今度連絡しますから28(改版1)

<なんでこういうことなっちゃうの>
マニュアルの翻訳チェックが主な仕事だといわれて、いやいや始めてはみたが、半年もしないうちに翻訳会社とのやり取りなど要所要所でかかわるだけになった。まともな翻訳さえあがってくれば、アプリケーションエンジニアにチェックしてもらえばいい。

カタログや販売資料を作成しながら飛び込み営業をと思っても、どうしても顧客からのクレーム処理に手をとられる。クレームは事故に似ている。予定や計画などあろうはずもなく、突発的におきて即の対応を迫られる。定型業務のマネージメントに長けたキャリア組みの能力など邪魔にはなっても助けにならない。何も失うもののないノンキャリアだからこそ背負い込めるのだろうが、どう考えてもマーケティングの仕事とは思えない。
こんなことをしていていいのかと気になって荒川部長をみても、コーヒーすすりながら書類か新聞を見ているだけで、なんの指示もでてこない。ときたま、「トム、無理するな。一人であまり背負い込むな」といってはくれたが、状況が仕事を決めているようなもので、荒川さんの指揮下を抜けてしまっていた。

何をするかは、パーソンズからの直接の指示か、ジョンソンとの話し合いから決まっていった。会議の席で荒川さんや他の部課長もいる席で話せばいいのに、パーソンズとはいつも廊下の立ち話だった。秋口だったから、入社して一年半ほど立った頃だったと思う。ある日、いつものように廊下でパーソンズに呼び止められた。ジョンソンやブラウンなどのアメリカ人が一緒にいないときは日本語で話してきた。日本語で話されても、習慣とでもいうのか、こっちは英語で答えてしまう。アメリカ人が日本語で、日本人が英語でという変な会話だった。

いつものように達者な日本語で、
「フジワサさん、あれこれ忙しくて大変そうだけど、若いからまだまだ大丈夫ですよね」
パーソンズの「大丈夫ですよね」は、なにか新しいミッションの枕詞だった。また、何か面倒なことを言ってくるのではないかと、条件反射で身構えてしまう。
「ちょっとバタバタしてます。製品の信頼性に問題があるし、事業部の対応が悪すぎますよ」
つとめて穏やかな言葉をつかって言い返したら、
「そうです。アメリカの会社ですから。日本の会社のようにはいきません」
まったく身も蓋もない。わかってんなら何とかしろと言いたくなるが、たかが日本支社の社長にすぎないパーソンズが何をいったところでどうなるものでもない。
「大変だから私たちがいるんですよ。ムラタさんもがんばってるいし、フジサワさんもがんばってる。マークも一所懸命です」
だからどうした、早く用件を言えよと思っていたら、
「忙しいところ、一つお願いなんですけど、そろそろウォークスルーに出席してもらえないですかね」
ソフトウェアエンジニアリングとアプリケーションエンジニアリングの村田さんが何かやっているのは知っていたが、日本でもウォークスルーをやってたんだ、やってないわけはないとは思っていたが、他にやらなければならないことが多すぎて、そんなこと気にもかけなかった。

「ウォークスルーですか」
気乗りしない。できればそんなものに時間をかけたくなかった。
「そろそろアルファのユーザーズマニュアルを始めなきゃならないです。トラブルの処理も大事ですけど、マニュアルはマーケティングのメインの仕事ですから」
そうは言ってもという顔だったのだろう。パーソンズが続けて、
「加瀬本部長にも話しておきますから、お願いします」
通産官僚上がりの加瀬さんの人を見下した口調がイヤだったし、さもわかったような言い方をするソフトウェアエンジニア連中とはかかわりあいたくなかった。でもマニュアルをつくらなければならないのも確かで、知らないとは言えない。これもゴタゴタの一つと思うしかない。

ユーザーズマニュアルの主要部分は、英語ででしかないが、すでに書きあがっていた。ジョンソンとブラウンは知っているが、二人以外はパーソンズも知らなかっただろう。二年以上前になるが、外注の翻訳屋として開発要求仕様書(PDR)を英文に翻訳した。日本語で書かれた原稿は読めた代物ではなかった。CNCの知識を持った人でも、普通に読んだら何をいっているのかわからない。CNCに関する知識という以前に、日本語として文章になってなかった。直訳したら、それこそ何を言っているのかわからない英語にしかならない。しょうがないから、日本語を書かなければならないヒントとして英語でこうあるべきという仕様を書き上げた。度を過ぎた意訳だったが、度をすぎなければ書類にならなかった。それを、日本語の仕様書を読めないブラウンが、翻訳としてチェックして清書したものを事業部に提出していた。

翻訳では、翻訳者が提出した訳文をクライアントがチェックする。翻訳があまりに稚拙であれば、クライアントが翻訳者にクレームをつける。最悪の場合は翻訳料金を払わない。クライアントが翻訳を翻訳として受け入れた時点で翻訳者の仕事は終わる。まあ巷の翻訳屋の仕事、この程度とあきらめて、翻訳に手を入れて使えるものにするのはクライアントの仕事になる。日本語の開発要求仕様書と本来その英訳であるはずの英語の開発要求仕様書の間のズレは、クライアントがチェック段階でなんらかの処置をするものであって、翻訳者のでる幕ではない。

ソフトウェアエンジニアが日本語の開発要求仕様書に基づいてどんなものを開発してこようが、英語で書かれた仕様からずれていたら、工作機械メーカに使ってもらえるCNCにはならない。日本語と英語の仕様の違いをとやかく言ってもはじまらない。開発過程で何があったところで、市場が求めている機能でなければ、作り直すしかない。市場に受け入れてもらえる機能は、日本語の仕様書にではなく英語の仕様書に書かれている。英語で書かれた仕様が正しのであって、マニュアルはその仕様を使う側の視点で書き直せばいいだけだから、たいした手間はかからない。問題はまともなCNCができてくるかにあった。

日本語の原稿を書いた村田さんは現場の技術屋としては優秀な人だったが、文章となると英語どころか日本でも怪しい。パーソンズが何かのときに、「ムラタさんが書いた書類は、小学校五年生か六年生の日本語だ」と嘆いていた。ジョンソンもブラウンも、ましてや事業部は日本語がわからない。内容という点からみたら、和文原稿と翻訳がひっくり返ったようなことが起きていた。それを知っているのは一人だけだった。

翌週、村田さんか言ってきた。
「今週の金曜日で、急な話で悪いんだけど、午後空いてないかな」
「えっ、空いてるっていえば空いてますけど、また急になんですか」
「パーソンズが言ってきたんだけど、藤澤さんにもウォークスルーに出てもらえって」
なんだよ、もうその話かよと思いながら、
「でなきゃなんないんでしょうね。でも立場はテクニカルライターで、オブザーバーでいいんですよね。それ以上は知らないですよ」
この「それ以上は知らないですよ」が何を意味しているか、エンジニアリングにしか興味のない村田さんでもわかる。
ウォークスルーは、ソフトウェアエンジニアが開発要求仕様書を発行したマーケティングに対して、この場合はアプリケーションエンジニアリングの村田さんに対して、要求された機能を実現するには、このタスクではこういう処理を、あのタスクではこの処理をと、タスクごとに開発予定の機能を確認するミーティングで、テクニカルライターは後ろに座って、両者の話を聞いているだけのオブザーバーにすぎない。発言する権利もなければ、開発されてくるものに対する責任もない。

それにしても気が乗らない。あのソフトウェアエンジニアの話を聞くぐらいだったら、ゴタゴタの方がまだいい。通産官僚崩れの加瀬の威を借りて、わがまま放題の連中でかかわりあいたくない。マニュアルをつくれというのなら、ウォークスルーなんかに出なくても、いつでも作ってやると思っていた。

時間前に会議室に入って待っているのもイヤだし、あまり遅れれば後で何を言われるかわかったもんじゃない。なんでウォークスルーなんかにと思いながら出てみてたまげた。
予想はしていたが、予想しえる範囲というのか程度には常識という限界があることを思いしらされた。何を言い合っているのか、よくわからない会議はどこにでもあるが、このウォークスルーはもう犯罪に近い。ソフトウェアエンジニアリングからは二人のマネージャ、高橋さんと加藤さんがそれぞれの部下をつれてきていた。高橋さんと加藤さんはどこかでソフトウェアの仕事をした経験があったが、七人いた部下は全員去年入社した人たちだった。

高橋さんを座長としてそれぞれのタスクの機能を一つひとつ説明していったが、何を聞いても要点をつかめない。ソフトウェアの用語に不慣れというのもあるが、それ以上に何をどう処理してどうするというプロセスの説明がないため、カタカナの英単語と英単語がいくつかならんだようなもので、目的のある文章になっていない。話を聞いている村田さんも、どうみてもわかったような顔をしていない。何人か話を聞いているうちに、なぜ意味のある話にならないのかがわかってきた。

こう言っては失礼だが、三流私立大学で人文系でもなければ理系でもない。なんとか工学という隙間の学科を卒業してはいるが、エンジニアリングの勉強をしたこともなければ、ソフトウェアは入社して初めてかかわったという七人。制御対象であるCNC工作機械は見たこともない。マネージャの二人ですら、工場見学で見たまでで工作機械のなんたるやを知らない。知らないのなら勉強すればいいだけなのだが、自主的に勉強するという習慣もない。学園祭かなにかの出し物をつくるという話ではない。制御対象である工作機械をろくに知らずに制御ソフトウェアの開発、とても正気の沙汰とは思えない。

たとえてみれば、芦ノ湖あたりの遊覧船でアルバイトをしたことがある程度の知識で、戦艦か駆逐艦の制御ソフトウェアの仕様の話などできるわけがない。基礎と呼べるようなものがまったくないところに、直訳で荒れた日本語か英語の資料しかない。上司に訊いても、関係者に相談しても、訊かれた方もろくにわかっちゃないない。わかっちゃいないが仕事としての格好はつけなきゃならないってんで、聞きかじったカタカナの専門用語を並べるのだが、それも名詞までで、動詞がどうにもならない。日本語と英語のちゃんぽんで動詞が怪しいと、怪しいのに慣れた人でも、かなり想像を働かせても、何を言っているのかわからない。とたえわかったとしても、その理解がソフトウェアエンジニアが言っていることと合っているという保証はない。そもそも言っている方が何を言っているのかわからないのだから。

何を言っているのかわかりようのないウォークスルー、そんなものに二時間以上の時間をさいて、この自称エンジニアとエンジニアもどきの人たちは、毎日何をやってんだろう、と思うと同時に、ちょっとかわいそうになった。このまま何年かやったとして、何か意味のある、あるいは価値があるものが生まれてくるとは思えない。あまりに基礎がなさすぎるだけでなく、組織として基礎を習得する環境を提供できていない。

そんなウォークスルーにほぼ週一で出席していて一月ほどたったら、驚く案内がきた。社内でやると、落ち着かないから来週は東陽町駅から徒歩十分くらいのところのシティホテルの会議室でやることにしたという。落ち着かないって、何が落ち着かないのかわからない。会議中に人が出たり入ったりすることもないし、あえて言えば、たまに会議室の外を歩く人の話し声が聞こえるといった程度でしかない。

宝町から東陽町まで地下鉄で二十分、そこから歩いて十分、なんでこんなところまで来なければ、ウォークスルーができないのかと思いながら、道に迷うのもイヤだしと、若い人たちについて出かけていった。若いからだけではないと思うが、道すがら聞こえてくる世間話には仕事に関係することがでてこない。
真っ白なテーブルクロスがかかったきれいな会議室だった。そこで、いつものように聞いてもしょうがない話を聞いて一時間ほどしたら、いつもはとりもしない休憩だった。さっさと済ませて事務所に戻りたいが勝手に帰るわけにもいかない。村田さんに皮肉混じりに訊いた。
「ウォークスルーにこんな会議室まで借りて、何やってんですかね」
村田さんも同じように感じてはいたようだが、
「遠足っていうのかピクニック気分で、たまにこうしてホテルの会議室でなんで……」
村田さんらしい。自分のことでもないのに、申し訳なさそうな返事だった。

何分もしないうちに、会議室のドアが開いた。驚いたことに紅茶とアイスクリームがでてきた。それはホテルのもので、きどって食する高価なものだった。
みんなに行き渡ってところで加瀬さんが口を開いた。
「いつもいつもせまくるしい会議室では息がつまるから、たまにはこういうのもいいじゃないか。気持ちに余裕がなければいい仕事はできない。ささやかだけど、食器はウェッジウッドにしてもらった。月に一度は気分転換もしなきゃ、……」
開発が順調にいっているのなら、軌道に乗せる目処でもついたのならまだしも、今のまま進めていたら、何年かかってもまともなものができあがってくるとは思えない。こんなところでお茶を飲んでアイスクリームという気にはとてもなれない。

人様の税金を食い物にしてきた役人根性が染み付いて抜けないのだろう。民間企業で、ソフトウェア開発の陣頭指揮をとらなければならない立場になって、状況からすれば瀬戸際に立たされているのに本人にその自覚がない。
こんなことに金をかけるのなら、若手の教育にと思うのだが、価値観が違いすぎて話にならない。何ヶ月も前になるが、展示会の準備に手を貸してもらえないかと相談にいったことがある。ソフトウェアエンジニアリングは何をするわけでもない事務の女性を三人かかえていた。マーケティングの女性と同期入社だったこともあって、女性経由で「手伝うことがあったら、言って」と聞いていた。
取り付く島もないというのはまだ話を聞いてもらえるからいい。ろくに話しも聞かずに、人を出すのは組織の崩壊につながるから許可しないといわれた。

人を抱えれば、コストが気になる。実績を金に換算できる仕事だけでないが、それでもかかったコストに見合うと評価してもらえる仕事をしなければと考える。会社という組織でマネージメントの立場にたてば、自分が率いる部隊のコストと業績の兼ね合いが心配になる。たとえ短期では利益のでようもない、業績を問われることのない仕事でも、いつまでも続くわけでもなし、気にしなくてもいいと言われても気になる。

マネージャとしての性とはいわないまでも、誰しもが気にすることだと思っていた。ところが、まったく逆の視点があることに気が付かされた。人は多ければ多いほうがいい。多ければ多いだけ予算も取りやすい。率いる部隊の人数を減らされるようなことでもあれば、部であったところが課に降格される可能性もある。予算を取るということは間接的に収入を増やすことにつながる。そのためにも部員は多ければ多いほどいい、と公言してはばからない人だった。

ユーザーズマニュアルはどうにでもなるが、ソフトウェアエンジニアリングの状況を知れば知るほど、製品が出来上がってくるとは思えない。製品の開発に責任があるのは村田さんで、どう思っているか気になっていた。ある日世間話に交えながら村田さんにそれとはなく訊いてみた。
「ウォークスルーで話を聞いている限りで、オレの理解ででしかないけど、このままいったら、製品が出来上がってくるとは思えなんだけど、大丈夫なんですかね」
村田さんも馬鹿でもなし、心配という段階を通り過ぎていた。村田さんの話ではジョンソンも同じだった。二人で話していてもしょうがないとジョンソンも呼んで、三人で話した。すでに二人で何回か話をしてきたようだった。
二人ともこれ以上はないという悲痛な顔で、
「もし開発できなかったら、二人とも進退伺いをださなければならない。でも二人の立場で今それを口にしたものか……」 誰のせいでもない、自分たちの(プロダクトマーケティングとしての)力不足で数億をゆうに越える金がどぶに捨てられるようなことになる。それがはっきりするのは時間の問題でしかない。それでも二人からは言い出しかねる。二進も三進もいかない状況に追い込まれていた。二人に提案した。オレなら第三者の目でということで、パーソンズに状況報告のようなかたちで話せるかもしれない。

「テクニカルライターの立場でウォークスルーに出席してきたが、工作機械屋だった経験からの話として聞いてほしい。このままアルファの開発を進めても、市場に投入できる製品ができあがってくるとは到底考えられない。ソフトウェアエンジニアのCNCと工作機械に関する知識があまりにも乏しくて、何を開発しなければならないのかわかっているようには見えない」
二人ともそれしかないだろう。やってくれるかという顔だったが、ジョンソンがパーソンズが聞く耳をもっているかが心配だと言い出した。ジョンソンが言うには、
「アルファプロジェクトは事業部が強硬に反対していたのを、パーソンズが日本の合弁会社の意向というのか政治力をたてに事業部を押し切って始めた経緯がある。プロジェクトのためにということで合弁会社の親会社に天下っている官僚上がりの後輩を紹介してもらった。それが加瀬で、どこまでかはわからないが、パーソンズは少なくとも表面上は加瀬をかっているようにみえる。パーソンズは良くも悪くも士官学校出で学歴に弱い。オレみたいな州立大学出は、使い捨てだとしか思っちゃいないだろう。日本で大学と呼べるのは東大と京大ぐらいしかないと信じ込んでいて、加瀬は東大の通産省だ。パーソンズに加瀬の問題になるようなことを言っても、はたしてそれを聞いてもらえるか。言ってきたお前の立場があぶなくなる可能性もある」
「オレとしてはお前に言ってほしいが、危険だとわかってのことに……」
何をいまさら水臭いことをいってんだ、馬鹿野郎って思った。
「何を言ってやがる。今まで散々二人でああだこうだの言い合ってきた仲じゃないか。余計なことを言ってきたと首にするならすればいい。いつでもやめてやる」

そうはいったものの、いつパーソンズに具申にいくか、機会をみていた。機嫌のいいときをと思っても、遠く離れた社長室にまでおしかけるのは気が引けた。ある日、通路ですれ違ったときに世間話がてらに状況を説明した。ジョンソンが危惧していた通りだった。顔を真っ赤にして怒ってどなるように言われた。
「加瀬本部長に来てもらって、やっとソフトの人たちも落ち着いて仕事ができるようになったのに、余計なことに口をださないでください。ユーザーズマニュアルをきちんとしてくれれば、いいです」
そういうならそういうことでかまいやしない。ユーザーズマニュアルはできる。後は知らないぞって引き下がった。

それから一ヶ月ほどして、廊下ですれ違ったときに呼び止められた。
「マークとも話しました。プロダクトマーケティングの力が足りないようなので、フジサワさん、ムラタさんに代わってやってもらえませんか」
このままでは開発できないとは言ったが、開発に責任のあるプロダクトマーケティングにいまさら?ほとんど沈んでいる船に乗るようなもので、自殺行為以外のなにものでもない。オレに責任をおっかぶせて、みんな涼しい顔、何が何でも、そりゃないだろうといい返事をしなかった。
「日本にその仕事をできる人はフジサワさんしかいません。お願いします」
どうしてこういうことになっちゃうの、誰も彼もが問題起こして、最後はこっちに転がってくる。冗談じゃない。
「わかりました。でも自信はないです。できるだけのことはしてみます」
できだけのことなどしたところで泥舟は沈む、というよりもうほとんど沈んでいた。いっそのこと早く沈めてしまって、使い物にならないクルーを整理して、やり直した方がいい。最善の選択は、CNCの開発などしないことだ、と言ってやりたかったが、そうも言えない。

まだ乗り込んでもいないのに、もう首まで泥沼にはまり込んで、もうすぐシュノーケルでも持ってこなけりゃ息もできなくなる。乗り込んだが最後、無傷で陸に戻れる可能性なんかありゃしない。ここまでくると、もう馬鹿馬鹿しいという普通の感覚すらなくなって、なんでもやってやる。それでダメだったら、それでいいじゃないかと思うようになった。ただで転ぶ気はない。そんなところだからこそ、他所では拾えないものも拾えるかもしれない。そうでも思わなきゃやってられない。それにしても、なんでいつもこういうことになっちゃうの。
2019/4/21