翻訳屋に8

新米がみたもの
個人の請負ではなく、業界としてなりたつビジネス規模があるのは製造業からの翻訳需要しかない。サイエンスや人文科学関係の需要は極端に少ない。最先端科学や現代思想や文化の研究論文を翻訳できるのはその世界にいる人たちだけで、巷の翻訳屋に出る幕はないし、いまさらシェイクスピアやギリシャ神話でもない。
仕事は圧倒的に日本語から英語への翻訳で、ドイツ語や中国語、その他の言語の需要はないことはないがという程度しかない。ニッチな市場でという翻訳者でも、特定の顧客をつかんででもいない限り、安定した仕事は期待できない。
製造業では常に新しい技術を搭載した製品が開発されて市場に投入される。製品を輸出しようとすれば、カタログや仕様書から始まって取扱説明書や保守説明書の英語版が必須になる。ちょっとした製造設備にでもなれば、ゆうに千ページを超える書類を翻訳しなければならない。

転職先の翻訳会社は八十年代の初頭、日本で二番目のビジネス規模を誇っていた。そこには多くの外注翻訳者が出入りしていたが、品質を保つために内勤の翻訳者を十数名抱えていた。内勤翻訳者の給料は基本給と出来高の二本立てと聞いていた。ノルマを達成しなくても基本給はもらえる。これが半月で二十二万円から二十七万円になった。ノルマを超えた仕事をすれば、超えた分の売り上げの半分が基本給に加算さる。とは言うものの、もらった仕事をこなすのに精一杯で、ノルマを超える仕事など考えられなかった。翻訳屋になれるかどうかも分からない立場で、給料の詳細など訊くほど厚かましくもないし、聞いたところで何がどうなるわけでもなし、訊く気もしなかった。

きちんとした仕事を納期内に上げられれば、いつどこで仕事をしようが翻訳者の自由で出社しなくてもいい。それでも生活のリズムを保つためなのかベテラン翻訳者の多くは毎日出社していた。翻訳作業にコンピュータシステムが導入されたのは三年後の八五年で、まだ電動タイプライターを使っていた。翻訳室には、ベテラン翻訳者の安定した速度のタイプライラ―の音がバックグランドノイズのように響いていた。

安定した速度が不思議でならなかった。一見で訳せる文章ばかりでもないし、資料を探して確認しなければならいこともあれば、考え込まざるを得ないこともある。誰も彼もがものすごい翻訳者に見えた。日がたつにつれて、どのような仕事をしているのか、その仕事を支えている基本的な能力が分かってくる。
翻訳者は二つのグループに分けられる。第一のグループはもともとは技術屋の年配者で、しっかり自分の技術分野を持っている。安心して仕事を任せられるのはいいが、新規顧客を開拓し続けなければならない営業からみれば、融通のきかない人たちで、自分の専門分野とその周辺の仕事しかしない。仕事の質に間違いはないというより、間違いのない仕事をできる仕事しか請けない。そんな用途限定のできる翻訳者が二人いた。
第二のグループが翻訳者の大勢で、言語から技術翻訳に入ってきた人たちだった。なかには言語学者や英語の細分化した分野の専門家もいた。この人たちのなかには、翻訳の仕事をしながら、技術的な知識を培ってきた人たちと、技術的なことには全く興味のない、技術翻訳などしてはいけない人たちがいた。

技術的な知識を培ったとはいっても、基礎知識の欠如はいかんともしがたいことも多い。広範な領域の仕事を無難にこなす術をもってして、そつのない仕事はするが、自分の翻訳した文章が何をいっているのか分からないで書いていることもある。この類の翻訳者が数名いた。
技術的なことには興味もなく、勉強しなければという意識もない。日本語で書いてあることを文字通り英語に書きなおして、文字数かページ数で金になればいいという翻訳者がほとんどだった。クライアントの技術屋が書いた日本語の原文がだらしないから、そのまま字面で翻訳したら、意味のある英文にはならない。それを字面で何も考えないでさっさと英語で書いて行くから、とんでもない翻訳がでてくる。クライアントからクレームがついて、翻訳し直しで戻ってきた翻訳を読んだが、何を言っているのか想像のしようもなかった。相手はベテランの翻訳者、恐る恐る何と書いてあるのかと訊いてはみたが、答えは決まって、日本語でそう書いてあったからか、辞書にはそう載っているからだった。

「藤澤さん、これちゃちゃっと手直しできないかな」
クレームがついてもおかしくないものなかチェックしてと言われて、戻ってきた翻訳は読んだが、やり直しとは聞いていない。
「ええぇ、井上さん、ちゃちゃっとなんかできないですよ。「てにをは」って話じゃないんだから。まともにしようとしたら、全部翻訳しなおすしかないですよ。足立さんだって、そんなことわかってんでしょうに。それこそ木に竹をつないだような変な英語になりかねないですよ」
「わかってるわよ。でも、そこをなんとかなんないかなー。おじさんに客が納得しないからやり直しって言ってもしょうがないでしょう」
自称「できる」翻訳者の方をチラッと見て、
「プライドだけは人一倍なんだけど、できないんだから。最低限、これならクライアントがしょうがないって受け取ってくれればいいんだから、なんとかなんないかなー」
「ええっ、まあ、これ図や表も結構あるから、実のページ数でみたら百ページちょっとですよね。やるとしたら、最短でも十日はみてもらわないと。客は待てるんですか」
「よかった。客は抑えるから、一週間であげてよ」
「だめだめ、十日プラスアルファみてもらわなきゃ。適当にやってまた突っ返されたら、目もあてられないじゃないですか。ここは最低限プラスアルファでいくしかないですよ」
通勤時間がもったいない。仕事をもって帰って、自宅で朝から晩まで翻訳し続けて片付けた。
こんな汚れ仕事をしながら、固定客が増えていく。一度評価してもらえれば、次の仕事のときに客が指定してくれる。指名料はないが、客の製品にも用語にも慣れて、おいしい仕事になっていく。

日本語の原稿と翻訳の質を考えていくと、翻訳とはいったい何なのかというところまでいってしまう。原文の日本語を忠実に英語に置き換えるのが翻訳だという、英語使いの翻訳者の主張にも一理ある。ところが、原文には書かれていても、英文にはその意味を持ち込まない方がいいこともあれば、原文にない言葉を追加しないことには英文として意味をなさないことも多い。
英語の書類を手にする海外の客は、日本語の原文に何が書かれていようが、手にした英語の書類で書類の出来を評価する。翻訳を依頼してきた客と英語の書類を使う客にとって、字面の翻訳がいいのか、英語の書類としての内容の通った方がいいのか、問うまでもない。

では、翻訳を依頼してくる客が、英語への翻訳を前提としたとまでゆかなくても、読み間違いの少ないきちんとした日本語の書類を原稿として翻訳者に提供できるのか?その能力があるのか、労を惜しまない仕事をできるのかというと、否だろう。自分たちのだらしのない仕事のつじつま合わせを、追加費用を払うことなく外注先の翻訳者に要求するのは間違っている、という字面翻訳者の言い分にどのような反論があるとも思えない。
請負稼業の翻訳者にしてみれば、だらしのない日本語を編集して、きちんとした文章に書き換えたうえで、英語に訳していたのでは手間がかかり過ぎてメシが食えない。誰もボランティアで翻訳している訳ではない。

どのみち請負稼業、字面でさっさと翻訳して即の金になればいいじゃないかというと、そうともいいきれない。そんな仕事をしていたら、せっかくの勉強する機会を活かせないだけではく、安値競争のどうでもいい翻訳会社や翻訳者と価格競争に陥るだけになる。留学生崩れや英語に自信のある?翻訳者予備軍は増え続けていたし、もしコンピュータが進歩して自動翻訳が実用化されれば、真っ先に字面翻訳者は存在価値がなくなる。
だらしのない原文しか書けない客と字面でしか翻訳できない翻訳者、どっちもどっちの共犯者、どう転んでも「悪貨は良貨を駆逐する」世界に違いはないが、それでも自ら悪貨を目指すほど落ちぶれちゃいけない。

科学技術翻訳士などという資格をもった翻訳者の多くも言語から入ってきた人たちで、技術的なことには興味がない。資格が仕事をしている訳ではないと言ってしまえば身も蓋もないのだが、資格をもっている人たちの仕事の方が怪しいのには驚いた。実務の世界では、検定試験の問題のような意味の通った原文からの翻訳などない。言葉からでは何を言っているのか分からない日本語を読み切る技術的な知識なしでは翻訳などできない。

簡単で金になりそうな、おいしい仕事はベテランの翻訳者に流れて、新米には誰もやりたくない、金にはならない、調べることが多くて面倒な半端仕事が流れてくる。実家に住んで、大した給料でなくても困らない立場が幸いした。半月で給料が五万円も上がったのだし、ノルマを超える仕事を目指すより、まずは勉強の時と割り切った。面倒な仕事をもらう度に、何が書かれているのかを理解するために本や資料を探した。たかが一万円か二万円の仕事のために、三千円、四千円する本を買わなければならないこともある。そのたびに勉強できる、また知識がひとつ増やせるとうれしかった。毎晩のように英語と日本語の専門書を読んで自分の用語集を作り続けた。

アイススケートでもするかのように、なんでもスイスイ英語に翻訳してゆく先輩がいた。最初はとんでもなく仕事ができる人なんだろうと思った。仕事をもらうたびに引っかかって、勉強してる見習いには輝いて見えた。周囲の評価は別として、本人はもっとも仕事の「できる」翻訳者して振舞っていた。ある日、偶然「変速」を「gear shift」と訳したのをみて、つい余計なことをいってしまった。
「それ電磁クラッチで切り替えてて、ギヤをシフトしてないですよ」
もっとも「できる」翻訳者としてのプライドもあってなのだろう、
「客からもらった辞書にはそう書いてあるから間違いない」、と一蹴された。
先輩のようにスイスイできたらと思っても、不器用で真似るに真似られないし、真似たら先がない。一つひとついい仕事をと思ってやっていくしかない。スイスイやって実入りの多い先輩たちからは馬鹿にされたが、仕事の仕方である以上に生き様まで絡んで変えようがない。遠回りかもしれないが、それ以外にやりようがあるとは思えなかった。

書類をもらうたびにわからないことばかりで、翻訳をしているのか勉強をさせてもらっているのかという状態が続いていた。なんとかして英語の能力もあげなければと夕方英会話の学校に通っていた。そんな新米を気にしてくれる(ようにみえた)女性の翻訳者が入ってきた。気の強い人で何かのたびに足立さんと言い合っていた。ある日、どういう風の吹き回しか、声をかけられた。
「英会話の学校なんかかよって、あんたいったい何になりたいの?翻訳者になりたいの、それとも通訳にでもなりたいの」
通訳と聞いてびっくりした。まずは、英語の基礎をしっかりしなければ、と思っていただけでこれという目標はなかった。
「通訳なんて、考えたこともないです。とてもそんなレベルじゃないですから」
「だったら、なんで英会話の学校なんか行ってんの?英語ったって、何を目指すかで全然違うんだから」
と言われても、なんとも答えようがなかった。英語の勉強をするには夕方英会話学校にいくしかない。行かないで自分でと思っても独りではどうしてもだれてしまう。行けば授業がどうであれ、少しずつでも勉強して英語の能力が上がるだろうとぐらいしか思っていなかった。
「あんた、そんなに勉強したいんなら、あたしんちで毎週土曜日に勉強会開いてくるから、来る?」
うれしかった。翻訳と通訳の二股かけて仕事をしている人から教えてもらえる。二つ返事で答えた。
「ありがとうございます。是非、お願いします」
「一回三千円だけど、その価値以上のものがあるから……」
早稲田にあるマンションの一室で生徒が三人いた。どこから持ってきたのかという新聞記事の読み合わせというのか試訳を一時間ほどで、後は世間話でしかない。試訳といってもただの新聞記事、なんの意味があるとも思えなかった。付き合いの長い人たちなのか、仲間内のとりとめのない世間話についていけない。一人浮いていただけでなく、五歳以上年下だったこともあって、女性三人に小ばかにされていた。
彼女の翻訳をなんどか参考に見せてもらったが、英語使いの典型で、こなれた文章になってはいるとうものだった。なんどか出席して、目的としているものと違うのでと、丁重に断って勉強会から抜け出た。英語をなんとかと思っている人を呼んで、小遣い稼ぎとしか思えなかった。翻訳者のなかには、英語をキーにしてあちこちの仕事を請けながら食いつないでいる英語渡世人のような人もいる。

理解できないものは英語で書けない不器用な翻訳見習い。いつまでたってもノルマを超える仕事ができなかった。翻訳量だけで評価すれば、お荷物翻訳者だったろう。
そんな仕事をしていて半年ほど経ったとき、ベテランの営業マンがいってきた。
「客から、今回の翻訳はこのあいだの翻訳者に翻訳してもらいたい。その前の翻訳者は技術的に何をいっているのか分かってないとしか思えない。社内での書き直しに手間がかかってしょうがない」
評価してくれる客がぽつりぽつりと出てきた。質を求める客に救われた。
2018/9/30