翻訳屋に15

<個性的なインド人翻訳者>
インド人の翻訳者が三人いた。二人は内勤で一人は在宅だった。内勤の二人は好対照で、一人はいたことを忘れてしまうほど寡黙。もう一人は口から生まれてきたような人で、世間話のために事務所に来ているんじゃないかと思うほどやかましかった。在宅の人は事務所に顔は出しても、内勤のインド人か誰かとそりが合わないのか、話をするのは足立さんだけだった。足立さんとは気が会うのだろう、たまに夕飯にいっているようだったし、なにをそんなにと思うほど立ち話していた。

社会経験も限られた三十をちょっとでたばかりのもの、当初三人を同じ「インド人」としかみれなかった。半年ほどすぎて、この三人が、周りにいる日本人同士の違いなど、違いとはいえないほど違うことがわかってきた。出自も違えば、社会経験もなにからなにまで違う。共通しているのはインド人ということと流暢を超えた日本語だけだった。後ろで話をされたら、口達者な日本人同士の話にしか聞こえない。三人ともそれほど完璧な標準語を話していた。寡黙な人は証券業界から翻訳に流れてきた人で、たまに技術的なことを訊かれたことがあるだけだった。

話好きは、なんでそこまでというほど日本の伝統文化や芸能に詳しかった。日本の古典文学かなにかが専門で、大学の非常勤講師もして日本語で本も出版していた。平家物語を話題に話しかけれたが、何を言っているのか分からなかった。夏目漱石辺りなら分かると思ったのか、数週間後には、本を開いてこのくだりがどうのと言ってきた。仕事の関係以外では経済か哲学にしか興味がなかったものには、平家物語も夏目漱石も似たようなもので、それを専門としている人、それがインド人であろうが何人であろうが、の話し相手にはならない。
興味を示さない若い日本人をみて、寂しそうな顔をされたが、おいおい、なにか間違ってないかと思った。仕事が先で、教養は仕事のめどがついてからとしかお思えなかった。なんとか一人前の翻訳屋にならなければという気持が先にたって、関係のないことに興味などもつ余裕がなかった。

そんな日本語文学がどうのというより、仕事の関係の勉強をしたらどうなんだという、ある意味まっとうな、多少は傲慢な気持ちがあった。二人とも日本語ということでは、そこいらの日本人など足元におよびもつかない知識があった。ところが、こと技術的なことにはあきれるほど関心がない。日本語は文学に関係することなら読めるし書けるが、技術的なことはわからない。それで技術翻訳はないだろう。少なくとも金をもらって仕事として翻訳しいるのだし、クライアントに失礼じゃないかと思っていた。

この古典文学の先生の仕事のしかたには唖然としたことがある。どこでそんなものを探してきたのかという道具を使っていた。A4よりちょっと大きめな下敷きのような板が縦長のスタンドのように立っている。下敷きのような板の上端にはクリップがついていて、それで和文原稿を挟む。板の左側にはプラスチックの玩具のようなエアシリンダーがついている。そのエアシリンダーに幅二センチ、横二十センチほどの透明な定規のような板がついている。足元のペダルを踏むと、定規のような板がすっと下がる。ペダルの踏みようで下がる距離を調整できる。
亀のように首を伸ばして、遠視なのか老眼なのか鼻眼鏡の上から原稿を見ながら、ペダルをちょっと踏んで原稿の一行二行分定規のようなプラスチック板を下げて翻訳していく。まるでシリアル通信のように、一行二行ずつ日本語が英語に翻訳されていく。字面を行にしたような翻訳、どれだけ生産性が上がるのかわからないが、ご本人はこの画期的な道具を自慢げに使っていた。

翻訳の生産性を考えると、翻訳者がどれほど日本語原稿の領域に精通しているかだと思うのだが、巷の翻訳屋の立場では、自分が専門としている近隣の翻訳まで手をださなければ食っていけない。そこそこ知っている程度の領域も含めて、それなりの翻訳量をこなさなければならない。翻訳の質ということでは、どれだけ言葉に敏感かということと、これがもっとも大事なことなのだが、資料や専門用語の辞典で用語をチェックする手間を惜しまないという二点につきる。その二点は、いい仕事をしたいという人としてのありよう、生き様にまでいきついてしまう。ただそれでメシを食うとなると、そう簡単に言い切れないところがもどかしい。ページいくらの仕事であって、翻訳の質には金を払うクライアントはほとんどいない。

在宅で仕事をしていたインド人は内勤のインド人というより、周囲の人たちからも一線を画して違っていた。インド工科大学(IIT)を卒業した後に東北大学に留学してLEDの研究で博士にまでなった人だった。IITは十万人に一人と言われる競争率でマサチューセッツ工科大学(MIT)より難しいと言われている。何を話しても、ちょっとしたエリート風が気にはなるが、ことばにキレを感じる。技術というよりサイエンスの話をふられて、畑違いの拙い理解で話をするのが怖かった。

それほどの人材が就職した日本の大手半導体メーカでは活きなかった。足立さんから聞いた話では、新入社員としてどうでもいい仕事に振り回されて、年功序列の文化になじめなかったらしい。三十代後半でアル中になって、翻訳で糊口を凌ぐ生活になってしまっていた。留学先がアメリカで、アメリカの会社に就職していたら、そんなことにはならなかったと思う。ことの詳細は知らないが、抜きん出た能力の人材を活かしきれない、横並びを由とする日本社会の限界の生き証人のような気がした。

そんな彼の仕事は、当たり外れが大きかった。納品されるたびに足立さんがほっとしたり、がっかりしたりしていた。そこそこの日本語であれば、きちんと翻訳する気にもなるのだろうが、あまりにだらしのない原文だと、それを整理して日本語で書きなおして、まともな英語にとう気にならない。就職した職場でもあやふやな話や書類にうんざりしたことがあってだろうが、だらしのない日本語がイヤな思いを蘇らせたのではないかと思う。

長話が終わって、ラージが翻訳室から出て行った。足立さんがやれやれという感じで愚痴っぽく、
「ラージ、やればできるのよ。あなたも知ってるでしょう」
足立さんがラージを買っているのはわかる。
「ラージ、翻訳には頭がよすぎるんですよ」
「そうなのよね。電子素子や半導体とか機能性材料なんかだったら、ラージしかできないじゃない。取説とかちょっとした資料なら、できる人いくらもいるけど、学術論文もどきの話になったら、もうあの人しかいないし。これはラージしかいないってのしか頼んでないんだけどね。乗らないと手をつけないで放っておいて、どたんばになってだから、ひどいことになるのよ」
「ひどいことって?そんなに荒れてるの」
「そりゃ、あなた、荒れてるなんてもんじゃないわよ。訳抜けなんてのならいいんだけど、どこを読んで、何書いてあるのかわからないのがあがってくるのよ。酔っ払って翻訳したんじゃないかって、もう手のつけようがなくて。全部やり直すしかないんだけど、あれだけの人がそうそういるわけじゃないから、どこかに回そうったって、人がいないし……」
「やっぱり、頭がよすぎて、こんなもの訳してられるかって気になっちゃうんじゃない」
「それもわかるんだけど、あれでもずいぶんよくなったのよ。最初うちに来たときは気も張ってたんでしょうけど、すぐに病気がぶりかえしちゃって……」
「えぇ、ラージ、どこか具合悪いの?」
「そう、病気っていえば病気よね、もう」
「なにか精神的なもん?」
「ほら日本の会社でおかしくなって、アル中になって辞めちゃったでしょう」
「インドじゃ、かなりの家柄だし、エリート中のエリートだったのが、年功序列の日本の会社でしょう。エリートだという自負もあるしで、雑用なんかやってられるかって、その気持ち、私もわかるんだけどね。でもここは日本なんだから、切り替えるしかないって、本人も理屈じゃわかってんのよ。でも気持ちがついてこないってのかな……かわいそうな人なのよ……」
「乗ったときは、そりゃこれしかないって仕事をしてくるんだけど、乗らなかったら、そりゃもう……」
「それで、今日はずいぶん長話だったけど、なんだったの?」
足立さんがため息をついて、
「先週の金曜日が納期だったのを、今頃になって、できませんって返してきたから、もう突っ返してやったのよ。クライアントには一週間延ばしてもらうから、なにがなんでもやっつけてこいって、怒鳴ってやったわ。前にもなんどかあったけど、説得じゃなくて、頭ごなしに、あんたこんなことやってたら、インドでも仕事できないわよって言ってやったわよ。出来る出来ないの理屈をこねだしたら、なんせ弁はたつから、こっちが言い負けちゃうでしょう。だからラージには頭ごなしに叱るのが一番なのよ。あたしも、あいつにはずいぶん痛い目に合わされてきたから……頭はいいし、いい人なんだけどね、それを活かすところがなかなかね……」

仕事の出来る人にできる環境を与えるのがマネージメントの責務なのだが、翻訳業界にはその作業をし得る人や組織はおろか、そんな文化など考える人すらいない。すべてが翻訳者まかせ、それもソシアル・ドロップアウトでしがらみのない、人とのかかわりを最小限にして、生きてゆきたいと思っている人たちに、意に感じて仕事をしようと思わせる環境条件を提供しなければどうなるか。こう書いてありましたという翻訳が上がってくる。それは可能性ではなく、完璧なまでの必然がある。

翻訳業界は何をどうしたところで「悪貨は良貨を駆逐する」ところで、舌の肥えた客が料理人を料理人にするようにはゆかない。 どうしたものかと考えてゆくと、日本語や英語、物理や化学……それこそ日本の教育の問題というより日本社会のありようとうのか文化の問題にまでいきついてしまう。
2018/10/21