今度連絡しますから17

<コマーシャルマーケティングから>
ベーコン・エッグ・チーズバーガーが好きで、ダイナーに行ってはろくにメニューも見ずに頼んでいた。好きなものは一週間やそこら毎日食べても飽きない。食べてる顔が幸せそうだったのだろう、ベンヤがなんでそんなものでハッピーになれるんだという顔をしていた。たかがデニーズのハンバーガー、ステーキハウスの焼き方まで訊かれるものとは違う。マクドナルドとは違うにしても、しょせん庶民の昼飯でしかない。そのアメリカでは庶民の昼飯でしかないものが、日本じゃしっかりしたホテルにでも行かなければないし、行ったところで昼飯には高すぎて手がでない。日本にいれば感じることもないが、アメリカに来たとたん、日本の食のつつましさに気づかされる。なんでこんなに違うんだ、こんなに一所懸命働いているのにフェアじゃないと、ちょっと腹が立つことさえある。

駐在を終えて帰国したときのリバースカルチャーショックは予想を超えたものだった。八十年、日本の生活水準がその程度だったということでしかないにしても、なんでこんなに質素なのか? 説明がつかないというより納得できなかった。なんでというものはいくらもあるが、一言でいってしまえば、日本との一番大きな違いは「余裕」だろう。どうしようもない問題を山のように抱えながらも、全体でみればアメリカは豊かだったし、今も変わらずに豊かであり続けている。恵まれた自然に発達した産業社会がもたらす生活には、精神的にも生物学的にも余裕がある。スペースと豊富な食べ物だけでも人々の気持ちをおおらかにする。少なくともせせこましい生活にはならない。

おおらかはいいが、ベンヤに昼飯を急ごうという感じがない。アーティムが戻ってくるはずなのだから、急いで食べて帰らなきゃならない、と思うのは時間にうるさい日本の文化というわけじゃないと思うのだが、どうにも感覚が違う。オンとオフがはっきりしているというか、昼飯どきはオフでリラックスしなきゃというのがある。それが権利だとかなんだとかいうのではなくて、疑問符を発することすら、おかしいという常識がある。事務所に戻ったときは、三時をゆうに回っていた。
そんな時間に帰ってきて、アーティムはさぞかしと心配だったが、誰も時間を気にしない。日本では考えられない。何事もなかったようにアーティムのブースでCNCになったが、ベンヤのときとは違う。

「最後の製品がリリースされたのは八十二年だったら、もう四年、いや五年近くも新しい製品を開発してない。だからもうCNCのプロダクトマーケティングはいない。まあ、いるにはいるが、いないようなもんだ。メンテナンス(既存製品の改良)しかないから、プロダクトマーケティングなんて言われても……」
「コマーシャルマーティングにしたって、四年も前の製品じゃ、何をどうこうってのもないから……」
なんだか愚痴ともつかない、あきらめのような暗い話で、そんなことを聞きに来たわけじゃないと思いながら聞いていた。
「新しいCNCを開発しようったって、工作機械メーカが痛んで、客がいなくなっちゃったから、どうしようもない。でも、何もしないってわけにもいかないから、三年前に田舎の小さなCNCメーカを買収して、おもちゃのようなCNCを二年前にリリースした。ムーグって、知ってるかな」

ブリッジポート(工作機械メーカ)のちゃちな縦型のフライス盤を社名そのままでブリッジポートと呼んでいた。工業高校の実習工場にぴったりの機械なのだが、ちょっとした加工にならそれで十分、町工場にいけば必ずといっていいほど目にする定番の機械だった。ムーグ(社名)が、そのフライス盤にサーボモータを付けてCNCを搭載して、縦型マシニングセンターでございという工作機械的玩具に仕立て上げた。そのCNCのメーカを買収して、社名と製品名を換えて自社の製品にした。なんとも情けない話だが、そこまで事業が落ち込んでいたということだろう。
「ブリッジポートをレトロフィット(改良とでも訳すか?)したやつだろう。使ったことはないけど、あちこちの町工場でみたことがある」

「ああ、そうだったな。フジサワさん、もとは工作機械メーカのエンジニアだったし、アメリカでフィールドサービスしてたんだよな。工作機械ってことでは、オレたちより詳しいはずだ」
「でも、フジサワさんたち日本の工作機械メーカにオレたちの客がコテンパンにやられちゃって、もうCNCビジネスは成り立たなくなった」
「いや、フジサワさんがどうのってんじゃないんだ。産業の移り変わりでしかないし、オレたちも次のことをしなきゃならないだけなんだ……」
なんと言ったらいいのか、言葉がみつからない。それを気にしてだろう、アーティムが話題をちょっと変えようとした。しようとしたところで、話には何年にもわたる出口のないところからの思いがあるから、どうしても同じ流れのなかの話になってしまう。

「そうだ、ワーナー・スウェージー、知ってるだろう。ダウンタウンの近くに大きな工場があったけど、ずいぶん前に閉鎖しちゃった。建物だけは社名もつけたまま残ってる。よき時代の象徴のような工場だから、もし時間があったら……、見に行っても……、まあ何もないけどな……」
ワーナー・スウェージーはアメリカのというより世界のタレット旋盤の名門だった。鮎川義介が国産自動車(日産の前身)を作ったとき、エンジンやミッション部品の加工に必要な工作機械をアメリカから輸入した。輸入したもののなかで、旋盤はワーナー・スウェージーのタレット旋盤、フライス盤はシンシナチ(社名)のものだった。輸入した機械だけでは足りない。コピーを作る必要に迫られて、国産精機(日立精機の前身)という工作機械メーカを作った。すべて戦前の話だが、日立精機の従業員として、そのあたりの歴史や逸話は聞いていた。
アメリカに駐在して町工場で見たワーナー・スウェージーのタレット旋盤には国産精機が見本とした姿がそのまま残っていた。それは先達がなんとか追いつこうとした憧れだった。最初に見つけたときは機械の回りを何度も回って、あまりに似た構造に驚いた記憶がある。構造は同じだが、ワーナー・スウェージーには本物にしかない威圧感まであった。先達が作ったのは材料をケチった貧相なコピーでしかなかった。

「ワーナー・スウェージーはよく知ってる。オレが前いた会社はそのタレット旋盤のコピーから始まった会社だから。でも戦争前のことで、人から聞いて知ってるだけだけど……」
言わなきゃいいのに言ってしまって、途中で止めた。
「そうなんだ、妙な縁だけど、まあもう昔の話しだ」

ちょっと寂しそうな響きがあって思い出したが、アーティムの周りだけでなく、マーケティングのブースには空きが目立った。数える気もしなかったが、たぶん半分以下しか使われていなかった。何人もがレイオフされて、空き家になってしまったということなのだろうが、そんなところで、いつレイオフになるのかと気にしながら仕事をしているのかと思うと、なんとも申し訳ない気がした。
CNCではGE(General Electric)と競合して勝った。勝ったはいいが、ファナックを搭載した日本の工作機械メーカに市場を席巻されて、CNCの客である工作機械メーカがなくなってしまった。席巻した方の会社の末端の従業員で、それもアメリカでアフターサービスに走り回っていたのだから。

「まあ、そういうことだから、プロダクトマーケティングがないということは、コマーシャルマーケティングもその先のマーコムもないということだ。ただ、いまさらなんだけど、これから先もCNCが実現した制御体系は残るから、勉強しておいて損はない」
アーティムの声が、さっきまでの調子から、意識してなのだろうが気持ちだけにしても明るくなった。
ひょいと立ち上がって、ブースの本棚から書類を二つとりだした。

厚さ一センチ半はあるコピーを製本したものと、五ミリほどの厚さのきちんと印刷された小冊子だった。
小冊子を開いて、
「ここには、CNCがなんなんだという基本が書いてある。このあたりまでは営業マンでも知っておいてもらわないと困るんだけど、CNCは工作機械メーカしか客がいないから、工作機械メーカに関係のない営業マンはCNCにはまったく興味がない。なくて当たり前なんだけど、ベンヤが説明したモーションコントロールは工作機械メーカでもロボットメーカでも使うし、それこそあちこちで使うから、モーションコントロールの基礎知識は必須なんだけどな……」

市場が消えていくと、営業マンからも相手にされなくなる。産業構造の変化に対応して新しい市場性のある製品を開発しないことには、誰にも相手されなくなって事業が消えていく。そこにはレイオフもつきものだし、人も組織も痛む。痛んだ中で生き残っても毎日痛みをかみ締めるような仕事になるのは避けられない。そんなところに巻き込まれないように注意しなければと思ったが、なにを今さらで、事業部まで出張して、とっくに足抜けできないところまで入り込んでしまっていた。

「PLCのモーションコントロールから入るものいいけど、モーションコントロールってことでは機能も性能もそれに特化したCNCにはかなわないし、制御構造もわかりやすい。CNCでモーションコントロールを勉強したほうがいい」
アーティム、まるで学校の先生のような口調で、さっきまでとは違って、声だけにしても元気になっていた。
「基礎はこの小冊子に書いてあるから、今はざっと見ていけばいい」
ページをめくりながら、説明を聞いていったが、工作機械屋とは視点が違う。工作機械屋の使う側から見たものと、その使うものを提供する制御屋の視点ではこれほどまでに違うのかと驚いた。それでも営業マンを読者としているからだろう、説明はつとめて使う側からのものだった。制御システムの詳細に踏み込んでいないから、感覚的に理解できる。

「うん、そうだコーヒーはどうだ」
と言いながら、立ち上がってベンディングマシンの方へと行こうとした。確かにコーヒーブレイクにはちょうどいいが、もう五時近いし、アーティムは帰る時間じゃないかと気になって時計をみた。それに気がついて、時間を気にするなという感じでブースからでいった。

まずいコーヒーを持ってきて、一口すすって、アーティムがコピーを製本した本のページをめくってシステム構成図のページを開いた。
「知ってるだろうけど、CNCのもとはNCだ。ハードウェアで作ったNCをコンピュータのプラットフォームに作り上げたのがCNCで、CPUやメモリの機能や性能がよくなって安くなっていったから、移植したNCの機能だけでなく、いろんな機能を載せられる。いい例がPAL(Programmable Application Logicの略)だ」
PALはCNCの付帯機能でPLC(Programmable Logic Controllerの略で、日本ではしばしばシーケンサと呼ばれる)と同じと考えればいい。

「フォアグラウンドでサーボモータを制御して、あまった時間でバックグラウンドのPALを実行してる。そのまた余った時間で、オペレータインタフェース(作業者用の画面表示)を更新してる」
「当然すべてマルチタスクで動いているけど、本来の制御対象がサーボモータの電流であることに違いはない」
「当たり前だけど、すべてネガティブフィードバックだ。電流ループも速度ループも、上にあがって指令値とフィードバック、ここにフードフォワードが入ることがあるけど。知ってるだろう、あのイタリアのCNC。あいつにはフィードフォワードが入ってる」
「なんでも、人間社会でもいえることだけど、フィードバックがしっかりしてないと、いくらいい制御装置やCNCを持ってきたってどうにもならない。オレたちはCNC屋でフィードバック機器は専門じゃないが、フィードバックがだらしなかったら、制御なんて成り立たない」
「これは制御屋の宿命で、装置から外への指令はオレたちがなんとでもできるけど、それは外からきちんとしたフィードバック信号が入ってきての話で、これなしじゃ制御のしようがない」

「ここでフィードバックとCPUの処理能力の限界の問題がでてくる。もし仮に単位時間当たりのフィードバック信号が今の十倍になったら、どうなるか、今売ってるCPUじゃ処理しきれない。今もらったフィードバック信号から、次の位置への移動指令を出すのに使える時間はどのくらいあるかって話なんだけど、オレたちが使えるCPUの能力では一ミリセックの内にとはならない」
「簡単な旋盤ならXとZの二軸で、まあC軸なんてのがついても、いいところ三軸どまりだけど、マシニングセンタになると、X、Y、ZにA軸とC軸なんてのが特別じゃなない。五軸の最小移動単位が一ミクロンで、移動速度が毎分、分かりやすく十メートルで、エンコーダの分解能が一回転当たり九千六百パルスだったら、もう二ミリセックのサーボクロージャというわけにはいかない。
それで、八十二年にリリースしたCNCはビットスライスという技術を使って、複数のCPUで処理を分散して一ミリセックを実現してる。当時の技術としては世界にこれしかないって製品だったけど、四年も五年も立てば、半導体の進歩のおかげで特別なものじゃなくなった」

「市場でプレーヤとしてい続けようとすれば、利益が出ようが出まいがというと、おかしな話になっちゃうけど、いつも新しい技術を採用した新製品を開発し続けなくちゃならない。もしそれが一時(いっとき)でも止まったら、レースから脱落しちゃう可能性がある。マラソンみたいなもんだ。遅れちゃったってんで、先を走ってる会社を買収しちゃえってもあるけど、そんな荒業でいつもなんとかなるわけじゃない。自分たちの製品は自分たちで開発しなきゃダメだ」

「ああ、そうそう、ここを忘れちゃ。金型なんかになると、とてもじゃないけど人間じゃパートプログラムなんか書けない。でコンピュータでプログラムになるんだけど、そのプログラムは一ミリ以下の軸移動の連続になる。CNCはパートプログラムの軸移動指令を一行読んでは、フィードバックと比較して次の軸移動の指令値をサーボドライブに送るんだけど、移動距離が短いから軸移動が終わってるのに次の軸移動指令値を出すのが間に合わなくなる、データスターベーションが起きる。これはそのCNCの性能の限界ってことで、どうにもならない」

「まあ、おおざっばに言えば、CNCはこんなものんだ。この二冊、どっちもまだどこかにコピーがあると思うから、もって帰って勉強したらいい。この『Motion Controller』は、ジョンソンも適当なところまでしかわかってないと思う。まあ、オレも正直似たようなレベルだ。本当のところは、上にいるエンジニアリングの何人かしか分からない。オレたちにとって、この本はまあ、バイブルみたいなもんだ」

「ムーグとハーデンジ(社名)の旋盤があるから、ちょっと見ていったらいい。今ハーツがムーグに載せたCNCの調整してるはずだから……」
もう六時になるのに、時間を気にする素振りがまったくない。アーティムについて事務所の裏側に回っていったら、大きなガレージのような部屋があった。そこにムーグのマシニングセンターにハーデンジの、これも工作機械的玩具に近い、まるで学校の実習工場においてあるような旋盤があった。

そこで、ハーツというアプリケーションエンジニアが作業していた。作業の邪魔になるのを気にして距離をおいていたが、アーティムと話をして、ちょうど切り上げる時間だったのだろう、ハーツが作業を整理し始めた。アーティムの話では、シンクロスコープをつけてステップレスポンスを測定して、そこからフィードバックのゲインを変えて、CNCの位置決め性能の限界を見ようとているとのことだった。
作業場もそこにある機械も機械屋のものに比べるとちゃちなものばかりだった。機械ということではやはり制御屋ということなのだろう。

アーティムのブースに戻って、事務所を出たのは七時過ぎだった。時間にルーズということは、仕事終わりにも言えることで、しなきゃならないときには、残ってということなのだろう。ただ、それにしても七時過ぎ。アメリカではそんな時間までということなのだろうが、日本ならまだまだこれから一仕事も二仕事もという時間で、なんにしても余裕がある。それがアメリカの、いざというときの本当の強さなのかもしれない。
2019/3/17