翻訳屋に2

走りまわる便利屋
海外支社や顧客から技術的な障害の解決を求めるファックスがはいる。回答をのんびり待っている余裕のあるクレームなどめったにない。できるだけ早く何らかの連絡をしなければならない。即内容を分かりやすく整理して、工場の担当部署にファックスで障害対策を問い合わせる。本来であれば担当部署に依頼すれば終わりなのだが、だらしのない会社でクレームを処理する組織もなければ、専任部隊という考えもない。誰も日常業務で忙しいから、依頼したところで後回しにされて、いつになったら回答が得られるのかわからない。
クレームには計画や予定などないから、担当部署にしてみれば、いつも飛び込みで面倒な話をもってくる厄介者。そんなヤツを相手にしてたら、本来の業務の日程が崩れかねない。いきおいどの部署に行ってもたらいまわしにされる。解決案をだすのは担当部署の仕事なのだが、お願いしますと頭を下げて回ったところで、なかなか手をつけてはくれない。いきおい、自分でできることならなんでもと工場中を走り回ることになる。

具体的な例をあげれば、便利屋の活躍?をご理解いただけるかもしれない。
出荷して半年たらずなのに油圧バルブの不良で機械が止まっている。シンガポールの代理店から一日も早く交換品を送ってくれと矢の催促の電話までかかってきた。海外の客の多くがジョブショップと呼ばれる零細な賃加工屋で、代替えの機械があるところはほとんどない。交換品の提供に一ヶ月もかかったら、それこそ会社の存続にかかわる。

セイキインターの技術課から日立精機の工務部宛にクレームレポートを送っても、何時になったら交換品が出荷されるのか分からない。工務部が工場の生産管理の中枢にいて、部品加工、部品組立、総組立、電気部、検査、購入品の手配なら購買部、……が整然と動いてゆく(はずな)のだが、どこも生産のための日程管理はしても、飛び込みの障害対策の工数など勘定にいれていない。
それでも国内営業は営業のトップから工場のトップへの話で、緊急処理を要請することもできる。日立精機は、為替変動による経営への影響が大きくなりすぎないようにと、海外市場はお手盛りで十分と考えていた。輸出は子会社まかせで、子会社から工場への政治力はなきに等しい。

客の窮状が目に浮かぶから、書類をまわしてで終われない。ファックスしておいたクレームレポートを持って、工務部の課長にざっと状況を説明して、ラインから外れた緊急処理の許可をもらう。許可をもらったところで何が起きる訳でもない。工務部に頼らずに自分で関係部署を回って折衝してもいいということでしかない。
組立ラインに行って、班長にバルブの予備品はないかと訊く。予算管理が厳しくて、予備品があることはまずない。そこで、班長に一番出荷の遅い機械の出荷予定日を聞き出す。そして、その機械に取り付けてあるバルブを交換品として取り外せる可能性を訊く。その足で購買に回って、バルブを即発注したら、いつ納品できるか納入業者に問い合わせてもらう。特別なバルブではない。一週間もあればなんとかなる。
担当部署に行ったところで、すぐに相手をしてくれることはない。担当者の手が空くまでというのか、気が向くまで、うっとうしくなりすぎない距離をあけて待っている。ここに至るまでに、頭は下げるためについているとしか思えないほど、どこでもここでも頭を下げ続けるが、作業はまだまだこれからで、下げた頭を下げ続けなければならない。

納期の話をもって組立ラインに戻って、バルブの取り外しの許可をもらう。許可であって、取り外すのはこっちの仕事。機械に潜り込んで取り外したバルブを出荷班に持って行く。班長にバルブを海外の客にできるだけ早く発送するにはどのキャリアがいいのか訊く。なんども似たようなことをしているから、どのキャリアがいいのか見当はついている。ついてはいても相談もしないで電話すると、班長がへそを曲げかねない。班長がキャリア一覧をみて、いつものようにどれにするかという顔をしている。いい年して、こんなところで格好をつけるなよと思いながら、「ここにするか」と言うまで待っている。班長に頭をぺこぺこ下げながらキャリアに電話して、バルブ発送の予定を伝えてベストの輸送を予約する。班長にお願いして、バブルを梱包する木箱の材料をもらって、のこ盤で切って釘を打って箱を作って梱包する。海外営業担当に電話して、交換品発送の準備ができたから、輸出書類を早急に作って出荷班に届けるように依頼する。

工務部にいって、ことの次第を報告して、組立ラインの班長にお礼をいって、交換バルブの入荷予定日にバルブも持ってきますと約束する。最後に購買部に行って、バルブの納品をトラッキングするために、納入業者のコンタクト先を聞く。バルブが入荷したら、組立ラインに持参しなければならないので、モノは購買部に置いておいてもらえるよう頼んで終わる。
知っている限りでしないが、誰も書類を回して終わりで、こんなバタバタをする馬鹿はいない。やったところで、また似たようなことになったら、あいつに言えば、なんとでもするだろうぐらいにしか思いやしない。挙句の果てが、頭を下げるヤツは立場もなければ仕事もできないヤツとしか思わないろくでもない文化がある。

原因も対策もはっきりしているときはまだいい。クレーム処理の多くが、なんでそんなことが起きているのかを想像することから始まる。品質保証部が機能も性能も把握しているはずなのだが、定型作業の物の検査には長けていても、障害対策ではなんの役に立たない。障害のトラッキングは電気制御からが常識だが、時間稼ぎというわけでもないだろうに、それは設計に行って機械系の可能性を訊いてみなければ、品質保証に行って、購買に行って購入品の保障がどうなっているのか確かめなければなどと、ありもしない可能性をあげて逃げ回る。確かめなければというのは、お前訊いてこいということで、自分からは何もしない。言い合ってもしょうがないから、言われるがままに聞いてまわるが、行った先々で馬鹿にされる。それはそうで、そんな可能性などありっこないことを聞きにきて、こいつはいったい何を考えてるんだ、頭は確かかと誰もが思う。それでもなんとかしなければと、こっちで聞いたことをあっちで伝えて、それをこっちにと関係するかもしれない部署を歩き回る。

聞いてきた話を整理して、逃げ道を一つひとつ塞いでいく。すべて塞いだところで、「ああ、そうなんだ」というだけで、日常業務を続けて何もしない。上司の課長に言っても、部長に言っても、それは担当者じゃないとわからないからで終わる。できることは一つしかなかった。クレーム処理に手をつけるまで、そして対策を言い出すまで、机の前に立っていた。そうでもしなければ、いつになっても何もしない。それが特別変わった担当者だからということでもない。誰も彼もが日常業務という流れ仕事から一歩もでてこようとはしない。

生産日程で動いている人たちにすれば、トラブルを持ち込むだけの煩い困り者、誰もこっちの顔を見たくない。遠目に見つけて逃げるのまでいた。技術研究所と海外関係でしか仕事をしたことがないから、工場の人たちには、「あいつは何なんだ?おおかた子会社の社員だろう」ぐらいにしか思われていなかった。五六歳は下の後輩、こっちが何者なのか知らないのだろう、名前を呼び捨てにして命令口調で話すのがいた。

ある日、工場を歩いていたら後ろから、
「おい、藤澤、お前なにやってんだ」
なにがなにやってんだ、馬鹿野郎。お前が何もしないから、代わりにやってんだと思いながら、
「主軸の部組に行って、グリースをちょっと分けてもらおうと思って、……」
ニューヨーク支社から取り寄せればいいのに、人間関係のごちゃごちゃもあって、ロスアンジェルス支店からグリースを送ってくれと言ってきた。主軸用のグリースは専用品で、そこらで手に入るものは使えない。郵送するもの大変だし、出張にいく営業マンに持っていってもらうと思っていた。
「勝手に行くんじゃねぇ、オレに一言いってからにしろ」
何を偉そうに、お前の上司の課長にはちゃんと話しを通してあるじゃないか、とは思っても、
「ああ、すいません。今朝、宮地課長にお話したら、主軸組立の小林班長に言っておくから、自分でもらいに行ってくれって話だったんで……」
「そりゃ、課長との話でオレは知らない。今度からちゃんと言ってからにしろ」
「ああ、そうですね。そうします」
町のチンピラと何もかわならない。馬鹿馬鹿しくてかまってられない。人にとやかく言うのは、てめぇの仕事をしてからにしろ、この馬鹿野郎と思ったが、そんな社会のその程度の人間、言ってどうなるわけでもない。グリースもらって、宮地課長のところに戻って笑い話にした。ひきつった言い方から始まってしまったが、笑い話にでもしなければ、気持ちが持たない。

「これからは、あの馬鹿に取りに行ってもらって、オレは課長の横に座って待ってることにしましょうか。オレの立場では、スジを通して依頼すれば、後は宮地さんの部隊の仕事じゃないですか。忙しいってんで、丸ビルから我孫子くんだりまできて、代わりにやってるだけで……。あの馬鹿、わかってんでしょうかね。あれでも一応は国立大学ってんだから将来は明るいっていうか、もう眩しくて目を開けてるのがつらいっすよ」
宮地さんの頭の上を指差しながら、
「宮地さんもいい部下もって、ほらもう後光がさしてますよ」
しょうがないヤツだと放っておいたら、誰かに注意されたのだろう、ある日突然「さん付け」で呼びだしてへいこらしてきた。頭をかっさばいて配線しなおしてやりたくなる。どこにいっても似たようなのしかいない。そんな腐った組織にもポツンポツンとまともな人がいた。宮地さんはその一人で、しばし職権を超えてまで助けてくれた。

工場でのクレーム処理は、お前たちの仕事だろうと正論をはいたらどうなるか。間違いなく黙殺される。へそを曲げて工務部経由で正式依頼が来ても何もしないで、放っておかれるのが落ちだろう。誰がみても硬直して全機能不全に陥った組織だが、それが当たり前になったところで生きている人たち、自分たちに都合の悪いことに耳をかたむける人はいない。たとえいたとしても組織のなかの異物として疎外されて終わる。

日常業務を優先して、クレーム処理の責任のある人たちが何もしようとしない。してもらうにはどうするか。ベンディングマシンのコーヒーやコーラを持っていくのはいつものことだった。もうちょっと重いヤツをと思って、試しに父親が在庫していたウィスキーを持っていってみた。呆れたことに、課長でも係長でも二期下の若いのまでが、ニコニコしながら、当たり前のように受け取った。それを見たあっちやこっちが、オレにはないのかという顔をしていた。盆暮の付け届けではない。フツーのときのフツーの当たり前の仕事で、付け届けしなければ動こうとしない。こんなところに長居したら自分が腐る。

クレーム処理の便利屋がクレーム処理だけでは終わらない。ある日、宮地さんから、
「おい、藤澤、ちょっと助けてくれや。森専務がアメリカに遊びにいったのは、お前も知ってるだろう。あっちで代理店に何か言ったんだろうな、催促の手紙が来た」
「そんなもの、森さんに回して、返事してもらえばいいだけじゃないですか」
「お前、わかってて言うな。森さんが英語?オレ以下だ。ちょっと探りをと、アメリカはどうでしてたって訊いたけど、さすが森専務、大物だ。ゴルフとピアノバーがどうのってのはあっても、それ以外は何も覚えちゃいない」
「ほれ、これ見てみろ。英語の自信はないけど、来年には縦型のマシニングセンターを発売するって聞いたけど、詳細スケジュールと価格帯を連絡してくれってよ。デトロイトとどこかの展示会に出展したいって言ってきてるんじゃないかと思うんだけど、お前、どうだ」

何かしようなんて考えないで、何もしないでおとなしく自分の席で座っていたほうがいいという人もいる。その方がみんなのためなのに、エライの限って余計なことをする。代理店の社長からの手紙を見た。宮地さんが言っている通りだった。代理店の社長は駐在していたときに何度か会ったことがある。朴訥とした人で、人に鎌をかけるような人じゃない。大方森さんが、何を訊かれているのかもわからずに格好をつけてYes、Yesとでも言ったのだろう。それにしてもニューヨーク支社はいったい何をしているんだ、と思ったが、すぐに気がついた。この手紙に後ろに自分たちの要求が隠れている。支社として本社にいくら市場の要求を言ったところで動こうとしないのに業を煮やして、人のいい代理店の社長に手紙を書かせたとしか考えられない。
「宮地さん、これ、代理店の社長を使って、ニューヨークが自分たちの要求を言ってきてるだけですよ」
「森さんにあっちで何を言ってきたのかって問い詰めたところで、怒るだけでしょう。縦型の開発は検討中で、今のところはっきりした予定はないって、オレのほうから答えちゃっていいですか」
ことは英語が読めるということではない。書かれていることの背景を想像できなければ、文面を見てもわからない。
「そうしてくれるか。森専務にはオレの方から適当に話しておくから」
宮地さんのほっとした顔がうれしかった。海外の仕事はファックスのやりとりで顔がみえない。怒った顔をみないですむが、トラブルが解消したときのほっとして喜んだ顔を見ることもない。
「ドラフトを宮地さんに送りますから、チェックしてください」
「宮地さんの了承をまってから、ニューヨークにファックスしますから」

英語ができるということで、海外からの実習生が来ればにわか教師をして、代理店や客だけでなく市民団体がくれば、通訳に駆り出されて工場見学の案内をして、海外から英文レターが届けば翻訳させられていた。英会話の学校にかよって、英語の能力の向上を目指したが、英語がらみの便利屋、仕事をがんばればがんばるほど、使いまわしの利く便利屋になっていった。
2018/9/2