注となった時点で営業マンを呼ぶ。それまでは、知らん顔していた営業マンが手もみしながらでてくる。すべて日本のマーケティングの手作りの案件、アメリカのエンドユーザの指定案件よりはるかにすっきりしている。営業マンにしてみれば、こんなにおいしい話はない。こんなことが何回かおきると、それまでは面倒だからと係わり合いをさけていた営業マンが、「なんでオレには案件回してくれないんだ」と文句を言ってくる。誰もイージーマネーを追いかける。人情でしかないが、人間関係とはその程度のものなのかと人間不信に陥る。人さまざまで、見るべきは市場で、人ではないと割りきるしかないと自分に言い聞かせる。

客先でトラブルが起きて、誰も彼もが逃げ出してしまうと、担当外だからと放って置けなくなる。いい評判はなかなか広がらないが、悪い評判はあっという間に広がる。あっちでもこっちでも味噌をつければ、市場開拓どころの話ではなくなる。いくら新規客をつくったところで、既存客を失えば、焼き畑農業をしているようなことになる。PLCの客にはモータやドライブを、サーボ製品を使ってくれている客にはセンサー類をと、販売製品を増やそうにも、トラブル一つ解決できないようなところに新規の話など回ってこない。

会議室に閉じこもってセミナーの資料を作成していたら、バインダーの手配を頼んでいた女性社員が両手にバインダーをかかえて入ってきた。
「藤澤さんが言ってたバインダー、これですよね」
「そうそう、この内ポケットがついているのが欲しかったんだ。事業部からきてるのは大きすぎて、みんなに持って帰ってくれって、どうも言いにくくて……」
壁につけて並べてある机を指差して、
「そこに置いておいて。それにしてもよくあったね。どこに売ってた」
「よっぽど変わったものでもなければ、伊藤屋にいけばありますよ。店に置いてなくてもカタログみて、取り寄せてくれるし……」
「そうか、伊藤屋ならなんでもそろいそうだな。伊藤屋でなければ、新宿の世界堂かな」
「新宿は遠いからやですよ。伊藤屋までで我慢して……」
「でも、なにかあったら、言ってもらえれば探してきますよ」

事務所のある宝町から日本橋の伊藤屋までは、十分も歩けば着く。天気のいい日なら、行きは散歩がてらで、帰りは荷物が多いからとタクシーで帰ってくればいい。事務所で日課のような作業にはあきてるだろうし、何か頼めば、喜んで出かける。頼んだというわけでもないのに、さっきは二人して嬉しそうに出て行った。
「資料の準備は、何かお手伝いすることありませんか」
「うん、もうちょっとなんだけど、今日中って思ったけど、コピーは明日だな」
時間もずいぶんかかったし、たぶん、どこかによってケーキセットでも食べてきてる。オレの分はと、
「うん、そうだ、こんど頼むときは明治屋によってアイスクリームでも買ってきてもらおうかな」

若い方が一瞬先輩の顔をちらっと見たが、そんなことを言われたくらいで気にするような、やわな神経の二人じゃない。それまで、だまって先輩をたててニコニコしていた若い方が、押し返すような感じで言ってきた。
「藤澤さんって、マゾじゃないかって、みんなが言ってるのご存知ですか」
今までずっとしゃべっていたのが、
「そうそう、藤澤さんがマゾだって、みんな言ってますよ」
「なんだ、そのマゾっての、まさかあのマゾって話じゃないだろう……」
二人して笑いながら、
「だってそうじゃないですか。こんなのやってられないって、みんな楽な方に楽な方にと思ってるのに、藤澤さんたら、みんながヤダって放り投げた面倒な方へ、面倒な方へって手出していくじゃないですか」
「ちょっと待ってほしいんだけど、誰も好き好んで背負い込んでるわけじゃない。どうしようもないから、誰もしようとしないから、しょうがなくてで、オレだって……」
また、二人して笑ってる。なんで笑うのかと思いながら、何を言っても笑われるだけのような気がした。

「でも、ジョンソンさんも言ってたけど、藤澤さん、ゴタゴタがあっちの方に飛んでると、飛んでる方に走っていって手を伸ばして、ゴタゴタをうれしそうにもって帰ってくるって、……」
なに、ジョンソンのヤツ、日本語の問題でどうしようもないからって、やったのに。ふざけるな、
「まったく、ジョンソンのヤツ。あいつがやらないから、こっちでやらざるを得なかっただけで、……」
また、笑いながら、
「名古屋の大宮さんも飯田さんも言ってましたよ。藤澤さんの周りにいると、やばいのにひきずりこまれるから、注意した方がいいって」
なに、あいつら、面倒なのを振っておいて、そりゃないだろう。ふざけるなって思いながら、言ってもしょうがない。
「でもさあ、ものは考えようで、ゴタゴタをなんとかしているうちに色々わかってくるしさ、給料もらって、勉強させてもらってるって思えばいいんじゃない。もっと経験して勉強すれば、そのうち給料も上げてくれるだろうし、転職にも有利になるかもしれないじゃん」

そうでも言わなきゃと言ってはみても、自分でも馬鹿馬鹿しいと思ってる。ゴタゴタをかたずけて、かたずけて、いったい何が残るのか。あっちでも、こっちでも言いあって、イヤなヤツだと思われて、イヤな気持ちになって疲れて、何もいいことなんかありゃしない。人にゴタゴタ振って、またゴタゴタを作って、また振って涼しい顔しているヤツらが評価される。
はじめは、ノンキャリアが生きていこうとすれば、汚れ仕事で実力をつけて、実績あげてしかないじゃないか思っていたが、そんなステージはとっくにすぎていた。やってられるか馬鹿野郎って言いながら、馬鹿馬鹿しいのを楽しむ典型的な背負い込み中毒に罹っていた。こんなことをしていたら、いつかは燃え尽きて終わってしまうのはわかっていた。なんとかしなきゃと思っていたが、中毒の出口はなかなかみつからない。

でもそこには淡いものでしかないにしても、ゴタゴタを片付けようと走り回っているのを支えてくれる人たちもいる。へんなゴタゴタにかかわりあいたくないと思っているはいるが、かかわって悪戦しているのを放ってはおけない、というより片足だけでも悪戦に参加したいと気持ちを抑えきれないのかもしれない。バインダーにしても、どうしたものかと思っていたところに、二人が探してきますと言い出してくれたものだった。
後ろに下がってしまう人には付いていきようがないが、前に出ようとする人には付いていきようもあるし、応援してくれる人もでてくる。

「でも、あいつら、人に押し付けておいて、そりゃないだろう。何かのときでいいから、もうゴタゴタを振るなって言っておいて。オレ、ガキのころはいじめっ子だったし、どう考えてもマゾってのはない。わかってるとおもうけど、オレ、気がちっちゃいから、ゴタゴタは苦手なんだよ」
気が小さいのは本当だったし、誰も気がつかないけど、人並み以上に神経質だった。もう笑い飛ばしてしまおうと、笑いをさそったのはいいが、そこまで大声で笑われると、おいおい本当の話なんだとでも言わなきゃならないのか、と思っていたら、
「そんなこと言ったって、だーれも信用しないですよー」
と言って、二人して笑いながら出ていった。笑ってもらえるうちはまだいいとでも思うしかない。
2019/4/21