翻訳屋に17

<まるでアマゾネス>
「今度の土曜、うちで遅い昼飯というのか早い夕飯があるから、もし時間があったら来ないか」
とエリックに誘われた。どんなに親しい人の家に招かれても気疲れするから、断ろうとした。断る言葉に力がなかったのか、なんの予定もないのに遠慮していると思ったのだろう、
「いろんな人がくるし、堅苦しい集まりじゃないから……」
人を押すことのないエリックにしては珍しく言葉が強い。

そうは言われても、どんな人たちなのかも知らない人の集まりにいけば、共通の話題もなく、人の輪のなかに入れずに疎外感を味わうことになる。なんども嫌な思いをして、知らない人たちの集まりには、できるだけ出かけないようにしていた。社交辞令の類は苦手で、一対一ならまだしも、コミュニティとでもいう集団のなかに混じって、如才のない話で場をたもつ器用さは持ち合わせていないし、持ちたいとも思わない。

断ろうとするのだが、エリックが珍しく引かない。
「気を使わなければならないのは一人もいないし、みんなで適当に料理を作って、勝手に食べて飲んでだから……、気にすることなんか何もないから……」
来いか?ではなく、なんとしても来てもらいたいという口調だった。
「食材は誰かが用意するし、女性連中が勝ってに好きなものを作るから、好きなものを好きなように食べて、適当に話をしてればいいだけだから……」
好きなものを食べたいように食べるのはいつものこと。誰に気兼ねすることもなく勝手に食べたいものを食べりゃいいだけで、エリックの家にいかなければならない理由などどこにもない。それこそ独り者の特権でなにも困っちゃいない。うんと言わないのを、もう一押しとでも思ったのだろう、エリックがエサを投げてきた。
「もしかしたら、いい彼女が見つかるかもしれないじゃないか」
いつも相手に合わせてのエリックにしては言葉に力がありすぎる。行くといっていないのに、地図まで描き始めて、来るものとして続けた。

おいおいよしてくれよと思いながらも、リライトをしているときのよりよっぽど熱が入っていて、断れなくなってしまった。良くも悪くも適当なエリックがこれほどまでに細かな地図を描くとは想像もしてなかった。三鷹の駅で降りて、バスに乗って、こんなところもあったのかというところに着いて歩いて行ったら、古い一軒屋があった。玄関が開けっ放しで、エリックのスニーカーの上にまで女性ものの靴があふれていた。足の踏み場もないというのはこういうことをいうのか、入るに入れない。どうしたものかと思って、玄関のそとからエリックを呼んだ。玄関の外で靴を脱いで、あふれた靴を踏みながら、女性ものの靴はなんでこんなに踏みにくいというのか、足が痛い。エリックについてキッチンにいったら、女性六、七人がわいわいやっていた。

もう料理のいくつかは出来ていた。まるで押し付けられるかのように大きすぎる皿を渡された。大きなどんぶりやなべが並んでいた。どれから食べようかと料理を見たが、見た目でしかないにしてもできれば手をつけたくないものばかりで、とても食欲をそそるようなものはない。どれにしてもと、ためらっていたら、三十半ば過ぎの化粧っけのない女性が、
「今日はベジタリアンだから、どれでも好きなものをとって」
そうは言われても、どれも食べたくないんだけどと思いながら、食べないわけにもゆかないだろうと、カレー風味の野菜の煮物を少し皿にとった。それを見て別の女性が、
「なに遠慮してんの、ここは遠慮なんかするところじゃないんだから、もっととって」

別に遠慮なんかしちゃいない、いやできれば遠慮させていただきたいと言いたいが、もうここはお付き合いするしかないと覚悟して、大きなスプーン?で絶対不味いに違いない野菜の煮物を、こわごわ皿に盛った。一口食べて、予想どおりの味に「やっぱし」と思いながら、旨そうな顔をしようとしたが、せいぜい不味くはなさそうな顔だったろう。一口食べるたびに、なんでこんなものを食べなければならいんだと思いながらも、戻すわけにもいかない。
学校給食や給食センターのお弁当どころかムショほうがよっぽど気がきいているんじゃないかと思うしろものだった。とてもじゃないが食がすすむのどうのという話じゃない。よくこんなまずいものを作れるものだと呆れながら、これもまずいよな、これもダメだよなって……。どれをとっても、さっきのよりはまずくないかも、いやさっきのほうがまだいいというものばかり。二口目までの量にしておこうと思っても、手元がくるって三口目、四口目の量までとってしまうことがある。それを嫌がる口に押し込んで、一息ついて、次へとまるで罰ゲームのようだった。

エリックが言っていた「女性連中が勝ってに好きなものを作るから」の意味がわかった。女性連中が好きなものとこっちが好きなものが同じだという保障などありはしない。「好きなものを好きなように食べて」といったところで、好きなものがなかったらという可能性は想像できなかった。
なんでも相手に合わせてのエリックだから、彼女と外食にでても、彼女の好きな店、好きな料理で、エリックの気持ちを汲んでなんてことはないだろう。エリックが中華屋で頼んだものと違うものがでてきたときに、「問題ない、これでいい、食べちゃうから」といったのが、なにも特別なことでなく、エリックの日常なのだろう。
そんなことを思っていて、ある日エリックが着ていたざっくり編んだ白いセーターを思い出した。うなじのところがV字に大きく開いたもので、エリックらしくもなくセクシーな格好してるじゃないかと、冷やかし半分世辞半分でほめた。えっという顔をして、ちょっと恥ずかしそうに、
「いや、これ、もう着ないから、あんた着なって、彼女がくれたんだ。着なって言われて、着ないと問題になっちゃうから……まあ、着れないこともないし、セーターも一つ欲しかったし……」
「いや、エリック、似合ってる。いいセーターもらってよかったじゃないか」
ちょっとあわてて、世辞を超えて本心でほめた。

もし、「味はどうだ」と聞かれたら、正直に言っていいのなら、「金はらってでも食べたくない」と答えた。そのあとも、できれば遠慮したい料理ばかりなのに、何も口にしないとうるさいから、一口二口を繰り返した。それをみていた女性連中がうるさい。
「なに遠慮してるの、お昼食べてこなかったんでしょう。もっととって。まだまだでてくるから」
いえ、もうなにも出てこなくて結構です。勘弁してくだいと言いたかった。

まったく不思議でならないのだが、どれもこれも遠慮したいものなのに、世辞なのか本心なのかわからないが、お姉さん連中はそれを美味しいといって食べている。ベジタリアンで野菜しかないところにインド風なのかわからないが香辛料をいくつか適当に使ったものしかない。それでも肉や魚があれば、味もこくも自然にでてくから調味料や香辛料の工夫は最小限でもいい。自分の味覚がおかしいのかと心配になって、そっとエリックに聞いた。
「おい、これが美味いんか」
「美味いわけないだろう」と顔で言っているのに、そこはエリック、
「うーん、そんなに悪くない」
なにがそんなに悪くないだ。お前、いつも家で何食ってんだと思ったが、あの彼女だ。たぶんエリックが料理でもしないかぎり、ろくなもんを食べちゃいない。それにしてもエリックがつくったものにしたところで、たいしたもんのなずがない。一緒に食べに行く昼飯が一番のご馳走なんだろう。痩せぎすのエリックの日常を見たような気がした。

化粧っけもなければ、服装も男の視線も気にしない生き方に誇りをもっているのではないかという女性たちが、繊細さというには程遠い手つきで料理?をしては食べていた。どこかできいた言い草を思い出した。女性にはしかられるだろうが、本音は本音でしょうがない。「危なっかしい手つきで剥いてくれたリンゴはおいしかったけど、手馴れた手つきでつくってくれたカレーはカレーだった」残念ながら、そこにはリンゴもなければカレーもなかった。

男はエリックと二人だけで、圧倒的な女性たちとのかかわりを避けるようにして隅のほうで小さくなっていた。エリックが来てくれという感じで言ってきた訳がわかった。

あれっと思ったら、エリックがみえない。どこにいったのかと思ったら、階段を途中まで降りてきて、こっちに来いと手招きしてる。なんだ、お前、人を置いてけぼりにして逃げたのかと思いながら、エリックについて階段を登っていった。そこはエリックの部屋だった。小さな机に椅子が一つに簡易ベッドだけで、物という物がない。
「下にいると、疲れちゃうから」
何をいってんだか。お前、その疲れちゃうのに人を呼んでおいて「疲れちゃうから」ってのはないだろうと思いながら、確かに疲れちゃって、あのアマゾネス連中と一緒にいたくない。

机の上にOrangeがぽつんとおいてあった。これがセアーがいっていたOrangeかと、はじめてみるOrange、Apple IIと何が違うんだと見ていたら、エリックが、
「何もないけど、ゲームなら少しあるから、やってみるか」
「うん、これがApple IIのコピーか、見た目はなにもかわらないじゃないか」
エリックがちょっと自慢げに、そして恥ずかしそうな口ぶりで、
「何も変わらない。同じだ。ただロゴが違う、こっちはOrangeだ」
コンピュータのようにデジタルになったとたん、コピーを作るのが簡単になった。使っているIC素子は同じでも、安いコンデンサーはぼけるのも早い。信頼性というのか耐久性という点では心配だが、Apple IIには手の出ない人でもOrangeなら買える。
まだまだパソコンが普及し始めたころで、買ったところで何をするわけでも、できるわけでもない。BASICでどうでもいい簡単なプログラムを書くか、ちゃちなゲームで遊ぶぐらいしかできない。そんなものでも持っていることがステータスだった。 二人でゲームをやっていたら、階下からおよびがかかった。
二人して、しょうがないという顔をして、階段を降りながら、社交的な顔に変えていった。それは軽い拷問に近い。

一人でも威圧感というのか自己主張の塊のような女性が六、七人、とてもじゃないが、そばにいるだけでも疲れる。エリックと同棲している彼女を紹介された。骨格がいいだけでなく物腰にいいのようのない迫力を感じる。やせぎすのエリックより間違いなく重い。気のやさしいエリックだからもっているとしか思えない。同時通訳をしているらしいが、仕事の前で気が張っているときは、怖くて家に帰りたくないといっていたのがわかる。エリックだからなんとかなっているのだろうが、ふつうの男じゃもたない。

集まっている女性たちは、エリックの彼女の同僚とその知り合いの外資で働いている人たちで、全員が自分はキャリアウーマンと思っているようにみえる。才能も能力もあるのだろうし、競争社会で生きていくための努力もしてきた人たちなのだろう。話をしてみればいい人たちかもしれないが、前面に押し出された棘のあるエネルギーに圧倒される。男だから女だからという気はないが、立場の弱い女性という意識からだろうが、必要以上に片意地張って、人を押しのけてでも前に進もうとする気持ちをそのままだされても受けきれない。責任ある仕事をしようとすれば、引いてはいられないのは分かるが、押しの強さを全面にだされると、勘弁してくれという気になる。ましてや仕事でならしょうがないとしても、私生活では遠慮させていただきたい。

外資を渡り歩いてきた経験からでしかないし、偏見と言われかねないのだが、どういうわけか外国語をやってきた女性は、往々にしてエリックの家で会った人たちのような人が多い。家事も育児も女性にまかせっきりという時代でもなし、男も女もない。人として平等にと思うのだが、自分が自分がという押しの強さを前にして、いらぬごたごたはいやだしと、つい引いてしまう。それを当たり前、あるいは男がだらしないと思うのは勝手だが、だれも必要以上に疲れる人とは距離をあけておきたいと思う。偏屈で、すぐにビーンボールを投げてくるセアーのほうがよっぽど付き合いやすい。
もうちょっと自然体でいてくれたらいいのにと思う。
2018/10/28