まるでパリにいるような

午前三時、市中劇場の開演に向けて、司令部の関係者が市の広報センターに全員集まった。そこで市長が開演に向けた檄を飛ばした。
「みんなぬかりはないだろうな。ここでミスったら、半年もかけて準備してきたことが水の泡になる。大統領はたとえ死人が一人二人でてもかまわないとまで言っている。この二日間、全市を劇場にする。パリを再現する。開演は午前四時。今日と明日の二日。帰りのフライトがでる明後日の十時まで、ここはパリだ。さあみんながんばろう」

それは常識を逸した茶番劇の始まりだった。自由化して十余年、国を挙げてフランスをモデルに近代化してきた。遅れた鎖国のような状態からフランスに匹敵する産業社会と文化をと走り続けてきた。パリとの姉妹都市の調印をきっかけに、フランスの著名人や文化人にジャーナリスト三十人を首都に招待した。われわれのパリを実感していただこうという催しものだった。経済的にも政治的にも後進性が色濃く残っていて、フランスだパリだなどと、冗談にも言える状態ではないのに、独立以来独裁者として君臨している大統領が、フランスを訪問したときに大見得きって、こんどは政治家の目ではなくフランスを代表する文化人を中心とした人たちを招きたい。われわれのパリを実感してもらいたいと言い出したことが始まりだった。

政治家や実業界の連中の視察なら訪問先も目的も思いも単純だからいいが、文化人となると話が違う。一癖も二癖もある、人一倍我の強いのが三十人。誰かがあっちだといえば、オレはこっちだと主張してゆずらない御仁の集まり。まとめて案内してという今までの方法で上手くいくはずがない。パッケージツアーのように見せたいものを見せて、聞かせたいこと聞かせたのでは納得などしっこない。何をどう見せるか、うるさ方をどう納得させるのか。散々議論した結果、首都を二日間だけパリを模した劇場にしてしまう、とんでもないプロジェクトになった。

行きたいところに行って観たいものを観て、やりたいことをやればいい。軍や裏家業の人たちでもあるまいし、多少羽目を外したところで、文化人のやることだからとんでもないことにはなりゃしない。行きたければ、バーでも劇場でもストリップでも置屋でも、もちろん美術館や図書館でも博物館でもいいし老人ホームでもかまいやしない。飯屋でも床屋でも肉屋や八百屋でもどこで結構。それこそ朝から晩まで、それでも足りなきゃ、翌朝まででも翌晩まででもお好きなようにどうぞってことにした。

セキュリティには自信があるが、それでも万が一のことを考えて、自由に動けるのは市内のみで勘弁して頂くという制限をつけた。やばいヤツらは予防拘禁して、パリを模すということなら、誰でも何をしてもいいという御触れをだした。
いってみれば、二日間は無礼講だ。馬鹿をやりそうな若い連中はちょっと心配だが、庶民には楽しい二日間だ。多少のハップニングはご愛嬌、とんでもないことさえ起きなきゃいい。

「市長、中央駅と南駅からです。かなりの人数の住民がでてきて、駅の階段や構内、駅の周辺で立小便してます。北駅からも市場駅からも、駅という駅全部です。注意にいった警備員と住民の間で言い合いになってます。住民の主張では、パリの地下鉄の駅はみんな立ち小便のせいで小便くさいじゃないかということです。パリのようにするために、わざわざ早く起きてきたという住民までいます」
「まったく何を考えてんだ。即清掃局に連絡して、きれいにしろ」
「清掃局は八時過ぎないと始まりません。それに全ての駅となると、とても手が足りません」

「公園局からです。こんなにいたかというほどのペットをつれて、公園も中央通りも、もう主だった通りという通りで糞をさせて、飼い主は立小便して、どこもめちゃくちゃです。毎朝ランニングをしている人たちからは道がペットの糞だらけでランニングできないと苦情がでてます」
「警備から清掃局に応援をだして、文化人が朝の散歩に出てくる前に糞を処理しろ」
「朝早いのがいて、もう糞を踏んで、これじゃパリと変わらないじゃないかって、へんな笑いが広がっています」
「まったく、何が文化人だ。朝の散歩で犬の糞を踏んで喜んで、馬鹿じゃないのか」
「ランニングにでてきた文化人も、同じです。これじゃパリと変わらないじゃないかって」
「警備からの応援で足りなかったら、隣の市から人員借り手でもきれいにしろ」

「市長、地下鉄もバスもストライキで動いてません」
「何?なんでストライキなんだ。ストライキなんかする理由?何なんだ」
「報告では、パリではしょっちゅうストライキしてるから、パリに見習ってストライキだといってます」
「信じられん。何を考えてんだ」
「市長、清掃の外注先もストライキで、清掃に出せる人がいないと言ってきてます」

「第一高校が閉鎖されてます。芸術大学も経済大学もどこもここもヘルメットかぶった学生に占拠されました」
「パリの学生に見習ってということです」
「市庁舎と市議会と放送局が占拠されてます」

「文化人が宿泊しているホテルは大丈夫か」
「ホテルはもうコミューンのような状態で、従業員と宿泊客、みんな勝手に入りこんで朝からワインとビールで気勢を上げてます。芸術座の音楽家も俳優も歌手も誰も彼もがホテルで歌って大騒ぎです」

「招待客の希望でタクシーは一日契約で町中を走り回ってます。そこに学生やら知識人も文化人もまざって、町中に無礼講を祝う講演会というのか演説をしてまわってます。どこでもここでも住民と一緒になってお祭り騒ぎです」
「中央公園の駐車場で乗用車が、ひっくり返した乗用車に誰かが火をつけて、消防車が駆けつけていますが、市内のあちこちで車が燃えていて……」

「おい、全員集めろ。緊急ミーティングだ」
「みんなよくがんばってくれた。感謝の言葉もない。市内のあちこちでちょっと想像できないことが起きている。これも大統領の望んだことの結果でしかないと思う。それでだ、われわれは、今からフランスの文化人やジャーナリストの生の評価を聞きに、市内にくりだそうと思う。ちょっと暴走気味の人もいるようだから、多少の危険はあるかもしれない。まあちょっとした擦り傷や切り傷は別として、なにかあっても公務の最中のことで保険も何も心配ない。それでも心配な人は出て行かなくてもいいし、メットかぶってというものいい」
「なにか質問あるかな」
「だれがフランス文化人の評価を集計しますか。担当者を決めとかないと……」
「馬鹿。フランス人、そんなことを几帳面なやつらじゃないだろう。楽しんで、楽しんで、そして楽しんで、後は野となれ山となれ、それがフランス流だ。いくぞ」

「おお、これはこれは市長さん、市長じきじきわれわれのガイドですかな」
「いえいえ、私は皆さんが私たちのパリを楽しんでいらっしゃるのをこの目で確かめたくてでききました。フランスなら市長も一緒に楽しむんじゃないかと思いますが、どうでしょう一杯」
「そりゃそうだ。お〜い、みんな市長も一緒に、市長のパリを楽しもうじゃないか」
「それにしても市長、なんでここまでろくでもないパリを真似しちゃったんですか。こうなっちゃうと、もう規律正しく、つつましくという貴国の文化がだいなしじゃないですか。これじゃパリにいるのと何もかわらない。ちょっと失礼、朝からビールを飲みすぎてトイレが近くてしょうがない」
誰も彼もが並木に向かって立小便するものだから、木の周りだけ雨でも降ったようになっていて、もう犬も近づこうとしない。一週間もすればエッフェル塔のようなキノコが生えてくるかもしれない。

大統領の期待をはるかに越えた、鹿鳴館真っ青のパリ劇場。二日間のパリ狂騒が過ぎ去った街は、憧れを謳ってきた政治家のごまかしを逆手に取った市民のおかげで、パリも顔負けの獣が棲んでいるような悪臭とゴミの山だった。
2018/6/24