翻訳屋に31

<訪問者>
つとめて仕事は自宅に持ち帰らないようにしていたが、数百ページの仕事を抱えると事務所との通勤時間がもったいなくなる。通勤時間を節約するのはいいが、自宅で作業しだすと、仕事と私生活のけじめがつかなくなる。体力の続く限り一日中――何か食べているときとトイレか風呂と寝ているとき以外は仕事して、朝昼夜の感覚もずれてしまう。夜二時三時過ぎても眠くならいようにとコーヒーや紅茶を飲んで、空が白み始めたころ、もうこれ以上は続けられなくなってベッドに入る。

それまでなんとか起きていようとしていたのが、スイッチを切れば止まる機械でもあるまいし、疲れきってはいても頭のどこかが覚醒していて、寝るに寝れない。中学のときに肝臓がちょっとおかしくなったこともあって、酒を飲む習慣がない。寝付けない日が続いて、しょうがないからと親父から睡眠導入剤をもらっていた。
もうそろそろ限界だろう、と導入剤を飲んで翻訳を続ける。眠くなったら寝ればいいと思っているのに、習慣性もでてきたのだろう、たいして眠くならない。小一時間もたてば、疲れもあるし、さすがにぼけてはくる。ぼけてきて、さっき導入剤を飲んだことを覚えていない。ぼけたまま寝ればいいものを、寝付けないと嫌だし、ぐっすり寝たいという気持ちもあって、一錠目のつもりで、二錠目を飲んでしまうことがある。

目が覚めたら、午後三、四時なんて生活が続く。一風呂あびて、表にでて何か食べて、スーパーによって気分転換に口にするものと飲み物を買って帰ってくる。帰ってきて、また仕事を始めて、昨日と同じような生活になる。そんなことを一週間も十日も続けていると、人と話すこともなくなって、隠者のような生活になってしまう。時間との競争をしているから、ちょっと気分転換と思っても、テレビを見る気にもなれないし、新聞や小説はなどと考えることもなくなってしまう。

納期は守らなければならないし、仕事のできが自分の存在価値という気持ちもあって手は抜けない。参考資料を片手に机に向かって悪文と格闘し続けるにしても、どこかで気分転換のスイッチをいれないとおかしくなる。肉体的にたいしたことはなくても、精神的にまいってしまう。

そんな一人暮らしのマンションに訪ねてくる人たちがいる。訪問販売の人もいれば、不動産や保険、ときには新興宗教の勧誘の人たちがくる。三十をちょっとすぎた独り者、今があるだけで将来がどうのなどと考えたこともないから、誰が来ても商売にはならない。それでも人は来る。

仕事を続けてくたびれているところに誰かがくれば、いい気晴らしの相手になる。誰でもかまいやしない。下戸でアルコールの類は置いていなかったが、気分転換のためにコーヒーや紅茶に炭酸飲料も、せんべいやチョコレートなどのちょっとつまむものも買い込んでいた。
誰かくれば、ちょうどいい、「一休みで、コーヒーでも入れようかと思っていたところだから、時間があれば上がって」と言って、リビングルームのソファを勧めた。新興宗教の人たちは部屋に上がってこなかったが、それ以外の人たちは、仕事にならなくても、一休みできればということだったのだろう。

ある夏、甲子園で高校野球のまっただなかに大手不動産屋の二人連れがきた。真夏の暑い中を歩いていたのだろう、アイスコーヒーをお代わりした。熱いコーヒーを入れるのは簡単だが、入れた熱いコーヒーを氷で冷やすのは面倒くさい。紙しか見ない、タイプライターしか叩かない翻訳なんて仕事をしていると、なにか手を使うことと思いだして、そんな手間のかかることにまで凝りだす。
二人連れの若い方が北海高校の野球部員だった。甲子園ではグラウンドに出れずに、スタンドで応援していたといっていた。三人で高校野球を見ながら世間話をしていたら、年配の人が、申し訳なさそうに「電話をお借り……」。事務所に営業経過の報告をしなければならないのでと恥ずかしそうに電話をかけた。聞こえてきた話の内容がなかせる。「今、有望なお客様のお宅におじゃまして、物件の紹介をしているところです。もう小一時間はかかりそうで……」電話を終えて、恥ずかしそうに「すみません」、そして三人で野球を見ていた。日も傾いてきて、涼しくなったのを見計らって二人でお礼を言いながら出て行った。

あるとき生命保険のセールスをしている同年輩の女性が来た。冷たいものならと、冷蔵庫を開けてみてもらったのに、コーヒーになった。実家の関係で生命保険もなにももう入る余地などないほど入っていたから、何を聞いても客にはなれないけど、一休みするのなら、こっちも気晴らしになっていいから……。
それから一月ほど経ったある日、またその女性が来た。自宅で仕事をしていることがあっても、基本は事務所だから、いつもは自宅にいない。一月ほどの間になんどかきたけど、留守だったといっていた。そうは言われてもと思いながら、また世間話……。

三度目にはケーキをもってきた。田無の駅前のショッピングセンターの横の路地を入ったところにある小洒落たケーキ屋のものだった。コーヒーを入れて、ケーキをご馳走になったが、もしいなかったら、どうしたのだろうといらぬ心配までしてしまった。
何日か続けて自宅で作業をしていると、午後二時か三時ごろに顔を出す。何度も来ているうちに、ご主人と小学校の息子二人の四人家族でご主人は建築関係の仕事で帰宅は遅いし、家族のことは二の次の人でと、家庭の愚痴まできかされるようになった。
名前もしらなければ、どこに住んでいるのかもしらない。それでもそこまで頻繁にこられると、妙な人間関係にまで発展してしまう。

それは確か十月の初旬だった。なんだかしらないが訪問販売の二人連れがきた。見たところ三十後半の男性と三十そこそこの女性だった。いつものようにソファーをすすめて、コーヒーを入れて話を聞いた。健康食品らしいが、そんなもんに興味はないし、相手も興味のないことぐらいすぐにわかる。新入社員の女性をつれての飛び込み訪問販売の実地研修だった。二人とも歩き疲れて一息つきたいと思っても、そのたびに喫茶店というわけにもいかない。ちょうどいい休憩所だったのだろう。

二人ともリビングルームの一面を占めているスピーカが気になってちらちら見ていた。男性が、
「あれ、スピーカーですよね」
「そう、くだらない遊びですけど、三セット並んでるでしょう。どれも癖があってレコードを選ぶんですよ。カートリッジもですけど、同じレコードなのに聞こえる音が全然違うから、なにが本物なのかわからなくなっちゃいますよ。レコードに本物もウソ物もないはずですけどね」
「アンプなんかはどこにあるんですか」
「ああ、見ます。スピーカとは別の部屋に置かないとハウリング起こしちゃうんで、」
といって、仕事部屋に入っていった。そこにはごついキャビネットに乗せた普通の人の目には化け物のようなアンプ四台とトーンアームが二本のったターンテーブルがあった。それを見ただけでびっくりしたのだろうが、「コ」の字かたにした仕事机と本棚に、この人は何をしている人なんだろうと思ったのだろう。おそるおそるという感じで、
「あのー、お仕事、なになさってるんでしょうか」
「ああ、仕事ですか。巷の翻訳屋ですよ。ほらだから、英語の技術関係の本がならんでるでしょう。商売道具ですから」
職業を聞かれたとき、そして翻訳屋ですと答えたとき、ちょっとあごを引いてしまうほどうれしかった。サラリーマンですよというのも嫌だったし、会社の名前をいうのもいやだった。返事になっていないじゃないかと思っていた。日立精機にいたときも、機械屋ですか、卑下して便利屋ですといっていた。社会的なステータスなどなにもない、今月はいいとしても来月はどうなるかわからない巷の翻訳屋、Social dropoutに過ぎない翻訳屋に誇りを持っていた。

ソファーに戻って、男性が仕事の口調に戻って、女性に仕一言。
「報告書」
女性があわてて、バッグのなかから定型書式の報告書をだして、氏名やら年齢を聞きながら埋めていった。女性の手が止まった。
「主任……」
なんだかわからないが恥ずかしそうにして、次の言葉がでてこない。なにがどうしたのかわからない。音の消えた時間がぱっと元に戻って、
「えっ、田中さん?」
そこでまた、かなり長い一呼吸があって、女性が、
「あのー、ホンヤクって漢字、覚えてないんですけど。最近字を書くことも少なくなっちゃって……」
それを聞いた主任も、忘れてしまっていたのだろう。うっと返事に困って、小さな声で、
「ひらがなで書いときなさい」
「ああ、翻訳なんて漢字書くことないですからね」
「ほんやくのホンは、ほら順番の一番二番の番を書いて、右に羽ですよ。ヤクは藤沢のサワの字のさんずいをごんべんに代えれば……」
といったが、二人とも漢字がわからなかったことのショックもあってだろうが、話についてこない。定型書式にボールペンでひらがなはないだろうと思って、仕事部屋から紙を持ってきて、翻訳と書いて渡した。
一休みしただけで仕事ということでは、なにもない訪問だったろうが、翻訳という漢字だけは拾って帰っていった。

勉強も仕事も一人にならないとできないが、隠者の生活をするほどの精神的な強さは持ち合わせていない。いろいろな人が、仕事や個人的なわけがあってのことだろうが、人恋しくなった翻訳者にとっては、気晴らしとそれ以上のことを提供してくれた。
2018/12/9