翻訳屋に14

<ビーンボールのセアー>
エリックは、たまに本音を口にすることはあっても、相手の気持ちを思う性格から口調がやさしい。あまりに穏やかな話しかたが言っている内容を柔らかなものにしすぎる。聞いたほうは、しばしエリックが言わんとしていることに気がつかない。ほめられているとまではいかないにしても、注意されているとは思わない。

若い三人娘が入ってきたとき、すぐにエリックの優しさというのか人当たりのよさとセアーの取り付く島もない無愛想さに、同じアメリカ人でもこれほどまでに違うのかと驚いていた。三人ともエリックには話しかけるが、セアーとは仕事で話をしなければならないときでも、避けようとしていた。エリックは、興味の「きょ」の字もない話題であっても、ニコニコしながら適当に話を合わせる。そこがエリックのよさなのだが、傍でみていて、そんなことを繰り返していたら、疲れちゃうだろうと思うのだが、性格なのか意に介する様子はない。それを横で見ているセアーは、エリックを羨ましく思いながらも、なんでそこまで人に合わせた、演技に近いことをするんだと、半分腹をたてて半分見下していた。

三人で飲みにいくと、必ずといっていいほど、セアーがそのエリックの生き様というのか、相手に迎合した態度にごちゃごちゃ言い出した。そんなセアーの文句のような話でも、エリックはニコニコしながら聞き流していた。エリックは偏屈なセアーの馬鹿話を聞いてくれる数少ない、ただ一人の知り合いだった。エリックにしても、セアーに対して自分をださないことで、多少なりともストレスを感じているがわかる。鈍感なセアーも、それに気がつかないわけじゃない。それでも事務所でちやほやされるエリックに対するひがみもあってか、文句ともつかないことが口からでてしまう。

セアーの言い分にまったく理がないわけではない。なんで何にも中身のない話題を振られて、それもほとんど定型化したといっていい日本人が訊いてくることに、いちいちまじめに答えなければならないのか。セアーに限らず誰でもそう思う。定型化した話題を持ち出した日本人に、持ち出すまでの何らかの知的作業があるとは思えない。深層心理から出てくる寝言よりも性質が悪い。極端に言ってしまえば、何も考えることなく、私はまともな話題もありませんという、知的レベルを疑われてもしょうがない話題を、決まったように、それもしばしば繰り返し聞かされれば、誰だって、いい加減にしてくれと言いたくなる。

「何年日本に住んでいる?」「日本でどこか旅行に行ったか?」「日本語は難しいだろう?」「日本人の彼女はできたか?」「なっとうは食べたか?」「すしや刺身は食べられるのか?」「焼き鳥は美味いだろう?」「アニメは好きか?」「ゲームは?」「相撲は?」……。
なぜ日本人はこの決まりきった話題しか持ち出さないのか?それはガイジンということで、知的レベルや生活姿勢を馬鹿にして言ってきているのではないかというほど決まりきったことを訊いてくる。
三人娘にしても、けなげといえばけなげなのだが、言いたいことを日本語で考えて、それ英語に翻訳して言ってくる。特別何があるということでもないのに、訳すのにちょっと時間がかかって、話が一呼吸遅れる。
このワンテンポ遅れてまでも、一所懸命話しかけてくるのが女性であれば、それをかわいいと感じる外人も多いだろが、エリックもセアーも日本に長すぎて、新鮮さから好感を持てるときはとうに過ぎていた。
聞くだけでも少なからず忍耐が必要なのに、話すとなると、分かりきったことにしても、それこそBasic Englishとでいうやさしい英語でゆっくり、しばし何度も繰り返さなければならない。セアーの話は性格からなのだろうが、理屈っぽいから多少英語がというレベルではついていけない。セアーにしてみれば、そんな苦労してまで理解してもらわなければならないような内容のある話をしているつもりはない。そこまで大変な思いをしてまで、わかってもらわなければならいこともないし、お互い興味のある共通の話題があるわけでもない。

ガイジンと話して英会話の練習とでも思ってのことにしても、どうでもいいことで話しかけられれば、きちんと答えなければという最低限にしても道徳的な負担が生まれる。どうでもいいことを、ろくに考えもせずにポンポン話してくる日本人に精神的な負担まで背負わされる感じで対応しなければならないケースに何度も遭遇してきて、セアーに言わせれば、話をしたいと思う日本人はいるのか?という素朴な疑問が湧き出てくるのを抑えられない。日本人の知的レベル――英語での会話においてという限定つきにしても――は小学校の低学年程度ではないかいいたくなる。偏屈で親しい友人がいたとは思えないセアーだが、それでもセアーにしてみれば、あえて日本人の友人をという気持ちにはなれない。

セアーといろいろ話しをしていて、煩いやつだと思う気持ちがないわけではないが、セアーのいっていることが現実に目の前でなんども起きると、「お前の日本人嫌い」、オレにも分かるとしか言えなかった。あるとき、セアーが、なにか思い出したのだろう、唐突に、
「お前がニューヨークにいたとき、俺が訊かれるようなことを訊いてきたアメリカ人がいたか?なかにはそんな馬鹿もいただろうが、数えるほどだったろう。なんで日本人は決まりきったことを訊いてくるのか?」
と訊かれても、なんとも答えようがなかった。
ずいぶん年月が経った今になっても、これだという答えが思い浮かばない。誤解を恐れずに極論してしまえば、セアーが言うとおりとで、英語になったとたん、「ろくに考えていない」か「考える知的レベルに達していない」としか思えない。

そこまでいうのなら、なぜ日本にいる。さっさとアメリカに帰るかどこか違う国に行けば、いいじゃないかと言い返される。おそらく何度か言い返されたことがあるのだろう、知っている限りでしかないが、セアーがどうでもいい話をしてくる日本人について誰かに話をしているのを聞いたことがない。セアーもエリックも知り合いのアメリカ人も誰もが自分たちの立場、不良外人として日本にいなければ、生活できないことを痛感している。
これといった仕事の経験もなく、手に職があるわけでもない。何を目指してというのもなく三十過ぎ、なかには四十を超えているのもいた。アメリカの社会からはみ出てしまって、いまさらアメリカに戻ってもまともな仕事にはありつけない。日本にいれば、ネイティブスピーカーというだけで、巷のどうでもいい英会話学校で講師として、あるいは翻訳会社のリライターとして、ときには小洒落たレストランでウェイターとして、そして英語をなんとかしようとしている日本女性からはちやほやされる。若いときの社会経験をと思いながら、海外に出てあちこち回って、そこそこ金にもなって、一番すみやすいのが日本だったということでしかない。それにしても日本における自分は、あくまでも仮の自分であって、本当の自分は、こんなはずじゃないという思いがある。ただ時間だけが過ぎていく。

ある晩、不良外人仲間の一人マイクも一緒に新橋の居酒屋で飲んで、たわいのない話をしていたときに、話がころころころがっていって、俺たちはいったい日本で何をしているのかという話になった。セアーが
「マイク、こんどの英会話の学校はどうだ」
「どうって、そんなものどこいったって同じだ。神田まで通うのが面倒だから変わっただけで、何がどうってことでもない。下北からだから渋谷や新宿のほうが楽だし」
「生徒はどうなんだ。またサラリーマンとOLだろう?」
「そりゃ、どこいったって似たようなもんさ」
「お前のこったから、適当に話合わせてんだろうけど、面白いのはいるのか」
「おい、セアー、お前何期待してんだ。そりゃ可愛い子もいるけど、出てくる話は、決まってんじゃねーか。女の子の話は、決まって、この間どこそこ行ったっていう自慢話みたいなもんだし、サラリーマンはこれもなんでこんなに近視なのかと信じられないんだけど、会社というのか仕事の関係ばかりだ。たまにテニスだとか野球だとか、お花がどうのお茶がなんての言い出すのがいるけど……。まあ、どこにいっても、金太郎飴だ。そのどんぐりの背比べの金太郎飴にもライバル心なんだろうな。どうでもいいことで自慢話なのかな、つっぱっちゃって……。楽でいい。オレはあいつらに話をさせて、聞いている格好して、うなづいてりゃいいんだから」
「でも、なかには『なっとう食ったか?』なんてのを訊いてくるのもいるんだろう?」
「そりゃ、どこいったっているさ。日本にいる限りこの類の話からは逃げられない。この間、ベテランの講師、こいつが日本通ってのかね、なんでも知ってますって顔して偉そうなんだ。そいつに訊いてやったんだ、「もしかして、日本の初級英会話なんとかって本に、アメリカ人にはこういう質問をという例文が載ってんじゃないかって」
「そんなもん、あるわきゃない。馬鹿な質問でという顔して訊いたら、まじめに考えてんだ。最後が笑っちゃうんだ。こんど調べておきますってよ」
「いいか、セアー、俺たち不良外人は日本にいるから不良外人でそこそこ生活できる。これがタイとかフィリピンじゃこうはいかない。英語の需要も少ないし、まして消費レベルってのか社会がそこまでいってないからな。先は心配だけど、あまり考え込まないで、くだらない話には適当に相槌うってだ。不良外人でいさしてくれる「英語好き」な日本人に感謝しなきゃ。わかるかセアー、オレたちゃアメリカにはいられない、Social dropoutだ。日本のおかげでこうしてくってけんだから、細かなとこをブツブツいうな」
エリックはここまでのことを言えないし、言わない。マイクのような良くも悪くもさめたヤツの一言がセアーには欠かせない。

誰とでも話をあわせて、人当たりのいいエリックと、自分からしかものごとを見ようとしない偏屈もののセアー。エリックと話をしてもストレスを感じることはないが、セアーといればなんらかのストレスを感じる。人に好かれるエリックと人が避けたいと思うセアー。疲れたときにはエリック、言い合う元気のあるときのセアー。そんな二人と半年もつきあっていると、極端にいってしまえば、人がいいだけのエリックより、なんにしてもまじめに考えて自分の意見を口にするセアーのほうが、知り合ってよかったと思うようになった。

エリックの話を聞いても、何かに気がつかされるようなことはないが、セアーの話には、ときたまにしてもある。そのどれもこれもが腹が立たないまでも、素直には聞きにくい。相手が嫌がることを、これでもかこれでもかと言ってくる。いつもだらだらしているくせに、言ってくることだけは真っ直ぐのビーンボール。よけきれなければデッドボールになりかねない。それでもセアーにしてみれば気を使っているのだろう、しばし自分のとしてではなく、第三者のこととして言ってくる。気にしたところで根っからの不器用な無精者、ちょっと話していれば、いくらもしないうちに、狙い定めて直球を放り投げてくる。なにクソと言い合いはしても、セアーの偏執質につきあっちゃいらない。適当なところでお互い矛を収めて、また日を改めてになる。言いたいこと、それもしばしば事実か真実に近いようなことを言っては人に嫌われる。嫌われて気にして、たまに落ち込んでも、セアーは変わらない。
自分に正直に、周囲の人たちには正直すぎるセアー、たぶん誰も、セアー自身も納得しないだろうが、いいやつだった。一所懸命生きようとすれば、人当たりはよくなくなる。
2018/10/21