今度連絡しますから19(改版1)

<テクニカルライター>
初日マーコムに行ったときに、テクニカルライターの主だった人たちや外注の人たちに紹介してもらっていた。一度、それもたいした時間でもないのに、会ったことがあるというだけで、親しみがあるというのか挨拶からして違う。Face-to-faceということなのだろうが、直に会って話をしただけで、これほどまでに違ってくるのかと改めて驚いた。

ジョンソンに連れられて、マネージャのワイズマンの部屋にいった。技術書類の翻訳でメシを食ってきたこともあって、テクニカルライエィングには興味があるという以上に、ぼんやりとした憧れのようなものまであった。ベンヤとアーティムの話を聞くまで、個人的には、マーケティングよりテクニカルライティングの方が気になっていた。

アメリカでは、即実務の話になると思っていたが、軽い世間話から始まるのは日本と何も変わらない。ジョンソンとワイズマンがどうでもいい話をしていたと思ったら、いつのまに重苦しい話になっていた。まるでボクシングのように軽いジャブで相手の出方をみながらということなのだろうが、アルファプロジェクトの政治的な話ばかりで、いつまでたってもテクニカルライティングの話にならない。

相手がテクニカルライターだというわけでもないだろうが、ワイズウィッツのときよりジョンソンが饒舌だった。言葉を慎重に選びながら、なんとか口説き落とそうと必死になっていた。ああのこうだと言い合っているのを横で聞いていて、数ヶ月前とは状況が大きく変わっていることに気がついた。オレという人間を雇うまで、誰がオリジナルの日本語と英語のマニュアルをつくるかという目処もたっていなかった。オレを連れてきたことで、ジョンソンの立場はかなりよくなっていた。ジョンソンにしてみれば、マニュアルをどうするかという漠然とした状態から、英文マニュアルのドラフトまで日本でつくるから、それをもとに英語の最終版を事業部でつくってもらえないかというところまではきた。ところが、ワイズマンは言葉を濁してはっきりしない。

フジサワを連れてきて、ジョンソンが何をどういったことろで、ワイズマンにしてみれば、助けたくても手のだしようがない。アルファプロジェクトは、日本支社が、言葉は悪いが勝手にやっていることで、事業部がプロジェクトとして承認して、マーケティングが日程と予算を立てない限り、テクニカルライティングとしてはかかわりようがない。ワイズマンの一存ではどうにもならない。個人としての話ではない。事業部としての判断がない限り、動くに動けない。二人とも言葉と言い方を変えて堂々巡りをしていた。アルファプロジェクトがうまくいくとも思えないし、できれば係わりあいたくないというワイズマンの気持ちもわかる。

ジョンソンの立場は微妙だった。日本支社においてはパーソンズの影響下にいるが、事業部から派遣された駐在員で、上司は事業部のマネージャ、ワイズウィッツでパーソンズではない。パーソンズは社外から招聘された日本支社の社長で、アメリカ本社に政治的な基盤がない。
パーソンズが一気に政治基盤を確立しようと、合弁相手の思惑を梃子に日米共同開発を言い出して、アルファプロジェクを進めてきた。ところが、事業部は先に始めていたイタリアの合弁会社の開発プロジェクトにリソースを充当しなければならない。好きとか嫌いという話しではなく、限りあるリソースをどこに使うかでしないのだが、事業部としては、パーソンズに引きずりこまれたようなプロジェクトに積極的になれない。
ジョンソンは、アルファプロジェクトのプロダクトマーケティングもどきにされてしまったが、なんとかして日本支社の開発エンジニアリング部隊を事業部のエンジニアリング部隊の配下に押し込んで、日本支社からプロダクトマーケティングという存在を消してしまいたい。うまくいく可能性のないプロジェクトに巻き込まれてしまったのを、どうにかしなければという焦りがある。

日本のCNCと同等の操作性をもっとも重要な仕様としていることから、操作性にかかわるソフトウェアは日本で開発せざるをえない。そのため、開発要求仕様書(PDR)も日本の開発部隊の開発機能確認書(Functional Spec)も原本が日本語になってしまう。そこからユーザーズマニュアルの原本が日本語になることも避けられない。マニュアルを任せられる人材が見つからないで困っているところに藤澤がでてきた。

ジョンソンも馬鹿でもなし、テクニカルライティングに何を決めろとも言えないことぐらいわかっている。ただ、アルファプロジェクトに肯定的な姿勢をテクニカルライティングにみせてもらえないかというだけなのだが、ワイズマンは慎重に自分の考えを言わない。あるのは立場だけで、事業部でアルファプロジェクトを正式プロジェクトして推進するという決定がなければ、プランをどうのという話にはならないと、否定的な姿勢くずさない。

相手の立場を認め合いながら、遠まわしな言葉を繰り出しての話しにあきれた。誰のことでもない自分のことを相談もなく勝手にどうこうという話しはないだろうと言いたかったが、二人の間に割って入る権限もなければ能力もない。もうなるようにしかならない。当事者にでも責任者にでも勝手にすればいい。何をどうしたところでなるようにしかならない。逃げようがないし逃げる気もないが、仕事をできる環境だけはきちんとしてくれよって思っていた。

らちのあかない政治的な話を小一時間もして、なんの結論がでるわけでもない。いくら話したところで、実務レベルのマネージー同士で結論なんかだせやしない。事業部のトップとその上のコーポレートレベルの役員が決めなきゃならないことを決めないから、実務レベルが右往左往することになる。そんなことは役員も含めてみんな分かってる。イタリアと日本の合弁相手、さらにその親会社との関係もあって決めるに決められないということなのだろう。決められないままずるずるは、なにも日本の社会や会社に限ったことじゃない。いつでもどこにでもある。ただ、そんなところで戦場に駆り出される担当者はたまったもんじゃない。
話に疲れたのだろう、やっとテクニカルライティングの話しになったが、そうなったとたん、ジョンソンには関係ない。ワイズマンについていって四十半ばは過ぎているかというテクニカルライターのブースへ行った。

ラフな服装の風采の上がらないフリンというオヤジさんだった。ワイズマンの言では、Clear Writing Awardという賞を何回ももらったことのある最も優秀なテクニカルライターということなのだが、どうみても、ディスカウントスーパーでうろちょろしているオヤジにしか見えない。掛けていたメガネのフレームのつるが片一方折れてなかった。斜めになったメガネが貧乏たっらしい。

自己紹介に軽い挨拶もそこそこに、ずれたメガネをちょっと押し上げながら、
「昨日、折っちゃって、不自由でしょうがない」
ぼそぼそした声で聞き取りにくいが、話す速度が遅いから話にはついてはいきやすい。服装といい話し方といい、気さくな田舎のオヤジさんそのものという感じの人だった。人と話すのが好きじゃないからテクニカルライターの道へということなのだろうが、それにしてももうちょっとメリハリのつけようもあるんじゃないかって言いたくなる。

それが、何を言い出すかと思えば、
「日本語はどうしてあんなに文字が多いんだ。ごちゃごちゃしすぎていて、どこから書き始めるのか見当もつかない」
「あんな難しい字をどうやって覚えるんだ」
オレに言われても困る。文句があるなら、中国人にいえと思っていたら、
「オレんちも日本製であふれてる。テレビも冷蔵庫も洗濯機も、気がついたらみんな日本製になってた。日本の同業のユーザーズマニュアルを見たけど、まだまだこれからって感じだけど、どうなんだろう」
さすがに個人的な関心の話になったのを気にしてか、ちょっと背筋を伸ばして、
「今日はいい機会だから、オレたちのユーザーズマニュアルのつくり方をみていけばいい」
マネージャになると立場が先になって政治的な話が多くなる。それが実務レベルに入ってしまえば、どこにでもいる裏のないオヤジさん連中になるのが不思議だった。実務の世界にいられれば平和とはいわないまでも、政治的なゴタゴタから距離をあけていられる。

「当然の話だが、ユーザーズマニュアルは小説じゃない。マーケティングがエンジニアリングに出したPDR(Product Development Request)がベースになっている。エンジニアリングのFunctional Specは機能確認の参考書類程度だな」
「開発する視点から書かれたのがFunctional Specで、使う側から見たのがユーザーズマニュアルになる。どっちもPDRから始まっていることは同じなんだけど……」
同じなんだけどの後がない。同じなんだけど何なんだ、と一瞬考えたが、要はFunctional Specはわかり難いということだった。
「PDRは使う側から書かれているから分かりやすいが、Functional Specは個々のソフトウェアのエンジニアが、自分が開発するタスクについて、開発する視点で書いているから、オレたちにはちょっと……」
「Functional Specは参考というのか機能の詳細の確認には使うけど、それだけで、ほとんどはPRDに基づいてマニュアルを書いていく」
言葉にはFunctional Specなんか面倒くさくて見ちゃいられないという響きがあった。その通りだろう。なんせソフトウェアエンジニアの書いた書類。そんなもの、どこの世界にいっても、ソフトウェアエンジニアでさえ、他人の書いたものは分からない可能性がある。
「ところがマーケティングも全部決めてからPRDを出すわけじゃない。まとまったところから、ばらばらに書いてるものだから、オレたちは、ばらばらに出てきたものを、製品を使う人の立場で整理するというのか、順序だててソートしなきゃならない。資料のソートからドキュメントの作成が始まる」

「ここまではいいよな」
「ソートは、これは常識の話でしかないんだけど、たとえばA+B=Cってのがあって、Cを分かってもらうには、AとBを説明しなきゃならない。当たり前の話だ。ところが、AとBを理解するには、DとEを説明しなきゃって、だんだん情報の上流に上っていく。上っていきながら、PRDが要求している機能ごとというか、機能ごとにPRDをまとめていく」
「マーケティングも、もうちょっと整理してからPRDを出せばいいんだけど、整合性のない要求やら、よくよく読んでいったら一つの機能なのに、いくつもPDRに分かれて書かれているなんてこともある。重複してたり、肝心なところが抜けたりする」
「まあ、オレたちが気づくより先にエンジニアリングが気がついて、マーケティングに確認するけど、マーケティングが先に出したPDRをきちんと整理しないで、追加を出してくるからしまつが悪い。ごちゃごちゃになって、なにが最終なのかよくわからないなんてことが起きる」
「それでも、まあ機能ごとにまとめたPDRの束とでもいうんかな、機能と呼んじゃうけど、どれが先でどれが後か、その後が枝分かれしてどこにつながるのかって、まあ章取りだ。オレたちはイエローストーンって呼んでるけど。大きな黄色のポストイットに機能を書いて、それを壁にペタペタ貼って、こちが先か、こっちは後かって貼っては剥がして場所を変えてって感じで説明の流れを決めていく」
「これが終われば、いよいよ個々の章の中の項というのか内容になるんだけど、よくよく読んでいくと、なんだか分からないってのでてくる。ここで関係しているFunctional Specをあちこち調べるんだけど、それでもよく分からないということが起こる」
「そのたびにマーケティングに確認すると煩がられるから、まとめて聞きに行く」
「まあ、ここまでが大きな流れかな」

「あれ、もう昼飯の時間だ。オレはランチ持ってきてるから、どうしよう」
「ああ、車あるし、デニーズかどこかで食ってくるから気にしなくていい」
「この時間だと混んでるだろうし、戻るのちょっと遅れてもいいかな」
時間から時間で働いているわけじゃないというもあってだろうが、誰も時間にはルーズで、そんなこと聞くまでもない。それは、遅れてもいいかという了承を求めてのことじゃない。遅れても文句はなしだというだけで、一人で昼飯、リラックスしてこようというものだった。誰かと一緒に食べるより、一人で勝手にの方が気楽でいい。英語での会話に神経を使わないですむだけでもほっとする。

いつものハンバーガーを食べて、コーヒーを何度もお代わりして、戻ったときは二時ちょっと前だった。
戻ったのに気がついて、作業を止めた。
「どこまで話したっけ」
「章取りまでかな。PDFで始めて、Functional Specを参照して、分からないことがあればマーケティングに訊きにいくってところまでだったと思うけど」

「そう、そうだった。で書き始めると、こんなこと文章で説明するんかというのに出くわす」
「PDRもFunctional Specも図もなければ表もない。だらだらとは言わないけど。文章で説明するには限界がある。ユーザーズマニュアルは小説じゃない。めくってもめくっても文章だけのページだったら、そんなもの誰も読みゃしない」
「そこでだ、これは図を、あるいは表を作って、文章はその図や表を説明するようにしたほうがいいというのがでてくる。このあいだ会ったろう、オレはアーティストだって言ってたの。あの変わったオヤジさんにアーティストとしての仕事をお願いすることなる」
「図や表の案をもって、こういうのを描いてくれって。そこでこんな文章で説明するからって。ところがちゃんと説明して頼んだはずなのに、そうじゃないってのが出てきて、言い合いとはいかないけど、訂正してもらうことになる」
「これでいいって書いていったら、作ってもらった図や表を変更したくなるときもある。不幸にしてだ。これを繰り返すと、まあ仕事がしにくくなる」
「なんでもそうだろうけど、あいつは間違いないという信頼関係を築けないと仕事にはならない。まあ、これはどこでも同じだと思うけど」

技術翻訳で飯を食っていたとき、わけの分からない日本語に手をやいた。日本語の原稿、どれもこれも普通に読んだら何をいっているのか分からない。それこそ持てる知識を総動員して、文章を削ったり追加して英文で書き上げないことには、読んで分かるマニュアルにはならない。物をみて、説明してもらえればなんということでもないことでも、文章だけでは説明しきれないことも多い。図や表を使えば、もっとすっきりした説明になるのにと思っても、翻訳屋にはそんな権限もなければ能力もない。

和文原稿を日本語の段階でかなり手を入れて編集してから翻訳をしていたが、漠然とそれはもうテクニカルライターの仕事じゃないかと思っていた。ところが、日本でテクニカルライターと自称する人たちに何度かあったが、字面翻訳しか出来ない人たちが格好をつけて、そう言ってるだけだった。それでテクニカルライターもないもんだと思いながらも、翻訳屋で収まりきれずに、テクニカルライターなる職業にあこがれていた。テクニカルライターにやっと会えてよかったと思う反面、事業部のようにアーティスト呼ばれる人たちまでいなければ、テクニカルライターといっても、仕事にならない。

テクニカルライター、物書きでもなければ作家でもない。ユーザーズマニュアルは製品の機能を使う側からみた、分かりやすく事実が書かれているだけの書類でしかない。そんなもの、なんの工夫もいらないじゃないかと思う人も多いだろうが、そこには、作家のような自由度がないなかでの工業製品としての品質をという違う難しさがある。万が一こう読めないこともないという文章のせいで事故にでもなったら、訴訟大国のアメリカではとんでもないことなる。それがテクニカルライターという一つの専門職を生み出した。
そんな社会環境でもなければ、テクニカルライターという専門職をにはならない。一般大衆が使う民生品ではずいぶんよくなったが、工場で使用するものではいまだにそこまでの考えがない。これは企業の意識の問題というより社会の認識の問題といったほうがいい。モノ造りの意識が強すぎるのだろう、モノとしての製品の品質にはなんでそこまでというこだわりがあるのに、製品の一部であるマニュアルには無頓着な文化が変わらない。
2019/3/24