翻訳屋に12

リライター
翻訳はどうしても日本語の原文に引きずられる。原文を整理して、書かれなければならない内容に編集したうえで翻訳しても、原文のごちゃごちゃの破片が残る。どんなに優秀な翻訳者でも原文の読み違いもあれば、ちょっとした英文法の間違いもある。
原文の読み間違えや技術的な内容には踏み込めないものの、せめて英文としてのチェックぐらいはということで、リライターと呼ばれる人たちが雇われていた。三十前後のエリックとセアーというアメリカ人が常勤していた。増え続ける仕事に二人では処理しきれない。パートタイマーとして、アメリカ人のキャシーやターナーにロンドンで育った四十歳近くのアルゼンチン国籍のリディアさんが入ってきた。
技術的な知識もなければ日本語も読めない。日本語の原文にひきずられたたどたどしい英文からネイティブらしい文章にするのはいいが、原文からかけ離れたすっきりした誤訳になってしまうこともある。それでも、翻訳会社としては、最低限の品質として文法の間違ったものは出したくない。それだけのためのネイティブスピーカーによるチェックだった。

仕事を始めたころ、半端仕事をもらっては一所懸命翻訳した。多くても一、二ページ、いくら時間をかけてもすぐに終わってしまう。が、終わりきれない。簡単な和文からでも、いくつもの英文が書ける。どれにしても技術的にも文法の点でも問題ない文章で、どれにするという決断がつかない。基本は簡単明瞭。迷ったときは、端的な短い文章にすればいいのだが、前文との流れも考えれば、流れを優先して、簡潔さは妥協した方がいいこともある。今になってみれば、何をしていたという感じだが、翻訳を始めて間もないころは真剣に悩んだ。

これでいいよなと思いながらエリック(かセアー)に相談した。英文だけ見せても、何を言わなければならないのか分からないことも多いから、簡単なイラストを描いて説明した。二人とも翻訳された英文を読んで、適当に手直しすればいいという姿勢だから、イラストまで描かれて説明されても面倒くさいが先にたつ。それでも人のいいエリックは相談にのってくれた。セアーは相談しようとしたとたんに面倒くさいという顔をするから、セアーが専門と自称しているコンピュータの関係でもなければ相談しないようにしていた。

イラストで説明しながら、エリックにどっちの文章にしようかと相談すると、いつもどっちでもいいという返事が返ってきた。 どっちでもいいのは分かっている。ネイティブの感覚でどっちの方が、スムースな文章になるかと聞いても、答えは同じで、どっちでもかまわないだった。それでも翻訳を始めたばかりの英語に自信のないものにとって、エリックは何でも相談できる貴重な存在だった。

半年近くたって気がついた。エリックは親切でいいのだが、文章の優劣を判断する能力はほとんどなかった。セアーやキャシーが何かのたびに、エリックに一度アメリカに帰った方がいいと言っていた。二人が言うには、エリックは日本が長すぎて、英語がおかしい、ネイティブとはいえないアメリカ人になってしまっていた。一年もアメリカに戻れば、多少はネイティブらしい英語になるだとうと、二人が口をそろえて言っていた。
ターナーも似たようなことを言っていたが、こっちの英語のレベルが低すぎて、どこがネイティブらしくないのか分からない。三人のアメリカ人がそういうのだから、そうなのだろうとしか言えないが、当のエリックは、自分の英語が怪しいことぐらいわかっているし、気にもしている。ただそんな英語のレベルでも、日本ではネイティブの気のやさしいアメリカ人で通る。

あるとき、エリックにもう何年日本にいるのか……聞いて驚いた。父親が軍属で日本に長く滞在していた。そのせいで、エリックは中学校から大学まで日本だった。大学での専攻を聞いてびっくりした。上智大学の神学部だった。いろいろな人に会ってはきたが、神学部はエリックだけだった。そう言われて、あらためてエリックの容貌をみれば、キリスト系をよそおった結婚式場で神父か牧師のような格好をしている人に見えないこともない。
そうは言うものの、聞く話からはイメージできないことが多すぎる。神学部の学生が、アルバイトばかりしていて卒業に五年かかった。金に困ってピンク映画に出演したこともあるし、夕飯を食う金がなくてデパートの地下の食品売り場の試食を歩き回ったこともあると言っていた。

日本に長いし、同棲している彼女は日本人。日本語の勉強をしてはいるが、なにがなんでもという一所懸命なところがない。よく言えば穏やかな、いい人なのだが、なにかを成し遂げるのに欠かせないエネルギーが足りない。口語でも日本語は片言に毛の生えた程度で、本来母国語である英語もネイティブからは程遠い。日本の大学を卒業はしているが「神学部」。何人ものアメリカ人に「一度アメリカに帰って……」と言われても、帰っても職はないだろうし、帰るのが怖くて帰るに帰れない。いいヤツだったが、日米の狭間に落ち込んで、将来どうするという考えもない。それは、日系移民の人たちが日本語が不自由なのとは違う。移民の人たちには、それぞれの母国語がある。

育った環境がしっかりした母国語を持たない人を生み出してしまう。エリックのような人たちが結構多いのに驚くが、エリックと似たようなセミ・バイリンガルの日本人と仕事を一緒にすると、驚くではすまないことがある。エリックは、英語はネイティブからずれていること、日本語はガイジンのレベルでしかないことを自覚している。セミ・バイリンガルの日本人で自覚のあるというのか、その事実に謙虚な人に会ったことがない。英語ができるということで、若いときからちやほやされる。特別な努力もすることなく、生まれ育った環境から与えられたものでちやほやされれば、よほどの人でなければまっとうな人にはならない。

エリックの自信なさそうな、気の弱そうな言動と真逆のセアーには誰もが呆れていた。何をするにも自分しかない。仕事の緊張を保てるのは長くて十五分。ぼーっとしている時間の方が長い。セアーの勝手に一番迷惑をこうむっているはずのエリックが、いつも鷹揚に、まあ、いいじゃないかと付き合っている不思議なコンビだった。

三人とも事務所にいれば、必ず一緒に昼飯にでかけた。事務所のある御成門あたりにはたいした店がない。三人して新橋に向かって歩いていくのだが、どの店に入るかを決めるのはセアーだった。ある日の水曜日、道を歩いていてセアーが、なんども通り過ごしていた、なんでという中華屋の前でとまった。
「ここにしようや」
いつもは何も主張しないエリックが、珍しく、えっという感じで反応した。なんでそんな店にという気持ちもあって、
「昨日もチャイニーズだったし、一昨日もチャイニーズだった。今日もチャイニーズか」
チャイニーズがイヤだという口調ではない。ただ、三日も続けてチャイニーズは、という軽い響きの抗議だった。それを聞いて、セアーが固い口調で言い返した。それは実にセアーらしい言い草だった。
「So what?……、だからどうした、チャイニーズは毎日チャイニーズを食ってるじゃないか」
「俺たちが、三日続けてチャイニーズを食うのになんの問題がる」
説得力があるのかないのか。いつものことで、二人ともセアーと言い合う方が面倒くさい。

何から何までマイペースのセアーに、なにからなにまで相手次第のエリック。エリックのゆるさは、欧米人はおろか日本人でもめずらしい。ある日、いつものように三人で昼飯にでかけたレストランで、二人には頼んだものがでてきたが、エリックの注文を店員が聞き間違えた。なんだそれというものがでてきた。セアーはうっと笑いをこらえて、さしものエリックもえっと驚いた。それでも、いつもの笑顔で恐縮する店員に、
「いい、いい、問題ない、問題ない。これでいい」
「おい、エリック、何も無理して食うことないだろう。ちゃんと頼んだものに換えてもらえよ」
といったが、それを聞いたセアーが自分のことを棚にあげて、
「エリックの日本語がわかりにくかったからじゃないか。オレの日本語はちゃんと通じたぞ」
こんな言いかたをされても、セアーだからしょうがないという顔をするだけで、いつものように受け流して、
「こんなことでもなければ、こんなかわったメシ、試すこともないじゃないか。いい経験だ。そう思わないかセアー」
エリックは、押し返すにしても「そう思わないかセアー」というまでで、なにがあっても人とはぶつからない。
まったく、セアーも「そうかねー」ぐらいにしておけばいいのに、余計なことを言う。
「いや、経験したいことは自分で選ぶもので、誰かのミスでしなきゃならない経験はイヤだね」
うるさいセアーにあきれて、
「いやー、偶然ってのがなければできない経験もあるし、これはこれでいいじゃない」
テーブルの向こうで薄笑いを浮かべているセアーを気にしながらも、気にしてなんかいないというそぶりで、一口食べて、わざととして思えない口調で、
「うん、これ悪くない。結構いけるぞ、セアー」
といってはいても、横からみれば、何、これという顔をしていた。それでも、セアーの目を意識して、よろこんでいるとしか思えない顔で食べていた。人が先で自分は後でというエリックの生き様そのものだった。

自分しかないセアーが一度だけ顔色を変えて助けを求めてきたことがあった。社員旅行で伊豆を回って箱根にでた。芦ノ湖の遊覧船に乗ってぼんやりしたら、仕事でも私生活でもダラダラしているセアーが走ってきた。あのセアーが走って?何事かと思えば、日本語―英語の通訳をしてくれという。何を言ってんだかと思って、セアーが走ってきた方をみたら、中学生の修学旅行の集団がいた。セアーに引っ張られて集団にいって、すごい英語に驚いた。英語をしゃべって(しゃべろうとして)いるのは分かるが、日本語が混じっているだけでなく関西弁の強いイントネーションのせいで、日本人なら想像がついてもネイティブにはできない。

ネイティブでもなければ、だれもお国訛りの英語になる。中国人の英語は日本人の英語とは違うし、韓国の人たちの英語とも違う。つたない経験からだが、一見何人かわからなくても英語を聞けば国がわかる。いつも聞いていた日本人の英語(Japaglish)に複数のバージョンがあるなど考えたこともなかった。同じJapagalishでも関西風英語は東京風英語とは似ても似つかないものだった。 相手は中学生、外国人相手のどこにでもある話で、なにがあるわけでもない。こんなイントネーションの英語を勉強してどうするんだろうと思いながら、ディープな関西風英語を通訳した。ソシアルドロップアウトの見本のようなセアーでも、中学生に話しかけられて、いつものように無視したり、つっけんどんな言い方はできなかったのだろう。勝手なヤツで疲れるが、決して悪いヤツじゃない。

日本人が英語の発音がと気にするが、気にし過ぎだと思う。発音なんかどうでもいいとは言わないが、RでもLでもFでもVでも、発音なんか気にするより、英語らしいイントネーションになっていれば通じる。一歩日本をでれば、母語の訛りそのままの英語で話している人たちに会う。なかには何を言われているのかわからないまま、ずいぶん時間がたってから、英語だったと気がつくことさえある。
母語のイントネーションをなんとかしなければなどと言えば、文化的な差別だといわれそうな気がするが、意思の疎通が目的ならば、気にしてしかるべきだと思う。あまりに強い関西弁のイントネーションが残っていては、英語での会話が難しい。気にもしないで、英語での会話を求めての勉強では、成果という成果が得られるとも思えない。

おかしなアメリカ人に外れた日本人が新橋や新宿あたりの飲み屋で三人の掛け合い漫才のような話をしていると、英語の分かる、英語で話をしたいというオヤジさんから若いのまでがよってきて、どうでもいいことで時間が過ぎていく。なかには「おじさん、英語じょうずだね」と言ってくる若いのがいた。二十歳そこそこのから見れば、三十をまわったのは、もう立派に「おじさん」なんだろう。それにしても、「じょうずだね」が世辞なんだか冷やかしなんだか、セアーではないが、余計なお世話だ。

(技術)翻訳という自由業、翻訳した仕事が見えるだけで、名前がでることもないし自分は誰にも見えない。見えなければ誰に気兼ねすることもない。世間体、気にしないわけでもないが、気にすることでもない。電車に乗っていても、道を歩いていても、自分がいるんだかいなんだか、周囲の人からは見えてはいても、見えない存在。誰の世話になるわけでもない、世間のしがらみから自由になった自分がいた。

翻訳屋、何をどうしたところで、社会に顔のでないソシアルドロップアウト。そのソシアルドロップアウトのなかのほうが居心地がいい。なぜ?答えは簡単、自分もしがらみから逃げ出したソシアルドロップアウトだから。格好をつけて言うなら、自由人。
2018/10/14