今度連絡しますから18(改版1)

<改めてマーケティングとは>
ベンヤとアーティムの話を聞いて、ここで鍛えてもらえば、いっぱしのマーケティングになれるかもしれないと思った。将来のことなどろくに考えていなかったのが、三十半ばにしてやっと一生の仕事を見つけたような気がした。モーテルに帰ってシャワーを浴びて、隣のダイナーでいつものヴィール・カツレット・パーミジャを食いながら、聞いたことを整理しはじめた。

日本でマーケティングだと思っていたのが、マーケティングコミュニケーションでしかないことがわかっただけでもとんでもない収穫だった。いつでもどこでも起きることだが、外から見えるものが当事者がしている仕事だと思ってしまう。見える仕事の背景――なぜそんなことをしているのかにまで、さらにその背景を支えている組織や文化まで想像できる人は少ない。少ないというより、当事者か背景に関係した人でなければ、知り得ないことかもしれない。誰もが見えたまでで見た気に、分かった気になってしまう。多くのことがこの分かった気になって、なされているに過ぎない。

ベンヤの話ではかなり完成度の高いシステムになっているが、アメリカ市場に即したマーケティング組織や活動とその背景にある戦略がそのまま日本の市場や日本支社に当てはめられるとは思えない。みんな、どこも事情も違えば経緯も違う。市場は画一的にこうあるもんでなんてことがあるはずがない。アメリカはアメリカ、日本は日本、日本のなかだって東京と大阪は違うし、自動車業界と製薬業界は違う。みんなそれぞれ特異なもので、そこに一つのこれが戦略だなんてことが通用するはずがない。社としての一貫性は必要だが、戦略は出先の状況に応じて、ローカライズしなければお題目にすぎない。目的と状況から柔軟に変更する能力もなしで、本社からの指示を日本語に書き直しているようでは、仕事にならない。

聞いたことと日本の現実の乖離にどうしたものかと考えていくと、いくら考えても、何もかもやり直すしかないという結論にしかならない。それが更地から手をつけるのならまだしも、使い物にならない、偉いだけのぼろ屋を取っ払う作業から始めるのかと思うと、とでもじゃないができるような気がしない。パーソンズやジョンソンや他の駐在員はいったい何をしてきたのか、何を考えているのか分からない。パーソンズや以前の経営トップが集めてきた経営陣から末端の従業員まで、何をしようとして集めてきたのか。組織としてのかたちはあるが、中身もなければ方向性もない。みんな何を見て何を考えているのか、いくら考えてもこれといった答えが見つからない。

市場と対峙して戦略をたてて、それを推進していくマーケティング部隊が日本にはいない。それどころかマーケティングとは何のかという、なぜそんな組織が必要なのかという本質のところの知識も理解もない。マーケティングがないだけならまだしも、物なりサービスを売るという視点でみればセールスもない。営業部隊はいるが、市場を切り開いという販売活動はしていない。というよりする能力も意思もない。英語の壁のせいで、自分たちが扱っている製品なりサービスが、市場において、客の視点でみて何なのか、何が売りで、なにが欠点なのか分かっていない。分かっていないだけでなく、今のありようでいい、あるいはしょうがないじゃないかと思っている節すらある。

営業案件は、ほとんど全てといっていいぐらい、アメリカの製品事業部か営業拠点から情報として流れてきたものでしかない。GMが日本のどこそかの工作機械メーカに採用を指定するはずだから行って来い。フォードが、P&Gが、ネスレが、ジョンソン&ジョンソンが、アムウェイがということで、日本支社は価格の交渉と納期の管理から受発注業務(オーダープロセッシング)をしているだけで、英語で言うところのオーダーテイカー(Order taker)に過ぎない。 ジョンソンはこの体たらくを知っているはずなのに、何かしようとしているようには見えない。駐在四、五年にして、もう諦めてしまったのか。

日本の状況を思い浮かべれば浮かべるほど、聞いたことから何をという堂々巡りになる。何をしようにも能力もなければ、権限もない。そんな堂々巡りをしているうちに、あれこれではなく、枝葉が切り落とされて注視しなければならない幹が見えてくる。
日本支社は販売・サポートを目的として設立されたもので、製品の開発にかかわることはない。要は日本市場にどの製品をどのようにして販売するのかでしかない。そのためには、どのようなアプリケーションであれば、日本の同業に比べてどのような優位性があるのかを知らなければならない。捕鯨用に開発された技術や製品をイカ釣り漁船にはないし、ましてや狐狩りなど考えることすら馬鹿げている。ベンヤが言ったブローシャの意味が分かってきた。そう思ったとたん、事業部だってブローシャは一つしかもってないことに気がついた。アプリケーションを特定して、買い手の求めるものを想定していくつものブローシャは事業部にとっても理想でしかない。

部屋に戻ったところで何もない。テレビはと思っても、宣伝ばかりで見る気もしない。ブローシャをどうするか? アプリケーションエンジニアの顔を思い出しならが、誰が何を知っているのか想像していった。ここでまたとんでもないことに気がついた。日本支社にはアプリケーションエンジニアと呼べる人がいない。組織もあるし、二十名ちかい人もいるが、知識としてもっているのは自社の製品の使い方まででしかない。アプリケーションシステムは客かシステムエンジニアリング会社が開発するもので、そこに積極的に関与しようなどとは考えていない。使い方の質問を受けて、適当に答えているだけでアプリケーションエンジニアでござい、それで仕事をしている気になっている人たちしかいない。言ってみれば、英文法と英単語をそこそこ知っているというだけで、どのような文章を書くかに関しては、客まかせで何も知らないし、知る必要があるとも思っていない。

注力すべきアプリケーションに関する情報を事業部がどこまでもっているのかは分からない。ただ少なくともテクニカルノートにまとめているぐらいだから、社内のどこかに情報を持っている部隊か人たちがいるはずで、そこから情報を手に入れて、注力市場向けのブローシャを作るしかない。
そこまで考えて、ことはそう簡単じゃないことに気がついた。アメリカから得ただけの、自分たちの経験からではない情報からでは、客にこれはと思ってもらえるブローシャにはならない。もしこれはという情報を手に入れても、たいした部数もいらないのに印刷できない。カタログ屋に外注すれば見栄えのいいものが出来上がってくるが、まさか二百部三百部というわけにもいかない。

ここまで考えて疲れてしまった。まずは飯を片付けてしまおうと、考えは一休みにした。それにしても考えれば考えるほど厄介なことで、どうしたものか、一人で考える意味があるものなのか。考えてもしょうがないことを考えているということなのか。いっそのこと、流れるままに身を任せで、考えないようにしたほうがいいのか、と思ったところで考えるのをやめられるような性質じゃない。

まったくアメリカ飯はメインより一緒について来るのが多くて、とてもじゃないが食いきれない。ヴィールカツにかかったトマトソースだけでもうトマトはいいのに、日本のナポリタンのような具のないスパゲティが皿からあふれんばかりにのっている。世界には飢えてる人がいっぱいいるのに、これを残すかと後ろめたいが、こんな量、とでもじゃないが普通の日本人には食べられっこない。
もうコーヒーをと思っていたら、ウェイトレスが来て、デザートは?と訊いてきた。アメリカのデザートはアイスクリームはまだしも、ケーキの類は、なんでこんなものしか作れないのかと訊きたくなる、暴力的に甘いだけの大きくてごつい不恰好なものしなかない。よほど腹がへっているときでもなければ、食えた代物じゃない。

コーヒーをすすりながら、また考えだしてはたと気がついた。ベンヤのブローシャ、客の視点でとたいそうなことを言ってたが、製品の紹介になっていないだけじゃなくて、客のアプリケーションにしたって上っ面の言葉が滑ってるだけじゃないか。ましてやあの業界のあのアプリケーション、この業界のこのアプリケーション、製造システムの開発者に訴求した、保全の人たちの関心を呼ぶもの、そんなもの誰が作れるってんだ。制御のプラットフォームを提供するだけで、ソリューションを提供しないところに、ソリューションで生きている人たちがなるほどと思う情報を提供するのは不可能に近い。

アプリケーションエンジニアがもっとも豊富な知識をもっているはずだが、日本支社にはどうみてもそんな人はいない。アプリーケーションは客によって似たようなところがあっても、必ずキーとなるところがあって、そんなもの誰も知りゃしない。堂々巡りが止まらない。それでも見えないほどの傾斜にしても螺旋を上がって行ってるような気がしないこともない。
どうするか? 日本に帰ってから原田さんあたりと相談しながらでいいじゃないかと思う気持ちと、少なくとも自分としての案は持ってなきゃ、とまた考える。

出せる結論しか出せないと割り切ってしまえば、それなりの結論がでてくる。しなければならないのは、まず事業部を経由してアメリカのサクセスストーリー、うまくいったプロジェクトのアプリケーションの情報を取ること。それをもって、懇意にしている代理店やシステムインテグレータに相談にいって、これなら、もしかしてという仮想のアプリケーションを作り上げる。
ブローシャに印刷はできないから、業界紙に広告宣伝と引き換えに寄稿記事を載せさせる。その記事の抜き刷りを二、三百部も印刷してもらって、それにもうちょっと解説した販売資料をつけて、営業マンにもたせる。いくら考えても、これ以上の案はありっこない。

ところが、ここでまた厄介なことに気がついた。モーションコントロールはPLCのオプションで、PLC抜きでは成り立たない。ベンヤが関係する事業部が二つあって厄介だと言っていたのを思い出した。面倒だが避けては通れない。それにしても面倒だけが目に付く。いくら考えたところで、始めてみればこんなのもあったのかというのが出てくる。何をどうしたところで今まで以上に悪くなることはないだろう。まず始めてみるしかない。

それでもモーションコントロールはまだいい。CNCはどう考えてもどうにもならない。日本でやってるアルファ・プロジェクトは事業部では認められていない。というとちょっと変だが、マネージャ以下の実務部隊にしてみれば、なんだか分からないが日本支社が日本の合弁相手の力もかりて、自分たちのはるか上の方の経営陣を説き伏せて勝手にやっているとしか思っていない。
問題は、たとえいい製品が開発できたとしても、それを買ってくれる工作機械メーカがアメリカにはほとんど残っていない。日本の工作機械メーカが貿易摩擦回避のためにアメリカに工場進出したはいいが、日本から主要部品を持ち込んで組み立てるだけのノックダウンだから、制御機器も何もかも日本で標準採用されているものを使うだけで、アメリカの製品を使う可能性はない。
日本支社にファナックや三菱電機や安川電機と戦って市場を開拓する能力などないし、アメリカには客がいない。そんな製品を開発してどうするつもりなのか? 事業部の実務部隊の疑問に納得してしまう。億の単位の、もしかしたら十億をこえる金をかけて、売るに売れない製品、ばかげているとしか思えない。

市場に対峙して次の時代を背負って立つ製品を開発しなければというのは分かる。それがマーケティングの責務だというのも分かる。教科書的に言えば、そういうことなのだろう。でもここは切った張ったの世界で学校じゃない。どのようにすれば開発しなければならない製品の、コンセプトレベルにすぎないにしても仕様を決められるのか? まさか市場調査会社に調査を依頼するわけでもないだろうし、営業部隊に訊いたところで、個々の顧客の個々の特異な要求がでてくるだけで、そんなものに振り回されていたら特注品しか作れない。
そもそも市場から要求が上がってくるということは、その市場で禄を食んでいる企業や組織にしてみれば、誰もが知っていることでしかないのではないか。主だった市場のプレーヤが、多少の違いはあったにせよ、似たような製品開発競争に参加してということでしかない。これがマーケティングの本来のあり方とは、少なくとも聞いてきた話とは違う。

いくら考えても新しい需要を生み出すのは、今の市場の先にぼんやり見えてきているかのような、それも将来かたちになるかどうかはっきりしない機械や装置の機能と性能の要求であって、それを生み出すのは機械や装置のメーカで、制御機器屋じゃない。制御機器屋ができることは、そんな要求が生まれてきそうなところを気をつけて見ていることと、でてきた時には声をかけえてもらえるように知っておいてもらうことぐらいしかないのではないか。主体はあくまでも機械や装置メーカで、制御装置はソリューションの一部でしかない。毛沢東か誰かの言葉だが「犬は尻尾を振れるけど、尻尾は犬を振れない」のとおりで、制御装置メーカは、いくら偉そうなことを言ったところで、尻尾でしかないし、日本支社はその尻尾にしがみついた蚤みたいなものかもしれない。もっとも尻尾のない犬はいても、そこそこの装置や機械であれば、制御システムのついていないものはないという救いはある。

実務にいる人たちは日々の作業に追われて、市場を鳥瞰する能力や思考が、仮に萌芽的なものがあったとしても矮小化してしまう。事業部の中なのか、それともコーポレートレベルで市場を鳥瞰して、全社の、そして個々の事業体の戦略を立てる部隊がいるような気がしてならない。ただそこまで入り込む立場でもなし、当面は疑問としておいておくしかない。
日本に帰ったら、アメリカの大学のマーケティングの教科書を探して読まなければ。日本の本はマーコムをマーケティングと勘違いしているのがほとんどだろうし、多くは一般大衆消費財の市場を取り上げているだけで、製造設備や機械を市場として見ているものはないだろう。また勉強だ。
2019/3/17