今度連絡しますから16

<コマーシャルマーケティングへ>
マーケティングのメンバーへの挨拶は済んでいるのだから、直行してしまえばいいだけで、用もないのにクリスのブースで落ち合うことはない。クリスにしても朝バタバタしているところにジョンソンと二人に顔をだされてということもあると思って、明日は一人で直接マーケティングに行くからと言った。
そうすれば、時間の節約にもなるし、クリスの邪魔をすることもない。ところが、何が問題なのか分からないが、ジョンソンはクリスのブースで待ち合わせると言ってきかない。そりゃあ、クリスは頭の回転も速いし、美人で如才ないから、いい一日のはじめにはちょうどいいという気持ちも分かる。

日本の事務所にも英語の堪能な女性社員はいる。ただ英語で話はできても、共通の話題があるわけでもなし、何を話したって面白くもないから、用でもなければ話したいとも思わない。とてもクリスのように丁々発止とはいかない。後になって思えば、クリスとの世間話は、事業部に戻ったときのジョンソンの楽しみだった。それにしても三十分近くもああだのこうだのの世間話。なかには、ほうそういうことだったのかということもないわけではないが、横に立って聞いていのはつらい。それはまるで仕事初めの儀式のようだった。

昨日、ワイズウッツから今朝はアーティムのCNCの話を先にして、午後ベンヤのモーションコントールの予定だと聞いていた。ところが、ジョンソンと二人でアーティムのブースへ行ったら、アーティムがいない。
二人に気づいたベンヤがブースからでてきて、
「アーティムは飛び込みが入って、たぶん二時過ぎにしか戻れないと思う」
「CNCを後回しにしてモーションコントロールを先にやっちゃおう。モーションコントロールはごちゃごちゃしてるから時間もかかるし……」
何も問題ないだろうと、二人の顔を見ながら、
「残った時間でCNCをざっとやればいいじゃないか」
ワイズウィッツは、簡単なCNCを朝のうちに済ませてしまって、午後をフルにモーションコントロールにと思ったのだろうが、ベンヤの言う通りで、面倒なモーションコントロールを先にやってしまって、残った時間でCNCをやればいい。

ベンヤのブースに行って驚いた。隣のブースをふたつも使って、テストベンチがいくつも並んでいた。テストベンチに乗っているのも机の上に散らかっているのもPLCのモジュールでCNCはどこにもない。工作機械屋だったこともあってモーションコントロールといえばCNCになってしまうが、サーボモータを使った位置決めというとでは、ロボットから始まって、それこそこんなのもありなのかというのもあって、モーションコントロールの応用範囲にはきりがない。CNCが工作機械に特化しているのとは対照的にモーションコントロールはあまりに汎用で、ロボット以外に代表的な用途はと訊かれても、何にでも使えすぎて、これというアプリケーションを特定できない。

散らかっているのを気にして、ベンヤが、いい訳ともつかない口調で、
「あれやこれやでごちゃごちゃになって……、それでも電源もプロセッサもモジュールになったし、みんな小さくなって、これでも、ずいぶんよくなったんだ」
「物は見てのとおりだから、細かなことは後で見ればいいし、ランチボックスを中心にしようと思うんだけど、それでいいよな、マーク」
「そうだな、ランチボックスが集大成だから、そうしてくれれば……」
ジョンソンの口調は、日本でもそうだが、アメリカにきたとたんに、いつもにもまして放りっぱなしで、やりたいようにやればいいじゃないという、自分のことじゃないという響きがあった。
「オレはQAの方で用事があるから行っちゃうけど、いいよな」
ベンヤがあわてて訊いた。
「えぇ、昼飯には帰ってくるんか?」
「いや、おれはあっちで食うから。車もあるし、一人でも食べにいける。気にしないでいい」
といってジョンソンはまたどこかに行ってしまった。これじゃ一人で出張に来ているのと変わらないじゃないか、と言いたい気もしないわけじゃないが、別に世話をしてくれなんて言う気はないし、一人のほうが気楽でいい。

ベンヤが、よいしょっという感じで作業台の下に置いてあった幅三十五センチ、奥行き十五センチ、高さ二十五センチくらいのダンボールの箱を一つ、もう一つと二つ机に置いた。工場で使う製品なのに、ダンボールには製品の写真まで印刷されていて、机の上においても見苦しくないものだった。ランチボックスと聞けば、言葉の通りに弁当箱かと思うが、ダンボール箱がランチボックスのように見えるからそう呼んでいるだけだった。
ベンヤが、どっちも似たようなもんだけどと言いながら、ランチボックスの一つを開けた。内には小型PLC用の位置決めモジュールの販売活動に必要な考えられる限りの書類が隙間なく収まっていた。書類を一つずつ取り出して机の上に並べていった。ブローシャや仕様書にテクニカルノート、プライスリストとカタログ、ユーザーズマニュアルが二冊。それに営業トレーニング用の資料とセルフラーニング用の資料だった。ここまであれば、あとは製品さえ用意してもらえれば、支店に散っている営業マンが自分の都合のつく時間に勉強できる。

書類は、ワイズウィッツが言ってたように、マーコムの手になるものだろうが、内容は、まさかベンヤが一人で?
「これ、ベンヤさん一人で作ったの?」
「うん、ちょっと助けは借りたけど。ランチボックスはコマーシャルマーケティングの担当者が作る。プライスリストはワイズウィッツからリストプライスとディスカウントスケジュールのたたき台がでてくるから、それを基に案を作って、相談して決める」
「プライスリストは代理店用のもの、システムインテグレータやエンジニアリング会社用のものとオープンマーケット向けの三種類ある。ピンクが代理店用で、黄色がシステムインテグレータとエンジニアリング会社用、緑色はオープンマーケット価格で、言ってみればこれがリストプライスだ。間違えて出してしまう事故を減らすために色分けしてる」
「カタログはシステム全体を網羅してるから、ちょっとごちゃごちゃしてる。後で詳しくみることにしてと」
「テクニカルノートはエンジニアリングと相談してオレが書き上げた。ユーザーズマニュアルはテック(テクニカル)ライターの仕事で、オレはQA側としてチェックするだけだけど」
ちょっとため息をついて、
「物としての製品とマニュアルの間にズレがあったりしたら、プロダクトマーケティングとエンジニアリングもからんで一仕事になる。製品がマーケティングがPDRで要求したようにできていないのか? それともマニュアルが間違っているのか? どっちだって話だ。製品を訂正してたら、セールスリリースが遅れちゃうてんで、マニュアルを書き直せなんてこともあるけど、それじゃ済まないこともあって……」
そりゃ一騒ぎだろう。想像しただけでもぞっとする。説明するのもイヤというものわかる。日立精機で試作機の設計をやっていて似たようなことを経験していた。できればかかわりあいたくないが、製品開発にはつきもで、これなしで開発なんかできないといっても言いすぎじゃない。すべて最初の計画どおりにことが進んで、はい終わりなんてこと、あるにこしたことはないが、どこにいってもありっこない。一度の訂正や変更でことがすまずに、なんども訂正、変更を繰り返しているうちに、思わぬところにまで飛び火して、訂正や変更が重なっていく。それがまた別の訂正や変更を引き起こしてなんてことも珍しくない。

「ブローシャは製品仕様を決めるときに、原案はできあがっているようなものだから、正式書類の体裁をマーコムと相談しなきゃならないけど、たいした手間じゃない。トレーニング資料も仕様を決めたときには、内容も決まったようなもんだから、正式書類に書き上げるだけの作業でしかない。面倒なのはカタログだ」

カタログを見せられたが、日本でいうカタログからはかけ離れた、これがカタログかという地味な書類だった。ブローシャの方が日本のカタログに似ている。ただ、ブローシャには仕様がまったく書かれていないから、いくら見てもどんな製品なのか分からない。そんなものが、背景の地まで版を用意して五版も使って印刷してある。背景が紙の白のままの日本のカタログより豪華なのだが、中身がなにもない。

書類を見ながら一通りの説明を聞いてから訊いた。
「ブローシャには製品の仕様を知るための情報がまったく入っていないけど、こんな豪華なもの、何のために作ってんだ」
日本ではカタログ一冊あれば、製品のことについてはほとんどすべてが分かる。そこには製品仕様からアプリケーション例まで記載してあるが、ここにあるカタログ、名前は同じでも、どうみたって用途が違う。ブローシャなんての日本にはない。
「うん、オレも日本メーカのカタログをみたけど、ここでカタログと呼んでいるものとはまったく違う。まずブローシャから説明しようか」
「ブローシャの目的は簡単だ。製品や製品に付帯するサービスを採用することによって、採用決定者が享受できる現時点と将来に渡るメリットを訴求する内容が書かれている。そうは言っても、市場は一つでもなければ、顧客も一枚岩じゃない。ブローシャの内容は、いくつもの異なる市場ごとに、また顧客のなかのどの立場の人――たとえば開発なのか保全なのか――にメリットを訴求するのかによって違ってくる。さらに、その訴求対象者の社内便宜とでも呼ぶ考慮も必要になる。訴求を受ける立場の人が、自らが享受しうるメリット――たとえば自分が楽をしたいだけ――が実は自らの為である以上に企業全体に貢献するものあることを社内で提案し易いかたちに整理しておかなきゃならない」
「もし、製品の仕様を知りたいのなら、仕様書をみればいいし、特徴的な使いかたのヒントをと思うのならテクニカルノートを見ればいい。ここまではいいかな」

ちょっとため息がでてしまった。ここまで整理してセールスマテリアルを用意している日本の会社なんてあるんだろうか? いくら見ても何もないとしか思えないブローシャがそんな戦略的な視点から作られているなど、想像もできなかった。

「カタログだけど、日本にカタログという英語の言葉が伝わったときに、どこでどうズレたのか分からないけど、カタログって、その名前が示すように、客がカタログを見ながら、どんな製品が、どんな仕様の製品がいいかを決めて、その製品を注文するときに代理店の営業マンに指定する製品の番号――これがカタログ番号なんだけど――を決めるための資料だ。メールオーダー屋のカタログを見ればわかるだろう?」
「だからカタログには製品本体の仕様の選択肢から、メーカとして販売しているオプション類の仕様の選択肢まで全てがカタログ番号付きで記載されている。マニュアルにもカタログ番号が印刷してある。裏表紙の下にあるだろう」
「製品を買えばユーザーズマニュアルも付いてるけど、一セットだけだ。客によってはマニュアルだけ十セット欲しいってのもいる。追加、九セットもただで差し上げますってのもいやだろう。欲しけりゃ買ってくれってことだ」
「ここまではいいよな。ここでやっとカタログの中身だ」

「たとえばだ、電源仕様は交流二百ボルト系と四百ボルト系の二つのAかBの選択肢しかない。カナダの六百六十ボルト用の製品はない。ヨーロッパの三百八十ボルトは四百ボルトを使えばいい。そこに、おかしな客がオレは交流の百ボルトがいいといってきても、そんな選択肢は用意してない」
「電源電圧よりもうちょっといろいろあるのがフィードバックで、フィードバックなら分かりやすいかもしれない。フィードバックは種類としては、ここの書いてあるように二つある。レゾルバがいいのかエンコーダを使うのか決めなきゃならない。今は三つ目の選択肢としてリニアフィードバックまで用意してるけど、セースルランチ(新製品の販売開始)に向けてこのランチボックスを用意したときは、まだなかった」
「レゾルバのAかエンコーダのBのどっちかを選ぶんだけど、分解能も指定してもらわなきゃ、こっちも困る。それぞれのケースの分解能を指定する数字をAかBの後に続けて指定してもらう。この数字もこの表に書いてあるものしかない。一回転あたり四千八百パルスでいのならこれ、九千六百パルスがほしいならこれで、おれは六千パルスが欲しいと言われてもそんなものは用意していないし、巷でもそんな変な分解能の製品は売ってないだろう」

「このランチボックスに入っている書類はセールスランチに合わせて用意したものだから、もう二年以上前の製品情報ってことになる。最新のカタログにはリニアフィードバックの選択肢も追加されている。これはいつでもどこでも起きることで、正式書類には、程度の差があるにしても、必ず時間遅れがある。イニシャルリリースから半年もすれば、追加の機能もでてきてるから、もしこんなのと思ったら、客へのお願いになってしまうけど、営業マンに問い合わせてくださいってことだ」

「カタログがなんなのか、使い方もいいよな」
「いよいよ価格だ、リストプライスはリストプライス(希望販売価格)で誰もそんな値段で買っちゃくれないし、売るわけでもない。まあ平たく言えば、値引きをどうするかなんだけど、客との力関係からというもあるし、営業マンのセンスってのもあるけど、同じ顧客のA工場とB工場で、担当している支店も営業マンも違うからって、とてつもなく違っちゃ困る。で、事業部としては最低限のこの価格で売ってくれというのをリストプライスに対する割合で提示している」

「知ってると思うけど、オレたちは直販はしない。すべて代理店経由のビジネスだ。自動車と同じだ。うちの営業マンが売る相手は、代理店、システムインテグレータかエンジニアリング会社に限られる。基本的にエンドユーザに直販はしないけど、時にはどうしてもってのがあって、そのときの価格はリストプライスになる。あとで代理店が入ってきても、代理店の取り分を残してある」
「だからプライスリストが三種類あるってことなんだけど、このピンクと黄色の価格はリストプライスに対する値引き率をチャンネルディスカウントという形で決めている」
「ディスカウントにはもう一つあって、こっちはボリュームディスカウントで、名前の通り数量割引だ。一台二台買うのと、十台二十台かうのを同じ値段じゃ、十台二十台の客に申し訳ないって値引きなんだけど、まあ、現実の運用は営業マン任せのところもある。今試作機で二台必要なんだけど、三ヶ月後には月産二十台、今年中には百台の計画だなんて客に言われて、ころっと値引いちゃう営業マンのいれば、二台は二台、二十台は二十台っていうお堅いというのか融通の利かない営業マンもいる」

「当たり前の話だけど、セールスランチは物としての製品とユーザーズマニュアルがあればできるってもんじゃない。支店のセールスマンもアプリケーションエンジニアにもその先の代理店やシステムインテグレータへのトレーニングもオレたちコマーシャルマーケティングの仕事で、海外拠点まで出張してなんてことあって、いつもバタバタだ」
「このランチボックスにしたって、セールスランチの数ヶ月前には出来上がってなきゃならない。なけりゃトレーニングできない。まさかブローシャーとUser’s Manualだけってわけにゃいかない。まあ、しょっちゅう抜けてて、後でなんてのもありだけど」

「ああ、それと今話している販売拠点へのトレーニングだけど、実物なしで売ってこいってわけにもいかないだろう。どの拠点にはどんな仕様のトレーニングキットを用意するかも含めて、その予算を決めるものコマーシャルマーケティングだ。製品開発プロジェクトが始まるときにはその辺りの予算も組み込んである。予算立てやトレーニングスケジュールもオレたちコマーシャルマーケティングがやる」

ここまで駆け足のような説明をしてきて、ほっと天井を見上げて、
「CNCはこの上にエンジニアリングがいるけど、モーションコントロールのエンジニアリングは、メコン、知ってるか? ミルウォーキーの本社から二、三十分行ったところにあるメコンっていう田舎にいるから、ちょっとしたことで、じゃあ会ってって訳にゃいかない」
「PLCはマーケティングもエンジニアリングも、クリスのところからマーコムに歩いていくときに通り過ぎただろう。あそこにいるからいいけど、モーションコントロールは組織が二つに分かれているから、それだけでも手間をくう」

「あれ、もう一時半過ぎてるじゃないか、ランチに行こう」
「アーティムが帰ってくるのは二時過ぎると思うから、まあ三時ちょっと過ぎぐらいまでに帰ってくりゃいい」
「CNCは簡単だから、小一時間もあれば十分だ」
「デニーズでいいか、それともちょっとイタリアンまで走るか」
「デニーズでいいよ。ベーコンチーズバーガー食ってりゃってタイプだから」

ベンヤの話を聞いていて、日本でどうするんだ、この会社と思っていたが、この会社に入れてよかったと思った。これなら仕事になる。勉強もできる。問題は、あの組織で、自分の能力でどこまでできるかにある。本社にはマーケティングがいる。日本にはジョンソンがいる。いろんな人がいていろいろ助けてくれる、でも最後独り、自分でしかない。
2019/3/10