翻訳屋に6

辞表をだしたら
出てゆく先が決まれば、長居は無用。辞められるというだけうれしかった。うれしさの勢いが表にでないように、つとめて涼しい顔で、退職日を翌月末にして上司(係長)に辞表を出した。どんなトラブルがあったところで、もう他人ごと、知ったこっちゃない。汚れ仕事や雑用を押し付ける便利なのがいなくなる。次のよろず引き受け役を探そうにも、早々いるわけじゃない。当たり前のように人に押し付けて涼しい顔をしてきた連中の顔を見るのが楽しみで、辞める挨拶をした後もちょくちょく見にいった。

ニューヨーク駐在からセイキインターに戻って一年ほど経ったころ、日立精機に海外技術課なるもができた。なんでこんな二重構造にするのかわからないまま、仕事をもって一人だけ日立精機に戻った。戻ったところで仕事は何も変わらない。ところが、机が東京駅の前から我孫子に移ったせいで、毎朝六時前の電車に乗って、片道二時間の長距離通勤になってしまった。
係長はニューヨーク支社で上司だった人で、一年遅れで帰任していた。海外技術課でニューヨーク時代の上司と部下の関係が復活した。課長はヨーロッパの駐在上がりで純粋というのか、まじめすぎる人で、いつも正論で押し切ろうとして関係部署とのいざこざが絶えなかった。

係長は技術屋としての経験や知識もさることながら社会人として良識のある人で、大学さえでていれば間違いなく役員になっていたと誰もが思っていた。ニューヨーク時代に本社の仕事のだらしなさに憤慨していた人が、本社の担当窓口として海外支社と連絡する立場になった。本社工場の関係部署の体たらくに、当初はことあるごとに怒っていたのが、二三ヶ月もしないうちに投げ出しぎみになっていた。
駐在員としては失格だったのが、問題を解決するために走り回っているのをみて、ニューヨーク時代には想像もできない、手の平を返したような評価をしてくれた。権限はあっても、責任という意識のない、どうしようもないヤツらを相手に、よく腐らずらずにやってるなと呆れていた。上司にいわれるまでもなく、自分でも呆れていたし、周りの人たちは半分馬鹿にして呆れていたと思う。こんな馬鹿げたことをいつまでやってんだろうと思いながらも、放りだすわけにもいかない。なんとかしなければならない。ただそれだけだった。

堅物の課長に辞表をだすより、係長に出す方が気が楽だった。まるで来週の水曜日(定時退社を奨励していた)に有給をとらせてくださいという軽さで出した辞表をみて、特別な反応も見せずに受け取ってくれた。便利屋で走り回るだけの仕事を一所懸命やっているのを見てきて、辞めた方がいいと思っていたのだろう。引き留める言葉はなかった。十日ほどして、二人だけのときに、言われた。
「お前の辞表が一週間早かった。後一週間遅ければ、オレが辞表を出していた。オレも転職を決めて明日にも辞表を出そうかと思っているところに、お前に先をこされた。二人して辞めるわけにもゆかないから、オレは残ることにした」
「オレはもう四十になるけど、藤澤、お前いくつになった」
「ええ、そうだったんだ。申し訳ないです……。オレより一回り上だったんですね、もうちょっといってるかと思ってました。オレは五月に三十になっちゃいました。三十にして雑用スペシャリストですからね、まったく……」
「そうか、三十か、男の人生は三十からって言うしな、どんな仕事をするのか分からないけど、お前なら大丈夫だ。何でもやってゆける、頑張れ」
ニューヨークにいたときは、上司にも先輩にもそれこそ毎日のように、「お前は外れた」と叱られていたから、うそのような話だった。
一週間早かったからって言われてもと思いながら、奇策がないわけでもないじゃないかと気がついた。出してしまった辞表を戻してもらって、係長が先に辞めて、半年ぐらいたったところでオレが辞める。悪い案でもないと思ったが、潔癖な性格の人でそんなことを思うこともないだろうし、こっちから言い出すことでもなかった。

辞表を出して翌日には、課長からも似たようなことを言われた。二人とも、辞められるなら、次の仕事があるのなら、辞めた方がいい。残るところじゃないということでは同じ意見だった。仕事でお世話になっていた品質管理部の課長と係長からも、工務部の宮地さんからも「辞めるのか?よかったな、新しい仕事、頑張れよ」と言われた。

一週間も経ったころ、係長から二人だけのときに引継ぎをどうするかと相談された。課長も含めて六人の部隊なのだが、誰も彼もが癖のかたまりで、自分の好きなことしかしようとしない。海外からのクレーム処理は海外技術課の主業務のはずなのに、便利屋にまかせっきりで、誰もかかわろうとはしなかった。
一期下のヨーロッパ駐在上がりが典型で、もともと電気屋なのだから、電気制御に関係したクレームを担当してもよさそうなものなのだが、誰が何を言っても、古巣の電気部にこもって制御の勉強をしていた。いわく、「クレームを処理するには知識が足りないから勉強しなければならない」
技術屋としての道に留まりたいのはわかる。それは誰も同じなのだが、常識を超えたわがままが通ってしまう。他人の犠牲など気にすることもなく、利己的に自分を押し通すヤツが残って、他人のことを思う人はわき道にそれていく。何をしようがしまいが首にはならい。査定が低かったところで精々五パーセントの差でしかない。不本意な仕事に回されたら、やりたい仕事に回されるまでサボタージュしていればいいとしか思っちゃいない。

課長に言われて、同期と一期下の二人に引き継ごうとしたが、雑用など引き受ける気がない。それを見ていた係長が思いついた。形ながらの引継ぎとは別に実務の引継ぎをオレにしろと言ってきた。実務で生きてきた係長らしい。
「藤澤、あの二人に何を言っても何も残らない。やる気もないし、そもそも責任感ってものがない。ああいうのが偉くなってくのかもしれないが、クズだ」
「そりゃ、誰だってオレがやってきた雑用なんかしたかないでしょう。昨日今日入ったわけでもなし、もう二人とも十年選手ですからね」
「昨日今日入ったんでできるような仕事じゃないし、海外もわかってて十年も過ぎて、それでも自分を殺して人の役にたとうって気持ちがなけりゃできやしない」
雑用係りとして見下されてきただけに、係長の言葉がうれしかった。
「藤澤、今までやってきたクレーム処理を分類わけして、どこの誰に相談にいったらいいか、誰には相談しちゃいけないか、そうだな、こいつという本命は○、相談しちゃいけないヤツには×、本命が出張かなにかでつかまらないときには、こいつでもいいってのに△の記号をつけた一覧表を作ってくれないか」
「部も課も係りも関係ない。できる、やってくれる、相談できるヤツを知りたい。言ってることわかるだろう」

特別なことは何もない。翌日、係長に「ドラフトですけどできましたよ」って小声で言ったら、
ふたりでコソコソやるのも変だろうし、周りの目を気にしてか大きな声で、
「そうだな、藤澤もあと何週間でもなし、コーラでも飲みに行くか。コーラぐらいおごってやらないとな……」
といいながら出て行った。
ドラフトをノートに挟んで後を追った。
出て行くとき、あれっと思っているみんなの目が気にはなったが、もうそんなものどうでもかまいやしない。
社員食堂の隅に二人で座って、一覧表を一目見て、
「うん、◎と○に分けてくれたんか」
「どうしようかって迷ったんですけど、本命って言えないのがほとんどなんで。ただの○は△よりはいいってだけと思ってください」
「しっかし、×が多いな。×ばかっかりじゃないか」
「いやー、なにもきつい評価をしたつもりはないですよ。まともに考えたら、×じゃなくて××と二重にしたいのばっかりですから」

「お前、よくこんなところまで行ってたな」
「こんなとこまでって、オレ、最初に配属されたのは技術研究所ですよ。古巣ですから」
「電気のやつらが、自分のミスをごまかしてああだのこうだの言ってきたとき、言っていることが技術的まっとうなことなのかどうなのかの判断、難しいじゃないですか。そんなときに、研究所の一階にいる制御技術開発に相談にいけば、ニュートラルな意見を聞けます。聞いたことから、電気の担当者の逃げ道を塞ぎでもしなけりゃ、都合のいいようにはぐらかされちゃいますからね」
「トラブルがおきて、障害だクレームだって他人ごとのように言ってますけど、七割がた、いや八割がたかな、機械も電気も設計がだらしないから起きてることじゃないですか。公平な目でみれば、おい担当者、お前が作ったトラブルでみんなが迷惑してんだ。わかってんのかって。普通の頭がついてりゃ、そのくらいわかりますよ」
「そこで謙虚にってのか、普通の常識人として、自分の非を認めちゃったら、どうなります。またトラブルの素を作っちゃうんじゃないかって思いだして、もう仕事なんかできなくなっちゃいますよ。ほらオレの一期下の木下って、いたの覚えてます?まじめな電気屋だったけど、まじめが災いしたんでしょうね。アル中になって辞めちゃったじゃないですか。こんなトラブルばかりで、普通の神経してたら、明日から出社するの怖くなって、精神科にでも通わなきゃらない。この会社、もう上から下まで、恥を恥と思うこともなくなっちゃってトラブルを吐き出し続けることで生きてるとか思えません。どこにでもあることでしょうけど、ちょっと度が過ぎる。もうそこまできてますよ」
ニューヨークにいたときに、係長からなんどか聞いた話を、自分の気持ちとして自分の言葉で言っただけだったが、ちょっとした沈黙が続いた。これで引継ぎは終わりというのも気になって冗談まじりに、
「Fordをもじって言えば、Forfですかね。ほらFix Or Repair Dailyってあるじゃないですか、うちはFix or Repair Frequently。ニューヨークにいたとき、Fordにはえらい目にあいましたからね。なにしろ壊れるようにできてんだから。まあ、FrequentlyだからFordのDailyよりはいいですけど、うちの客ももう懲りてんのいるんじゃないですかね」

親しくしていた同期入社はもう辞めていなかったが、それでもたまに一言二言言葉を交わす高専卒の何人かには、辞めることを伝えた。いつ辞めてもおかしくないヤツが辞めるだけなのだから、ニュース性はないはずなのにニュースになった。もう何人も残っていない同期入社の高専出が一人、また一人と事務所に来た。みんなどこかいいところはないかと思っているから、どんなところに行くのかが気になる。もう高専出の半数近くが辞めていったところで、また一人いなくなる。どうしようもないところに取り残されるような気がするんだろう、誰も口が重い。
「辞めるんか」
「いてもしょうがないだろう」
「そうだよな、俺たちここにいても先は知れてるしな」
「辞めて何するんだ」
「ここでは裏方の仕事を主業務としているサービス産業に転進する」
「思い切ったな」
「自然の流れだ。いつまでも製造業って時代じゃないだろう。油職工はもういい」
何人もが似たようなやり取りをして帰っていった。サービス産業とまでは言ったが、翻訳屋になるとは言わなかった、というより言えなかった。日立精機で技術屋になろうとしてなれなかったのと同じように、翻訳屋にもなれないかもしれないという不安がどこかにあった。

工場中を走り回っているのを見ていた人たちからは、「仕事決まったか、よかったな」「がんばれよ」と声をかけられた。そこには次の仕事が見つかって羨ましいという気持ちが重なっていた。構造不況のなかの朽ちた名門、誰も将来があるとは思っていない。そんなところでも、思っているのか、思おうとしているか分からないが、言動からは将来があると信じているように見える人たちもいた。素面の目でみれば、何をどうしようにも手の施しようのない泥船。将来などありっこないところでも、そこでいい立場にいられる人たちにとってはいい船なのだろう。恵まれない人たちが新しいチャンスをと思っているのとは対照的に、恵まれた人たちはそんな状況にさえ執着する。誰にも先は分からない。するかしないかは個人の自由、でも新しいチャンスにチャレンジできるうちが華だと思っていた。ところがそうは思わない人たちもいる。

外れた人材、会社としては追い出したいはずなのに、スッと辞めさせてくれない。これには正直驚いた。まるで映画で観るヤクザの足抜け騒ぎだった。役員まで出てきて、強圧的な口調で言うに事欠いて、
「会社として十年以上投資してきた。これから回収になるのに、辞められては困る。辞めさせない。ニューヨークに戻りたいなら来週からでも戻っていい。やりたいことをやらせてやる」
何を都合のいいことを、十年投資?ふざけるな。辞令一本で走り回されて、十年も滅私奉公をしてきた。潰れたら潰れたでかまわない捨石のノンキャリア。まだ潰れずに生きてるから、これからも使い回そうってのか、と思いながら、
「ありがとうございます」に続けて、「やりたいことをやらせて頂けるのであれば、辞めさせてください」と繰り返した。
自社の生産工場しか頭にない役員。あんたのような単細胞、頭の乱視が経営しているところに将来があるとは思えないから辞めるんだと言いたかったが、言ったところでわかりゃしない。いつまでも付き合っちゃいられない、過ぎ去る風景にころがっている石ころのようなもので、邪魔だからってんで蹴飛ばすことはあっても、話をする相手じゃない。

技術系トップの専務を筆頭に最大学閥で大きな影響力をもっていた旧帝大の修士が同期にいた。そつなくやっていれば放っておいても役員は間違いない人材だった。事実、倒産したときには役員として技術系のトップだった。これが煩い。役員に説得してこいとでも言われたのだろう。
口ぶりからして他の同期の連中とは違う。同期のよしみでというより、上の立場の物言いで、「俺たちが会社を……」、「俺たちが次の……」、「俺たち」がまるで枕詞(まくらことば)のようについている。枕詞を何回か聞いて、いい加減嫌気がさした。おいおいあんたが言っているのは、「今も将来も、同期のよしみで俺が親分で、お前たちノンキャリアは俺に仕えるかたちでどうのこうの」としか聞こえないんだけどと思いながら……。
「ちょっと待ってくれ」
「その俺たちはよしてくれ。あんたとオレは立場が違うだろう。あんたとオレの間には『俺たち』というのはない。あるのはキャリア組みの筆頭のあんたと、ノンキャリアの落ちこぼれのオレだ」
「それを分からずに『俺たち』と言ってる訳じゃないよな。分かってて、何かの考えがあって、あえて『俺たち』と言ってるんじゃないかと思うんだが、そうじゃなければいいけど、もし多少なりともその毛があるんだったら、話すことは何もない」
上から見ると、見なければならないものが見えない。下から見ると、見ないほうがいいことばかりが目につく。誰も自分の思いから自由にはなれないが、バイアスの少ない景色をと思えば、視線はできるだけ水平に保たなければならない。これがことのほか難しい。
2018/9/23